「母」
「ガチャ……」
部屋のドアが、開いた。
嫌な予感が、全身を冷たくはしっていく。
「………千春。何してるの?」
聞いたこともないような低い声が、部屋中に響き渡った。
「……もしかして、遺品整理してくれてるの?」
「ギシ……ギシ……」
不気味な足音が耳に届くたび、鼓膜が嫌な音を立てる。
「…それなら、もういいわよ。私がやるから。…でも手伝ってくれるなら、手伝ってほしいな。遺品整理は、大変だからね。一人じゃ何時間かかるか分からないから。二人でやれば、一人よりもずっと短い時間でできる。でもいいよ。私が全部、一人でやりたいから。前に千春はやってくれたし、勉強だってしなきゃでしょ?さっきは『手伝って』って言っちゃったけど、やっぱりいいよ。悪いし。私が一人でやりたいから。全部、一人でやるから。だから千春。……早く、出て行こうね?」
母だった。
いつもとは違う、冷酷な雰囲気を纏った母が、「ギシギシ」と音を立て、ゆっくり近づいてくる。
「…ねえ、千春。聞こえてるの?ねえ、聞いてるの?出て行かないの?出て行って、って言ってるよね?遺品整理してくれてたのは感謝するけど、もういい、って言ってるよね?なんで分からないの?早く出て行こうね?出て行きたくないの?…ああ、アルバムを見てたの?まあ、お姉ちゃんのこともあるし、思い出の詰まったものは取っておきたいわよね。…じゃあ、アルバムを持ってっていいから。早く出て行こうね?…ねえ、千春。聞いてるの?ねえ。」
だんだんと迫って来る母に、夢と同じような、「恐怖」を憶える。
「……ああ、でも。その手に持ってるのは—―置いてこうね?」
母の声が、声変わりした男の人みたいに、低くなった。
「お、お母さん……?」
母が転げたようにしゃがみ込む私を、真上から睨むように見下ろした。
―お母さんが翠に、「あんたなんか早く死ねばいいのに」って言ってたの…。
―千春、ピアノは小学校でやめなさい
―子供は親の言うことだけ聞いてればいいのよ
病状が良くなってきていたはずのお姉ちゃんの、突然の死。
病死とは思えない、と話す薄井の証言。
遥ちゃんの、姉と母が不仲だった、という証言。
姉の病室に落ちてあった紙切れの正体が、家にある写真だったこと。
その写真の裏に書いてあった「呪」の文字の、誰かの字に似ているような字体。
あれを書いたのが犯人だとすると、犯人はこの家に簡単に出入りできる人物だという可能性が高いこと。
宮本さんの証言通りなら、犯人はお姉ちゃんと親しい女の人だということ。
「千春、聞いてるの?」
尻もちをついたような不格好な体制で、私は母を下から見つめ返した。
「……」
ふと―、部屋の窓の夕日に照らされて、母の服の端にある物が目に入った。
ギラギラと銀色に光る—―ナイフ。
「お、母さん?」
母の口角が少し、上がる。
「………」
遥ちゃんの話を聞いた時から―ずっと思っていた。
母が姉に、「死ねばいいのに」なんて言うはずがない、って…。だって、お母さんは、私とお姉ちゃんの「お母さん」なのに。血の繋がった、家族で、大切で守りたいものの一つで。
実の母親から殺意を向けられていたなんて、お姉ちゃん自身だって信じられなかったはずだ。
でも―実は母は、姉のことを恨んでいたのではないか―、なんてことを、心のどこかで考えている自分がいた。
だって母は―、ずっと身勝手だ。
娘のことは全部自分で決めたくて、反論すれば、怒り狂って、どうやってもいうことを聞かせようとする。
友達付き合いだって、「あんな不良と仲良くしないの。千春まで馬鹿が映っちゃうじゃない」なんて言って、私のスマホを無理やり取り上げて、友達の連絡先を消させられた。
勉強や進路のことも、全部勝手に決められていて。私が「行きたい高校がある」って言っても、「本気で言ってるの?馬鹿じゃないの?そんな馬鹿ばかりが行く高校、行くんじゃないの」と、耳も貸してくれなかった。
食べ物やお金の使い方。メイクやコスメを使っていい年齢までも決められていて、ルールを破ったら、ペナルティ。一日中勉強をさせられて、部屋に閉じ込められることだって、あった。
私の意見なんて、一つも聞き入れてくれない。
ピアノだって―、本当はやめたくなかったのに………




