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桑の実  作者: やきぶたたまこめし
12/28

大切な気持ち


       ✾

 

 あれから、遥ちゃんから連絡があった。

 遥ちゃんのお母さんが、私が来たことを伝えてくれたんだとか。

 電話で、「会って聞きたいことがある」というと、遥ちゃんは何かを(さっ)したのか、(こころよ)くOKしてくれた。

 二人の予定が合うのが来週の日曜だったから、日曜日の午後1時に、私の家まで来てくれるようになった。

 その日は、丁度父も出張で家に居なくて、母も、用事で家を空けているのだとか。母は、夕方には帰って来る、と言っていたけど、私の家でなら、人の目を気にせずに話ができるだろう。

 

「ブブ…!」

 ポケットに入れてあるスマホが、小さく(ふる)えた。

 制服の左スカートのポケットに手を突っ込んで、スマホを取り出し、画面を確認する。

 薄井からだった。

 『千春ちゃん。今から少し病院に来てくれないかな?』

 吹き出しの中に書かれた文字を読んで、返信をする。

 『いいけど、なんでですか?』

 薄井から呼び出しがあるなんて、(めずら)しかった。日曜日以来会ってないし、連絡も取っていない。

 薄井も病院のほうで調べてくれる、と言っていたし、お姉ちゃんのことで、何かが分かったのだろうか…?

「ブブ…!」

 また携帯(けいたい)が鳴って、画面を確認する。

 『う~ん。ちょっと、話したいことがあってね。電話でもいいんだけど、会って話した方が早いと思うんだ。』

 『分かりました。今から向かいます。』

 そう打って返信すると、家とは反対方向へ歩き出した。

 学校に背を向けて、自転車に乗ると、陽の沈む方へと進んでいく。

 

 あれから、調査を始めても、毎晩の悪夢は続いていた。毎日毎日同じように夢に出てくる「お姉ちゃん」に、始めよりは慣れていても、恐怖で寝られないことが多かった。

 そのせいか、授業中に居眠りしてしまうことが多くなって、目の下には(くま)が出来ていた。

 家族や周りの人には心配されるけど、対処(たいしょ)のしようのないことだから、今は、姉のことだけに目を向けていたい。

 

「チャリンチャリン…」

 ふと空を見上げると、明るいオレンジが、町を夕日色に染め変えていく姿が、目の前に映った。

 (まぶ)しい太陽が(かたむ)いた先に見える病院に、自転車のハンドルを向ける。

 病院の窓も、夕日が反射して、キラキラと輝いていた。空の模様(もよう)が、直接窓にくっきりと映って、茜色の空と赤い雲が病院に迷い込んだみたいだった。

 私は、ハンドルをさっきよりも強く握り、車輪の回転数を上げた。

「チャリン……ガチャンッ!」

 駐車場の横の自転車置き場に自転車を止めると、(かぎ)()けて、自動ドアを(くぐ)る。

 夕方とはいえ、自転車を走らせれば、それなりに汗を()くし、まだまだ熱気が体中に(まと)わりついていた。

 私は、クーラーの効いた病院の中に入ると、ナースステーションの看護師さんに話しかけた。

「こんにちは。…薄井先生って、いらっしゃいますか?」

「千春ちゃん、こんにちは。薄井先生はねぇ……」

 受け答えしてくれたのは、何度か見たことのある、若い女の看護師さんだった。宮本さんより少し若いくらいの、大人な雰囲気のある人。新人さんっぽいけど、スラッと背が高くてスタイルが良く、おしゃれな香水の香りがこっちまで匂ってくる。

 その人が、周りをキョロキョロ見回して、薄井を探してくれる。

 すると、私の後ろから、「あっ!千春ちゃん!」と、声が聞こえた。

 薄井の声にしては高すぎる気がするけど、誰だろう…?

「日曜以来だね!…今日はどしたの?」

 宮本さんだった。

「こんにちは。今日は、薄井先生に呼び出されちゃって!薄井先生がどこにいるか、分かりますか?」

「う~ん…。約束してるなら多分、面会室にいるんじゃないかな?まあでも、あの薄井先生なら、遅刻する気もするけどねぇ~!」

「確かにっ!絶対、待たされると思います!」

 二人でそう言って笑っていると、後ろから、「おっ!千春ちゃん!よく来たね!」という薄井の声が聞こえた。

 薄井は、ハンカチで汗を(ぬぐ)いながら、熱そうに顔の前で手を(あお)いだ。

 そういえば薄井は、会ったときはいつも熱そうに汗を()いている気がするなぁ…。

 

「千春ちゃん!今回は、あんまり待たされなかったねっ!」

 薄井がよそ見をしている間に、宮本さんがこっそりと耳打ちしてきた。

「ホントですね!『今回は』待たされませんでしたね!前は待たされましたけどっ!」

「アハハ!『今回だけ』ねっ!」

 そう言いながら二人で笑っていると、薄井がこっちを向いて、「どうかした?」と聞いてきた。

「なんでもないですよっ!…ほら、早く行きましょ!」

「あ、うん…!」

 私は、宮本さんに手を振ると、ナースステーションのすぐ横にある面会室へと入った。

 宮本さんは、今から仕事があって、話し合いには参加できないみたいだった。

 そこまで大事な話でもないみたいだったから、すぐに済むよ、と薄井も言っていた。

「それで、何の用ですか…?」

「ああ、あのね。…前に言ってた、翠さんが死ぬ前の日の夜。話し声を聞いたって日、会ったじゃん。」

「はい…。」

「その日の、翠さんの病室の前の廊下の映像が、今週末くらいには見れると思うんだ。」

 薄井のいつもと変わらないはずの声色が、酷く重たく、低く聞こえる。

「え—―それって……。……お姉ちゃんを殺した犯人が…、分かるかもしれない、ってことですか…?」

「…うん。まあ、そういうことだねぇ…。」

 薄井が、水滴(すいてき)のついたコップを手に取り、麦茶を「ゴクゴク」と飲む。

「千春ちゃんも、麦茶のおかわりいる?」

 薄井が、飲み干したコップを手に持って、私に問いかけた。

「いえ、いいです…」

 いつの間にか、下唇(したくちびる)の裏を、血が(にじ)むほど()んでいた。

 お姉ちゃんを殺した犯人が、お姉ちゃんの命を奪った人間が、この世にのうのうと生きていることに、こんなにも黒い感情が渦巻(うずま)いていく。

 

―死ねばいいのに

 

 と、思ってしまう。

 お姉ちゃんの代わりに、そいつが死んでしまえばよかったのに。

 何故そいつが生きて、お姉ちゃんが死ぬ—?

 そいつが殺さなければ、お姉ちゃんは今もこの場所で笑っていて、今も変わらず―

 生きていてくれたのに。

 なぜあんなに優しい人が―死ななければならなかった?

「千春ちゃん、大丈夫?」

 薄井の声で、沸騰(ふっとう)しかけていた気持ちが、少し熱を冷ましていく。

「は、はい…。」

「……お姉さんを殺した犯人を(にく)む気持ちは、よぉーく分かる。でも、今じゃない。今千春ちゃんが怒ったって、お姉さんが戻ってくるわけじゃない。」


 お姉ちゃんは―、もう戻ってこない。

 私がどれだけ犯人を責めったって、私がどれだけお姉ちゃんの死を()やんだって、私が何をしたって―、もうお姉ちゃんの笑顔を見ることは、出来ない。

 そんなこと。お姉ちゃんがいつ死んでもおかしくない―、って知った時から、覚悟(かくご)していたはずなのに……

 今になって、すごく現実を突きつけられる。

 どうしても―、お姉ちゃんに会いたくなる。

 声を、匂いを、姿を、笑顔を、どうしても見たくなる。

 どうして私は、もっとお姉ちゃんの傍にいてあげられなかったのだろう。

 あの日だって、お姉ちゃんが死んだ日だって、病院に寝泊まりすればよかったのに…。学校なんて休んで、もっともっともっと、お姉ちゃんと一緒にいればよかったのに。

 分かっていたはずなのに―……。

「千春ちゃん…。」

 薄井が、私の肩に手を置いた。

「いったん、落ち着こう…。」

「は、はい…。」

 薄井が席を立ち、私のお茶を()れなおしてくれる。

「ほら、千春ちゃん。お茶、飲んでいいから。」

「はい……」

 私は、薄井の淹れてくれたお茶を口にした。

 冷えた麦茶の香ばしい香りが口の中に広がると同時に、自分の思っていることが、どれだけ(みにく)いことなのか、突きつけられるように実感する。

「本当に、すみません…。」

「いいよ…。しょうがない、お姉さんが死んで、まだ2か月も経ってないんだから。」

「………」

 自分では、もう大丈夫だと思っていた。

 少しだけ胸が痛いだけで、お姉ちゃんが死んだ直後のように、取り乱したりしないと、思っていた。

 でもやっぱり、駄目みたいだ。

 きっとずっと、後悔や憎しみは消えない。

 

「……自分では、もう大丈夫だって、思ってたんです。きっと犯人を見つけたって、『殺したい』とまでは思わないと…。でも―…、無理でした。もうお姉ちゃんに会えない、っていう事実が、お姉ちゃんを殺した犯人が、今ものうのうと生きている、っていう事実が…、耐えられないほど、憎い。理性では、その人も家族や大切な人がいて、殺していいわけがない、って分かってるのに…。どうしても、憎くて、怒りでおかしくなりそうなんです…。」

 綺麗な言葉では覆い隠せない自分の本音が、心の底から溢れて来る。

 悔しい、憎い、悲しい、苦しい——全部が、自分の中で洪水のように溢れてきた。

「誰だって、そうだよ…。」

「え……?」

 薄井の、男の人にしては高い声が、部屋の中に鳴り響いて、私の耳まで届く。

「僕はさ、家族を亡くしたことはないから、千春ちゃんの気持ちを、全部理解できるわけじゃないけど。誰だって、そうだと思うよ。家族や大切な人を殺したやつを憎いと思うのは、悪いことかもしれないけど、当然のことでもあるんじゃないかな…?だって、それだけ犯人を憎いと思うのは、千春ちゃんがお姉さんのことを大切に想ってた、っていう証拠(しょうこ)でもあるんだから。だから、『憎い』って気持ちを、無理やり否定して、押し殺す必要は、ないと思うな…。」

 薄井の言葉が、私の中でやけに優しく響いた。

「それでいつか、その気持ちが『優しさ』に変わったらいいよね…。」

「『優しさ』に、変わる…?」

「うん。…いつか、千春ちゃんの中でお姉さんのことに踏ん切りがついて、お姉さんのことが大好きだった、っていう気持ちだけが残ったら、いいよね…。」

 なんだか薄井の言葉で、少しだけ心が軽くなったような気がした。

 犯人を許すことは、一生かかっても出来ないかもしれない。

 でも、憎しみに(とら)われて、お姉ちゃんを大切に想う気持ちが消えないように、大事に抱えていられたら、いいな。

「まあ、全部綺麗ごとなのかもしれないけどね…!」

「…あの、薄井先生。…ありがとうございます。少し、気持ちが楽になった気がします…。」

「えへへへ…!僕は何もしてないよ!」

 薄井が、まんざらでもなさそうに笑った。

「今日初めて、薄井先生が頼りがいのある大人に見えましたよ。」

「えぇ~!初めてなの!?」

「はい、初めてです。」

「うそぉ…!」

 不服(ふふく)そうな顔をする薄井を見て、思わず吹き出してしまった。

 その後、薄井が仕事に戻るのと一緒に、私も病院を後にした。

 夕焼け空が、夜空に変わっていた。


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