大切な気持ち
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あれから、遥ちゃんから連絡があった。
遥ちゃんのお母さんが、私が来たことを伝えてくれたんだとか。
電話で、「会って聞きたいことがある」というと、遥ちゃんは何かを察したのか、快くOKしてくれた。
二人の予定が合うのが来週の日曜だったから、日曜日の午後1時に、私の家まで来てくれるようになった。
その日は、丁度父も出張で家に居なくて、母も、用事で家を空けているのだとか。母は、夕方には帰って来る、と言っていたけど、私の家でなら、人の目を気にせずに話ができるだろう。
「ブブ…!」
ポケットに入れてあるスマホが、小さく震えた。
制服の左スカートのポケットに手を突っ込んで、スマホを取り出し、画面を確認する。
薄井からだった。
『千春ちゃん。今から少し病院に来てくれないかな?』
吹き出しの中に書かれた文字を読んで、返信をする。
『いいけど、なんでですか?』
薄井から呼び出しがあるなんて、珍しかった。日曜日以来会ってないし、連絡も取っていない。
薄井も病院のほうで調べてくれる、と言っていたし、お姉ちゃんのことで、何かが分かったのだろうか…?
「ブブ…!」
また携帯が鳴って、画面を確認する。
『う~ん。ちょっと、話したいことがあってね。電話でもいいんだけど、会って話した方が早いと思うんだ。』
『分かりました。今から向かいます。』
そう打って返信すると、家とは反対方向へ歩き出した。
学校に背を向けて、自転車に乗ると、陽の沈む方へと進んでいく。
あれから、調査を始めても、毎晩の悪夢は続いていた。毎日毎日同じように夢に出てくる「お姉ちゃん」に、始めよりは慣れていても、恐怖で寝られないことが多かった。
そのせいか、授業中に居眠りしてしまうことが多くなって、目の下には隈が出来ていた。
家族や周りの人には心配されるけど、対処のしようのないことだから、今は、姉のことだけに目を向けていたい。
「チャリンチャリン…」
ふと空を見上げると、明るいオレンジが、町を夕日色に染め変えていく姿が、目の前に映った。
眩しい太陽が傾いた先に見える病院に、自転車のハンドルを向ける。
病院の窓も、夕日が反射して、キラキラと輝いていた。空の模様が、直接窓にくっきりと映って、茜色の空と赤い雲が病院に迷い込んだみたいだった。
私は、ハンドルをさっきよりも強く握り、車輪の回転数を上げた。
「チャリン……ガチャンッ!」
駐車場の横の自転車置き場に自転車を止めると、鍵を掛けて、自動ドアを潜る。
夕方とはいえ、自転車を走らせれば、それなりに汗を掻くし、まだまだ熱気が体中に纏わりついていた。
私は、クーラーの効いた病院の中に入ると、ナースステーションの看護師さんに話しかけた。
「こんにちは。…薄井先生って、いらっしゃいますか?」
「千春ちゃん、こんにちは。薄井先生はねぇ……」
受け答えしてくれたのは、何度か見たことのある、若い女の看護師さんだった。宮本さんより少し若いくらいの、大人な雰囲気のある人。新人さんっぽいけど、スラッと背が高くてスタイルが良く、おしゃれな香水の香りがこっちまで匂ってくる。
その人が、周りをキョロキョロ見回して、薄井を探してくれる。
すると、私の後ろから、「あっ!千春ちゃん!」と、声が聞こえた。
薄井の声にしては高すぎる気がするけど、誰だろう…?
「日曜以来だね!…今日はどしたの?」
宮本さんだった。
「こんにちは。今日は、薄井先生に呼び出されちゃって!薄井先生がどこにいるか、分かりますか?」
「う~ん…。約束してるなら多分、面会室にいるんじゃないかな?まあでも、あの薄井先生なら、遅刻する気もするけどねぇ~!」
「確かにっ!絶対、待たされると思います!」
二人でそう言って笑っていると、後ろから、「おっ!千春ちゃん!よく来たね!」という薄井の声が聞こえた。
薄井は、ハンカチで汗を拭いながら、熱そうに顔の前で手を仰いだ。
そういえば薄井は、会ったときはいつも熱そうに汗を拭いている気がするなぁ…。
「千春ちゃん!今回は、あんまり待たされなかったねっ!」
薄井がよそ見をしている間に、宮本さんがこっそりと耳打ちしてきた。
「ホントですね!『今回は』待たされませんでしたね!前は待たされましたけどっ!」
「アハハ!『今回だけ』ねっ!」
そう言いながら二人で笑っていると、薄井がこっちを向いて、「どうかした?」と聞いてきた。
「なんでもないですよっ!…ほら、早く行きましょ!」
「あ、うん…!」
私は、宮本さんに手を振ると、ナースステーションのすぐ横にある面会室へと入った。
宮本さんは、今から仕事があって、話し合いには参加できないみたいだった。
そこまで大事な話でもないみたいだったから、すぐに済むよ、と薄井も言っていた。
「それで、何の用ですか…?」
「ああ、あのね。…前に言ってた、翠さんが死ぬ前の日の夜。話し声を聞いたって日、会ったじゃん。」
「はい…。」
「その日の、翠さんの病室の前の廊下の映像が、今週末くらいには見れると思うんだ。」
薄井のいつもと変わらないはずの声色が、酷く重たく、低く聞こえる。
「え—―それって……。……お姉ちゃんを殺した犯人が…、分かるかもしれない、ってことですか…?」
「…うん。まあ、そういうことだねぇ…。」
薄井が、水滴のついたコップを手に取り、麦茶を「ゴクゴク」と飲む。
「千春ちゃんも、麦茶のおかわりいる?」
薄井が、飲み干したコップを手に持って、私に問いかけた。
「いえ、いいです…」
いつの間にか、下唇の裏を、血が滲むほど噛んでいた。
お姉ちゃんを殺した犯人が、お姉ちゃんの命を奪った人間が、この世にのうのうと生きていることに、こんなにも黒い感情が渦巻いていく。
―死ねばいいのに
と、思ってしまう。
お姉ちゃんの代わりに、そいつが死んでしまえばよかったのに。
何故そいつが生きて、お姉ちゃんが死ぬ—?
そいつが殺さなければ、お姉ちゃんは今もこの場所で笑っていて、今も変わらず―
生きていてくれたのに。
なぜあんなに優しい人が―死ななければならなかった?
「千春ちゃん、大丈夫?」
薄井の声で、沸騰しかけていた気持ちが、少し熱を冷ましていく。
「は、はい…。」
「……お姉さんを殺した犯人を憎む気持ちは、よぉーく分かる。でも、今じゃない。今千春ちゃんが怒ったって、お姉さんが戻ってくるわけじゃない。」
お姉ちゃんは―、もう戻ってこない。
私がどれだけ犯人を責めったって、私がどれだけお姉ちゃんの死を悔やんだって、私が何をしたって―、もうお姉ちゃんの笑顔を見ることは、出来ない。
そんなこと。お姉ちゃんがいつ死んでもおかしくない―、って知った時から、覚悟していたはずなのに……
今になって、すごく現実を突きつけられる。
どうしても―、お姉ちゃんに会いたくなる。
声を、匂いを、姿を、笑顔を、どうしても見たくなる。
どうして私は、もっとお姉ちゃんの傍にいてあげられなかったのだろう。
あの日だって、お姉ちゃんが死んだ日だって、病院に寝泊まりすればよかったのに…。学校なんて休んで、もっともっともっと、お姉ちゃんと一緒にいればよかったのに。
分かっていたはずなのに―……。
「千春ちゃん…。」
薄井が、私の肩に手を置いた。
「いったん、落ち着こう…。」
「は、はい…。」
薄井が席を立ち、私のお茶を淹れなおしてくれる。
「ほら、千春ちゃん。お茶、飲んでいいから。」
「はい……」
私は、薄井の淹れてくれたお茶を口にした。
冷えた麦茶の香ばしい香りが口の中に広がると同時に、自分の思っていることが、どれだけ醜いことなのか、突きつけられるように実感する。
「本当に、すみません…。」
「いいよ…。しょうがない、お姉さんが死んで、まだ2か月も経ってないんだから。」
「………」
自分では、もう大丈夫だと思っていた。
少しだけ胸が痛いだけで、お姉ちゃんが死んだ直後のように、取り乱したりしないと、思っていた。
でもやっぱり、駄目みたいだ。
きっとずっと、後悔や憎しみは消えない。
「……自分では、もう大丈夫だって、思ってたんです。きっと犯人を見つけたって、『殺したい』とまでは思わないと…。でも―…、無理でした。もうお姉ちゃんに会えない、っていう事実が、お姉ちゃんを殺した犯人が、今ものうのうと生きている、っていう事実が…、耐えられないほど、憎い。理性では、その人も家族や大切な人がいて、殺していいわけがない、って分かってるのに…。どうしても、憎くて、怒りでおかしくなりそうなんです…。」
綺麗な言葉では覆い隠せない自分の本音が、心の底から溢れて来る。
悔しい、憎い、悲しい、苦しい——全部が、自分の中で洪水のように溢れてきた。
「誰だって、そうだよ…。」
「え……?」
薄井の、男の人にしては高い声が、部屋の中に鳴り響いて、私の耳まで届く。
「僕はさ、家族を亡くしたことはないから、千春ちゃんの気持ちを、全部理解できるわけじゃないけど。誰だって、そうだと思うよ。家族や大切な人を殺したやつを憎いと思うのは、悪いことかもしれないけど、当然のことでもあるんじゃないかな…?だって、それだけ犯人を憎いと思うのは、千春ちゃんがお姉さんのことを大切に想ってた、っていう証拠でもあるんだから。だから、『憎い』って気持ちを、無理やり否定して、押し殺す必要は、ないと思うな…。」
薄井の言葉が、私の中でやけに優しく響いた。
「それでいつか、その気持ちが『優しさ』に変わったらいいよね…。」
「『優しさ』に、変わる…?」
「うん。…いつか、千春ちゃんの中でお姉さんのことに踏ん切りがついて、お姉さんのことが大好きだった、っていう気持ちだけが残ったら、いいよね…。」
なんだか薄井の言葉で、少しだけ心が軽くなったような気がした。
犯人を許すことは、一生かかっても出来ないかもしれない。
でも、憎しみに囚われて、お姉ちゃんを大切に想う気持ちが消えないように、大事に抱えていられたら、いいな。
「まあ、全部綺麗ごとなのかもしれないけどね…!」
「…あの、薄井先生。…ありがとうございます。少し、気持ちが楽になった気がします…。」
「えへへへ…!僕は何もしてないよ!」
薄井が、まんざらでもなさそうに笑った。
「今日初めて、薄井先生が頼りがいのある大人に見えましたよ。」
「えぇ~!初めてなの!?」
「はい、初めてです。」
「うそぉ…!」
不服そうな顔をする薄井を見て、思わず吹き出してしまった。
その後、薄井が仕事に戻るのと一緒に、私も病院を後にした。
夕焼け空が、夜空に変わっていた。




