遥ちゃんのお母さん
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病院を出ると、まだ日が高かった。
左腕に付けた小さな時計を見ると、「午後2時35分」と細い針と太い針が文字盤を指している。
「よしっ!」
私は自分の頬を叩くと、自宅とは反対側の道へと歩き出した。
宮本さんと薄井と話して、姉の最期を、自分なりに調べてみたいと思った。
もし、姉が本当に他殺だったとして、姉を殺した犯人を見つけられたとして、その先どうするかなんて、まだ考えられないし、そんなことが成し遂げられるなんて、思ってはいない。
でも、自分の納得のいくまで調査して、それで私の中で姉のことに踏ん切りがつくのなら、やってみたい、って思った。
そう心に決めると、なんだか急にやる気が出てきて、このまま家に帰らずに、今からできる調査をしたいな、と思った。
そこでまず、私は、姉の身辺の人物から調査することにした。
小説やドラマの刑事の調査では、いつも被害者の身辺からだし、それが一番、無難かな、と思った。それに今は、手掛かりがあまりに少ない。犯人が女の人で、姉と親しい人物、ということは分かっているけれど、それ以外はほとんど何も分かっていない。今は、数少ない手がかりを頼りに調査するしかない。
それで私は、姉の幼い頃からの親友―『遥姉ちゃん』のことを思い出した。
「遥姉ちゃん」こと、「藍沢遥」は、お姉ちゃんの昔からの親友だ。親同士でも仲が良く、私も幼い頃はよく一緒に遊んでいた。
高校生になってからは、お姉ちゃんのお見舞いに来てくれた時に、たまに会うくらいだったけど、遥ちゃんなら、お姉ちゃんの相談とかに、乗ってくれていたかもしれない。
もし、そこでお姉ちゃんに恨みを持っていた人物とかを聞き出せたら、犯人に少しでも近づけるかもしれない。
そう思って、早速遥ちゃんの家を訪ねてみることにした。
残念ながら、連絡先を持っていなかったから、会う約束を取り付けることも出来ないし、家に訪ねたほうが、早いと思った。幸い、遥ちゃんの家は病院から近くて、自転車で行けるくらいの距離だった。
「ピンポーン…」
『藍沢』と書かれた表札の横の、焦げ茶色のインターホンを押す。
幼い頃以来の遥ちゃんの家は、よく来ていたはずなのに、少しよそよそしくなってしまう。
お姉ちゃんが死んでからも、遥ちゃんには会ってないし、なんだか緊張するな。
「はぁーい…!」
甲高い声がインターホンの奥から聞こえると、「ガチャ…」とドアが開いて、遥ちゃんのお母さんが出てきた。
「こ、こんにちは…。」
こんな時も、人見知りが発動してしまう。
小さい頃は気軽に話せていたはずなのに、成長した今となっては、大分他人行儀になってしまっている。
「あら、千春ちゃんっ。久しぶりねぇ~!」
「はい。お久しぶりです。」
「暑いでしょ!ほら、家に上がりなさいっ!」
半ば無理やり家に上がらせられると、廊下の先のリビングに通された。
私の家の何倍も広くて、プロペラのついた高い天井が、より広々しさと開放感を感じさせる。ベットのような脚付きのソファと、見た目だけでもフカフカなクッション。観葉植物やおしゃれなランプが所々に飾ってあって、窓からはよく手入れされた中庭が見えた。
「お金持ち」って感じだな~…。
遥ちゃんの家は確か、地元の有名な企業の経営者だったと思う。詳しくは知らないけど、こんな高そうな家を持ってるんだから、相当な有力者なのだろうか?
なんだか家とは次元が違いすぎて、本当に親同士も仲がいいのか、疑ってしまいそうになる。
目の前に大きなテレビのついた真っ白な椅子に座ると、遥ちゃんのお母さんが、私の前に座った。
「カタン…」
お盆に乗せていたお茶を私に出すと、「今日はどうしたの?」と話しかけてきた。
「は、はい…。遥姉ちゃんに、用がありまして…。」
「ああ、そうだったのぉ~!遥。今、丁度出かけててね。……遥に、何の用だったの?」
「あ、その…。姉のことを…、聞きたくて…」
私がそう言うと、遥ちゃんのお母さんが、渋い顔をした。
「そう……。翠ちゃんが亡くなって…、何か月だったっけ?」
「一か月です。」
「…なんか、ごめんね。思い出したくないこと聞いて…」
『思い出したくないこと』じゃない。
お姉ちゃんのことは、忘れたくない。ずっと、覚えていたい。
思い出したって、少しだけ、胸の奥が痛くなるだけで、もう―、悲しくなんて、ないはずだから。
勝手に、決めつけないで欲しい。
「いえ。もう、大丈夫ですので…。」
「そう…。この前会ったけど、恵子ちゃんも大分ショック受けてたみたいだし…。もともと、いつ亡くなってもおかしくない、とは言われてても、お姉さんが亡くなったんだもの。一か月やそこら経ったって、そう簡単に踏ん切りがつくものでもないわよ。」
『恵子ちゃん』というのは、お母さんのことだろう。この前の日曜に、「ママ友とランチに行く」と言っていたのは、この人とだったのだろうか?
なんだか、少し意外な気がした。母と遥ちゃんのお母さんは、見た限りだとタイプが違う印象だった。母は、どちらかと言えば、生真面目であまり社交的な人ではない。
こう言っちゃかわいそうだけど、友達も多い方ではないし、「ママ友とランチ」とかも、あまり積極的に行くタイプではない。でも遥ちゃんのお母さんは、見た目からは、社交的で陽気な雰囲気があった。
だから、二人がランチに行き会う仲だということに、話には聞いていても、実際に聞くと、腑に落ちない感じもした。
「はあ…。そういうものなんですかねぇ…。」
「そうよ。私には、実の娘を亡くした恵子ちゃんの気持ちは、完全には理解できないけど…。なんとなく、分かる気がするわ。私がもし恵子ちゃんの立場なら、きっと、何年経ってもそのことを引きずっちゃって、忘れられないと思う。」
母は、家にいるときは、お姉ちゃんが死ぬ前と後で、あまり態度を変えていなかった。
最初は、お姉ちゃんのことなんてどうでもよかったのかな、と少し怒りが湧いてきた。けど、それから母をよく観察してみたら、時々見せる悲しい表情や、姉の遺品や思い出の詰まったものを見た時の、苦しそうな表情で、心の中では姉のことを引きずってるんじゃないかな、と思った。
ある時―
悪夢で目が覚めた夜に、リビングの明かりが点いていたことがあった。
なんとなくリビングに向かって、こっそり扉を開けてみると、そこには机に顔を伏せて泣いている―母の姿があった。
それまで、母の泣いている姿を、見たことがなかった。卒業式や私の学校行事で少し泣いている姿を見たことはあったけど、あんなに大声を上げて、あんなに苦しそうに泣く母の姿を見たのは、本当に初めてだった。
母はきっと、私や父の前では平気にしていても、私たちよりもよっぽど姉のことを引きずっているんだと思う。
その日から、私が目を覚ますと―毎晩。リビングの明かりが点いていた。
「…だから、恵子ちゃんは、千春ちゃんが思ってるよりもずっと、翠ちゃんのこと引きずってると思うわよ。」
「そう…なんですかねぇ…。」
「うん…。そうだと思うわよ。」
遥ちゃんのお母さんが、お茶を飲みながら言った。
「千春ちゃんも、お茶。飲んでいいからねっ!」
「あ、はい…。」
そう言うと、私もお茶を口にした。
病院でもお茶を飲んだから、お腹がいっぱいだった。
出されたお茶を飲まないのは、やっぱり少し失礼だったかな。
「それで…。またどうして、遥に翠ちゃんのことを…?」
遥ちゃんのお母さんが、コップを机に置きなおしながら言った。
なんて、言えばいいのだろう…。
素直に、お姉ちゃんの死んだ理由を調べたくて―なんて、言えるはずがない。
嘘を―…、つかなきゃ…。
「………」
なんて答えていいか分からなくなって俯くと、新品の紙のように真っ白な床が、目に入った。
「まあ…、お姉さんの死ぬ前のこと。…ちゃんと知っておきたいわよね。」
「は、はい…。」
不審に思われたかな…?
でも……、嘘は、苦手だ。
嘘をつけば、罪悪感が後に残って、一生そのことを覚えていることになる。一生、後悔することになる。
そんなの、嫌だ。
「遥。きっと今週の日曜くらいなら、開いてると思うわよ。」
「そうですか…。その…、遥姉ちゃんの連絡先とかって、聞けたりしますか…?」
「ああ、いいわよ。」
その後、連絡先を教えてもらうと、コップのお茶を少し残して、私は遥ちゃんの家を後にした。




