うつほ物語と浜松中納言物語 源氏物語の陰に隠れた異色の王朝物語(マイ・ブック・レビュー)
言わゆる王朝物語といえば
世界的にも
有名な
「テイル・オブ・ゲンジ」レディ・ムラサキ作
ということになって
それ以外のあまたの
王朝物語はまあ
亜流とか
模倣作?
というくくりで
処理されてオシマイ?ですよね
でも?
本当にそうでしょうか?
ただの亜流でしかないのでしょうか?
そうじゃない
ということをここでは主張したいために
いわゆる亜流といわれる
作品から
うつほ物語と
浜松中納言物語を取り上げてみたいとのもう次第です。。。
お暇でしたらおつきあいくださいませ。
まずはあらすじから
うつほ物語は源氏以前に成立した物語で
源氏への影響も取りざたされる作品です
さてあらすじですが私が書くのも面倒なウイキペディアア
から引用しますね
以下引用
あらすじ
遣唐使清原俊蔭は渡唐の途中で難破のため波斯国へ漂着する。天人・仙人から秘琴の技を伝えられた俊蔭は、23年を経て日本へ帰着した。俊蔭は官職を辞して、娘へ秘琴と清原家の再興を託した後に死んだ。俊蔭の娘は、太政大臣の子息(藤原兼雅)との間に子をもうけたが、貧しさをかこち、北山の森の木の空洞 - うつほで子(藤原仲忠)を育てながら秘琴の技を教えた。兼雅は二人と再会し、仲忠を引き取った。〔俊陰〕
そのころ、源正頼娘の貴宮(あて宮)が大変な評判で求婚者が絶えなかった。求婚者には春宮(皇太子)、仲忠、源涼、源実忠、源仲純、上野宮、三春高基らがいたが続々と脱落し、互いにライバルと認める仲忠と涼が宮中で見事な秘琴の勝負を繰りひろげたものの、結局、あて宮は春宮に入内し、藤壺と呼ばれるようになった。〔藤原の君〜あて宮〕
仲忠は女一宮と結婚し、その間に娘の犬宮(いぬ宮)が生まれた。俊蔭娘は帝に見いだされ尚侍となる。仲忠は大納言へ昇進し、春宮は新帝に、藤壺腹の皇子が春宮になった。〔蔵開・上〜国譲・下〕
仲忠は母にいぬ宮へ秘琴を伝えるようお願いし、いぬ宮は琴の秘技を身につける。いぬ宮は2人の上皇、嵯峨院と朱雀院を邸宅に招いて秘琴を披露し、一同に深い感動を与えるシーンで物語は終わる。〔楼上・上〜下〕
ココまで引用
こういう壮大なペルシャから中国という壮大なメルヘン?になりますね
琴の魔力?というテーマでしょうか?
次に
浜松中納言物語です
これは源氏以後に成立した物語です、
源氏の影響の受けていますね。
あらすじですが
これもウイキペディアから引用になります
あらすじ
散逸首巻
式部卿宮に息子が一人いた。容貌・才能に優れ、父宮も母も周囲もその将来を期待していた。元服して源姓を賜り、帝もいずれは内親王の降嫁もと考えるほどであった。ところが思いもかけず父・式部卿宮が死去してしまい、息子は出家も考えたが母のことを思って止まったものの、失意の内に暮らしていた。しばらくすると母は父と住んでいた家に左大将を迎え再婚したことによって息子は母を嫌う一方でますます亡き父を慕うようになっていった。義父となった左大将は自身と死んだ先妻の娘である二人の姫を連れてきており、上の娘である大君と息子とを結ばせようとした。息子は美しい大君に心を引かれるものの相手にすることは無かった。そのような中で息子は中納言となった。中納言は人々の噂と夢のお告げで父式部卿宮が唐の国の太子に転生したことを知り、どうしても会いたいと思ったものの、中納言という高位の身分では気ままに外国に赴くこともままならなかった。最初は諦めていたものの、やがて堅い意志をもって帝に願い出て、さまざまな困難や反対を乗り越えて、やっと遣唐使として三年の間唐の国へ行く許しを得ることが出来た。その一方で中納言は唐の国へ行く直前に、帝の皇子式部卿宮と結納した大君と関係を結んでしまう。中納言が唐の国へ行ってしまった後で大君の懐妊が明らかになり、そのために大君と式部卿宮との結納が解消され、代わって妹の中の君が式部卿宮のもとへ行くこととなった。大君は中納言の母邸で剃髪し、中納言の娘である児姫君を出産した。
散逸首巻の復元
「散逸首巻」の内容は現存第一巻から第五巻までの内容及び、『無名草子』の「御津の浜松」の条、『物語後百番歌合』の「源氏・浜松」項、『風葉和歌集』の収められた和歌、『河海抄』などの『源氏物語』の注釈書の記述からある程度は推測出来るため何人かの研究者によって復元の試みがなされており、梗概は概ね明らかになっているものの、詳細については不明な点も多い[3]。
第一巻
唐の国に到着した中納言は、唐の皇帝をはじめとするさまざまな人々からさまざまな歓迎を受け、容貌、立ち居振る舞いや漢詩の才に賞賛を受ける。父の生まれ変わりである唐の太子とその母である唐后は、その父である大臣が一の大臣との政争を避け、唐の都から離れた「河陽県」の蜀山に篭もっているため一緒に唐の都から離れたところに住んでいた。中納言は父の生まれ変わりである唐の太子と出会い、親しく会話することも出来た。中納言は太子と出会った際、太子の母である唐后の美しさに目を奪われた。唐の国の一の大臣は中納言を自身の五の君と結ばせようとし、五の君もその気になるが、中納言は太子の母である唐后以外は目に入らない。中納言が唐から与えられた館にいると、唐后そっくりの女性が現れて中納言と契りを結び、身ごもって若君を出産してしまう。実はこの中納言が結ばれた「唐后そっくりの女性」は唐后その人であったが名乗ることなく若君と共に姿をくらましてしまう。中納言はこの女性と若君を捜しまわるが見つからないまま唐の国に滞在することを許された三年が過ぎ、中納言は帰国することになる。しかし中納言が帰国する直前、密かに若君を育てていた唐后に「若君を中納言に預けるように」との夢のお告げがあり、唐后は中納言と再会して自身が唐后その人であることを明かし、中納言に中納言との間に生まれた若君を託したため、中納言は唐后との間に生まれた子をひそかに日本に連れ帰ることになる。さらに唐后は自分は父大臣が遣日使として日本にいたときに日本人の母との間に生まれた子であり、今も母は日本にいるらしいとして唐后の母への手紙を託された。
第二巻
中納言は日本に帰国してきた。筑紫まで戻ったところで中将の乳母を呼び出し、連れてきた唐后が産んだ若君を預ける。このときはじめて大君が自分の子を産んだことや出家したことを知る。帰国途中に立ち寄った太宰府で太宰大弐は娘を中納言と結ばせようとするが中納言は相手にしない。しかし娘とは再会を約して別れる。都まで戻り自身の妻・尼となった左大将の大君(尼大君)・尼大君が産んだ自身の子である児姫君と対面する。中納言は尼大君とは今後は清浄な関係を保つことを誓う。唐后から預かった手紙を読んでみると、「自分には異父妹がいる。それを教えてくれた僧が吉野にいる。」と書いてあったので、吉野に会いに行くことにする。
第三巻
中納言は吉野に唐后の母を訪ね、唐后の手紙を届ける。唐后の母は唐后を産んだ後別の男(帥宮)の妻になり娘(吉野の姫)を産んでいた。中納言は唐后の母と娘を保護することを約束する。太宰大弐は娘と中納言と結ばれる見込みがないので娘を別の男(衛門督)の妻にしようとする。そのような中で中納言は太宰大弐の娘と結ばれ、大弐の娘は夫衛門督の子として中納言の子を産む。中納言は尼となった大君と同じ屋敷の中に住んでいるだけでなく同じ部屋で同衾している。尼大君は二人の関係を苦悩し、同衾を避けたいが、中納言は同衾に固執する。中納言は帰国後も唐后への思いを忘れられないため、帝から承香殿女宮降嫁の話があったときも、驚いて退出してしまう。そのような中で吉野の尼君から姫君のことを託され、姫君と文通し、心をときめかす。
第四巻
帝は中納言への承香殿女宮の降嫁の話について中納言が乗り気でない上に周囲に波紋を呼びすぎたとして断念する。一方中納言が唐后の母である吉野の尼君の夢を見て吉野に行くとすでに死んでいた。僧(吉野の聖)から姫君の所在を聞いて会いに行くと姫君は唐后にそっくりであった。中納言は姫君を中将の乳母の里に迎えようとするが、吉野の聖が「姫君が二十歳になるまえに交わると不幸になる」と予言したため控えることにする。そのような中で式部卿宮が吉野の姫のことを知って関心を持ち、所在を尋ねるが中納言は答えない。しかし中納言が吉野の姫を尋ねた際式部卿宮が跡をつけ吉野の姫の居場所を知ってしまい、式部卿宮が吉野の姫を奪い去ってしまう。
第五巻
中納言は吉野の姫がいなくなったことに衝撃を受けるが、そのような中で唐后が中納言の夢に現れて自分が吉野の姫の子(自身の姪)に生まれ変わると告げる。東宮が死亡したため式部卿宮が東宮になることになった。式部卿宮は連れてきた吉野の姫君を梅壷に置くが、姫君は精神に異常を来している。そのため式部卿宮はしかたなく「自分を中納言の元へ」という姫君の希望を叶え中納言に返すが、それでも姫君のもとに通ってくる。吉野の姫君は式部卿宮の子(唐后の転生)を懐妊する。唐の国より唐后が死去したこと、父式部卿宮の転生である第三皇子が立太子したこと、五の君が剃髪したことの知らせが来る。
ココまで引用
一般には源氏の亜流というくくりで重要視されていません
が
舞台のほとんどが
「唐」であり
源氏のような日本が舞台とはおおきくことなりますね
ココが特徴でしょうか?
まあ
そうはいっても
幻想の?
空想の「唐」ですけどね。
唐と日本を舞台に
壮大な恋物語が
輪廻転生を交えて
繰り広げられるという物語です。
このように
この二つの物語は
日本を飛び出して
ペルシャや
唐や
壮大な場面設定で
空想物語
ここにあり
、、というまあ
今の言葉でいえば
ファンタジーなんですが
そういうファンタジー性を表にしたことで
まあ
現実味がなくなって
まあ行ってみれば
たわいのない
空想物語に堕した?という評価になりますね
その点
源氏物語は舞台は日本だけで
しかも精緻な心理描写は
まるで
現代文学みたいだし、、、
その点が現代からも
評価される所以でしょうね。
でも?
どうでしょうか?
今現代
ファンタジー文学の観点からも
ハリーポッターや
ナルニア国や
指輪物語などの
評価が高いように
これらの
空想的な
二つの物語も
そういう評価も
できるのではないかと
わたしてきには
おもうのですが
皆さんは
いかがでしょうか?