第二章 冒険譚の嘘、冒険者の嘘/スライムについて part4
死因はスライム。
ザルツからそう聞かされたキャンディスは、もう口元を押さえるのをやめていた。
「どうしてスライムの仕業だと判断できるのですか?」
口元を押さえていたら、メモを取れないからである。
「暴れたような形跡こそ残っているものの、外傷らしきものは特に見当たらない。だから、普通のモンスターに襲われたとは考えにくい。
それだけなら病気や毒の苦しみでのたうち回った可能性も考えられるが、髪が白っぽい何かで固まっている。これはスライムの粘液が渇いた跡だろう」
また、まぶたの溢血点は、窒息死した死体にしばし見られる特徴である。
「見てな」
論より証拠と、死体の下腹部をザルツは踏みつける。
すると、吐瀉物のように、だらりと口からスライムが這い出してきたのだった。
「スライムが獲物を窒息死させるのは、他にろくな攻撃方法を持たないからってだけじゃない。そのまま口から体内に侵入して、内臓を食べるためなんだ。
大体の生き物は、内臓が一番柔らかくて栄養がある。肉食動物もまず獲物の内臓から食べ始めることが多い」
そう説明しながら、ザルツはスライムの核をマチェーテで貫く。モンスター、それも人を殺したモンスターである。生かしておくわけにはいかない。
死因を排除して安全を確保すると、ザルツは再び死体の検分を始める。
考えていた通り、彼は冒険者だったらしい。所持品の中に認識票があったのだ。
認識票とは、冒険者たちを識別・管理するために、管理局が各人に発行している小さな金属板である。持ち主の詳しい情報を知るには、局の資料と照合する必要があるが、認識票自体から読み取れることもある。
「死体の状態から言って、二、三時間前に不意打ちを喰らって死んだんだろう。まだ駆け出しのようだし、上手く対処ができなかったんだな」
認識票の識別番号が大きい数字だから、最近になって登録をしたのだろう。実績に応じて上がる階位が1のままだから、今日初めて冒険に出たのかもしれない。
やはり、彼はまだ若く、前途のある少年だったのだ。
「死体を運びたい。依頼は切り上げさせてもらってもいいか?」
「は、はい、もちろんです」
慌てたように、キャンディスはこくこくと頷く。
だが、依頼主の許可が出たにも関わらず、ザルツは運搬作業に入らなかった。
白粉、頬紅、口紅…… 保管袋から、自身にもこの状況にもおよそ似つかわしくないものを取り出していたのだ。
「これは一体何を……?」
「死化粧だ。このまま引き渡したんじゃあ、さすがに家族が可哀想だからな」
スライムに窒息死させられたせいで、死体は苦悶の表情を浮かべていた。それだけに、キャンディスは「あっ」と納得したような感心したような声を上げる。
しかし、化粧だと答えたそばから、ザルツは死体の腹にナイフを突き立てるのだった。
◇◇◇
ザルツの報告を受けて、その日の内に、局長のムスカートと局員一名が遺族の家を訪問した。
「シュピナートの森で、ヴェルロさんが亡くなられているのが発見されました」
保管袋から棺を取り出して、実際の死体と対面してもらう。
管理局の人間がやってきた時点で、家族たちは表情をこわばらせていた。何が起きたのか、予想できたのだろう。
だが、予想はできても覚悟までできるとは限らない。
訃報を聞いた瞬間、母親がわっと泣き出す。
自身も涙を流しながら、長女は母を慰める。
「息子はどうして死んだのですか?」
父親は険しい顔つきをすると、感情を押し殺したような声で尋ねてくる。
「モンスターにやられたのですか?」
この質問に、ムスカートは死体の外傷を示しながら答えた。
「ご遺体を発見した冒険者の方によれば、おそらくユニコーンの襲撃に遭ったのだろうと」
◇◇◇
「遺族のために死化粧を施す」と言っておきながら、ザルツは死体をナイフで刺した。
この行動に、キャンディスは信じられないというような、何か理由があると信じたがるような、矛盾した表情を浮かべる。
「なっ、何をなさっているのですか?」
「死因を誤魔化してるんだ」
ザルツは顔色一つ変えずに作業を続ける。突き立てたナイフでぐりぐりと傷口をえぐって、死体の腹に穴を開ける。
これでユニコーンの角に貫かれたように見えるはずである。
「繰り返すようだが、スライムは最弱のモンスターだからな。一般市民ならともかく、冒険者がやられたとなったら恥だ。殺された上に、そんな辱めまで受けることはないだろう」
一口に冒険者といっても、どうしてなったのか、何を目指しているのかなど、それぞれ事情も目的も異なる。だから、いつも事前にパーティを組んでもらったり、現地で助けてもらったりできるわけではない。他の冒険者に命を守ってもらえないのは仕方のないことなのである。
だが、せめて名誉くらいは守られてもいいだろう。
「こうしたことは、よくあることなのでしょうか?」
「ちょっと慣れた冒険者なら、みんな似たようなことをやるよ。たとえばモンスターに一方的に殺されていたとしても、武器に血をつけてやってギリギリの勝負をしたことにしてやったりな」
最たる例としては、プレータにまつわる話が挙げられる。
プレータは霊系のモンスターで、国内のどこにでも出現する。魔法によって生物からエネルギーを奪い、気絶や餓死を引き起こすと言われている。
しかし、プレータの実物は、これまでに一度も確認されていない。そのため、「餓死した冒険者が、『十分な食料を用意していなかった』『食料となる獲物を狩る力量がなかった』と貶されることのないように、同業者が架空のモンスターを捏造した」というのが現代では通説になっていた。
これはさすがに極端なケースだとしても、故人の名誉のために死の状況を偽ったという話は枚挙にいとまがなかった。
「だから、管理局の死亡統計ははっきり言ってあてにならない。スライムにやられたやつも、もっと大勢いると考えた方がいいだろう」
◇◇◇
「ユニコーンなんて奥地にしかいないはずじゃあ……」
ムスカートの説明が、父親には信じられない様子だった。
息子が危険地帯にむざむざ足を踏み入れたと思いたくなかったのだろう。
たとえスライムが死因でないとしても、不注意のせいで死んだとなれば、結局死者が辱められることになってしまう。
だから、ザルツはあくまで不運が原因だと管理局に報告しておいたのだった。
「ユニコーンには縄張りに他のモンスターが入ってくると、殺すまでどこまでも追いかけ続けるという習性があります。おそらく、そのせいで偶然奥地から出てきてしまったのではないかと」
「そんな……」
父親は言葉を失ってしまう。
確かに、本人の不注意のせいだったと言われるよりも、防ぎようのない不運のせいだったと言われた方が、まだ心の慰めになるかもしれない。
しかし、それだけで受け入れられるほど、愛する家族の死は軽いものではないのだ。
自身も過去に家族を亡くしていたから、その気持ちはムスカートにも痛いほどよく分かった。
「角を折ろうとしたようです。剣を検めてみると刃が欠けていました」
業務の都合上、管理局の人間は死体を見慣れている。だから、ムスカートも冒険者たちの嘘には内心気づいていた。
死体の傷は死後につけたもので、本当の死因はおそらくスライムによる窒息死だろう。
刃の欠けも、本当は持ち主の死後に岩か何かにぶつけて捏造したものに違いない。
だが、死者や遺族の気持ちを考えれば、真実を暴くことに大した価値があるとは思えなかった。
「息子さんは最後まで勇敢に戦われたのでしょう」
◇◇◇
涙をこらえ、頭を下げて、遺族たちはムスカートらを見送る。
そんな玄関先でのやりとりを、ザルツたちは遠くの建物の陰から眺めていた。
キャンディスが最後まで見届けたいと言ったためである。
「スライムについてはこんなところだ」
ザルツはそう話を締めくくった。
しかし、キャンディスは納得していないらしい。
彼女の視線は、遺族たちへと注がれていた。ムスカートらが去り、はばかる必要がなくなって、彼らは泣き出していたのだ。
「……やはり、誤解はとくべきではないでしょうか?」
「家族に本当のことを言うっていうのか。それは残酷ってものだろう」
もちろん、「たとえ残酷でもいいから本当のことを知りたい」という遺族も中にはいるだろう。だが、それを判別できない以上は、死因を誤解させたままにしておくのが最善のはずである。
「違います。『スライムは危険なモンスターではない』という世間の誤解をとくべきだと思うのです」
キャンディスは真っ直ぐな瞳でそう答えた。
「そうすれば、スライムに殺された方が周囲から謗りを受けずに済むでしょう。また、その結果、死因を誤魔化す風習がなくなって死亡統計が正確になれば、今よりもスライムを警戒する方が増えるはずです」
彼女の主張は、正論ではあるだろう。ザルツもそれは認めざるを得なかった。
自分たち冒険者が死因を誤魔化して、被害者の名誉を守ったところで、それは所詮その場しのぎにしかならない。そもそも被害者を出さないという、根本的な解決には決して繋がらないのだ。
それどころか、自分たちが被害者の死因を誤魔化すことによって、モンスターの危険性を過小評価させてしまい、結果新たな被害者を生むという悪循環を発生させてしまっている節さえある。
キャンディスの言うように、自分たちがスライムについての正しい知識を広められていたなら、今日ヴェルロが命を落とすことはなかったのではないだろうか。
だが、それは正論である以上に、理想論というものだろう。
「……そりゃあ、ごもっともな意見だがな、一体どうやって誤解をとくっていうんだ? 一軒一軒説明して回るっていうのか?」
「これです」
そう言うと、キャンディスはあるものを取り出す。
それは今日彼女がずっとメモをしていた手帳だった。
「以前、冒険者の方に冒険譚の内容についてお尋ねしたら、俗説や誤解、誇張が混じっているというご指摘を受けたことがありました。また、冒険者や学者の間でも、同じような嘘が信じられていて、そのせいで危険な目に遭う者がしばし出るとも。
今日はそれを確かめるために同行させていただきましたが、やはりその方のおっしゃられた通りのようでした」
スライムは弱いので危険性も低い。フープスネークの毒は口で吸い出すとよい。ケイブベアは死んだふりをすると攻撃をやめる……
キャンディスの言う通り、モンスターに関して誤った知識を信じている冒険者は決して少なくない。
その主な理由は、冒険者間の情報の伝達方法にあった。
命の危険を伴う仕事のため、冒険者になる人間は大半が貧困層の出身である。彼らはほとんどの場合非識字者で、読む方はまだしも書く方はできないという者が多い。そのため、知識の継承は口伝に頼っていた。
口伝の欠点は、途中で内容が歪みやすいことである。話に尾ひれはひれがついて、モンスターの特徴が誇張あるいは矮小化されてしまう。最初に偶然上手くいっただけの方法が、いつの間にかセオリーとして伝えられてしまう。
いや、たとえ間違いが混じっていても、知識が伝わるならまだマシな方だった。口伝の場合、「他に仕事が見つかった」「十分稼いで引退した」「死亡した」といった理由で、経験豊富な冒険者が界隈から消えて、知識の継承が止まってしまうことすらありえるのだ。
その上、冒険者の間以外ではモンスターに関する知識が重要視されていないことが、この問題に拍車をかけていた。
どれだけ凶悪なモンスターであっても、犠牲を出しつつ最終的には冒険者によって討伐される場合がほとんどだった。そうして現場で問題を解決できてしまうために、学者や貴族などの間ではモンスターは研究対象として価値が低いと見なされがちなのである。
加えて、モンスターの研究(≒冒険)には先述のように命の危険を伴うため、ますます学者から敬遠されやすい。そのせいで、他の分野に比べて、モンスターに関する知識は検証や伝達がろくに進んでいないのだった。
それに、そもそもミツバチのような身近な生物でさえ、観察の難しい高空で交尾することや一時期の交尾で一生使う分の精子を体内に貯蔵することから、交尾せずに子供を産むという誤解が長い間信じられていた。
それどころか、ウジやカエル、ネズミなどは、親なしでも土や汚物の中から自然に発生するという間違いが以前は常識扱いだった。
ならば、モンスターに関して、誤った知識が信じられていたとしても仕方ないのではないか。
だが、キャンディスだけは、今のこの状況を仕方ないと受け入れるのをよしとしなかった。
手帳を握り締めながら、彼女は宣言する。
「ですから、私は博物誌を編纂して、魔獣についての正しい知識を広めたいのです」
ただでさえ、冒険には危険がつきまとうものである。すぐに討伐せずにモンスターの観察を行おうとすれば、尚更危険性は増すに違いない。
その上、博物誌を執筆・出版するとなったら、通常の冒険以上に金も時間も必要になってくる。いくら王女という立場を利用したとしても、容易に達成できるようなことではないだろう。
やはり、彼女は冒険に夢を見ている。
しかし、自分が想像していたよりも、はるかに真っ当な夢である。
「そのためには、モンスターに詳しい方の協力が必要だと思うのですが……」
そうおずおずと、キャンディスは視線を送ってきた。
これこそが、彼女が自分に頼みたかった本当の依頼だったのだ。
「この依頼、受けていただけませんか?」
そう尋ねられた時、ザルツの脳裏をよぎったのは、スライムに窒息死させられたヴェルロの死に顔――だけではなかった。
それはサンドワームに仲間と右腕を喰われたアイエルであり、
ミミックに引っかかって指を失ったクラークであり、ゴブリンに凌辱されて自殺したファイであり、オウルベアに背後を取られて負傷したシュナであり、ロック鳥に攫われて行方不明になったままのトーベであり、シェイプシフターに化かされて同士討ちを起こした『群青騎士団』であり、ビショップフィッシュに殺されてクラーケン退治を阻まれたゼナーであり――
ドラゴンに仲間と左目を焼かれた、かつての自分だった。
「……王女様が相手じゃあ仕方ないか」
ザルツは渋々そう諦めをつけたようなふりをする。
「分かった。引き受けよう」
他人行儀な丁寧な態度を取らなかったのは、せめてもの意思表示だった。