第二章 冒険譚の嘘、冒険者の嘘/スライムについて part2
集合場所である管理局前には、キャンディスの方が先に到着していた。
「ごきげんよう」
「ああ」
顔にこそ出さなかったものの、お上品な挨拶にザルツは若干面食らう。
もっとも、昨日と違って、格好まではお上品ではなかったからマシだったが。
「服装はこのようなものでよろしかったでしょうか?」
靴は動きやすさと頑丈さを両立したブーツ。同様に、服も運動性と肌の保護の両方を考えて、下はショートパンツにロングソックス、上はノースリーブにロンググローブという組み合わせだった。
これなら冒険に出かけるのに適した格好をしてきたと認めてもいいだろう。
◇◇◇
前日――
目の前の少女が王女だと聞かされて、ザルツは仕方なくスライム退治とパーティ結成の依頼を承諾していた。
「……分かりました。引き受けましょう」
これを聞いて、キャンディスの表情がパッと明るくなる。
「本当ですか?」
「ええ」
今度は表情の変化だけに留まらなかった。
喜びをこらえきれないように、キャンディスは矢継ぎ早に質問してきたのだった。
「何か用意するものはありますか? 剣? それとも槍の方がいいでしょうか?」
「必要ない。下手に武器を持つと、戦う気になってかえって危険だからな」
「それでは、防具は?」
「素人がつけても動きが鈍るだけだ」
意見を一蹴されて、キャンディスは不愉快というよりも不思議そうな顔をする。
彼女は冒険譚を読むのが好きなのだという。その知識から言えば、「装備を身に着けるな」という助言は意外なものだったのだろう。
しかし、いくら気乗りしない仕事だからといっても、ザルツはいい加減なことを言ったつもりはなかった。
「どんなモンスターも倒してやるとは言わんが、時間稼ぎくらいなら俺がしてやる。だから、嬢ちゃんは逃げることを優先してくれればいい」
今までずっと病気で寝込んでいたそうだから、キャンディスは体力も筋力も並以下のはずである。事実、彼女の体格はかなり貧弱だった。
だから、装備を固めてモンスターと戦っても、殺されるだけなのは目に見えている。それなら軽装で身軽さを確保して、いざという時に逃げやすいようにしておいた方がまだ生存率は高いだろう。
王位継承順位は低いという話だったが、それでもキャンディスが王女であることには変わりない。仮に王女を死なせたとなったら、依頼を仲介したムスカートの責任問題になるだろう。
それに、またパーティメンバーを死なせたとなったら――
たとえそれが虫の好かないお姫様だとしても、いい気はしないだろう。
そのお姫様はといえば、提案をさんざん却下されたというのに、まったくめげていなかった。さらに重ねて提案してきたのである。
「糧秣はどうしますか?」
「こっちで用意する」
このザルツの回答も、自身の手に負えないモンスターに遭遇した場合を想定してのものだった。彼女を素早く逃がすためには、持たせる荷物は極力少なくしておいた方がいいと考えたのだ。
「とりあえず、服だけどうにかしてくれ。舞踏会に行くんじゃないんだからな」
キャンディスの格好に、ザルツは改めて顔をしかめる。
彼女が着ているのはドレスだった。
それも、運動性をなくすことを目的にしているのかと思うようなデザインのドレスだった。
傘を広げているかのような膨らみの大きなスカート。それとは正反対にウエストをきつく絞るコルセット。靴もヒールがやたらに高い。舞踏会で踊るのにも一苦労しそうだった。
これではモンスターから逃げる以前に、冒険に行くことすらままならないだろう。
◇◇◇
「服はいいとして……」
キャンディスの格好をチェックするため、下から上へと視線を移動させていたザルツは、一番上まで来たところで目つきを険しくする。
「その髪なんとかならないか?」
腰に届くかと思うほど長い。そのくせ、重さを感じさせず、そよ風に揺れるほどさらさらとなめらかだった。
つまり、激しく動くと、顔にかかって邪魔になるということである。
「帽子か髪留めは?」
「持ち合わせておりませんが……買ってきた方がよろしいですか?」
「いや、いい」
買うという発想が真っ先に出るあたり、やはり王族だなと思う。
ザルツは保管袋から包帯を取り出すと、それをナイフで適当な長さに切った。見てくれはともかく、リボンの役割くらいは果たせるだろう。
しかし、これで解決とはいかなかった。
キャンディスはなかなか髪を結ぶことができなかったのだ。
もたつく様を見ている内に、ザルツはようやく納得がいった。彼女は普段、使用人に髪を整えてもらっているのだ。
「貸してみろ」
「も、申し訳ありません」
さすがに人任せなのを情けなく思う感覚くらいはあるらしい。キャンディスの後ろ髪を持ち上げると、耳からうなじにかけて赤く染まっているのが見えた。
使用人の経験はなかったが、他人の髪を結った経験ならザルツにもあった。以前、マチに――ムスカートの娘にせがまれた時期があったのだ。だから、ポニーテールはすぐに完成した。
まだ羞恥心が収まっていなかったようである。向き直った時、キャンディスの顔は赤いままだった。
「シュピナートの森へ行くとおっしゃっていましたよね。森がスライムの生息地なのでしょうか?」
「どこにでも出るが、探すなら森が一番いいだろう」
シュピナートの森を選んだのには、「危険なモンスターと遭遇する可能性が低い」「街から近く、移動が短時間で済む」という理由もある。
しかし、他の都市にいても、やはりペテルの森やシリエの森を選んでいたに違いなかった。
「スライムは雑食だからな。森なら餌になる植物や昆虫が豊富だし、動物の死骸にありつけることもある。草木で身を隠すのも簡単だしな」
武器も防具も食料もいらない。服装だけ直せばいい。そう言ったのに、キャンディスは腰に保管袋をつけていた。
一体何を持ってきたのかと思えば、ペンと手帳だったらしい。
「なるほど……」
ザルツの話を聞いて、キャンディスはメモを取っていたのである。
◇◇◇
『普段は放っておいても目につくくせに、いざ探そうとすると見つからないのがスライムなんだ』
森の入り口まで雇った馬車の中で、ザルツはそんな話をした。
冒険者の間に伝わるジョークやジンクスである。もちろん、キャンディスが早とちりしたような、人間の殺気を読み取る能力がスライムにあるわけではない。
だが、実際そのジョークの通りになってしまった。
森の中を歩けども歩けども、スライムの姿はなかなか見つからなかったのだ。
長い草をかき分けてみたり、木に登ってみたりもしたが、結果は同じだった。スライムよりも先に、ザーシーズ・ブルーという希少な蝶が見つかったくらいである。
また歩いている内に、今度は腰掛けるのにちょうどよさそうな倒木が見つかった。
「休憩にするか」
「私ならまだ大丈夫ですが……」
「別に嬢ちゃんに気を遣ってるわけじゃない。養分水分は体に吸収されるまでに時間がかかるからな。腹が空いたり、喉が渇いたりしてから摂ってたんじゃあ遅いんだ」
前半は嘘だった。最近まで病気で床詰めになっていたという彼女に、体力があるとは到底思えなかった。
言い換えれば、後半は本当だった。特に急激な血糖値の低下(いわゆるハンガーノック)は、体調不良はおろか意識の喪失まで引き起こしうる。だから、ザルツは一人の時も、食事で長い休憩を取る以外に、必ずこまごまとした小休止を挟んでいた。
座らせたキャンディスにまずは水筒を渡す。単に水という者もいるが、喉が渇いていなくても飲みやすいようにザルツは紅茶を用意することが多かった。
次に彼女に渡したのは小皿だった。ザルツはその中に、ドライフルーツ、ナッツ、小魚の干物をミックスした行動食を振り入れる。
しかし、この行動食にキャンディスはなかなか口をつけようとしなかった。ただじっと眺めるばかりだったのである。
王女に食べさせるものではなかったか。そんな考えがザルツの頭をよぎったが、そういうことではなかったらしい。
「何かお考えがあって、このようなメニューになっているのでしょうか?」
「ああ、ドライフルーツとナッツでエネルギーを、干物でミネラルなんかを補給するんだよ。汗をかくからな」
「それでは、これが一般的なメニューなのですか?」
「まぁ、そうだ。チョコや飴でもいいが、暑いと溶けるからな」
その点、ドライフルーツ等なら管理の手間がかからない。保存期間も飴ほどではないとはいえ長い方である。
「干し肉などはどうなのでしょう?」
「肉も栄養的には悪くない。ただ飽きて食べる量が減るとまずいから、普通の食事と休憩の食事で食材がかぶらないようにしているんだ」
「そういう点も考慮なさっているのですね」
質問が済んで満足したようだが、それでもキャンディスは行動食に口をつけなかった。
その前に、今の話を手帳に書き写し始めたのである。
「……冒険譚でも書く気なのか?」
「いえ、そういうわけでは」
そう否定しつつも、キャンディスは書く手を止めようとしない。そのせいで、ザルツは彼女の意図を量りかねていた。
照れて秘密にしているだけなのか、それとも他に何か目的があるのか。もちろん自分としては、依頼された仕事をこなすだけのことなのだが……
◇◇◇
今日はよほどついていないらしい。
休憩後の捜索でも、二人はスライムを発見できていなかった。
もしかしたら、このまま一体も見つからないのではないかと、不安に思ったのかもしれない。せめて話だけでもとばかりに、キャンディスはザルツに質問をするのだった。
「スライムは液状といいますか、どろどろとした体をしているのですよね?」
「そうだな。ただ不定形で、粘液を分泌しているだけで、本当に液状なわけじゃあないが」
だから、イメージとしてはナメクジが近いだろうか。
ただ正式名称をブルースライムというだけあって、いわゆる『普通のスライム』の体色は青くて半透明である。同じような形をしている点も考えると、クラゲの方が似ているかもしれない。
「冒険譚ですと、最弱のモンスターとして、最初に主人公たちに倒されることが多いのですが……」
「それは間違いじゃあない。スライムは動きが鈍いし、体も小さい。その上、鋭い牙もなければ、火を吹いたりするわけでもないからな。冒険者に依頼せずに、自分で駆除するやつも少なくない」
武器になるものがあれば、大抵の大人が狩れるのではないか。いや、それどころか、年齢によっては子供でも討伐できるだろう。
「だが、危険なモンスターだ」
「弱いのにですか?」
キャンディスには不可解な話に聞こえたようだが、ザルツにとってはそうではなかった。
毒がある、群れを作る、罠を張る…… 一対一の戦闘の強さと危険性の高さは必ずしも比例するわけではない。スライムもそうである。
「『竜殺しの溺れ死に』って言ってな。ここでいう溺れ死には、スライムに窒息死させられることを指している。
スライムの狩りは、木の枝や洞窟の天井に張りついて、獲物が通りかかったら飛び降りて鼻と口を塞いで殺す……という形で行われる。相手は所詮スライムなんだから落ち着いて対処すればなんてことないんだが、不意を突かれるせいでパニックを起こしてしまいがちで、そうもいかないことは多々ある」
つい最近も、ザルツは顔馴染みのラウフという冒険者から、スライムに危うく殺されかけたという話を聞いていた。彼はもう五十を数えるような大ベテランにもかかわらず、である。
「だから、ドラゴンを退治できるような英雄でも、不意打ちを喰らえばスライムにやられるのもありえないことじゃない。『竜殺しの溺れ死に』っていうのは、そういう冒険者の油断を戒める言葉なんだ」
「竜殺しの溺れ死に、と……」
キャンディスはそう復唱する。ザルツが後ろに視線をやると、彼女は案の定メモを取っていた。
スライムを探す最中で、歩きながらのことだったから、どうにも危なっかしい。けれど、やめさせようとまでは思わなかった。彼女の熱心な姿勢に、密かに感心していたからである。
目的は確かに冒険譚を書くことなのかもしれない。しかし、それでも真摯に先達の言葉に耳を傾けている。自信過剰な若手の冒険者――つまり、かつての自分だ――よりも、このお姫様の方がはるかに真っ当だろう。
だから、ザルツは聞かれずとも話を続けるのだった。
「パーティを組んでいれば、他の奴に助けてもらう手もあるが、ソロだとそういうわけにもいかない。それでスライム対策のためだけに、つば広の帽子をかぶる冒険者もいるくらいだ」
もっとも、つばが広過ぎると視界が狭まってしまって、他のモンスターへの対処が遅れかねない。そう考えると、スライム対策にはパーティを組むのが一番だろう。
「それなら、私たちは大丈夫ですよね?」
「いや、そうでもない」
「あ、私では役に立ちませんよね」
「そういう意味じゃない」
王女が相手だから、気を遣って否定したわけではなかった。
「たとえ冒険者が二人いても、スライム一匹にやられてしまうのは十分ありえることなんだ」
「え?」
キャンディスが意外そうに声を上げる。パーティを組めば対策できるという話と矛盾しているように聞こえたのだろう。
だが、その理由を説明する流れにはならなかった。
直後に、ザルツの背後で、「べとり」とか「ぼとり」とかいう風な、異様な音がしたからである。
振り返ると、キャンディスの顔に巨大な水滴のようなものが張りついていた。
しかし、空から雨が降ってきたわけではない。彼女にへばりついた物体は、雨粒にしてはあまりにも大きく、また粘度も高かった。
木の上からスライムが降ってきたのだ。