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第二章 冒険譚の嘘、冒険者の嘘/スライムについて part1

 曰く、最弱のモンスター。


 曰く、ゴブリンよりも弱い。


 曰く、『危険生物』という意味では、モンスターの定義にふさわしくない……


 これがスライムに対する一般的な認識である。


 それだけに、貴族がわざわざ管理局まで出向いて、直接冒険者に討伐の依頼をするというのは、異例の事態だと言っていい。


 当然、ザルツは特殊な状況下における討伐なのだと判断した。


「よほど大量発生でもしてるのか?」


「そういうわけではありません」


「特殊な仕掛けのあるダンジョンにでも行けばいいのか?」


「そういうわけでもありません」


 依頼主の貴族の少女は――キャンディスは、大真面目な顔つきで答えた。


「ただ野生のスライムを二、三体討伐していただきたいのです」


 世間の認識とは違って、ザルツはスライムの危険性を軽視するつもりはない。「素人でも退治できるのだから、放置しておいてもよい」などとは決して思わない。


 だが、自分がスライムの討伐を行っている間に、別の危険なモンスターの討伐依頼が緊急発生する可能性もある。スライム退治ならもっと経験の浅い者に任せるべきで、自分のようなベテランにあえて頼むほどの仕事とは思えなかった。


「あのなぁ、嬢ちゃん。スライムがどんなモンスターか分かってて言ってるのか?」


 敬語を使わないのはまだしも、世間知らずの小娘扱いはさすがに見過ごせなかったらしい。ザルツの態度にずっと気を揉んでいたムスカートは、とうとう口を挟むのだった。


「ザルツ、この方はな――」


「構いません」


 キャンディスがそう制する。本心らしく、いらだっているような様子はない。


 しかし、それでもムスカートは、「構えよ」と目で訴えてきた。


 冒険者管理局は、国が運営する組織である。町民や町長などからの要望・報告を受けて、官吏たる局員が冒険者に依頼を仲介する。


 国が管理局を運営するのは、「農地を荒らすモンスターの駆除」「古代文明の解明のためのダンジョン調査」などのように、依頼に公益性が認められる場合が多いことが理由だった。そのため、冒険者への報酬も国が負担する場合がほとんどである。


 そして、このファイエルラース王国は、大雑把に言えば王族と貴族による身分制議会によって統治されている。だから、国営の管理局の局長であるムスカートからすれば、貴族というのは上司や雇用主のようなものなのだ。


 自分一人が貴族に睨まれるならともかく、さすがにムスカートを巻き込むわけにはいかない。ザルツは仕方なくへりくだった態度を取ることにする。


「ご存じかもしれませんが、スライムはそれほど強いモンスターではございません。貴族の方がわざわざ討伐の依頼にいらっしゃったということは、何か理由があるのでしょうか?」


「ええ、ザルツ様の冒険に一人同行させていただきたいのです」


「新人研修ということですか」


 冒険者に限ったことではないが、とかく新人には知識や経験が足りない。だから、新人の冒険にベテランを付き添わせて、モンスターの生態や戦闘技術、野営の方法などについて指導させるのはままあることだった。


 ままあることだったが――


「申し訳ありませんが、自分はその類の依頼を受け付けておりませんので」


 というよりも、「引き受ける資格がない」と言うべきだろう。


 左目側に残る火傷の痕が、そう主張するように激しく疼きだしていた。


「いえ、研修というわけではございません。ただ同行させていただくだけでよろしいのです」


 キャンディスはそう訂正した。新人にスライムとの戦いを経験させてやってほしいのではなく、ザルツがスライムと戦うところを同行者に見せてやってほしい、ということのようだ。


 しかし、それでは結局のところ、自分が誰かとパーティを組むということには変わりない。


 確かにスライムは弱いモンスターである。新人を戦わせるならまだしも、自分が戦うのなら失敗することはまずありえないだろう。


 だが、たとえ討伐対象が脆弱だとしても、対象を捜索する際に別の危険なモンスターと遭遇しないとは限らない。モンスターの種類によっては、自分の力不足で同行者を守りきれないというケースも出てきてしまうことだろう。その可能性を考えると、とても依頼を引き受ける気にはならなかった。


 もし仮に、同行するのが自分以上の冒険者だというのなら、一考する余地もないでもないが……


「どなたをお連れすればよろしいのでしょうか?」


わたくしです」


「……嬢ちゃんを?」


 意外な答えに、思わず元浮浪児の地金が出る。


 ムスカートはすぐに、「何度も同じことを言わせるな」と再び目で訴えてきた。


「よろしければ、同行する理由をお聞かせいただけませんか?」


「こちらです」


 一緒に部屋に入ってきた老爺――使用人なのだろう――から受け取ると、キャンディスはそれを誇らしげに見せつけてきた。


 それは本だった。


 表紙には、『征竜物語』とあった。


「著名な冒険譚ですよ。ご存じありませんか?」


「いえ、お恥ずかしながら」


 それどころか、今までにその手の類の本を読んだこと自体なかった。事実を書くべき図鑑や辞典、博物誌にすら間違いが載っているような有様なのだから、脚色の含まれる物語がモンスター退治の参考になるとは思えなかったのである。


 反対に、随分惚れ込んでいるらしい。キャンディスは熱っぽい表情を浮かべていた。


「故郷の村を邪悪なドラゴンに滅ぼされ、家族の仇を取るために少年が旅に出る、というところから物語は始まります。

 かつて竜殺しを成し遂げた老人に弟子入りしたり、腕は立つ代わりに金にがめつい先輩冒険者とパーティを組んだり、同じように両親をドラゴンに殺されて心を閉ざしてしまった少女と恋に落ちたり…… さまざまな出会いと別れを通して、少年が肉体的にも精神的にも成長していくというお話です」


 語り口によどみがない。おそらく何度も読み返して、話の筋がすっかり頭に入っているのだろう。


 その予想は概ね当たっていたようだった。


わたくしは生まれつき体が弱くて、最近までずっと伏せってばかりいました。たまに調子がいい時も、できることといえばベッドで本を読むことくらいで……

 ですから、『征竜物語』に限らず、『剣聖トゥルニエルの伝説』や『列勇記』など、国中いえ世界中を旅する冒険譚が特に気に入っておりまして。それで、病気が治ったら、実際の冒険がどんなものなのか、この目で見てみたいとずっと思っていたのです」


 依頼の目的だけではない。彼女の告白を聞いて、これまでのことに納得がいった。


 病的なくらい色白で、手足も異様にか細いのは、実際に病気だったからだろう。


 相手の無礼な態度を咎めなかったのは、それが冒険者らしさだと思ったからだろう。


 そうして納得すると同時に、ザルツは失望していた。


 結局、彼女の依頼は貴族の道楽でしかなかった。冒険者ごっこに付き合ってくれる相手を探していただけだったのだ。


 ときどき視察と称して冒険に同行したがる貴族がいるが、彼女もそういう手合いだったらしい。いや、視察という建前すらない分、それ以下である。これでは本当に子供のごっこ遊びと変わらない。


 だから、角が立たないようにしつつ、ザルツは改めて断ることにするのだった。


「こうして俺が呼ばれたってことは、わざわざ指名して依頼を出したんだよな?」


「ええ、実力者だとお聞きしたものですから」


「俺より強いやつなんかざらにいるぞ。パーティ単位になったら尚更だ」


わたくしも最初は安全性を考えて、『白の会』のカルトフェルン様に依頼するつもりでした。ですが、特にモンスターの生態について知りたいとお伝えすると、それなら自分たちよりもあなたの方がふさわしいとお答えになられまして」


〝大聖女〟と称されるカルトフェルンのことである。おそらく押しつけるつもりもなく、善意で推薦してくれた(・・・・・・・)のだろう。


 ザルツが眉根を寄せたのを、話を疑っているのだと誤解したらしい。キャンディスはさらに続けて根拠を挙げた。


「ムスカート様も同じことをおっしゃっておられましたよ。先日も見事な手腕でサンドワームを討伐なされたとか」


 今の状況を招いてしまったのが気まずいのか、陰で褒めていたのが照れくさかったのか。ムスカートは咳払いをする。


 とはいえ、今更カルトフェルンやムスカートを責めても仕方ない。せいぜい断り文句に利用させてもらうことにする。


「俺はモンスターのことはともかく、パーティの運営には詳しくない。嬢ちゃんを連れて行くには不適格だろう」


 左目の火傷痕が疼く。


 脳裏に古い記憶がよぎる。


 空が、大地が、そして仲間たちが赤い。


 炎と血の赤である。


 自分はかつて、ドラゴン退治に挑み――


「パーティを全滅させた経験がおありだそうですね」


「なんだ、知ってたのか」


 知っていて、その上で指名したというのだろうか。それは酔狂を通り越して、どうかしているとしか思えない。


 しかし、キャンディスは本気のようだった。


「そのことがきっかけで、モンスターについて詳しく研究なされるようになったのですよね。カルトフェルン様からその話を聞いて、わたくしとても感動いたしました。それで、今回の件は貴方様に頼むしかないと」


 そう話す彼女は、熱っぽい瞳をしていた。


 今日会ったばかりだが、この表情はすでに一度見たことがある。


『征竜物語』の話をしている時と同じ表情である。


 冒険者の人生を、彼女はあたかも冒険譚のように理解しているのだ。


「……さっきの冒険譚に似た話がある。船長だった父親をクラーケンに殺されて、船乗りから冒険者に鞍替えした子供がいた」


「仇は取れたのですか?」


「クラーケンにたどり着く前に、別のモンスターに殺されちまったよ」


 キャンディスの顔がこわばる。おそらく考えもしなかったのだろう。


 こんなことは冒険者なら珍しくもない、というのに。


「実際の冒険は嬢ちゃんの好きな冒険譚とは違う。善人だろうと、恋人がいようと、過去に何かあろうと、死ぬ時は死ぬのが冒険だ。妙な夢は見ない方がいい」


 キャンディスからの返答はなかった。


 気圧されて何も言えなかった――というわけではない。


 彼女より先に、周りが声を上げていたのである。


「ザルツ!」


 よほど見ていられなかったらしい。キャンディスから口出ししないように言われたのを、ムスカートは無視していた。それどころか、大声まで出していた。


「この方の名前は、キャンディス・ファイエルラース(・・・・・・・・)


 ムスカートが口にしたのは、貴族と縁遠いザルツでもよく知っている名字だった。いや、たとえ貴族とまったく縁がないとしても、この国の人間なら誰しも察しがついたことだろう。


 この国の名前は、ファイエルラース王国という。


 つまり、目の前にいる少女はこの国の――


「第四王女にあらせられるぞ」


 冒険者の地位は、その実力によって激しく高低する。


 下位の冒険者の地位は一般市民以下である。これは実力不足でろくに食っていけないが、元々浮浪児や失業者だったので他に行くあてもない、という者がいるためだった。この場合、食い詰めて犯罪者に身を落とすケースも少なくない。


 一方、上位の冒険者の地位は貴族並みである。これは活躍さえできれば、貴族並みの財産を得られるという意味ではない。


「都市を滅ぼすようなモンスターを撃退した」「失われた技術で作られた貴重な魔法の道具(マジックアイテム)をダンジョンから発見した」「騎士として徴兵された戦争で活躍した」など、国に多大な貢献をすれば、爵位と名字を与えられて一代貴族になることすら可能、という意味である。


 一代貴族は爵位の世襲こそできないものの、議会への参加が認められている。これに冒険者として築いてきた財力や兵力パーティメンバーが合わされば、下手な貴族よりも政治的な影響力を持つことになるだろう。


 しかし、それでも王族の持つ力には決して及ばない。


 王族には、犯罪者や敵兵との戦いに特化した騎士団がある。建国以来、代々蓄えてきた財産がある。モンスターと戦って、一代で財をなしただけの冒険者では到底太刀打ちできない。


 ましてキャンディスのような王女ともなれば、いずれ王族のトップたる国王になる可能性すらありえる。


「……王族なら尚更危険な目に遭わせるわけにはいかないだろう」


「第二王妃の第三子ですから、地位は高くありません。病気のせいで、王位継承権もすでに剥奪されたようなものですしね」


 交渉を有利に進めるための嘘ではないらしい。キャンディスの表情にわざとらしさや演技くささはなかった。


 それどころか、彼女には怯えも迷いもないようだった。


 ただ憑りつかれたような熱情だけがあった。


「ですから、わたくしの身に何かあっても大きな問題にはならないでしょう」


 それが、先程「実際の冒険と冒険譚は違う」「誰でも死ぬ時は死ぬ」と言われたことに対する彼女の返答らしかった。


「もちろん、強制はいたしません。そもそも地位が低いのでできませんしね」


 しかし、王族である以上、本人にそのつもりがなくても、周囲が勝手に気を回すことは十分考えられる。「依頼を断られてお怒りに違いない」と、ご機嫌取りのために冷遇されかねない。


 自分は強さが物を言う冒険者稼業である。人間関係や派閥争いで失敗しても、最悪腕一本で成り立つ。


 だが、宮仕えのムスカートはそうもいかないだろう。


 案の定、三度みたび目で訴えてきた。


「マチはまだ七才なんだよ」


 ムスカートの愛娘のことなら、生まれてくる前からよく知っている。それくらい長い付き合いだった。


 そして、その分だけムスカートには世話になっていた。モンスターの対策をするために管理局の古い資料を調べてもらった。地元の貴族と揉めそうになった時に関係を取り持ってもらった。新人研修をしなくてもいいように便宜を図ってもらった……


「……王女様が相手じゃあ仕方ないか」


 ザルツは渋々そう諦めをつける。


分かりました(・・・・・・)引き受けましょう(・・・・・・・・)


 他人行儀な丁寧な態度を取ったのは、せめてもの意思表示だった。

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