第一章 死はいつも足下に/サンドワームについて part4
サンドワームの生態について、立て板に水の如く話せるような知識の豊富さ。
地方の支局とはいえ、管理局の局長と対等に言葉を交わせるような立場の高さ。
しかし、それでもロージェは胸の不安を拭えなかった。
「本当に、ザルツさんお一人で大丈夫なんでしょうか?」
この疑問に、討伐を依頼するのをさんざん渋っていたムスカートは――
「まぁ、あいつなら問題ないだろう」
あっさりとそう答えるのだった。
ムスカートと同じか少し下くらいに見えるから、ザルツの年齢はおそらく三十前後といったところだろう。
となると十五年、ひょっとしたら二十年以上も、冒険者稼業を続けている可能性がある。駆け出しの自分が知らないだけで、ドラゴンを倒しただとか、海底遺跡を攻略しただとか、何かいわれのあるような人物なのかもしれない。
「サンドワームの生態に随分詳しいようでしたが……やはり有名な方なんですか?」
「いや、冒険者としては無名だよ。それどころか、冒険者失格とまで言う者もいる」
そうは言ったものの、ムスカートの口調に嘲るようなところはなかった。
それどころか、最後には讃えるようなことを言い出す。
「実力を否定する者はいないがね」
話の要点を掴めず、ロージェは困惑する。「実力者だが、冒険者ではない」とは一体どういうことなのだろうか。
「冒険者と聞いて、君は誰を思い浮かべる?」
「そうですね。〝勇者〟ヴァイスヴァルス、〝千剣〟メイザー、〝大聖女〟カルトフェルン……あたりでしょうか」
いずれも既に生ける伝説として語られているような大人物である。彼らの行跡は、後の世にも冒険譚や叙事詩という形で残り続けるに違いない。まさに冒険者の中の冒険者だろう。
ムスカートもその点については否定しなかった。ただ頷いたあとで、さらに話を続けたのだった。
「彼らの共通点は、未踏のダンジョンを制覇したり、未知のモンスターを討伐したりして功績を上げたことだ。文字通り冒険をした結果、名を上げたわけだな。
だが、ザルツは違う。あいつは既知の場所で、既知のモンスターを狩ることを本分にしている。そのせいで、金や名声とは縁遠い。
しかし、だからこそ、あいつは誰よりもモンスターについては詳しい」
そのため、〝冒険者失格〟という形容も、一概に否定的な意味とは言えないようだった。
「冒険者としてのナンバー1はヴァイスヴァルスだろうが、狩猟者としてのナンバー1はザルツだろう」
◇◇◇
投げナイフの着地音に反応して、サンドワームが地中から姿を現す。
しかし、アイエルの懸念した通りの結果になってしまった。サンドワームは頭ではなく、尾を出してきたのである。
これに対してザルツは――
その場から一歩たりとも動かなかった。
尾が出てきたから攻撃を取りやめた、という風には見えなかった。彼の反応は、明らかに最初から尾が出てくるのを想定したものだろう。
実際、ザルツは作戦通りとばかりに、さっさと次の行動に移っていた。
もう一本、腰のナイフを地面に投げたのである。
この二本目のナイフの着地音を、本物の足音だと誤解したらしい。今度こそ、サンドワームが地上に顔を出す。
ナイフを囮にしたザルツに対して、サンドワームは尾を囮にした。しかし、それに対して、ザルツはさらに別のナイフを囮にしたのだ。
こうして二重の囮によって、サンドワームの上半身が露わになると、ザルツはすぐさまマチェーテで斬りかかった。
知力はもちろん、剣術や強化魔法も秀でているということだろう。横薙ぎに払うような動きで、相手の頭と胴を容易に切断してみせる。
首だけになったサンドワームは、のたうつような間もなく、ほとんどすぐに絶命した。
裏のかき合いを制して、ザルツはサンドワームの討伐を成し遂げたのだ。
◇◇◇
「腕は?」
アイエルには、その質問の意味がよく分からなかった。
「喰われたのか?」
二度目の質問でようやく頷く。ザルツは右腕が繋がる可能性があるか否かを確認していたのだ。
右腕が戻らないと聞いたあとのザルツの行動は早かった。
医療の知識もあるらしい。傷口より上をきつく縛って、まず出血を抑える。さらに、次は傷口自体の縫合を始めた。
先に鎮痛剤を飲ませてもらっていたが、あれはザルツが自分で自分を治療する際のことまで想定したもののようだった。痛みは随分薄れていたものの、アイエルの意識ははっきりしたままだったのである。そのせいで、糸で先端を閉じられて、右腕が本当になくなっていく様子がはっきりと見えてしまった。
しかし、アイエルが気にしていたのは、自分の腕のことではなかった。
「尾を囮にすると、分かっていたんですか?」
「ああ」
ザルツは事もなげにそう答えた。
「小型のミミズは体をバラバラにしても、再生して数匹に分かれるだけなんだそうだ。だから、交尾して子供を作るだけでなく、分裂して数を増やすこともあるらしい。
大型のミミズも、下半分くらいなら、ちぎれても再生することができる。時には、トカゲの尾のように自切することもある。
サンドワームもミミズと同じように高い再生能力を持っているから、尾が傷つくことを厭わない。それで、まず尾で攻撃したり、尾を囮として使ったりすることがあるんだ」
手元で針と糸を繰りながら、彼はよどみなくそう説明した。この程度のことは暗唱できるくらいに、頭に叩き込まれているのだ。
反対に、自分はサンドワームどころか、ミミズの話すら知らなかった。
縫合が完了すると、アイエルは仕上げに回復薬を飲ませてもらった。肉体の再生力を上げる薬である。これで皮膚や筋肉が癒着して、じきに糸なしでも傷口が塞がることだろう。
「歩けるか?」
「はい」
喰われたのは腕だけだったし、その怪我もザルツに正しい処置をしてもらった。肩を貸してもらったり、背負ってもらったりまでしてもらう必要はないだろう。
しかし、歩き出してすぐに、アイエルは表情を歪めていた。
右腕の痛みからではない。
メレットの足跡、リューラの血痕…… パーティメンバーがつい先ほどまでそこに存在していた痕跡を見つけてしまったからである。
「すまない。もう少し早く来ていれば、全員助けられたかもしれなかったんだが」
「いえ」
自分を助けていただいただけでも――と答えかけて、今更気づく。そういえば、まだお礼を言っていなかった。
「ありがとうございました」
「礼ならロージェってやつに言ってくれ。サンドワームのフンを見つけたのはそいつだからな」
ザルツは何気ない風にそう答えたが、アイエルにとっては聞き流すことのできない内容だった。
「フンがあったんですか?」
自分たちがここまで来たのは、逃がしたセーフリームニルを討伐するためだった。しかし、いくら獲物の追跡中だからといって、周囲の警戒を怠ったつもりはない。
いや、むしろセーフリームニルの痕跡を見逃さないように、普段以上に注意を払っていたはずである。見慣れない生物のフンがあったのに、それを見逃すなどということがありえるだろうか。
「見ろ」
ザルツはそばにあった木を無造作に蹴とばす。
すると、威嚇された動物がそうするように、その木も根を足のように動かして、外敵の下から逃げ出していた。
木の正体は樹木系のモンスター、トレントだったのである。
「トレントやマタンゴが移動するのは、養分の多く含まれる土を探すためだ。肉食のサンドワームのフンがある場所なんかはお誂え向きだろう」
見れば、トレントのいた場所だけ、地面の様子が周りとわずかに違うようだった。色やにおいに違和感があったのだ。
しかし、上にトレントが乗っていたこともあって、最初に通りかかった時には見過ごしてしまった。
言い換えれば、ザルツは小さな違和感も決して見逃さなかったということだろう。これだけサンドワームについて詳しいのだから、たとえ事前にあると聞いていなくても、きっとフンを発見していたはずである。彼は自分とは違うのだ。
「あなたはすごいですね」
そうザルツに讃嘆した時、アイエルの胸中に甦ったのはかつて自身へと向けられた賞賛だった。
『アイエルは特別だから』
『やっぱり、アイエルさんは特別な方なんですね』
リューラやメレットはそう言ってくれた。しかし、それは間違いだった。二人を死なせてしまったことで、ようやく本気でそれを自覚した。
「僕は大した人間じゃなかった。それなのに、自分が特別だと思い込んで。そのせいで、こんな……」
勘違いしていた。思い上がっていた。
特別な人間というのは、彼のような人のことを言うのだ。
その彼は、サンドワームの生態について話した時のように、またある知見について話し始めた。
「昔、浮浪児上がりの冒険者がいてな。体一つでのし上がってきたせいか、力も知識も足りないくせに自信だけは人一倍で、ある時ついには自惚れが高じて、無謀にもドラゴン退治に挑んだことがあった。
そして、その結果、仲間を全員死なせて、自分も火傷で片目の視力を失ってしまった……」
そう語る彼の左目側の皮膚には、大きな火傷の痕が――
「お前が特別愚かだったわけじゃない」
◇◇◇
後日、ザルツは管理局の応接室に通されていた。
「サンドワームの件は助かった。ありがとう」
「いや」
緊急の案件だから、と色をつけてくれたそうである。ムスカートから褒賞金の入った大きな袋を受け取る。
次に、ムスカートは小さな袋を渡してきた。
「これはお前が助けたアイエル君から。お礼に受け取ってほしいと」
「返しておいてくれ」
「いいのか?」
「あれじゃあ、とても助けたとは言えんだろう」
三人パーティの内、二人が死に、一人が腕を失ったのだ。討伐ではなく救助の依頼だと考えたら、大失敗もいいところである。
それに、命が助かったということは、今後の身の振り方について考えなくてはいけなくなったということでもある。具体的にどうするつもりなのかは聞いていないが、片腕だけでの動作に慣れたり、片腕だけでもできる仕事を見つけたりするのには、時間がかかることだろう。その間の生活資金は少しでも多い方がいいに違いない。
「そうか。分かった」
ザルツの返答を聞いて、ムスカートはあっさりとそう引き下がった。
負傷・死亡した冒険者やその家族に対する手当の支払いも、管理局の仕事の内である。アイエルの経済状態については、局長のムスカートの方がよく理解しているのだろう。
「……それともう一つ」
単に金を渡すだけなら受付でも十分である。わざわざ応接室に通された時点で、他に何か重要な話があることはザルツも予想していた。
「お前に仕事を依頼したいという方がお見えになられているんだが……」
「構わん。通してくれ」
「そうか」
ムスカートが言いよどんだ理由はおおよそ想像がつく。
タイク大平原を縦断する長期の冒険を終えた直後に、シュピナートの森でサンドワームの討伐を行い、さらに翌日にまた新たな依頼を受ける。これを強行軍だと考えて、過労を懸念してくれたのだろう。
かと思えば、ムスカートは険しい顔で言い含めてきた。
「それなら、くれぐれも失礼のないようにな」
言わんとするところは明らかだった。
依頼主は貴族、ということだろう。
案の定、ムスカートは猫なで声で、ドアの向こうに呼びかけていた。
「お入りいただけますでしょうか」
現れたのは老爺だった。
年を取ってはいるものの、背筋は伸びて、矍鑠としている。服も高級そうなスーツを着こなして、いかにも紳士然とした風体である。
しかし、彼ですらただのドアマンでしかなかったらしい。
あとから、上級の貴族と思しき、本当の依頼主が姿を現した。
若く、美しい少女だった。
つぶさに観察してみても、その第一印象は変わらない。
若く、美しく、そしてそれ以外には何の取り柄もなさそうな少女だった。
野山や畑どころか、庭にすら出たことがないのかと思うほど白い肌。
剣や鍬どころか、スプーンすら持ったことがないのかと思うほど細い腕と指。
かといって、貴族らしい、いい意味での計算高さや狡猾さも感じられない。もう十代半ばというところだろうに、未だに御伽話を読んでいそうなくらい幼さの残る顔立ちをしていた。
「キャンディスと申します」
「ザルツだ」
折り目正しく名乗った少女に対して、ざっくばらんにそう答える。
するとすぐに、「失礼のないようにと言っただろ」とばかりに、ムスカートが睨みを利かせてきた。よほど有力な貴族の娘なのだろうか。
だが、そんな質問をしてもらいたくて、彼女はここに来たわけでないだろう。
「それで、依頼っていうのは?」
「スライムの討伐です」
「キングスライムか? それとも、マリンスライムか?」
わざわざ貴族が直接出向いて依頼をするくらいである。まさか新人に任せるような、普通のスライム退治ということは――
「いえ、ブルースライム、いわゆる普通のスライムです」