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第一章 死はいつも足下に/サンドワームについて part3

「音……」


 ザルツの言葉を、ロージェは不可解そうに繰り返す。


 サンドワームの容貌を知っていれば当然の疑問だろう。口ばかり大きくて、目がないから視覚に頼った狩りはできない。鼻がないから嗅覚にも頼れない。それと同じように、聴覚にも頼れそうになかった。


「耳があるんですか?」


「音というより、地面の振動と言った方が正しいか」


 だから、正確にはサンドワームは音を耳で聞くのではなく、振動を皮膚で感じている。聴覚ではなく触覚を頼って狩りをしているのである。


「ミミズを効率よく集める方法を知ってるか?」


「石をひっくり返せばいいのではないでしょうか?」


「ワームグランティングといってな、地面に杭を刺して、それをこするんだ。そうすると、振動を感知したミミズが地上に出てくる。

 詳しい理由は分かっていないが、振動をモグラの動く音と勘違いして逃げようとしているとか、雨の振る音と勘違いして溺死するのを防ごうとしているとか、いろいろな仮説が唱えられているみたいだ」


 ある種類のヤマシギは、地面の上で跳ねるような動きをすることがある。この行動を「鳥が踊りをおどっている」と、かつての人々は解釈していた。


 しかし、実際にはミミズの習性を知っていて、振動を感知して地上に出てきたところを捕食するためだというのが真相のようだった。つまり、一種のワームグランティングを行っていたのである。


「サンドワームもミミズと同じように、いやそれ以上の正確さで地面の振動を感じ取ることができる。しかも、ミミズと違って、獲物を襲うことを目的にしてな」


「それで普通は食べないはずの植物を食べたということですか? トレントもマタンゴも自力で移動することができる植物だから」


「ああ、そうだ」


 トレントは樹木系、マタンゴはキノコ系のモンスターで、どちらも生育に適した場所に自ら移動する性質がある。ロージェの言う通り、その最中をサンドワームに狙われたのだろう。


「サンドワームには、他にもミミズに似た性質があって――」



          ◇◇◇



 サンドワームは足音で獲物の位置を感知して、襲撃を仕掛けている。


 厳密には聴覚ではなく触覚を利用しているという誤りはあるものの、アイエルはサンドワームの習性を概ね正しく推察していた。


(リューラにも、このことを――)


 半死半生という様子の彼女に目を向けたところで、アイエルは考え直す。


(いや、それは危険か……)


 もし声を出せば、その音でサンドワームに自分の位置を知られてしまう可能性に気がついたのだ。


 それに、脇腹を喰われた痛みのせいか、地面に叩きつけられた衝撃のせいか、リューラは倒れ伏したままだった。「動くな」と伝えるまでもなく、彼女は動けない状態なのである。


 だから、自分が今本当にやるべきなのは、サンドワームに対処して、一刻も早くリューラに治療を施すことだろう。


 しかし、その具体的な方法については、考えあぐねてしまった。


 この場から逃げ出すことはできない。もし動けば、足音を聞いたサンドワームに襲われてしまうからである。自分一人なら攻撃をかわすこともできるかもしれないが、怪我をしたリューラを抱えながらではそれも難しいだろう。


 かといって、サンドワームが諦めるまで待つというのも厳しい。相手が地中にいる以上、諦めたかどうか判断のしようがないからである。これも自分一人なら何日も粘る手もあるが、そんな悠長なことをしていたらリューラが本当に死んでしまう。


 そんな風にして、アイエルが逡巡してしまったのが仇になった。


 到底運びきれない量の荷運びを引き受けてしまった時も、暴漢たちを止めようとして返り討ちにされそうになった時も、父が霊峰で行方不明になったという知らせを受けた時も…… 彼女はいつだって、苦境にある自分のことを助けようとしてくれた。


 今回もそうだった。サンドワームに追い詰められているのを見て、リューラは己の怪我も省みずに起き上がってくれた。


 いや、起き上がってしまったのだ。


「リューラ、待っ――」


 この際、自分が襲われても構わない。アイエルは叫び声を上げて彼女に駆け寄る。


 しかし、サンドワームは先に動いたリューラを狙った。


 最初にメレットが襲われた時、そのことに気づかなかったのが不思議なくらいだった。


 サンドワームの口からは、リューラの肉が裂け、骨が砕ける音が激しく響いていたのである。


 吐き気を催すような咀嚼音に思わず耳を塞ぎたくなるが、無論そんなことはしない。自分の手はそんなことをするためにあるのではない。


 アイエルは右手で剣を構え、左手をサンドワームに向けた。


 相手が攻撃してきたら、風魔法で牽制して剣で斬りかかる例のカウンターを仕掛けるつもりだった。メレットとリューラの仇を取るつもりだったのだ。


 だが、サンドワームがアイエルを襲うことはなかった。再び上半身をずるずると後退させて、地中へと戻っていく。


 起き上がったリューラは襲って、身構えている自分は襲わなかった。その事実から、サンドワームは音でこちらの位置を感知しているとアイエルは確信する。


 と同時に、サンドワームを倒す方法についても閃いていた。


 生物である以上、頭部が急所なのはまず間違いないはずである。


 しかし、地中に潜ったサンドワームは、動いたこちらの足下から顔を出す。今日までずっと正対する敵を想定して訓練してきたため、足下から現れる敵に対して攻撃しても致命傷を与えられるかは分からない。


 だから、まずはサンドワームを地上に引きずり出すべきだろう。


 そう考えたアイエルは、自分から少し離れたところへ向けて鞘を投げた。


 鞘が地面に着地した音を足音だと勘違いして、サンドワームが頭を出したところを斬る、という算段である。


 予想通り、鞘の着地点から水柱のようにサンドワームの体が立ち昇る。


 この好機を逃すことなく、アイエルは斬りかかった。


 意識を集中し、強化魔法を最大限使って臨めば、決して斬れない相手ではない。そう予感していた通り、アイエルの剣は確かにサンドワームの体を横薙ぎにしていた。その証拠に、断面からは血が噴き出している。


 しかし、次の瞬間、アイエルの体からも血が噴き出していた。


 見れば、右腕の上膊から先がなくなっている。


 こちらが先にサンドワームの頭を切り落としたはずなのに、どういう訳か腕を喰われてしまったのだ。


 激痛に思わず膝からくず折れる。左手で反射的に右腕の傷口を押さえる。


 そうして図らずも動きが止まったことによって、こちらの位置を見失ったらしい。サンドワームは三度みたび地中へと戻っていった。


 その様子を見て、一体何が起こったのか、アイエルはようやく理解する。


 だが、理解したところでもう遅かった。


 利き腕を失って、もはやまともに戦える状態ではない。動けば喰われて死ぬだけだろう。


 かといって、このまま動かないでいても、腕の出血でやはり死ぬだろう。


 何をしたところで、もう行き着く先は一つしかないのだ。


 あくまで戦おうとするアイエルの意志に反して、本能が死の訪れを告げてくる。


 その時のことだった。


 こちらに人影が向かってくるのが見えた。


 最初は死後の世界の者かと本気で疑った。死神か、さもなくば父が、自分のことを迎えに来たのかと思ったのだ。


 しかし、男は死神というにはあまりに無骨だった。


 背は高く、肩幅は広く、さらに鍛え上げられた筋肉が彼をより大きく見せている。携えている物も派手な大鎌などではなく、剣鉈マチェーテとナイフという実生活に根差したものだった。


 かといって、男は父というにはあまりに恐ろしげだった。


 鋭く、険しく、厳めしく、野性的な顔立ち。反面、その瞳には静かな知性の光を宿している。まるで年齢としを重ねた狼のようだった。


 そして、彼の左目側の皮膚には、大きな火傷の痕があった。



          ◇◇◇



 ザルツの話を聞いて、ムスカートは局長としての責任を感じているようだった。


「しかし、サンドワームだとするとまずいな……」


 ブラックドッグ、エイクスュルニル、オウルベア…… シュピナートの森において、特に危険だと言えるモンスターは夜行性のものばかりである。最も危険なユニコーンは昼行性なものの、森の奥地の縄張りから出てくることはまずない。だから、このフォーアスの街の新人冒険者たちは、安全な時間帯、安全な地帯を選んで、こぞって森へと出かけていくのだった。


 しかも、このあたりでサンドワームが出没するのは、街から大きく南下したタイク大平原だけで、それも限られた砂漠地帯くらいのものである。そのため、おそらくほとんどの新人が、サンドワームについてろくな情報を持っていない。


 もし遭遇してしまったら、単独行ソロの冒険者は即死亡。パーティを組んでいる者たちでも、仲間を見捨てて逃げないかぎり全滅するだろう。


「フンがあった場所は分かるか?」


「このあたりです」


 感心なことに、きちんと地図作成マッピングもこなしていたらしい。ロージェは広げた地図の一ヶ所を指し示す。


 これで危険な現場まで新人に案内させる必要はなくなった。


「まさか行く気なのか?」


「どうせ討伐依頼を出すんだろう? 俺が受けるよ」


 驚くムスカートに、ザルツは淡々とそう答えた。


「それとも、他に受けられそうなやつがいるのか?」


「いや……」


 フンの鑑定を任せたくらいである。サンドワームを倒せるレベルの冒険者が、今すぐつかまえられる状態ではないのは明らかだった。


「だが、さっき街に戻ってきたばかりなんだろう?」


「フンのサイズから言って、さほど大きな個体じゃあないだろう。縄張り争いに負けて森まで来たことを考えても、それは間違いないはずだ」


 それに、戦うのが森という点も好材料だった。他の土地にも適応できるのに、サンドワームが砂漠を好むのは、砂が乾いている方が動きやすいためである。森の湿った地面では、動きが鈍って実力を発揮できないだろう。


「俺は冒険するような性質たちじゃない。お前なら知ってるだろ?」


 しばらくの間、二人は目だけで会話する。


 森に出かけたルーキーの人数、他のベテランを探すまでにかかる時間、大平原の縦断で溜まったザルツの疲労、ザルツの本来の実力…… それらを考慮して、結局ムスカートの方が折れた。


「……そうだな。それじゃあ、頼んでもいいか?」


 そうして管理局の許可が出ると、ザルツはすぐにシュピナートの森へと向かった。


 ロージェの報告は正確だった。教わった場所に着くと、ほどなくしてフンを確認することができた。


 フンがあるということは、そばにサンドワームが潜んでいる可能性が高い。フンを栄養に植物が育ち、その植物を目当てに動物が集まるため、それを捕食しようとサンドワームは目論むからである。


 辺りを捜索してみると、案の定その習性通りの光景が広がっていた。


 ただし、喰われていたのは、動物ではなく冒険者だったが。



          ◇◇◇



 火傷顔の大男がこちらに向かってくる。


 その姿を見て、アイエルは口を開いていた。


 助けを乞おうとした――わけではない。


 サンドワームが音に反応する以上、そんなことをするのは自殺行為である。


 アイエルはむしろ、自分がもう助からないことを覚悟していた。だからこそ、己の身を犠牲にしてでも、大男にサンドワームのことを伝えようとしたのだ。


 しかし、アイエルはその最後の望みを果たすことができなかった。


 大男の方が先に口を利いたからである。


「喋らなくていい」


 恐れも怯えもなく、大男は――ザルツは淡然と語った。


「サンドワームは地面の振動を感じ取って攻撃を仕掛けてくる。声くらいなら反応しないはずだが、万が一ということも考えられるからな。事実かどうかは分からないが、鳴き声に反応して飛んでいる鳥を捕食したという話もある」


 理屈は不明だが、彼はどうやらこの一帯にサンドワームが潜んでいることを把握しているようだった。


 それどころか、今の口ぶりから言って、彼はサンドワームの特徴について知悉しているようだった。


 彼ならサンドワームを倒せるのではないだろうか。


 そんな期待がアイエルの脳裏をよぎった、その直後のことだった。


 ザルツは立ち止まると、アイエルが鞘でやったのと同じように、地面に向けてナイフを投げたのだった。


(ダメだ)


 右腕がいっそう痛んで、アイエルは傷口を強く握り締める。


(それじゃあダメなんだ)


 確かにあの時、鞘を投げると着地点からサンドワームが姿を現した。


 しかし、それは頭ではなく尾だった。


 相手が尾を出してくる可能性など、まったく想定していない。アイエルは頭と勘違いしたまま、サンドワームに斬りかかってしまった。足音を立ててしまったのだ。


 すると、足下から今度こそサンドワームの頭が湧き上がってきた。


 アイエルが鞘を囮にしてサンドワームを釣り出したように、サンドワームは尾を囮にしてアイエルを釣り出したのである。


 不幸中の幸いで、サンドワームは完璧には狙いをつけることができなかったらしい。だが、それでもアイエルは、右腕の肘から先を喰われてしまった。


 同じ作戦を取る以上、ザルツも同じ目に遭うことだろう。


(いや、必ず尾を出すってわけじゃない)


 アイエルはすぐにそう考え直す。遭遇初期の頃は、サンドワームは始めから頭部の方を出してきたではないか。


(それに、さっき僕が尾にダメージを与えた。だから――)


 しかし、そんな一縷の望みもすぐに断たれてしまった。


 ナイフの着地点から出てきたのは、尾だったのである。

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