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第五章 其は死の先触れ/ブラックドッグについて part3

「少々お伺いしたいことがあるんですが」


「ああ?」


 女はそう不機嫌そうに聞き返してきた。


 昼間から酒場で飲んでいるくらいである。一見して整った容姿だったので期待してしまったが、やはりガラはよくないようだ。


 しかし、ここで引き下がるわけにはいかなかった。少女は臆せず質問に入る。


「シュナさんですよね? オウルベアについて教えていただけませんか?」


「ちゃんと情報収集するとは見どころがあるな。でも、その前に聞く相手についても調べた方がよかったな」


「じゃあな」と言う代わりとばかりに、シュナは地元産の火酒を飲んだ。


 本音を言えば、自分だって最初は、以前に教示してもらった別の冒険者に話を聞く気でいた。だが、管理局で尋ねたら、彼を含めベテランの冒険者は出払っているという。それでも話を聞きたいと告げると、シュナなら酒場にいるのではないかと勧められたのである。


 シュピナートの森にサンドワームが出現した際、無知ゆえに新人パーティから犠牲者が出たという。自分はたまたま見慣れないフンを発見して引き返したが、そうでなければあの時に死んでいたかもしれない。その可能性は、サンドワームについて教示してくれたザルツという冒険者も示唆していた。


 だから、情報収集の重要性についてはよく理解しているつもりである。


 少女は――ロージェは手を挙げて店員を呼びながら言った。


「一杯おごります」


「……仕方ねーな」


 タダ酒が飲めることを喜んでいるのか、新人が食い下がってきたことを喜んでいるのか。とにかくシュナは口元を緩めていた。


「オウルベアはフクロウの頭と熊の体が組み合わさったモンスターだ。定説じゃあ、古代人が作った合成獣キメラってことになってる。

 他にも大型のフクロウと小型のクマが交尾して生まれたとか、クマがフクロウの卵を丸のみした結果生まれたとか、いろいろ言われてるみたいだけどな」


 不機嫌になったり、口元を緩めたり、シュナはこれまでコロコロと表情を変えてきた。


 そして、ここに至って、彼女は真剣な顔つきをするのだった。


「シュピナートの森じゃあ、トップクラスに強いモンスターだろうな」



          ◇◇◇



 木から飛び降りてきたモンスターは、奇妙な姿をしていた。


 頭はフクロウだった。丸く大きな目からは感情が読み取れず、ひどく不気味である。


 下半身は熊だった。どっしりした巨体を支えられるように、筋肉質な脚をしている。


 そして、上半身はその二匹の中間だった。爪や指のある熊のような腕でありながら、一方でフクロウのような羽も生えていたのだ。


 木を降りたオウルベアの向かう先は、ブラックドッグだった。


 羽の生えた腕で滑空して、一瞬で獲物に近づくと、今度はその体を爪で引き裂く。


 吹き飛ぶように肉が大きく抉れて、ブラックドッグは一発で致命傷を負ってしまったようだった。反撃するどころか、立つことすら難しい様子である。


 そんな瀕死のブラックドッグの体を腕で押さえつけて、オウルベアは生きたままその肉をついばみ始めるのだった。


「そう心配しなくていい。今までも手を出さなかったんだ。こっちが攻撃しない限り、無理には襲ってこないだろう」


 弓に手を伸ばしかけたキャンディスを、ザルツはそう制する。


 それでも彼女の顔はこわばったままだった。


「シュピナートの森でブラックドッグが巨大化しない理由というのは……」


「ああ、オウルベアは獰猛な肉食動物だからな。ブラックドッグすら餌にしてしまうんだ」


 他にも、危険なモンスターとして悪名高いアノマラスビッグキャットやファントムキャットなどをも捕食する姿が確認されている。


「熊のモンスターですものね」


「熊は木の実や果物なんかも食べる雑食動物だよ。肉食なのはフクロウの特徴だ」


 主にネズミやイタチ、ウサギなどの小型の哺乳類を捕食する。また、他の鳥類を襲うこともあるようだ。


 一見愛嬌があるようにも見えるせいか誤解していたらしい。失言をうやむやにするように、キャンディスは重ねて質問してきた。


「フクロウといえば、前足に羽が生えているようですが、空を飛ぶのでしょうか?」


「体がでかいせいか飛ぶのは無理みたいだが、滑空するくらいのことならできる。だから、今みたいに木の上や高台から狩りを行うことも多い」


 説明を聞いている内に、自身の目的を思い出したようだ。キャンディスは弓ではなくメモを手にする。


 それを見て、ザルツもさらに詳しい説明を始めた。


「さっきオウルベアが羽ばたく音が聞こえたか?」


「いえ」


「あれがオウルベアの、いやフクロウの特徴でな。翼の構造が、音がしないようにできているんだ。だから、獲物に気づかれることなく狩りができる」


 フクロウの風切り羽は、端がギザギザした形をしている。これにより、羽とぶつかっても、空気はその中を通り抜けていき、空気の振動(=音)が発生しないようになっているのである。


「フクロウですし、当然夜目も利くのですよね?」


「そうだな。目が大きいことからも分かるように、他の鳥に比べて視力もいいしな」


 また、フクロウは多くの鳥と違って、目が正面についている。そのため、肉食動物のように、相手との距離を正確に測ることができるという。


「それに目だけじゃなくて耳もいい。フクロウっていうのは、耳の高さが左右で微妙に違うんだ。そのおかげで、立体的に音を聞くことができる。その上、あの平べったい顔の形状が音を集めるのに適しているらしい」


 だから、土の中や雪の下に獲物がいても、フクロウはその音を聞いて捕食を行うことが可能だとされている。


 しかし、今回自分たちがオウルベアに捕食される心配はなさそうだった。


「……やっぱり、こっちに手を出す気はないみたいだな」


 ザルツたちが話している間も、オウルベアはひたすらブラックドッグの肉をついばみ続けていた。今やほとんど骨しか残っていない。恐るべき食欲である。


 だが、罠におびき寄せられたモンスターを狙っていただけで、罠を仕掛けた人間には興味がないらしい。


 食事を終えたオウルベアは、二人には目もくれずに森の闇の中へと消えていったのである。


「どうしてわたくしたちを襲ってこなかったのでしょう?」


「ブラックドッグと違って、人間の強さは体格だけじゃあ判断できないからな。もう餌が手に入ったのに、無駄なリスクは冒したくなかったんだろう。

 逆に言えば、ブラックドッグが来なければ、俺たちが襲われていたかもしれない。実際、オウルベアによる獣害事件は過去に何度も起こっている」


 いや、それどころか、先程の個体が起こしていたという可能性も考えられる。


 自分たち人間のそばまで近づいてきたこと。人間の仕掛けた罠を狩りに利用したこと。今のオウルベアはどうも人慣れしているような節があった。


 だから、もしかしたら以前に人間を襲ったことがあるのではないだろうか。


「どうする? 討伐までしていくか?」


「できることならそこまで観察してみたいですが……オウルベアは危険なモンスターなのですよね?」


「この森じゃあ、トップクラスに強いな。もっと強いのはユニコーンくらいか」


 ザルツの話を聞いて、キャンディスはますます表情を硬くする。


 しかし、彼女は単に自身の心配をしていただけではなかったらしい。


わたくしがいても討伐に影響しないでしょうか?」


「強いと言っても、あくまでこの森ではって話だからな。手に負えないほどのモンスターってわけじゃない」


 群れを相手にしたり、不意打ちを喰らったりするようなことでもなければ、誰かを守りながらでも十分討伐は可能だろう。


 それに、キャンディスはすでにマタンゴを狩っていた。ヘイズルーンを狩っていた。着実に実力をつけてきているのだ。


「今の嬢ちゃんなら足手まといにはならないだろう」


「……分かりました」


 考え込んだ末に、キャンディスは改めて弓を手にするのだった。



          ◇◇◇



「――と、オウルベアのフクロウとしての特徴はそんなもんかな」


 そこまで説明したところで、シュナは火酒を飲む。


 話が終わって一息つきたかったのだろうか、とロージェは思ったがそれは違った。まだ話が続くから、彼女は喉を潤したかったようだ。


「ただ頭はフクロウだけど、体は熊だからな。当然、熊としての特徴も持ってる」


「卵ではなく、子供を産むそうですね」


「そんなのはどうだっていいよ。鎧をぶち抜くような筋肉と爪、剣を通さねえ分厚い毛皮。新人が相手をするのは無理だろう」


 口調は荒っぽいが、こちらのことを馬鹿にしているわけではないらしい。それどころか、「危ないから気をつけろ」と親切心から忠告してくれているだけのようだ。


 その証拠に、シュナはオウルベアの対処法について教えてくれた。


「熊と出くわした時、どうしたらいいか知ってるか?」


「背中を見せないように、後ずさりすべきだと聞いたことがあります」


「ああ、熊は逃げるものを本能的に追いかけるからな。オウルベアもそれは同じだ」


 オウルベアほどではないというだけで、普通の熊も十分危険な生き物である。ロージェもそれなりに知識は仕入れてあった。


 だからこそ、次のシュナの説明が引っかかった。


「それでも襲ってきた時は死んだふりをするといい」


「それは迷信でしょう?」


「正確には首の後ろをガードしながら地面に伏せて、熊の攻撃をやり過ごすんだよ。これで助かった例は結構多いらしい」


 動物が人間を襲うのは食欲ばかりではなく、人間に対する警戒心や恐怖心であることも多い。そのため、攻撃の最中に冷静さを取り戻して、とどめを刺す前に立ち去ることもあるそうである。


 だから、急所となる頭と頸椎を腕で、腹(内臓)を地面で防御して、相手が退くまで耐え続ければいいということだろう。初めて聞いた話だが、理にかなっているのではないだろうか。


「だがまぁ、一番はオウルベアと出会わないようにするこったな。普通の熊は明け方や夕方にも活動するが、オウルベアはフクロウの影響で完全な夜行性だ。だから、野営は極力避けることだ」


 食欲を理由に襲われたら、防御に専念するのはかえって逆効果になりかねない。普通の熊はともかく、貪食だというオウルベアが相手の場合は特に危険なのではないか。そもそも遭遇しないようにすべきだというシュナの意見はもっともだろう。


 しかし、ロージェには素直に受け入れがたい意見だった。


 スライムにコボルト、マタンゴ、ジョイントスネーク…… これまでにもシュピナートの森には足繁く通って、いくつかの依頼を達成してきた。そろそろ夜行性のモンスターの討伐に挑戦してもいい頃合いのはずである。


 その中には、もちろんオウルベアも含まれている。


「今までのお話は、オウルベアから身を守る方法についてですよね? 討伐する場合はどうすればいいでしょうか?」


「やめとけやめとけ。新人にゃあ逆立ちしたって無理だ」


 話は終わったとばかりに、シュナはグラスに手を伸ばす。


 最初に声を掛けた時も、彼女はこんな態度で説明するのを拒否していた。だから、ロージェも最初の時のように、手を挙げて店員を呼ぶことにする。


「同じものをもう一杯」


「……本当に聞くだけにしろよ。変な気は起こすなよ」


「ええ、分かりました」


 先輩冒険者がここまで念を押すのである。ブラックドッグやアノマラスビッグキャットはともかく、オウルベアの討伐は今はまだ考えない方がよさそうだ。


 しかし、たとえ今は諦めるとしても、いずれは討伐依頼を受けられるような冒険者になるつもりでいる。いつでもシュナや他の冒険者たちがつかまるわけではないのだから、この機会に話だけでも聞いておいた方がいいだろう。


「まずはオウルベアの探し方だな。こいつは木を見ればいい。やつらは木から飛び降りて狩りをするからな。爪で登ったような跡が残ってれば、そのあたりはオウルベアの縄張りってこった」


 シュナによれば、シカも角を研いだ跡を木に残すことがあるという。ただし、見分け方は簡単で、オウルベアの爪痕は傷が短く、反対にシカの角痕は長いそうである。


「熊の足跡は分かるか?」


「確か五本指で、前足のものは後ろ足に比べて足跡が短いとか」


「ああ、オウルベアもそれと同じだ」


 やはりフクロウと熊の特徴を合わせ持っているということなのだろう。先程の爪痕の話にしても、普通の熊も木登り自体はすることがあるので、当てはまるところがあるようだった。


「そうやって足跡を見つけたら、次は本体を追いかけるわけだが、この時は特に注意が必要だ」


 そう真面目な顔つきで言ったかと思うと、次の瞬間シュナは服を脱ぎ始める。


 あまりにも唐突だったから、ロージェはこれを止めることができない。ただ顔を赤くして、うろたえるばかりである。


 だが、シュナからすれば、このストリップも必然性のある行動のようだった。


 酔いが回って、体が火照ってきたというわけではない。スタイルがいいから、それを見せつけようというわけでもない。


 こちらにまだ油断や功名心があるのを嗅ぎ取って、彼女は警告してくれたのだ。


 オウルベアが危険なのは、単純な強さだけではない、と。


「新人時代、あたしはそれ(・・)で死にかけたからな」


 服を脱ぐと、シュナは体ごと後ろを向く。


 その背中には、オウルベアの爪で引き裂かれた傷跡が残っていた。



          ◇◇◇



 地面が湿って柔らかいおかげで、オウルベアの足跡ははっきりと残っていた。


 前足の跡が後ろ足よりも短い。前足と後ろ足の跡が重なっている。これらはオウルベアの足跡の典型的な特徴である。


 その足跡を頼りに、二人は追跡を行う。


 月や星の光が遮られる森の暗闇の中を、ザルツは夜目を利かせて、キャンディスはランタンを使って進んでいく。


 出発前の話し合いで時間を使ってしまったから、痕跡が残っているのは幸運だった。この足跡をたどっていけば、その先には必ずオウルベアがいる。


 常識的に考えれば、そういうことになるはずだろう。


 にもかかわらず、オウルベアは足跡の後ろから(・・・・・・・)姿を現した(・・・・・)


 オウルベアは常識的な理屈をはずれ、足跡を追いかけるザルツの背後を取って、急襲を仕掛けてきたのである。

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