第三章 人間の武器/ゴブリンについて part4
「突入だ」
ゴブリンの巣穴の前で、ザルツはそう言った。
「もしゴブリンに捕まれば、女は苗床され、男は食料にされてしまう」という話を聞いたばかりのせいだろう。女かつ男装中のキャンディスは表情をこわばらせる。
「群れがあるのですよね? 入って大丈夫なのでしょうか?」
「目撃証言が少ないこと。見回りがペアを組まないこと。巣の前に見張りがいないこと。この三点から言って、大して数は多くないだろう」
おそらく、残りは多くても十体前後。十五を超えるということはないだろう。
「それに、真正面から相手をするわけじゃない」
ザルツは保管袋から、球体状のものを取り出す。
「それは?」
「発煙弾だ」
「いぶして殺すということですか?」
「本当ならそうしたいところだが、人が攫われているかもしれないからな。単に小火騒ぎで、斥候役のゴブリンを吊り出すだけだ」
いくら敵がゴブリンとはいえ、多対一では負ける可能性も0ではない。全員を一度に相手にするよりも、まず巣穴の前で斥候隊、次に中で本隊と、群れを分断して順次戦っていた方が確実だろう。
ザルツは安全のために、キャンディスを離れた場所まで下がらせる。一方、自身は近場の木陰に位置取る。そして、魔法で発煙弾に火をつけると、洞穴の前へと投げ込んだ。
ザルツが用意した発煙弾は、火薬や木炭、動物のフンなどを混ぜ合わせて作ったものだった。肉食動物のフンは油が多く含まれるので、よく燃え、またよく煙が出るのである。実際、東国では「のろし」は「狼煙」と書くという。
濛々と湧き上がった煙が、天井を伝って洞穴の奥へと流れ込んでいく。
ほどなくして、異常事態を察知したゴブリンたちが慌てて入口まで出てくる。
と同時に、ザルツも木陰から姿を現した。ナイフを投げるためである。
相手は三体。一度に全員の喉を潰すのは不可能である。そこで今回は、最初から目に投げて脳を破壊する。左右の手で一本ずつ投げて、これで二体が死亡した。
残った一体が何かを叫ぶ。巣穴に控える本隊を呼んだのかもしれない。
だが、そんなことはもう関係なかった。
仲間を呼ぼうと、呼ぶまいと、合流する前に斥候隊のゴブリンたちは全員死ぬことになったからである。
ナイフで二体を始末した直後、ザルツは今度マチェーテを手にした。一瞬で距離を詰めると、相手の頭へと斬りかかる。仲間を呼ぶゴブリンの声は、あっという間に悲鳴や怒号のようなものに変わった。
しかし、それもまたすぐに変化した。ゴブリンが絶命したことで、何の声も聞こえなくなったのだ。
死んだふり対策に、投げナイフで殺した二体もマチェーテで確実に殺す。これ以上視界を塞がれないように、発煙弾を踏み消す。もちろん、その間も巣穴の奥に対する警戒は忘れない。
だが、仲間のゴブリンたちが現れる気配は一向になかった。
それでザルツの方が先に、隠れたままの仲間を呼び出す。
「いいぞ」
ゴブリンの食性についての話がよほど効いたらしい。キャンディスは用心深げに、ゆっくりと近づいてくる。
しかし、彼女はただ恐怖に震えるだけの小娘ではなかった。
「今から中を確認しに行くがどうする?」
「ご迷惑でなければ、同行させていただきたいと思います」
自身が殺されることよりも、味方の足を引っ張ることを心配したように、キャンディスはそう答えたのである。
ただ先程のゴブリンの叫び声が、巣穴の奥まで届かなかったとは考えにくい。まだ本隊が残っているとすると、彼らは斥候隊を見捨てて稼いだ時間で、こちらを迎え撃つ準備を整えていたに違いなかった。
それに対抗するためには、こちらも準備をしてから突入する必要がある。
「正面からゴブリンが来るから、俺に近づき過ぎるのはまずい。かといって、他に見回りに出ていたやつが、ちょうど戻ってくる可能性もあるから離れ過ぎるのもまずい。だから、この距離を保ってついてきてくれ」
キャンディスにランタンを渡したあと、ザルツはそう言ってつかず離れずの位置に立った。
「ザルツ様のおそばの方が安全のような気がいたしますが……」
本人は自信なさげだが、もっともな疑問だろう。実際、スライム退治の時はすぐそばにいるように指示していた。
しかし、今回の相手はゴブリンなのである。
「ゴブリンの武器は斧や槍だと言ったが、この二つの共通点は分かるか?」
「剣に比べて出番が少ない……とかではないですよね?」
「投げて使うこともできるってことだ」
冒険譚を参考にしているらしい彼女の意見をスルーして、ザルツは詳しい説明を始める。
「物を掴める動物は少なく、投げられる動物はもっと少ない。例外は類人猿や亜人系のモンスターくらいで、それもゴブリンほど上手くはない場合がほとんどだ。つまり、シカやイノシシといった獲物に対して、ゴブリンは離れた距離から一方的に攻撃を加えられるということになる」
もちろん、中にはドラゴンのように、火を吹いて遠距離から反撃してくるモンスターも存在する。だが、そういうモンスターは最初から狙わなければいいだけの話である。
「それに、四足歩行に比べて二足歩行はエネルギーの効率がよく、疲れにくいとされている。おかげで、走る速さで劣っていても、走る時間が長くなれば、ゴブリンでもイノシシに追いつける。それどころか、体力を切らせて追い詰めることすら可能なんだ」
また、ゴブリンは汗腺が体の広範囲に分布しているため、運動によって上がった体温を汗をかくことで下げることができる。それとは逆に、多くの動物は汗腺が少なく、さらに毛皮が邪魔になって汗の効果が出づらい。
「だから、ゴブリンの本当の武器は、投擲力と持久力だと言ってもいいだろう。この二つを活かすことで――斧や槍を投げながら相手を追いかけることで、ゴブリンは自分たちよりも大きな獲物さえ狩ることができる。たとえそれが人間でもな」
最後に添えられた一言に、キャンディスは息を呑むことしかできなくなっていた。
◇◇◇
ゴブリンの巣穴の中は、光が届かず暗かった。
ほぼ一本道ではあるものの、岩陰などの死角は存在している。ザルツは強化魔法で夜目を利かせると、不意打ちに注意しながら歩を進めていく。
また、ゴブリンの巣穴の中は、風が吹き込まず生暖かかった。そしてそのせいで、彼らの生活臭が立ち込めていて生臭かった。
つまり、ゴブリンの巣穴の中は、暗く、生暖かく、生臭く――
あたかも巨大なゴブリンの腹の中のようだった。
自分の後方では、キャンディスがランタンを手についてきている。その様子を後ろ目に確認しながら、ザルツはなおも進んでいった。
斥候隊の叫び声は、やはり本隊にも届いていたらしい。
ザルツが洞窟の奥までたどり着いた時、ゴブリンたちは臨戦態勢を取っていた。
これまで戦った相手のように、ただ右手に石斧を持っていただけではない。今回は左手に石まで持っていたのである。
そして、その石を、ゴブリンたちは会敵の瞬間に投げつけてきた。
だが、臨戦態勢を取っていたのはザルツも同じだった。
ゴブリンの武器は投擲力と持久力。ゆえに、投石如きは想定内の攻撃に過ぎない。幅の広いマチェーテで弾いてあっさりと防ぐ。
その防御の隙をついて、一体のゴブリンが石斧で斬りかかってきた。しかし、攻撃が届く前に、左手でナイフを投げて処理する。
さらにその隙に、今度は複数で襲いかかってきたが、やることは大して変わらなかった。投げナイフで可能なかぎり近づかれる前に殺して、接近戦になったらマチェーテを振るって殺すだけのことである。
人間とゴブリンの体格には、大人と子供ほどの違いがある。腕の長さはもちろん、扱える武器の大きさも含めれば、リーチの差は甚大だった。
だから、触れるどころか、まともに近づくことすら許さず、ザルツはゴブリンたちの群れを易々と屠るのだった。
離れて待機するキャンディスを呼ぶ前に、今回も念には念を入れて、倒れたゴブリンにとどめを刺していく。その最中、ザルツは同時に洞穴奥部の様子を改めて観察していた。
あるのはゴブリンの生活痕だけで、残党はおろか、捕まった女がいるような雰囲気ではなかった。散らばっているのも動物の骨や毛皮だけで、人骨の類は見当たらない。少なくとも、ここに住み着いてからは、ゴブリンたちはまだ人的被害を出していなかったようだ。
自殺した女冒険者の話を聞いただけでも、キャンディスは嘔吐しそうになっていた。だが、これなら本当に吐くようなことにはならないだろう。
また、この結果は、ザルツ自身にとっても気の休まるものだった。あの救助依頼は、今思い返しても嫌な仕事だったからである。
しかし、好事魔多し。巣にいるすべてのゴブリンを掃討し、被害者がいないのを確認して、人心地ついた瞬間のことだった。
「ザルツ様」
キャンディスが小さな声で呼びかけてきた。
やはり、他にも見回りに出ていた者がいたようだ。
後ろを振り返ると、キャンディスとゴブリンが対峙していたのだった。
警戒感を持たせるためにした女冒険者の話だったが、どうやら効き目があり過ぎたようである。ゴブリンを前にすくんでしまって、キャンディスはその場から動こうとしない。こういう場合は、すぐにそばに来るよう言っておいたはずなのだが。
一方、もう群れに自身しか残っていないせいで、どうすれば勝ち目があるのか考えあぐねてしまったのだろう。ゴブリン側も動くに動けないようだった。しばらくの間、膠着状態が続く。
だが、とうとう恐怖心が限界に達したらしい。キャンディスは腰が抜けて、地面にへたり込んでしまう。
そして、その失態につけ込むように、ゴブリンは彼女めがけて石斧を投げるのだった。
◇◇◇
巣穴に突入する前に、ザルツはゴブリンの特性・危険性について語った。
「だから、ゴブリンの本当の武器は、投擲力と持久力だと言ってもいいだろう。この二つを活かすことで――斧や槍を投げながら相手を追いかけることで、ゴブリンは自分たちよりも大きな獲物さえ狩ることができる。たとえそれが人間でもな」
最後に添えられた一言に、キャンディスは息を呑むことしかできなくなっていた。
対照的に、ザルツの態度は落ち着いたものだった。
「もっとも、投擲力と持久力が武器なのは人間も同じ、いや人間の方が優れているくらいだけどな」
「そうなのですか?」
かなり意外だったようである。キャンディスは目を大きく見開いていた。
「人間は類人猿やゴブリンに比べて、肩の関節の可動域が広い。さらに腕の動きを腰や下半身の動きと連動させることもできる。そのおかげで、遠くに正確に物を投げることが可能なんだ」
反対に、ゴブリンはほとんど上半身の力だけで物を投げる。これは人間で言うところの手投げで、悪い投げ方の見本のようなものだった。
「また、同じ二足歩行でも、ゴブリンは姿勢が前傾気味で効率の悪い走り方をしている。言い換えれば、人間は最適なフォームで走っているとも言える。
だから、短距離走はともかく長距離走で人間に勝てる生物はほとんどいないんだそうだ。条件によっては、馬にすら勝るという意見もある」
「馬に……」
この話も意外だったらしく、キャンディスは反芻するようにそう繰り返していた。
「学者によると、人間の祖先は二足歩行が可能になったあと、ゴブリンのように物を投げたり、長時間追跡したりして獲物を狩っていたらしい。そうして狩りが上手かったおかげで、余った栄養を回せた結果、脳が発達したんだと」
中には、いくつかの大型動物が絶滅した原因は、人間が狩り尽くしたためだと考える者さえいるという。
「人間というと道具や魔法を使いこなす知能が武器のように思われがちだが、必ずしも肉体的に劣っているというわけではないんだな」
◇◇◇
ゴブリンの投げた石斧が、キャンディスへと迫る。
その軌道に合わせて、ザルツはマチェーテを投げていた。
肩を後ろに引いてから腕を振ることで、遠心力を最大限に利用する。腕を振ると同時に腰も回して、推進力を上乗せする。
ゴブリンとザルツとでは、投擲物の重量はもちろんのこと、投擲の速度が圧倒的に異なっていた。
そのため、マチェーテは石斧を弾き飛ばし――
さらにはゴブリンの胸をも切り裂いたのだった。
「大丈夫か?」
「は、はい」
声を掛けると、キャンディスは蒼白な顔で頷く。見たかぎり、確かに怪我はしていないようだった。
「まだ見回りに出ているやつがいるかもしれないから、しばらくここで待つ」
十体ほどの群れで、一度に三体も見回りに出すというのは考えにくい。だが、万が一のことを考えると、討ち漏らしのないように巣で待機しておいた方がいいだろう。
「だから、無理しなくていい」
ザルツが彼女に声を掛けたのは、投擲でゴブリンを倒した直後のタイミングというわけではない。ナイフでゴブリンにとどめを刺して、さらにはマチェーテの回収まで済ませたあとでのことだった。
にもかかわらず、キャンディスは未だにへたり込んだままだったのである。
◇◇◇
翌日――
ザルツが冒険者管理局へ向かうと、その前ですでにキャンディスが待ち構えていた。
「よう」
またお上品に「ごきげんよう」と言い出すものだと思っていた。
だが実際には、キャンディスは何故か無言で腕を近づけてくるのだった。
「なんだよ?」
「くさくないでしょう?」
「まだ言ってるのか」
くさいと思われるのは恥ずかしがるくせに、においをかがせるのは恥ずかしいと思わないのだろうか。どうもずれている気がしてならない。
「そんなことより、次はどうするんだ? コボルトか?」
以前、「冒険譚では、スライム、ゴブリン、コボルトが序盤の三大モンスターという印象ですね」というようなことをキャンディスは言っていた。「コボルトはいまいち影が薄いですけど……」とも。
しかし、キャンディスが挙げたのはコボルトではなかった。
それどころか、彼女はそもそもモンスターの名前自体挙げなかったのである。
「その前に、一つお願いがあります」
キャンディスは決然とした表情で言った。
「私に武器の扱い方を教えてください」