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gear;  作者: 245
15歳
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羽化

プロローグおわり。

 目を覚ますと、規則正しい何かの機械の音。さらさらとして無表情なシーツ。アルコールの清潔な匂い。


 エランはあおむけの態勢のまま、呆然として天井照明を見つめていた。あれは、街の集会所にのみあったシーリングライトというものだ。エランの住んでいた一般家屋ではオイルランプを使用していたが、集会所には太陽光パネルがあって、唯一電化が進んでいたのだ。

 

 自分は、確かに胸を刺されたはずだ。そして、死にゆく意識を確かに感じたのだ。だが、天国にしては現実味がありすぎる。

 エランは手を握ったり離したりした。体は動く。


 薄く、大きなシーツを引きはがして起き上がる。クリーム色の部屋には、扉と真向いの窓があった。

 カーテンを引き開ける。


 窓の外には、見たことも無い巨大な直方体の建造物が幾重にも聳え立っていた。見下ろした地上には人々と、高速移動する奇妙な球体がいくつか走っている。


「おはよう。實原エラン君」


 部屋にはいつの間にか白衣の男がいた。落ち着いた声と、柔和な顔つきの男だ。

 男はキャスター付きの丸イスを引っ張ってくると、ベッドの近くで腰掛ける。


「僕はここ、『倫理局』の局長だよ。何から聞きたい? 僕が何でも答えよう」


* * *


 新暦45年。国家という単位が曖昧になり、ただ一つの塔が支配するこの時代において、首都『松千翠』の街は今日も模範的な人々の営みを送っている。


「見てご覧。あれがこの都市の心臓たる、『管理塔』だよ」


 窓から身を乗り出す男に倣って、エランも外へ身を乗り出して見る。遠くのほうに、白く巨大な一本の塔があった。


「あそこの最上階には量子コンピュータ・システムが鎮座していて、都市共同体の管理運営を行っているんだ。まあ、実際目にしたことは無いんだけどね」


 エランにはコンピュータという単語の意味するところが分からなかったが、何か複雑な代物なのだろうと直感的に理解する。


「君たちが過ごしていたヴァーチャル・ワールドも、管理塔が創ったものなんだ」


 ヴァーチャル。局長が何気無く発するその言葉がひどく異質だった。


 現実の定義とは何だろうか? 世界を構成するすべてが本物と遜色なく、自分がそれに気づけないのならば、それが実際には現実であれ非現実であれ、自分にとっての現実であることは否定できないだろう。


「つまりここが、本当の現実ということだよ。我々にとってのね。君はあの世界で仮初の死を経験し、この世界に戻って来たんだ」

「……それがよく分からないんですが」


 エランは間を置いて、頭の中で情報を整理しながら話しだす。世界は二つあって、自分が今まで暮らしてきたのはその片方だったという。


「ヴァーチャル・ワールドでの体と、今の俺の体にはまったく違いがありません。体だけじゃなく、例えばこの部屋に置いてあるものなんかも。そんなことが可能なのでしょうか。それと、子供時代をその空間で過ごすことの意義を教えて下さい」

「いいだろう。一つ目の質問だが、生まれた直後から15年間、現実世界の君は特殊な液体の中で眠っていた。液体は栄養補給と人工的な生長促進を行うものだ。詳しくは割愛するが、ヴァーチャルでの君の成長と現実世界での君の成長は管理塔による相互的な同調が図られているため、目覚めた君は身体感覚に何ら違和感を抱くことは無いというわけだね」


 局長は二本指を立てた。


「二つ目。管理塔の量子コンピュータ・システムの演算能力は人知を超越している。髪の毛一本のキューティクルの繊細な凹凸の一つ一つまで完璧。それ以上かも。とにかく、普通に暮らしていても絶対に気づけないような再現率なんだ」


 三本目。


「最後のは、本当にいろんなメリットがあるからだよ。例えば安全面。あの空間では首をはねられようが半身が吹っ飛ばされようが現実世界の肉体が死亡することは無いからね。他には整った環境を用意することで、精神的な成熟を促進するとかね。まあ、詳しくは“torch”に聞いてみるといい」

「“torch”? この世界にもあるんですか?」

「勿論。むしろ、こっちが先だよね」


 局長は急に興奮したような早口になった。


「しかも、子供時代とは比べものにならない完全版で、この世のあらゆる情報に瞬時にアクセスできる。あんなことからこんなことまで、閲覧し放題さ!」

「へ、へぇ……」


 とにかく、限りなくリアルな作り物の世界に自分は住んでいたらしい。エランは無際限に話が広がる気配を察知し、転換を試みる。


「一人一人こうやって、局長が説明していくんですか? 非効率なようにも思えますけど」

「もちろんそんなことしないさ。君は特例だからね」

「特例?」

「そう。成人の夜、君が目にした惨劇。あれは通常ありえないことだったからね」

「! ……知ってるんですか」

「もちろん把握してるよ。子どもたちの安全を守るのが大人の義務だもの」

「あれは、一体……」

「調査中だが、おそらくは外部からのハッキングだと考えられている。そんなこと、歴史上初めてのことだがね」


 局長は朗らかな表情からは一転、憂いを帯びたように暗い顔をした。


「本当に申し訳なく思ってるよ。事件は前日の黒い影――君が見つけたものだ、そこもモニタリングしていたんだが……、そもそも、未成年プログラムの終了直前だったこともあり、下手に刺激しないよう介入しなかったんだ。だが、あの一件で、君の――君たちの心理的負担は計り知れないレベルにある。これは完全に僕たち大人の責任だ」

「……あの、皆は」

「無事だよ。当然だろ? あの世界で殺されてもこっちじゃ問題ナシ」


 エランは心底ほっとした。皆が生きている。それだけで、すべての問題が解決したような気持ちになった。


「だが、会えるのは当分先だろう」

「え?」

「君には治療を受けてもらわなくてはならないんだ」


 局長は申し訳なさそうな顔で言う。


「君たちが受けた心理的負担を解消、ないしは軽減するためのものだ。このまま放っておけば、日常生活に支障をきたしてしまうからね。そして、期間中は倫理局から外に出ることが許されない」

「そんな……それは、どのくらいの間なんですか」

「君がここを出られるのは五年後だ」

「ご……」


 エランは思わず言葉を失う。これから五年もの間、この未知の建物で過ごさなくてはならない。


「俺は大丈夫ですよ。事件はショックでしたけど、現実の話じゃないんだから……」

「意識が人間の全てでは無いよ。惨劇は、君の心の奥底に刷り込まれているんだ」

「……そんな。じゃあせめて、皆に……」


 局長は瞑目して首を振った。


「相互的な悪影響の可能性がある。どうか理解してほしい。これは政府が下した命令なんだ」

「政府が……」

「君は望まないだろうけど、五年間の治療プログラムの中には戦闘訓練や、この社会を深く理解するための座学も含まれている。政府公認の質の高いものだ。五年後には、君はすごいヤツになっているだろう。……だから、どうか今は大人しく治療を受けてほしいんだ」


 エランは一考した。今の自分に必要なことは何か。

 あの日の惨劇を思い出す。何もできなかった自分の無力、取り残される恐怖を。


「五年後、プログラムが終われば、皆に会えるんですね」

「そうだね」

「分かりました。五年間……よろしくお願いします」

「ああ。気長にやっていこう。ちなみに、君以外の五人の治療期間はまちまちだ。早い子は一カ月そこらで出るだろうね」


 皆を守れる力を手に入れる。

 それがエランの願いだった。

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