冒険前夜
街中が飾り付けられ、人々はお洒落をし、陽気な音楽がどこかで常に演奏されている。
今日はエラン達にとって成人の日であり、卒業式の日であり、街にいる最後の日である。よって、朝から様々な催しが目白押しだった。
「ふー……」
エランは兜の中で籠る自分の息を聞いた。大昔に使われていた全身鎧は重く、気を抜けば落馬してしまいそうだった。
統合学舎での卒業式を午前中に終え、午後からはグラウンドで成人の儀を執り行う。この街では先祖が騎士であった頃の名残から、成人に際して騎乗決闘を行う。それは一人前の人間となったことを、武力によって示せということである。
神前を清める長い祝詞が終わると、向かい合った二人の騎士が馬上で、身の丈よりも長い槍を構える。住人達はそれを固唾を吞んで見守っている。
蹄鉄が土を抉り、二人の騎士が突進する。勝負は一瞬。すれ違いざまの一撃必殺である。
長槍が互いの首元を捉えた。
「……!」
大地に叩きつけられたかのような衝撃が襲った。エランは踏ん張って手綱を引くが、とうとう耐え切れずに落馬し、そのまま遥か遠くへと転がっていった。
歓声が上がる。勝者を讃える口笛がどこからともなく聞こえてきた。
地に這いつくばったままのエランに騎士が近づいてくる。そして軽やかに兜を上げた。
「私の勝ちだね」
「……やられた」
少女騎士が愉快そうに笑っていた。
* * *
「エラン、成人おめでとう」
「ありがとう。父さん、母さん」
エランが甲冑を脱いでいると、母親にぺしんと肩を叩かれる。
「ちょっと、油断してたんじゃないの? 女の子だからって侮って」
「そんなこと無いよ。甲冑が重すぎたんだよ」
「どうだか」
母親はからからと笑っていた。
「本当だよ。父さんたちが成人した時だって、重かっただろ?」
「……いや。父さんたちはな、違う形式だったんだ」
「そうなの?」
「ああ。なあ、母さん」
「ええ。何だったかしら。もっと静かで、退屈なものだった気がするわ」
「ふーん」
エランが外した手甲を持ち上げて、父親は目を見開いた。
「確かに重いな」
「でしょ? 落馬しないかひやひやしたよ」
「おーい」
向こうの天幕から、同様に甲冑を脱いでいるファラのかなりくぐもった声がした。
「イヴォナがご飯作ってるんだって。手伝いにいこーよー」
「分かったー」
両親が顔を見合わせて笑った。
「な、何」
「いや、変わらないなと思って」
「俺たちが?」
「そうだよ。もう成人なんて嘘みたいだ」
それって自分が子供っぽいということかと、エランは複雑な気持ちになった。
「……もう。着替え終わったから、行ってくるよ」
「はいはい」
「じゃあ、父さんたちは先に広場に行ってるから」
「うん。食べ過ぎないでね」
「おいおい。今日ぐらいはいいだろう?」
そう言い残し、二人共はすたこらと去って行ってしまった。どっちが子供っぽいんだか。
「さて……」
ファラの天幕に向かう。
とはいえ女の子が着替え中。堂々侵入するわけにもいかないので、遠巻きに声をかけた。
「ファラ」
天幕の入り口がもぞもぞと動いて開いた。
だが、中から出てきたのは思いがけない人物だった。
「……マリア?」
よく手入れのされた深紅の髪をたなびかせ、冷めた目つきでエランを一瞥する。
「もう着替え終わっていますわ。中にお入りになっては?」
「あ、ああ」
それきりマリアは去っていった。エランとはいつもぎくしゃくしているが、今日は一段と機嫌が悪そうだった。
「ファラ、入るぞ」
「いいよ」
中に入ると、全身鎧が揃っているか確認している所だった。
「おばさんたちは?」
「外に出てるんだって。夜には間に合うらしいんだけど」
「そっか」
エランも点検を手伝う。一つ一つのパーツが重い。騎乗決闘ではアーツを使わないのでファラには一層重かったはずだろうに、エランは感心するしか無かった。
「そういえば、何話してたんだ?」
「え?」
「マリアと」
ごちん、とエランの足に胴体鎧が落下した。「おうッ!」「ご、ごめん!」
「べ、別に世間話だよ。ほら、今後どうするのかとか。私は何も決まってないし」
「そういや、マリアは残るんだっけか」
「そうだよ。次期領主として……この街を盛り上げていくんだって。すごいよね」
「ああ、立派だ」
点検を手伝いながらも、エランは上の空だった。それは、昨日の黒い影のことが引っかかっていたからだ。皆に言うべきか、言わないままでいるべきか、まだ迷っているのだ。あの影の言葉は、きっと自分たち六人を指している。何かの前触れなのか。警告をしておくべきではないか。
「終わったよ、行こ」
「……おう」
ファラと共に天幕を出る。
しかし、悪戯に不安を煽るのも良くない。明日は皆が旅立つ晴れの日だというのに、余計な真似はしたくなかった。
統合学舎を出て少し歩くと、煙突からもうもうと煙が出ている家がある。そこは周囲の居宅より二回りも大きく、一階で吹き抜けの食堂を営んでいるのだ。エラン達も、よくここで昼食を食べていた。
「やっときたか。味見してけよ」
厨房では、大釜をかき混ぜるイヴォナがいた。騎乗決闘のインナーのまま厨房に立つその姿には衛生観念の欠片も無いが、彼女の作る飯はウマい。彼女の鋭い味覚は、些細な味の変化を掌握しているのだ。
「どれどれ」
エランとファラは、差し出された熱々のスープをずずずと啜る。凝縮された肉と野菜の旨味が、疲れ切った脳髄に染み込んでいく。
「おいしい!」
「あったりまえよ」
イヴォナは勝気に笑って、傍らに置いてあるボトルを呷った。
その時、モーガンとエメリが大量の大皿を抱えて厨房に入って来た。
「げ」
慌ててイヴォナはボトルをカウンターに置いた。
「またか」
「……飲んでねえよ」
ファラがカウンターのボトルを手に取って見た。
「あ、お酒だ。イヴォナわるーい」
「夜まで待てないのか君は!」
「う、うっせえ! もうほぼ夜みたいなもんだろうが!」
覆いも無しに、わーぎゃーと二人が口喧嘩を始めた。エメリが「きたない」と言って、さらに喧嘩は白熱していく。
お酒は15になってから。この街では、夜に催す送別式――ただの飲み食いするイベント――まで飲んではいけない決まりなのだ。
* * *
「乾杯!」
何度目とも知れないイヴォナの音頭と共に、エラン達は力無くジョッキを打ち合わせる。
夜も更けて送別式も無事に終盤。ちらほら寝入る人間が出てきて、広場の熱狂は徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。
エラン達6人もテーブルで、他の大人たちに倣って、なんとは無い飲み食いの席の延長を続けていた。
「んで? エメリはどうすんだっけ」
「……何回聞くの、それ」
イヴォナは人一倍酒を飲むタイプだったが、言動や記憶が滅茶苦茶になっていた。さっきから、同じような話題を何度も繰り返している。
「わたしは、教師になりたいの。だから、どこか栄えて子どもがいて、学校のあるちゃんとした街に行く」
「へぇ~~~」
イヴォナの呑気に間延びした返事も相変わらずだ。きっと、今回聞いた事も耳から抜けていったのだろう。
「じゃあ、マリアこの街に学校作れよ~」
「それは覚えておりますのね……」
酒に弱いマリアはグロッキーになりながら、脱力した状態だ。
「勿論ですわ。だから私が街を変えた暁には、逃げ帰っても良いんですのよ、エメリ?」
「そううまくいかないだろうけどね」
「モーガンは?」
モーガンは静かにジョッキを酒で満たした。意外なことに、この男はさほど酔っていない。
「そういえば、モーガンの話は聞いておりませんわ」
「……僕は、きっと従軍する」
その告白は、少なからず場を動揺させた。
「といっても、医者としてだけど」
「なんだ。びっくりして損したぜ」
「それじゃあイヴォナと同僚だね」
「ああ。僕も王都に行くつもりだしな」
「ふーん……」
赤ら顔で思案するイヴォナに、皆不穏なものを感じた。
「この際だ。もう街から出るんだから、皆でずっと秘密にしてきた事を言ってこうぜ! まだなんかあんだろお前ら!」
「……はあ」
これに賛同したのはファラだった。ちなみに、ファラも酒に強いタイプのようだ。
「いいね! 皆、とびっきりの秘密だからね!」
「……はいはい」
「じゃあアタシからな。統合学舎の中庭には百葉箱が五つあるだろ――」
順番に大きな秘密を語っていく。痛いエピソード、やらかしたエピソード。どうでもいい秘密で逃れようとする者はたちまち追及された。
そうして無事、全員が平等にダメージを負った後。
エランは意を決して口を開いた。やはりこの五人に隠し事などするべきではないと思ったのだ。
「皆。ごめん。もう一つ言っとくことがある」
「まだありますの……?」
「……うん。これは、昨日見たことなんだ」
そうしてエランは目撃した影のことについて語る。影を尾行したこと。影が痕跡を振りまいていたこと。そして影の言っていた言葉をあますことなく伝えた。
「……それは本当なのか?」
「ああ。ファラも見てる」
言うと、ファラは慎重に頷いた。
「私は遠くから見てただけだったけど……そんなこと言ってたんだね」
「ああ」
「そんなものが街の周りに出没したなんて、不安ですわね……お父様にも報告しておきますわ」
「頼む。……こんな時に言って、ごめん。黙ってるのも悪いと思って」
「でもよ、実際どうしようもねーんだろ? 消えちまったならさー」
イヴォナの言う通り、さして対抗策があるわけではない。せいぜい、街の皆に伝えて監視体制を強化するくらいだ。
「エラン? まだ何かありますの?」
「ああ、いや」
「隠し事は無しだろ」
「……そうだな」
エランは話すべきか本当に迷っていた。これは、完全なる憶測、エランの妄想の類でしかないからだ。
「この世界が本物だと信じられるか? 俺は……自信が無い」
「どういうこと?」
「影は、torchも知らない存在だった。そんなもの初めてだ。奴は何か、この世界における理不尽な存在なのかもしれない。自分の世界の確かさを揺るがすような……俺は、そんなふうな気味悪さを感じた」
話しているうちに、エランには遠い日の情景が思い浮かんでくる。
「そうだ……昔、裏山で森を抜けようとしたことがあっただろ。でも、外には辿り着かなかった」
「妖狐様のアーツのせいだろ?」
「ああ。そういうふうに説明された。その時も、同じ違和感を感じたんだ。あとは、自活期間。エメリが言ってたな。なんで俺たちは両親に会えない時間がはっきりと決まっているのか。これも分からない。確かめようがないから」
確かめようがないこと。それは謎を謎のまま放置せざるをえないということ。エラン達が知ることは無いということ。
いまいち理解をえていない雰囲気の中、モーガンが総括した。
「つまり、僕たちの周りには完全に不可解な謎が多くて、そこにエランは何か裏を感じてるのか」
「そういうことになる」
「馬鹿馬鹿しい。影のことは気になるが、考えすぎだろ。君はそんなタイプか?」
モーガンはため息をついてそう言った。確かに、考えすぎなだけなのかもしれないとエランは思った。しかし、この違和感は……。
「俺は正直、自分が偽物なのかもしれない……とも、考えてる」
「いよいよ末期だな」
「本当なんだ。自分がもしかしたら、誰かに操作されて、造り上げられた存在なんじゃないかって……」
「じゃあ僕たちも造られた存在か?」
「……」
エランは答えられなかった。そもそも本物などあるのか、自信が無かった。
「大丈夫。私は本物だよ。ここにいる」
「よくわかんねーけど、あたしもだぜ!」
エランを勇気づけるように、ファラとイヴォナが言った。皆も同意している。
「当然だよ。わたしたちは造られたにしては、よくできすぎてる。だって、何が良くてイヴォナみたいな非効率な馬鹿を造る必要があるの」
「言ったな、おめー」
イヴォナがエメリを小突いた。エランは少しだけ勇気をもらった気がする。
「……誓おうか。僕たちの存在証明を」
そう言ってモーガンが、テーブルのナイフを手にとる。
「何をするんですの?」
「昔の人は、存在証明のために手首を切ったらしい。流れる血で、自分の生命を証明したんだ」
「へえ、痛そう……」
「痛いだろうな。最悪出血死するくらいだし。だが、浅く切って僕たちはアーツで治せばいい」
「おもしれえじゃねえか。やってやろうぜ」
イヴォナががん、と椅子を蹴とばし立ち上がる。それで、モーガンも立ち上がってナイフを構え、自らの手首を切った。
「エラン、安心しろ。この世界がどんなものだろうと、僕たちだけは本物だ」
モーガンの手首から鮮血が溢れ出て、肘まで伝った雫がテーブルに落ちていく。
「……ああ、ありがとう」
皆がモーガンに続いて、手首を掻っ切っていく。皆の鮮血がテーブル上で混ざり合う。
奇妙な達成感と共に、エランは五人の存在に感謝する。世界が本物であれ偽物であれ関係無いのだ。自分には仲間がいる。
やはり、彼らがいなければ自分は成り立たなかった。
「ありがとうな。皆」