最後の審判
月日というものは本当に過ぎるのが早くて、こどもの変化はそれよりも早い。
15歳になって成熟してきた外見は、彼らを別人のように大人びさせている。
「やあっ!」
「……!」
モーガンの鉄剣を、イヴォナはすれすれのところで躱して距離を取る。順調に身長を伸ばしていった二人だが、イヴォナは180センチを超えている。それが仇になるところだった。
惜しかった、とエランは模擬格闘を食い入るように見つめる。
低く構えたイヴォナが地を這うように突進する。獣の動きを模倣して最近編み出した、独特の戦い方だ。
イヴォナの滅茶苦茶に見える猛攻をモーガンが捌いていく。が、イヴォナは決め切るつもりだ。呼吸や体力なんて考えず、イヴォナがさらに踏み込んだ。それが決め手だった。
モーガンが置いていた足掛けに引っかかって、イヴォナは顔面から地面に激突した。
モーガンは素早く身を翻すとイヴォナの鉄剣を蹴とばして、彼女を制圧する。無力化完了だ。
「だああー!」
イヴォナが巨躯をばたつかせるが、モーガンによって押さえつけられていて五体は微動だにしない。まったく、模範的な制圧だった。
「はい。イヴォナの負け」
エランの一言で、ひょいとモーガンが飛び退いた。
「やるな、モーガン」
「……以前、君がやっていた動きを真似ただけだよ。イヴォナの決め切り癖も変わってないし、練習すれば誰でも勝てる」
「なんつったテメエ!」
モーガンは汗を拭うと、呼吸を整えて無視を決め込む。イヴォナは元気にぎゃーぎゃー騒いでいる。
以前から皆内面は大人びていたせいか、そっちのほうに変化らしい変化はあまり無くて、エランはほっとするような、それでいいのかというような気持ちだった。
「俺もうかうかしてられないな」
「僕なんか、まだまだだよ」
「その一言はアタシを傷つけてるって分かってんのか!」
エランは時計を確認する。まだ自由時間に余裕はあった。
「どうする? もう行っとくか?」
「まだやりてえ。エラン、相手しろよ。モーガンはへばってるみたいだしな」
「……うるさい」
みっちり五試合ほどやるとちょうどいい時間になったので、三人で次の授業の場所へ向かう。
「で、どうなんだ」
「何が?」
唐突に切り出され、エランは何のことやら分からなかった。
「マリア。同じ班なんだから、物証整理の時とかに何かあっただろう?」
モーガンは悪い顔をしている。
最近モーガン達が覚えてしまった悪い遊びだ。ことある毎に、マリアやファラとの関係をからかってくる。まあ、入れ知恵したのは横でにやにやしているイヴォナだろうが。
「別に、何もないよ」
「ほんとかぁ~? アタシ見たぜ。こないだのアーツ訓練で、みょーに話し込んでるの」
「あれは、教えてもらってただけだ」
「へーーーえ」
エランはこの手の話題に困っていた。マリアもファラも好きだし、もし本当の意味で好かれているとしたら勿論嬉しいのだが、そういうのでは無いのだ。
世間では簡単に恋愛感情というけれど、エランは今の適度な距離感が好きだし、発展するにしてももっと何か別の関係性でありたいと思っている。
「ほら。もう着いたから、やめろよ。中にいるかもしれないし」
「ふっ、そうだな」
エランが扉を開けると、そこには本格的な法廷が広がっている。今日はここで模擬裁判を行うのだ。
広い法廷の被告側の席にはエメリが、原告側にはマリアが既に座っていた。
「じゃ、アタシら向こうだから~」
イヴォナたちはそそくさと傍聴人席へ歩いて行った。そんなあからさまにすることないだろうに。
エランは短く深呼吸して、平静を努めてマリアの隣に座る。
「マリア、早いね」
「当然ですわ。準備も済ませておきました」
「ありがとう」
「……」
イヴォナがからかいだした頃から、マリアはエランに対して口数が少なくなった。それは以前の高慢な態度が年数と共に軟化していったこともあるのだろうが、からかいを気にしているのはエランの目にも明らかだった。
エランは内心歯がゆさを感じつつも、自分がどう踏み込むべきなのか分からず、結局現状維持を続けてしまっている。
しばらくすると先生が入ってきて、やや遅れてファラがやってきた。
「すみません! 遅れました」
息を切らしてやってきた彼女は危なっかしい足取りで法廷を横切り、「うわぁ!」エランの予想通りずっこけた。抱えていた書類の束が散らばる。
「もう、何やってんの」
「ご、ごめんなさい……」
エメリが悪態をつきながらプリントたちを拾うのを手伝う。
エランはこっちまでプリントが散らばっていることに気づいて、拾い集めた。プリントは現場状況や犯人の経歴についての考察、その他一見無関係に見えるメモであり、端のほうまでびっしりと文字で埋め尽くされている。
「はい、これ」
「ありがとうっ」
ファラが屈託の無い笑顔を見せた。それは以前まで見たこともなかったものだ。エランは彼女のはじけるような表情が妙に好きである。
ファラは以前よりもストレートに感情を表に出すようになった。六人の中で彼女だけは、子ども時代の純粋さが、かえって今になって現れるようになったのだ。エランはそれを喜ばしい変化だと思っている。
だからか、からかいのこともファラはあまり気にしていないようで、普通に喋ってくれているのだ。
ファラが書類をまとめて席についたのを見て、先生が裁判官席へと静かに腰掛ける。
「さあ、皆さん。準備のほうは万端でしょうか。授業を始めますよ」
* * *
「――つまり今回のケースにおいて、被告の犯行動機には本人の意志するところが占める割合は少ないと言えるでしょう」
法廷に立ち、静かに、聞き取りやすい声で主張を述べるファラは、別人のように凛々しい顔をしている。
もう修了したので今はやっていないが、演技の授業で彼女は抜群の成果を残していた。最初の授業の時に見せた為政者の演技など、普段物静かなファラのどこにこんな激情があったのだろうかとエランは驚いたものである。成人して街を出たら、大女優になることも可能だろうとよく軽口を叩き合った。
ファラは綿密に調べ上げたであろう、被告の心情変化や置かれた環境を、生い立ちに交えて淡々と述べていく。授業で扱っているのは、昔実際にエラン達の街で起こった、農人の女性が怨恨から地主の七歳になる息子を焼死させた事件である。
一見おぞましい事件だが、少し情報収集をすれば地主側の非なども明らかになって、考えるほど事件の見方は二転三転していく。教材にぴったりすぎて、実際の事件なのか疑わしいくらいだった。
「よって……」
不意に法廷が静かになってエランは我に返る。いつの間にか隣のマリアが話し終って、怪訝な目を向けていた。
「エラン? 原告側の総括を」
「あ、ああ。ごめん」
エランは咳払いして、立ち上がる。ファラがくすくす笑っていた。
「今回の事件において重要な観点は三つありました。犯行の残虐性、他者による行為統制、原告の自由意志性。しかし、殺害に踏み切ったことに対する被告の意思決定は最終的な観点の一つでしかない。それよりも、被告の現状に至るまでの全ての過去一地点ごとの責任の所在を明らかにすることが、求刑において重要だと思われます。今回のケースで言えば、発端である原告側の騎士家系特有の教育理念と、町の直接民主制の不徹底の二点が主に追求されるべき点だと考えます」
「ふむ、良い視点ですね。エランが思いついたのですか?」
「はい。ですので、今回求刑されるべき人物は――」
被告の農人女性。原告の夫婦。原告夫婦に仕え騎士精神を息子に説いていた元・筆頭騎士の執事。原告夫婦の存命の父母。被告の家の水車小屋の点検を怠った整備士。被告の夫を若くして逝かせて原因の一つである偏った食生活を作る原因を招いた隣家の老夫婦。直接民主制に対して少々歪んだ思想を教えた町民女性。市議会。被告の精神的脆弱性の幼少期形成に影響した真向いの農人男性。労働者の諸問題を放置した労働組合。原告夫婦の息子の遊びと称した破壊活動を目にしながら介入しなかった町人。犯行に使用された焼却炉を製作した鋳金屋――。
* * *
「もうすぐお別れだね」
「うん。寂しいけど」
茜色の家々を遠くに見やり二人で歩く。小高い丘はどこまでも続いて、この街の途方もない広さを実感させる。
この景色も見納めなのか。
明後日、エランたちは成人の儀を経て街を出る。15年慣れ親しんだ街には、しばらく帰れない。
「これからどうするの?」
「俺は王都に行って、兵士か冒険者。楽しそうなほうをやるよ」
エランらしいね、と笑った。
「ファラは?」
ファラは面食らったかのように目を瞬かせた。彼女は本当に変わった。
「私は……。実は迷ってるの。先生は、とにかく自分の興味のある世界に飛び込めなんて言うけど、もっと何か……自分に向いてる? 適してる? っていうのかな……、自分がすべきことーみたいなの、したいんだよね」
「自分がすべきこと、か」
「そんなの、無いかもだけどね?」
「あるよ、きっとある。ファラは優秀な人だから。役人とか向いてるんじゃないか?」
「もう、適当言わないでよ」
「ごめんごめん」
足を止めて、エランは丘の頂上に座り込む。
こうして二人で意味も無くここにいたものだった。何か用事があるでもなく、いつの間にか二人になって、ここまで来ていた。
「楽しかったな、本当に」
自分で言ってから、言葉の実感が湧き上がって来た。エランは否応なくしんみりとしてしまう。
「うん。私、この街に生まれてよかったな、って思う。皆に会えたことも」
「ああ。……二度と会えないかもな」
「……かもね」
二人共黙り込んでしまう。沈んでいく夕陽を見ていた。
「エランは、また皆に会いたい?」
「会いたいよ、そりゃ……」
「私にも?」
「……そりゃあ、そうさ」
「……」
どく、とエランに緊張がひた走る。何が来ても冷静に対処しようという、心構えを作る。
「あのね、エラン……」
「……うん」
たっぷりと沈黙が続いて、ファラがやけに落ち着いた声で言う。
「エラン」
「な、なに?」
「あれ、見て」
エランは面食らった。仰ぎ見たファラの横顔は、じっと遠くを見据えている。
「黒い影」
ファラの見やる方向、遠くの原っぱに、何か動くものが見えた。
それはひょろ長い、まるで風に吹かれる洗濯物のように薄っぺらい影だった。塗りつぶされたように黒い姿は一体何なのか検討もつかない。だが、その影は確かに二足歩行で移動していた。
「なんだ、あれ……」
エランは何か異質なものを感じた。非生物的でありながら、生物のように動いている。魔物の類かとも思ったが、あんなものは見たことが無い。
「“torch”」
『何でしょう』
「あれは何だ」
『……』
無機質な知識者は何の回答も寄こさなかった。
「torchも知らないなんて……」
ファラは怯えた声でそう言った。エランも、自分たちの管轄外の事態であるという予感がしていた。
呆然と二人で見つめる中、影は思っていたよりも速く遠ざかっていく。街とは逆方向、森の中へと入っていきそうだった。
エランは意を決して立ち上がった。
「見に行ってみる」
「! わ、私も行く」
影に向かって走り出すと、ファラもついてきた。
何かあったらアーツがある。まずは距離を取って観察することにして、エランは丘を下った。
影の歩行速度が速いといえども、アーツを使用したエラン達にとっては比べるまでもない。
あっという間に距離を縮め、影は森に入ったところだった。
「何、これ……?」
ファラが足元に何かを見つけた。それは、黒いもやのような、ぱちぱちとはじける光だった。アーツの類では無い。明らかに未知の現象だった。
よくよく周りを見てみれば、原っぱの間にも同様のものが散見される。光はどうやら、影の通った道にあるらしい。
「これを辿っていこう」
二人は森の中へと踏み入る。街の鐘が鳴るまでには帰らなければならない。
森の中の痕跡は更に奇妙だった。まるで黒い光に侵食されたかのように、木や草の一部が黒く染まっている。
影まで十数メートルの距離まで来た。相変わらず影はゆらゆらと歩いている。しかし、この距離まで来ても何も分かることが無い。
「エラン……帰ったほうがいいんじゃ……」
「……」
ファラの制止を無視して、エランは距離を保ったまま尾行する。エランは迷っている。影は街から離れていっているのだから、今日のところは引き返してもよさそうだ。
だが、ここである程度情報を得ておきたい、そうするべきだという直感があったのだ。
「ファラはこの距離で見ててくれ。今から奴に近づいてみる。奴が変な動きを見せたら、俺をアーツで引っ張ってくれ」
「わ、わかった」
意を決して、エランは距離を詰める。影はエランの存在に気づいていないようで、依然としてゆらゆら歩いていた。
「おい」
エランが声をかけると、影が足を止めた。そしてゆっくりと振り向く。エランは身構える。
影はのっぺらぼうで、まるで黒い布のよう。前後の概念があるのか知らないが、確かにエランを認識しているという確信があった。
「……」
影は黙したまま、風に吹かれるように揺らめている。その間も、影の足元の侵食は広がりつつある。
「お前は何者だ。その光は何だ」
「……我は」
影が存外人間らしい言葉をしゃべったので、エランは少々面食らった。
「『バグ』。世の理から外れたもの。人間の想定を裏切るもの。不必要と捨てられるもの」
「バグ?」
聞きなれない単語だった。だが、影は不親切だった。
「實原エラン。君とこうして相まみえたことは、幸運なのだろうか……」
「何を、言ってる……?」
影に異変が生じた。真っ黒い体が千切れて霧散していく。周囲の侵食の光も、じょじょに弱まって消えて行く。
「待て! バグとは何だ! お前は何をするつもりだ!」
「我が、未来の子らよ……」
影は苦しそうに声を途切れさせていく。もう体の大部分が消えている。
「絶望、しては、いけない」
そして、影は跡形もなく消え去った。まるで最初からいなかったかのように、何の痕跡も残らなかった。
ファラが駆け寄ってくる。
「エラン。大丈夫? 一体何だったの?」
「ああ……分からない。何も」
「何か言ってたみたいだったけど」
エランは言い淀んだ。影の言葉は、何かひっかかるものがあったのだ。敵とも味方ともいえないような態度だった。悪戯に不安を広げるのは不味い。
「……いや、よくわからない、呻きだったよ。新種の魔物なのかもしれないな」
鐘が鳴る。帰宅の合図だ。
「帰ろう」
「う、うん」
夕暮れ。考え込んでしまう。
エランはかつての裏山の違和感を思い出していた。妖狐の神経系アーツだったというやつだ。なぜ今になって突然思い出したのかは分からない。
だが、何か……自分たちを包み込む、異様な何か……人間なのか化け物なのか、概念のようなものか、あるいは世界か。何なのかは検討もつかないそれの不気味さを、ただ一心に感じていた。
偽物は、自分なのか、はたまたそれ以外なのか。