星空と僕らと
冷たい朝の空気の中で、エランは一心不乱に草むしりに励んでいた。両親は不要だと言うが、これから何日も家を空けるので、放ってはおけなかったのだ。
「……ふう」
一息ついた所で、母親が庭先に顔を覗かせた。
「ありがとう、エラン。そろそろ出たほうがいいんじゃない?」
「そうだね」
返事をして、エランは手早く出発の準備を済ませる。ワークブーツに履き替え、バックパックを背負う。
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい。あなたは間引き係?」
「そうだよ。いつも通りイヴォナと一緒に」
「変な魔物に気をつけなさいね」
「分かってるよ。じゃあ、母さんたちも行ってらっしゃい」
「はいはい」
家を出ると、石塀に寄り掛かるファラがいた。
「おはよう、エラン」
「お、おはよう。いつから居たの?」
「さっき。早く行こ」
エランたちの住む街は、言うなれば超巨大な自然の中に付随する茅葺の共同体である。
住民一人がもてあますには広すぎる街の敷地は、裏森を始めとしたさまざまな地形を含むことで成立している。
「エラーン、ファラー」
「イヴォナ。おはよう」
「よっ。早く行こうぜ! 待ちきれねえよ」
「……イヴォナ。自分の荷物は?」
「……あ!」
統合学舎内にあるキャンプ場――もとい、手つかずの小さな森も、その中の一つである。
学舎には既にマリアたちが到着していた。
「遅い! 集合時間は過ぎていますわよ」
「ごめんごめん」
「全く……」
「皆さん、おはようございます。今日もいい空ですね。絶好の自活日和です」
先生はノコギリやロープなど、様々な備品を机に並べていく。
今日から一週間の間を、エラン達はその森の中で過ごす。それは野外学習も兼ねているが、皆の両親を含む街の大人たちの大半が仕事で街を出るので、一人で留守番はさせずに学舎内で守ろうというのが主な目的である。
「それでは気を付けて。楽しい一週間になることを願っていますよ」
「いってきまーす」
学舎の目と鼻の先にある森に分け入り進んでいく。森といっても、裏森のような起伏のある山ではない平地だから、歩くのはずっと楽だ。そして、十数分も歩けば目的地の開けた場所に到着した。
「まずは割り振りを確認しますわよ。居住管理が私とエメリ、調理がファラとモーガン、……」
「魔物狩りだ! 行くぜエラン!」
「ちょっと、話を聞きなさい!」
爆走していったイヴォナがはぐれかねないので、エランは彼女についていく。マリアはああやって仕切りたがるが、この自活は今まで何度も行ってきたことなのだ。今更確認するまでもない。
少し走るだけで早速魔物に出くわした。鹿と獅子を足したような顔の魔物だ。
イヴォナが鉄剣を抜き、難なく一撃で斬り伏せる。
「へっ!」
その鮮やかな一撃はエランの対抗心に火を点けた。格闘訓練で相手した時には無かった鋭さを感じたのだ。前々から思っていたことだが、イヴォナは人よりも魔物を相手にするほうが得意なのかもしれない。
「イヴォナ。どっちが多く仕留められるか勝負しない?」
「いいなそれ。じゃあ、マリアたちに見つかるまで競争だ!」
エランとイヴォナはお互い反対方向へ駆け出した。森に魔物は少なくないので、横取りはかえって効率を悪くするからだ。
30体ほど狩り終えたところで、野営の準備を終えたマリアたちに見つかった。そしてどういう流れか、六人でアーツありのケイドロが始まった。
「待ちなさい!」
追手のマリアがアーツで地面をぐずぐずに液状化させるが、エランはピンポイントで器用に避けて逃げる。そして、単純な脚の速さはエランのほうが上だった。
「そんなんじゃいつまでたっても捕まらないよ!」
「そうかしら?」
不敵に笑んだマリア。エランは注意深くあたりを見回す。木々に人影は無い。罠の気配も無い。
その時、頭上から影が降って来た。
「おっと!」
間一髪のところで転がって避ける。弾頭のように降って来た影はファラだった。
エランは精神を研ぎ澄ませ、自身の両脚を意識する。それは、鹿のようにしなやかな筋肉を伴った脚のイメージ。
風のように駆けていく。エランは木々の間をするすると抜け、ファラ達との距離はどんどん開いていく。
「逃がさない!」
低く構えたファラが弾丸のように飛び出した。まるで跳弾の如く折れ曲がって木々をよけ、あっという間に追いつき、猛烈な勢いのままエランに体当たりした。
二人はそのまま木に激突し、転がった。何枚もの葉が宙に舞い降り、小型の魔物が驚いて逃げ去っていく。
「ふう。やっと捕まえた」
「……やるな、ファラ」
しょうがなくエランは檻代わりの円に入れられて、静かな森の中で暇を持て余すこととなった。
それから幾度かのチーム替えを経て、皆が走り回りすぎて動けなくなる一歩手前というところだった。
ごーん、ごーん……。
「あ……」
街の大鐘の鈍い音が尾を引いて鳴り響く。いつの間にか、日は落ちようとしていた。
「そろそろ、戻らなきゃ」
急に現実に引き戻された気がして、やるせない気持ちにさせられる。誰が悪いというわけではない。門限はただ子どもたちのことを思って作られた決まりなのだ。
夕陽が影を落とす森を、皆、倦怠感と僅かな高揚感が残る脚で歩く。人も木も等しく影を伸ばしている。
僅かな会話の隙間に、エメリが言った。
「ねえ、わたしたちの両親は、本当に昼間は街にいると思う?」
「……どういう意味?」
「今は街の外に行ってるから会えないけど、普段は会おうと思えば会えるはずでしょ。なのに、一度もわたしから会えたこと無い。たまにある休みの日以外」
エラン達は基本的に指定された自由時間以外の朝から夕暮れまでを統合学舎で過ごす。だから、働いているはずの両親の姿を見たことが無いのは当たり前のことだった。
「じゃあ、どこに行ってるっつうんだよ?」
「分からない。分からないけど……」
エメリは言い淀む。
そして、皆が返答に困っていた。この事はなんとなく、取るに足りない些末なことである気も、よくない疑問である気もしているからだ。
「みんなは気にならないの?」
「俺はあんまり気にしたことないな」
エランは呑気にそう言った。
「どうして」
「俺には、皆がいるから」
少しの沈黙。イヴォナが呆れたように言った。
「エランって、そーゆー恥ずかしーこと言うよな」
「本当のことだから」
本心だった。もう12年間、一日のほとんどの時間をこの六人と共にしているのだ。それこそ、両親よりも長い時間を。
心細いときも、思い悩んだときも、五人の存在に助けられていた。だからエランはそういうことが言えるのだ。
「……まあ、それはそうかもだけど」
* * *
とっぷりと日が暮れて、辺りは真の闇に包まれる。
モーガンとファラの渾身の夕食で満腹になると、疲労もあって皆すぐに横になったのだ。
虫の音だけが、草木の向こうから聞こえる夜。手の平すら見えない暗闇にいると、まるで自分が溶けてしまったかのような錯覚に陥ってしまう。エランは夜空に目をやった。
木々の輪郭が星空を切り取る。作り物みたいなこの夜空を、常夜灯まみれの街で目にすることは無い。何度見ても、心打たれる光の群れだった。
ずっと見ていると距離感が分からなくなって、光の天蓋に包まれているような気分になってくる。眠気が否応なく瞼を下ろす。そのうち、エランは静かな寝息を立て始めてしまった。
――素朴な疑問と奇妙な感覚は次第に日常の中へ埋もれていく。
また笑い、遊び、学ぶ日々が続いていく。
本当に大事なことには疑問を抱く余地もない。
人々が気づくべき真実は常に何かに覆い隠され、まるでまやかしのように漂い続ける。