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gear;  作者: 245
12歳
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妖狐様の預言

 統合学舎において、12歳の年の春から始まる格闘訓練。木剣よりも遥かに殺傷能力のある鉄剣を用いて、子供たちはまず一対一の戦闘技術を学ぶ。


「せいッ!」


 エランの繰り出した鋭い一撃が、モーガンの胸を容赦なく捉えた。モーガンは紫色の火花を散らして、円形のフィールドを吹っ飛んで壁に激突する。


「そこまで」


 眼鏡の奥の厳めしい目つきの大男が、存外に優し気な声で宣言する。


「エランの勝ち。ではしばしインターバル」


 彼は学舎唯一の教師であり、エラン達の担任で『先生』とだけ呼ばれる。見た目こそ恐ろしいが子供たちを思う良き先生である。


「マリアー、今ので通算何敗目だ?」


 フィールドの端にであぐらをかくイヴォナはにやにやしながら尋ねた。

 紙の記録に書き込むマリアがぺらぺらと過去のページを捲る。


「0勝32敗2引き分けですわ」

「うわー、ギャグみたいな成績だな」

「……うるさい」


 モーガンが不機嫌そうに大股で歩いてきて、鉄剣を壁にかけた。「おつかれさま」とエメリが声をかけるが無言のままだ。

 人体を破壊する突きを食らったのに彼が無傷でいるのは、先生が事前に防護アーツを使用しているからだ。


「おまえ、狙いが単調なんだって。そのくせ動きは硬いし」

「単調なのはそっちもだろ。この前先生に言われてたじゃないか」

「おまえほどじゃねえよ! な、エラン」

「うーん、どうだろう」

「おい!」


 突っかかってきそうなイヴォナを躱してエランは話を進める。


「でも、攻め方を増やして改善すれば格段に良くなりそうな気もしてるよ。モーガンはイヴォナと違って本来冷静な性格だし、打つべき手を理解しておけば焦る必要もない」

「喧嘩売ってんのか、おまえ……」

「……イヴォナ?」


 先生の声がかかる。フィールドにはファラが静かに待機していた。休憩は終わって、次の出番はイヴォナとファラだ。イヴォナは「すんません!」と慌てて鉄剣を手に取った。


「先生。僕たち全員が訓練なんてする必要性あるんでしょうか」


 イヴォナが足を止める。モーガンが俯いたまま、自嘲ぎみに言ったのだ。


「足手まといになるだけですよ、僕は」

「……ふむ」


 先生は無表情な強面のまま、顎に手をやって考えるような仕草をする。


「皆さんはどう思いますか? モーガンのように剣を振るうことが苦手なひとは、どうするべきか」


 イヴォナが元気に手を挙げて言う。


「はい! 戦うことは楽しいことなので、楽しめるようになればいいと思います!」

「それは魔物相手の話だろ……。イヴォナは人間相手でも楽しいのか?」

「楽しいに決まってんだろ。やるかやられるか、ってことですよね、先生!」

「まあ、そうですね」

「うへぇ……」


 エランに限らず、皆少なからずイヴォナの発言に引いている。だが、それが必要なことであるということも、統合学舎でさんざん学び、理解していることだ。


「楽しいかどうかは置いておくにしても、私たちには全員で戦う義務がありますわ。子どもは私達6人しかいませんもの。街の皆さまが老いた後で、私達がこの地を守るための技術ですのよ」


 マリアは心底真面目くさってそう言う。そこには領主の娘としての心構えが垣間見えている。


「マリアの言う通りですね。他所からの襲撃に備えて、我々には一人でも多くの戦力が必要です。たとえそれがどんなに小さな力でもね」

「……そうですね」


 モーガンは小さく呟いて、エランはほっと息をついた。とりあえず、納得はしてくれたようだ。

 イヴォナが鉄剣を弄りながらぼやく。


「でもよー、要らないっつうなら勉強のほうがいらねえんじゃねえか? torchに聞けば済む話だろ」


 これに反論したのはエメリだった。


「勉強は大事。torchに聞くにしても、まず何を理解できていないかを理解する必要があるし」

「ん????」


 イヴォナにはピンと来ていないようで、険しい顔をして固まっている。エメリはため息をついて言った。


「あんたが魔物と森ででくわした時に正体を聞くことはできても、その魔物と出会わなかったら聞きようが無いでしょ」

「あ、そういうことか! 外見とか特徴とか分からないと聞けないもんな」


 そこに先生が付け加える。


「そういう側面も大事ですが、勉強というのは知識という結果よりも、その過程で生まれる影響のほうが重要なこともあるのですよ。我々が現代においても学校というシステムを維持しているのは、学習は将来的な社会への貢献を促進する傾向にあるという知見に基づいているにすぎません。我々はまだ、すべてを断じるほど賢くはないということですね」


 話を区切り、ではそろそろ、と先生が訓練の続きを促したところで、


「先生」


 モーガンとイヴォナが疑問をぶつけたこの勢いに吞まれてか、気づけば、エランもかねてよりの疑問を口にしようとしていた。


「戦いや争いなんて、本当に起きるのでしょうか?」

「……それは、どういう意味でしょう」

「そのままの意味です。戦いはさまざまなリソースを消費します。対話で解決するほうが効率が良い。それを分かっていれば争いなど無意味だと理解できるのではないでしょうか」

「成程。対話による解決の有用性を認識することで、すべての人間が対話を選択するということですね」

「はい」

「それは難しいでしょう。すべての人間が冷静に事を運ぶわけではありません。それに言語や、対話の場そのものの設定が困難であるという問題もありますから」

「でも、誰も死んだり、傷ついたりしたいとは言わないはずです。それなのに戦おうとするのは単に無知か、躍起になっているだけなのではありませんか」


 先生は無表情の瞳を伏せ、極めて人間的に息を吐く。


「……エラン。君のその考えは正しいし、大切にしてほしいと思います。しかし……世の中には、本当に様々な人間がいる。そして、それぞれに守りたいものや主義主張がある。それこそ、死んでもいいという思いで動く人間が」

「……そうなのでしょうか? 少なくとも僕は、死にたいと思いません」

「そうですね。わざわざ死にたいと思う物好きなひとはなかなかいません。しかし……。今は分からなくても構いません。いつか君も、命を懸けて守りたいものが生まれるでしょう。その時に分かるはずです。ただ、人によって守りたいものは違う、それだけのことです」


 しょうじき、エランにはよく分からなかった。人間は幸せに生きたいというのが共通の願いだろうに、わざわざ死にに行く人間が考えつかないのだ。以前図書館で読んだ、生まれつき殺傷衝動の遺伝子を有する人間くらいである。


「では、訓練の続きを。この後は預言が控えていることですし」


 先生の合図で、やっと次の模擬格闘が始まった。イヴォナの直線的な攻めを、ファラは辛うじて捌き続ける。

 訓練場の脇で、仏頂面のマリアがモーガンの背後に立った。 


「立ちなさい。私直々に改善点を指摘してあげるわ。あなたみたいな貧弱者でも、多少はマシになるはずよ」

「……教えてもらうなら、エランにしとくよ」

「はあ!? …………エラン、お呼びよ」

「……」

「エラン!」


 マリアの苛立ちをぶつけるような呼びかけで、エランははっと我に返る。


「ん。……なに?」

「モーガンの稚拙な戦い方を正しておあげなさい。下々は下々らしく下々同士で助言し合いなさいな!」


 マリアはぷんすこ怒って、フィールドの端にどっかり座り込んでしまった。


「なんなんだ……」


 エランはぼんやりと、戦い以外の方法を考えていた。すべての人間は心の奥底で調和を求めている。たとえ対話が不可能でも、何か方法があるはずだと。


* * *


 夕暮れ。もう少し日が経てば、日の入りが目に見えて早まってくるだろう。

 統合学舎での本日の学習を終えたエランたちは、今日は各々の家には帰らずに街の広場に向かった。

 今日は月に一度の預言の日。館から妖狐を招いて、住民一人一人に今後の人生の指針を与えていく儀式が行われる。


 領主の家柄であるマリアを除く5人は、広場でそれぞれの両親と合流していた。


「おーい、こっちだよ」


 白髪交じりの柔和な顔を見つけて、エランは駆け寄る。男の隣には、同様に優し気な中年の女性がいる。


「父さん、母さん、こんばんは」

「こんばんは、エラン。学舎は楽しかったかい?」


 エランは勢いよく父親の腰に抱き着いた。12歳が見せる愛情表現にしては少々幼いようだが、ファラやモーガンたちも概ね同様であった。それは、両親とは夕方以降しか会えないという街の規則のせいでもある。


「うん。イヴォナが剣をすっ飛ばして壁をぶち抜いたんだ。そしたら相手してた僕まで怒られて。大変だったよ。でもね……」


 両親を前にした彼は、普段見せる大人びた様子とは打って変わって年相応の表情を見せる。それは彼が真に父母のことを慕っている証である。


 それから数十分話し込んでいると、日が落ちて、辺りが静まり返る。領主の館から仰々しい列をなして人々がやってくる。


「あ、エラン見て」

「ん?」


 いつの間にか横に来ていたファラと一緒に、列の中心のほうをじっと見る。白い装束の衛兵に紛れて、すらりと背の高い黒装束の女――金毛の耳を生やしている――妖狐様が、粛々と歩いている。


「御髪。きれい」

「おお……」


 長い金の髪の結い上げ方で、エランは同じものを見たことが無い。本日も、浮世離れて妖しく綺麗だ。


 しゃらん。「行形アンジェリカ」


 白装束が錫杖を鳴らして名を読み上げる。町人たちの中から一人の女が歩み出て、妖狐の前で叩頭する。そして、妖狐が預言を授けるのだ。

 

「現状に惑いあれば動け。憂いあれば明かせ。たなびく雲の狭間光満ちぬ。誠の心ありて雲払われん。夫の諸行目を瞑るな。日々の家事精を出せ。五穀を食すが良。吉凶の口遊み悪心へと成らん。普請の災い――」


 妖狐の預言を聞いて、エランはいつもその声音に惑わされる。一つの歌のような、甘く囁くような。それが妖狐の持つ人外の理なのではとばかり思っていたが、この間のtorchの話からするに彼女のアーツによるものなのかもしれない、と思い始めている。


「實原エラン」


 自分の名前が呼ばれても、エランはぼーっとしていた。ファラに小突かれてやっと気づく。慌てて妖狐の前まで歩み出た。


「し、失礼いたしました」

「……うむ」


 花の蜜のように甘い香りが漂っている。

 妖狐が淡々とエランの未来に指針を与えていく。預言は絶対に外れない。彼女の言う通りにすれば、万事が上手くいくのだ。


 周囲の白装束たちは一分の隙も無くエランを見張っている。妖狐は街の最重要人物であり、替えの効かない唯一無二の存在である。彼女を失えば街は不安な先行きを送ることになる。だから、万が一に何が何でも備えようとしているのだ。


 預言を聞きながらもエランは、ぼんやりと昼間の話について考えていた。戦いも、対話も必要としない共存の形があるはずだと。


 預言はつつがなく進行する。今後一カ月の推奨行為のあとは、未来視、そしていくつかの展望の提示である。人々は妖狐の示すいくつかの未来のかたちを参考に、逆算して必要なことを取り入れていく。そして、預言は外れない。


 はたと気づく。エランは、これこそが解決の方法だと思い至る。

 その時、頭にぽんと載る感覚がした。


「妾の話が退屈だったかの?」


 妖狐が微笑を浮かべてエランを見下ろしている。預言が終わったのだ。周囲の白装束が殺気立っている気がした。

 白装束たちの中から、マリアが呆れたように言った。


「ちょっとエラン。さっさと次の方に譲りなさいな」

「し、失礼しました……」


 町民たちから、くすくすと笑い声が漏れた。エランは逃げ出すようにその場を離れ、ファラの元へ戻った。


「どうしたの? エラン……」

「思いついたんだよ」


 恥ずかしさが尾を引くが、エランの頭の中はアイデアの興奮で渦巻いていた。


「何を?」

「対話できない敵が出てくるのなら、そもそもそんな奴が出てこない環境を作ればいい」


 やや間があって、ファラは昼間の話の続きだと気づいたようだ。


「どうやって」

「向こうで話そう」


 そう言ってエランは人々の塊から少し離れたところの段差に腰掛ける。


「視野を広くもって、準備するんだ。例えば食料に困って攻めてくるなら、そもそも食料に困らないよう支援する。仲間を殺された恨みで攻めてくるなら、こっちがその仲間を殺さないよう気を付ける」

「そんなの、大変だよ」

「そうだ。でも、不可能じゃないはずだよ」


 戦いが起きないように、その原因が生まれないように気を配る。それがエランの思いついた革新的アイデアだった。

 しかし、ファラにはあまり響かなかったようだ。


「でも、先生が必要って言ってるんだよ、戦いも……。私たちじゃ、どうしようもないときがあるってことじゃないかな」

「……それは、そうかも」


 その通りだった。エランのアイデアは、不可能ではないにしろあまりにも非現実的なものだった。


「戦ったら、皆死んじゃうよ。私、戦いたくなんてない」

「俺もだよ」


 二人が黙り込むと、町民のざわめきに、よく通る妖狐の預言の声だけが響く。


「でも。それじゃあやっぱり、覚悟を決めないと」

「……こわい」


 ファラは俯いて、ぎゅっと肘を抱いている。


「じゃあ、俺が守ってやる」

「……」

「俺が戦って、守るから……できるだけ、ずっと」

「……」


 言ってからエランは気恥ずかしくなって、人混みに戻ろうとしたが、ファラに袖を摘ままれて留められる。


「……うん」


 戦いに不向きな人間や、戦いを嫌う人間の代わりに、戦える人間が前に立たなければならないということをエランは理解している。

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