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gear;  作者: 245
12歳
1/26

この街に子供は6人しかいない

 子供は無垢である。


 童心は遺物である。

 

 憧憬は枷である。

 

 すべての人間に子供時代などというものが無ければ、あるいは成人が人生の第一の精算で、そこからは何にも縛られない完全に新しい人生が始められたのならば、きっと人類は安らかに生きられただろう。


* * *


 すべての不浄を取り払ったような原っぱ。まるで絵にかいたような陽光。

 緩やかな丘の頂上には一本の木があって、寝そべる男の子のそばに女の子が座り込んでいる。


「エラン。エラン」

「ん……」


 撫でるような風が吹いて、女の子の栗色の髪が揺れる。


「ファラ……ずっといたの?」


 こくり、と女の子――ファラは頷く。必要が無い限りあまり喋ろうとしない子どもだ。

 男の子――エランは眠たげに目をこすって起き上がった。調和のとれた今日の昼間はあまりにも睡眠に適している。


「それで……、どうしたの?」

「イヴォナが」

「え」


 ファラが指さしたほうから、大柄な女の子が丘を駆け上がって来る。まだエランたちと同じ10歳だというのに、村の耕作に参加しているほどだ。

 

「エラン! しょーっぶ!」


 言うや否や、彼女は手にした木剣を振り上げてエランに襲い掛かる。「きゃっ」とファラは伏せるが、エランはその場から動かず、ただただ自分の木剣を構えた。


「おぶ」


 木剣の丸い先端がイヴォナの腹をとらえ、奇妙な声と共に彼女はその場に蹲った。


「ま、まだまだ……」


 苦悶の表情で立ち上がろうとするが、エランは木剣で彼女の首を押さえつける。


「はい、終わり」

「……くそ」

「急に襲い掛かってくんなよ」

「また負けた!」


 イヴォナは観念したように寝転がり、はーっと息を吐いた。


「次は勝ーつ!」

「一生言ってろ。……ファラ、帰ろう」


 エランが手を差しだすと、ファラは大人しく手を握って立ち上がる。


「待て! 待て待て!」


 イヴォナが焦った声で二人を制止した。


「森の探検に行こうぜって話なんだ! いいだろ、二人共!」

「……それを先に言えよ。行く」


 丁度良かった、とエランは思った。どうせ今日の自由時間にすることなど、昼寝くらいしか無かったのだから。


「ファラはどうする?」

「私は、エランがいるなら……」

「よっし。決まりだな」

「どうせならモーガンとエメリも誘おう。二人とも図書館にいるはずだ」


 エランはいつものメンバーでと思ったのだが、イヴォナはつんとした表情だ。


「別によくねえ? あいつらどーせ来ねーじゃん」


 それは前々回の自由時間にて、昼から狼狩りに行くはずがモーガンとエメリに1時間待たされたあげく、約束をすっぽかされたことに由来することをエランは知っている。


「まあ、誘ってみるだけ」


* * *


 この街にある建物は至ってシンプルだ。町民34名の住む家々と、総合学舎と、畑仕事のための小屋少々。街の外れには一帯を治める領主の館があるが、五人が訪れる機会など無い。

 総合学舎というのは子どもたち――6名しかいない――のための学びの施設であり、とてつもなく広い。中には学習のための様々な施設が揃えられていて、グラウンド、プール、教会、厩舎、裁判所、訓練所、アーツクリスタル、啓示場などが存在する。


 図書館は、その中でも利用頻度の高い施設の一つだ。


「行かない」

「僕も」


 お揃いの丸眼鏡をした女の子と男の子が、本に目を落としたままそう告げる。

 振り返れば、イヴォナが「ほらな」顔をしていた。

 

 モーガンとエメリは外より室内でできることのほうが好きなタイプなのだから仕方が無い。

 しかし、エランは簡単には引き下がらなかった。


「『こころの生命倫理学:kの――』えっと……『k151.6』」


 わざとらしいエランの声がだだっ広い図書館にこだまする。モーガンがページをめくる手を止めた。


「初めに身体ありき。生物の器官はすべて動きの中で必要に応じて生み出されたものなんだ。例えば、脊椎動物のはじまりと言われるムカシホヤはその鰓から酸素と食物を取り込むけど、鰓から顎が分化して、それぞれで酸素と食物を効率的に取り込むようになった。これが魚類」

「……」

「著書の中ではこころに対する持論が展開されている。こころも生存戦略として生み出された器官であり、動きと相互的な関係にある、と」


「人間の身体への刺激っていうのは様々な可能性を秘めていてね。特に脳に対して。大昔にはアラカワという人が、それで天命を反転……つまり、不老不死になろうとしたそうだ」


 後ろでイヴォナがそんなことできんのかな?、とファラに尋ねている。ファラは困り果てている。


「それは体を動かすことがこころや、全ての身体機能に影響するから。結局その人が不老不死になることは無かったけれど、その発想の流れ自体は悪くない。とある」


「つまり、運動が僕たちに及ぼす影響は計り知れない。良い意味でも悪い意味でも」


 モーガンは本に栞を挟んで、エランを一瞥して口を開いた。


「……運動は脳に役立つから、お薦めするって?」

「そういうこと」

「運動なら学校の訓練で間に合ってると思うけど」

「おめーは成績最下位だろ」


 モーガンはぎろりと目を向けたが、口を挟んだイヴォナは知らんぷりしている。


「まあ成績のことは置いといて……さっきの話。天命反転のためにその人は単純に運動をするだけじゃなくて、日常生活ではありえない動きを実践したんだ。それも家を使って」


「でこぼこだったり、傾いてたり、そういう日常生活で体験しない運動をせざるをえない家に住んで、天命反転を試みた」


「裏森の地形っていうのはそういう意味で最適化されたものだと思うんだ。根っこででこぼこした地面とか、急な斜面とか、くねくね池とか」


 裏森は街のすぐ近くにあるだだっ広い山のような構造を持つ地形のことで、実際には山ではない、と先生は言っていた。動物はもちろんさまざまな魔物も住んでいる。だから先生の許可なく立ち入ることは許されない。


「……わかったよ。その話を信じたわけじゃないけど、試してみよう」

「ありがとう」


 観念したようにモーガンが席を立つ。向かいに座ってじっと本に視線を落としていたエメリが、やっと顔を上げる。


「ちょっと、ほんとに行くの?」

「うん。エメリも行こうよ」

「……」


 エメリはくねったブロンドヘアーの毛先を弄びながら押し黙る。返答に困っている。

 いい加減待つことに飽きたイヴォナが図書館を出て行く。


「行くならとっとと行くぞー」

「……だそうだ。先に出とくよ」


 エランがその場を離れ、ファラはぴったりついていく。


「エラン、なんでも知っててすごいね」

「そんなことないよ。もう三年もしたら大人なんだ。まだまだだよ」


 図書館にはモーガンとエメリだけがぽつりと残された。


「行くなら一人で行って来たら? わたしは別に行きたくない」

「えー、一緒に行こうよ。僕一人じゃ心もとないし」

「……わかった」


* * *


 裏森は街を囲む外壁のすぐそばにあって、その途中までは整備された道が街の道と繋がっている。当然、五人はその道から街を出ようとする。


「!」

「きゃあ!」

「うぇえええっ!?」


 突如として道端から噴き出した泥水が、モーガン、エメリ、そしてエメリがぶつかってきて避けられなかったイヴォナの顔面を真っ黒に染め上げる。


「あっはっは! ぶざまですわねー!」


 3メートルの外壁の上には、彼らをあざ笑い腕組みする少女がいる。


「マリア……」

「下々にはお似合いの姿ですわ」


 彼女は深紅の髪を翻すと、ひらりと外壁から飛び降り羽根のように着地した。


「さいっあく……」

「くっそ~、エメリのせいで避けらんなかっただけだ!」


 泥まみれの三人を見下ろして、マリアは鼻で笑う。


「あなたたちのような下民は、泥んこ塗れで遊ぶのがお似合いぎゃあああああ!」


 突如、マリアが不可視の手に引っ張られたかのように不自然に転倒し、道路わきの泥に頭から突っ込んだ。


「何すんのよーっ!!!」

「おかえしだ、陰湿オンナ」


 イヴォナはマリアに両の手のひらを向けて、さらなる制裁を加えるべく力を込めようとする。

 すかさずエランが止めに入った。


「まあまあイヴォナ、森に入る前に日が暮れちゃうぞ。二人も顔を洗って」

「ちっ」


 エランは既に井戸の水を運んで来ていた。宙に浮かぶ綿雲のようなそれらは、エランが指の動きとともに三人の泥を洗い流す。


「アハハ。身の程を弁えたらさっさと行きなさいな。(わたくし)はお稽古と勉強で忙しいから、遊ぶ余裕なんてありもしないわぁ」

「マリアも行こうよ。探検」


 エランは至極当然のようにそう言った。イヴォナは不服そうだが、無言で先を行っている。


「……聞こえなかったのかしら。私は予定で忙しい身で……」

「貴族の稽古も統治の勉強も、マリアは優秀だからスケジュール通りだろ。自由時間なら、一緒に遊ぼう」

「いやいや私はね――」

「あーほらほら面倒くさい。行こう!」


 むにゃむにゃ言い出したマリアの手を取って、エランは走り出した。エメリたちもやれやれとついていく。


「ちょ、ちょっと引っ張らないで!」


 マリアは嫌がる素振りを見せるが、その脚はしっかりとエランに合わせている。やがて、二人がイヴォナに追いつくと、


「ついてくんのは構わねえけどよ。遅れたら置いていくからな。“大事な街のお姫様”」

「はあ!? 上等よ!」


* * *


 一、二時間も歩いて、一行は道なき道を歩いている。魔物も何度から出くわしている。

 裏森の斜面は様々な岩石の入り混じる難路であり、ふつうに歩くだけでも倍疲れる道である。


「おーいお前らおっせーぞ!」

「やっぱりついてくるんじゃなかった……」


 体力に自信のないエメリなどは悲惨な状況で、今にも倒れてしまいそうだ。というか、馬鹿元気のイヴォナについていけているのはエランくらいしかいない。

 進む度に距離が開いていくことにしびれを切らし、イヴォナが立ち止まって振り向いた。


「ったく。誰かおぶってやろうか?」

「……というか、どこに向かっていますの」


 マリアが恨みのこもった視線を向けた。行先も分からず、余計に疲れがたまる。


「そーだなー、そろそろ発表といくか」


 わざわざ言わないでおく理由は全くもって無いのだが、イヴォナは勿体ぶる。


「へへ。これがアタシたちのルートであり、目的地だ」

「はあ?」

「今日は森の外を目指すんだよ!」

「な……」


 思わず、イヴォナ以外の全員が言葉を失った。

 この六人の中には森の外どころか、森の奥地に行った者すらいない。行く理由が無いからだ。裏森は広く、未知の冒険は手前で事足り続けている。


「呆れた。先生が行くなと仰っているのを忘れたのかしらこの下民は」

「きっと鳥頭なんだよ。イヴォナは」

「なんだと!」


 疲れでイヴォナ叩きに思考が回っているマリアとエメリが冷ややかな目線を浴びせた。


「そもそも、僕たちじゃ絶対に出られないようになってる、とも言ってなかったっけ。行っても無駄だと思うけど」

「それが気になるんじゃねえか! 森の外には何があるのか。街みたいな壁なのか底なし谷なのか。やべー流れの川なのかはたまた別のナニカなのか! お前らも興味あんだろ?」


 言葉に詰まる一同。ここには好奇心溢れる12歳しかいない。


「まあ、無くは無いね」

「……でも、先生に怒られちゃうかも」


 木の根元に座り込んで、ファラがぽしょりと零した。


「うーん。その境界線の、監視系統に引っかからなければいいんじゃないかな。例えば、その壁か谷か知らないけど、それが見えた時点で引き返せばいい」

「それだ!」

「大丈夫かな……」

「大丈夫だって!」


 微妙に不安な空気が流れる。イヴォナは説得に必死だ。

 空気を打破したのは、意外にもエメリだった。


「ていうか、torchは何か知ってるんじゃないの」

「そうだな。一回聞いてみよう。……“tor―」

「待て! 待て待て待て」


 目を閉じて空を仰ごうとしたエランの顔面を、慌ててイヴォナが両手で掴んで元に戻す。


「答えが分かってたらおもんねえだろ! なんでもかんでも聞くのは無粋だ!」

「まあ、それもそうか」

「よしお前ら! 行くぞ! こんなところでうだうだやっててもしゃーねえ! ぱぱっと行って、ぱぱっと解明だ!」

「えー……」


 イヴォナが皆を無理やり立たせて急かす。しょうがなく、一行はいつ終わるとも知れない歩き旅を再開するのであった。


* * *


「おかしい」


 重い沈黙の空気が立ち込めている。あのイヴォナですら、苦い顔をして口を噤んでいる。

 これは疲労のせいだけではない。街を出発してかれこれ四時間は経過しているはずだが、森の果てはいまだ見えない。


 違和感があった。


 一行の歩く道は平坦そのものだ。裏森のメインである、でこぼこの斜面ではない。すぐに森が開けるとばかり思っていた。


 森はどこまでも続いてる。同じような木が無数に生えている。それは、あたかも自分たちが同じ場所を巡り続けているかのような錯覚にすら陥る。


「……“torch”」


 今度はイヴォナも、誰も止めなかった。


『はい。何でしょう』


 平坦な男とも女ともつかない流暢な声が一行の耳を打つ。物を知らない12歳が持つには便利な情報源である。


「森の果てには何がある?」

『大陸最大級の平野が広がっております。地下部位は構造盆地で構成されており、中央部の沈降に伴って現在地イユ山、通称『裏森』を含む山地の隆起が起こりました。平野の中心には――」

「俺たちは何故森の外に出られないんだ?」


 一行に鋭い緊張が走る。最初から聞いておけば、こんなことにもならなかったかもしれない。


『……街の守り神である妖狐の神経系アーツによるものです。街の規則として、成人前の男女の行動範囲制限のために使用されています」 

「……神経系アーツ?」


 馴染みの無い単語にマリアが首を傾げる。答えたのはモーガンだ。


「図書館で読んだことがある。僕たちのアーツは物理演算だけじゃなくて、人間の精神に作用するものもあるって。繊細すぎて想像できないけれど……妖狐様ならできてもおかしくない」

「な、何だ。妖狐様かよ……そりゃそうだよな。こんな大層なことできんの、あの人くらいだもんな!」

「じゃあもう、帰ろ。用は済んだんだし。はあ、最初から聞いておけば楽だったのに」

「まあまあ、いいじゃねえか! ちょっとワクワクしただろ!」

「ワクワクというか、ドキドキ……?」


 本当に、最初から聞いておけば済む話だった。一行はイヴォナに悪態をつきながら帰路につく。引き返すとすぐに裏森の斜面にあたって、本当に神経系アーツだったんだ、すごい、と口々に言う。


「……エラン?」

「……」


 本当にそうなのだろうか? 違和感の欠片がエランの中にわだかまっている。

 何も不思議な点は無い。これ以上疑う余地は無い。しかし、エランの中には何かが引っかかっている。

 であれば、むしろ疑われるべきはエランのほうなのかもしれない。世界の側に正当性があるのならば、間違っているのはエランの側になるからだ。


「……ああ。ファラ、どうしたの?」

「別に……」


 そんなことを考える帰り道だった。

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