波打ち際で、貴方と。
燦々と照りつける太陽の下、裸足で波打ち際をゆったりと歩く。
砂に埋もれながら。波にさらわれそうになりながら。
足の指の間に砂がむにゅりと入り込む少し不思議な感覚がとても好き。
まるで生き物かのように足首を撫でていく波が好き。
「あんまり海に近づくなよ」
私は泳げない。だから、彼は心配するのだろう。
「ほら、大きい波が来るから」
手を取り、指を絡め、砂浜側へ引っ張られる。
砂に足を取られたたらを踏んでいると、彼が更に強く手を引いて、腕の中に閉じ込めてきた。
広い胸に頬を寄せ、目を閉じる。
ふくらはぎにドンと強く打ち付ける波の感覚。引きの力で身体が少し揺らぐ。
でも、彼の腕の中だから怖さはない。
「あー、ズボンが濡れた」
「ごめん」
「うん? どうした?」
「……ごめんね」
私は、彼に別れを告げる為にここへ来た。
■■■■
三年という、長いのか短いのかわからない交際期間。
大学を出て暫くして彼と付き合い始めた。休みの日はお互いの家に泊まったりしていた。毎日が楽しかった。
このままゆっくりと進んで、いつか――――そう思っていた。
全てが順調だと思っていたある日、彼の口から飛び出した言葉で私は目の前が真っ暗になった。
「来年、カナダに転勤することになったんだ」
彼の会社は本社がカナダにある。
将来有望の社員はよく引き抜かれてるんだよと彼は言う。
「美香?」
「……え、何?」
急に彼が天井を見上げ、床を見下ろし、首の後ろに右手を置き、少し首の体操をしていた。
「ついてきて、くれない……んだろ?」
「あ…………えと……」
私には私の仕事があって、簡単に手放せるものでもなくて。
県外に転勤になったらどうしよう、なんて考えた事もあったけれど、海外なんて考えてもいなかった。
私の英語は中学生レベル。直ぐに向こうで働けるのかとか、両親や兄弟や友達と離れ離れになるのかとか。ぐるぐると考えていた。
「答えなくていいよ」
寂しそうに微笑まれてしまった。
■■■■
転勤が決まったと聞いてから三ヶ月、毎週のお泊りはなくなった。
今まで頻繁にしていた気軽い感じのLINEは、お互いが遠慮がちになっていった。
変な敬語が増え、謝ることが増えていった。
そんな日々に嫌気が差して来た時、彼からLINEが届いた。『今度の土曜日、出かけない?』と。
土曜の朝というには少し遅めの時間、車に乗せられた。
ニ時間ほど揺られて到着したのは、何度かデートした人がほとんどいない砂浜だった。
靴と靴下を脱いだ。
差し出された彼の手を無視して。
ゆったりと波打ち際を歩く私の後ろを、黙ってついてくる彼はいったい何を考えているのだろうか。
「ほら、大きい波が来るから」
手を取り、指を絡め、砂浜側へ引っ張られる。
砂に足を取られたたらを踏んでいると、彼が更に強く手を引いてきて、腕の中に閉じ込められてしまった。
広い胸に頬を寄せ、目を閉じる。温かくて安心できる、私だけの場所。
「あー、ズボンが濡れた」
「ごめん」
「うん? どうした?」
「……ごめんね」
彼の胸に顔を埋めて謝ると、彼の抱きしめる力が強くなった。
「別れを」
「え?」
「別れを、受け入れたくない…………」
まだ何も言ってないのに。
彼は私の行動を、考えを予測していたらしい。伝える前に先に言われてしまった。
「ごめんね」
「…………っ、ん」
彼の抱きしめる力が更に強くなって、息苦しい。だけど、抵抗が出来なかった。
ぐすりと鼻をすする音がするから。
必死に息を整えようとしているから。
三月、桜が蕾を付けだした頃、彼はカナダに旅立った。新たな生活に向けて。ステップアップするために。
□□□□
あの日から四年が経ったけれど、私は変わらず日本にいて、相変わらず同じ仕事をしている。
彼は帰ってくるとは言わなかったし、待っていて欲しいとも言わなかった。
私も、何も言わなかった。
時々、あの海に行って波打ち際を重たい足取りで歩いたりしている。
波に足を取られつつ、あの日の暖かさや苦しさを思い出す。
……かなり未練たらしいと自分でも思っている。
波の音に混じって明るい着信音が響いた。
LINEが届いたらしい。
誰からかな?と思い、スマホの画面にポップアップで現れた文字を見た。
『ただいま』
「っ⁉」
心臓が、甘く疼いた。
四年ぶりの連絡。
もしかしたら。
……また、何かが始まるかもしれない。
波打ち際を歩く足取りが少しだけ軽くなった気がした。
―― おわり ――
お付き合いありがとうございました!