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他愛ない出逢いの話シ 1  作者: 君塚ソラ
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他愛ない出逢いの話シ

 彼は絵を描いていた。

 イーゼルに乗ったキャンバスに何が描かれているのか、こちらからは把握できない。だが、そんなことはどうでもよかった。

 夕日の射し込む教室。乱雑にどけられた机や椅子。そこに居座る、一人の青年。

 中性的な顔立ちをしていた。染めたにしては綺麗すぎる金髪。整った目鼻立ちにあどけなさの残る雰囲気。どこか愁いを帯びた表情を浮かべ、ただ黙々と筆を走らせている。

 それらすべての角度と雰囲気が一瞬で俺を――諸澄雅之(もろずみまさゆき)を虜にした。

 生まれて初めてだった。何かに対して、ただ衝動的に動いたのは。

 この日、この瞬間を残すために自分は写真を撮っているのだ……そんな錯覚を起こすほど、その一瞬は洗練されていた。

 なんて、絵になる奴なのだろう――……。

「やぁ、こんにちは」

 声を掛けられたと気づくのに少しかかった。彼は柔和な笑みを浮かべこちらを向いている。

「……ああ、悪い。勝手に撮った」

 咄嗟に後ろ手にカメラを隠した。もう百パーセント盗撮で少しどころじゃなく気まずい。

「いいよ、むしろ光栄だ。ここで描いていて良かったよ、運がいい」

 言っている意味はよく判らないが、咎められることはないらしい。

 安堵している俺に、彼は筆をおいて体ごと向き直る。

「初めましてだよね、よろしく」

「ああ……何を描いているんだ?」

 我ながら愛想のない返事だと思ったが、そんなことは気にならないらしく、

「今度、外部でコンクールがあるんだけど、それ用の。君は何を撮ってたの?」

「似たようなものだ。人に見せられるようなモノが撮れなくて焦っていた。おかげで解決したけど」

「ホント? お役に立てたのならよかったよ」

 嬉しそうに肩を揺らすと、彼はそのままじっと俺を見つめる。

 目が離せない。一瞬息をするのも忘れ、何か言わなければと目が泳いでしまう。

「……今撮ったやつ、使っていいか」

「勿論。それで賞を取った暁には、何かお礼を期待していいのかな」

「大層なモノは無理だぞ」

「楽しみにしてるよ」

 そう言って小さく微笑み、俺から目を逸らしてキャンパスに向き直った彼は、やはりどこか物憂げで。

 俺は何も言わずに教室を後にした。正直、もう少し撮りたかったが、集中し始めたところに水を差すのも憚られる。

 それにこれ以上、動揺する自分に嫌悪感を抱くのは御免だ。我ながら気持ち悪かったと思う。

 小さく息を吐き、頭の中でさっきの場面を反芻する。

 あの独特の雰囲気はどこから来るのか? 言っていた意味は? そもそも名前は? 何故最後に聞いておかなかったのか。

 モヤモヤとイライラが頭の中で混ざり合い、反省と後悔が押し寄せる。たったあれだけの会話で何故ここまで色々と考えているのか、自分でもよく判らない。

 ただ、一点のみは鮮明に――紛れることなく心に刻まれている。

 俺は生まれて初めて、誰かを綺麗だと思った。


× × ×


 居酒屋の雰囲気には一生慣れないと思う。

 思い思いに人が騒ぐと、ここまで不快なモノになるのか。不快ながらに感心するまである。

「ッ、ッ、ッ、プハァ! あー、もうすぐ三年か。キャンパスライフも折り返し。早過ぎねェか?」

 秋元猛(あきもとたける)はジョッキから口を離した途端、喧騒に負けない喧しさで俺に問い掛けた。

 染めた髪に耳に開けたピアス。軽いノリが体中から漏れ出している。

 ザ・大学生というなりをするこの男が、恐らく……というよりも確実に、俺にとって唯一友人と呼べる存在だ。

 正直、タイプでいえば苦手な部類である。何故こいつとこんな場所にいるのか……常々、巡り合わせとは予測できないモノだと思う。

 俺の心情などいざ知らず、猛は背もたれに体を預け大きく息を吐く。

「もっと色々したいよなー。なんでこんなに何もないかね」

「お前が日々を無駄に過ごしているからだろ。というか、ダブっている奴の台詞じゃないだろ」

「グサッ! 相変わらず毒舌だねェ、雅之君は」

 大袈裟に胸を抑えると、猛は唇を尖らせる。

「そんなんだから由利ちゃんとも上手くいかなかったんだよ」

「誘われたから飯に行っただけだ。一度だって好意はない」

「一瞬で敵を作るプロなの? 相手はあの清水由利だぞ。キャンパス中の男共の憧れだってのに……俺以外にそういうこと、言ってないだろうな?」

 こういうところに本気の心配が垣間見えるあたり、こいつは本当に良い奴だと思う。基本ウザいけど。

「言う訳ないだろ。そもそも言う相手がいない」

「自虐に聞こえないのがすごいな。ホント、冷たい人間だこと……あ、すいません! ビールおかわり。お前は?」

「カルーア」

 二人分の注文を済ませると、猛は思い出したように口を開く。

「そういえば、またみんな話してたな。この前のコンクールのやつ」

「コンクール? ああ、あれか」

 とぼける俺に、猛は姿勢を正して息を鳴らす。

「美術系と言えばうち。全国トップクラスが集まるこの帝統美術大学。その中でも一際異彩を放つ美青年。他の追随を許さない神童。天才の中の天さ――」

「興味ない」

 強がり、吐き捨てた。

 得意げに語っていた猛だが、俺の態度に肩を落とす。

「……ホント、つれないよな。まぁお前らしいけど」

「お前がミーハーすぎるだけだ。よく疲れないな」

 皮肉の筈が伝わらず、猛は何故か胸を張る。

「話題に乗ってこその俺だからな。それに、やっぱり騒いだ方が楽しいし、騒げることは多い方がいいんだよ。カメラばっかり覗いてないで、お前も少しは騒げ」

 店員が運んできたビールを受け取ると、そのまま口に運んだ。

 俺は机に置かれた自分のカクテルに目を落とし、相変わらずうるさい周囲を一瞥する。

「こうして騒がしい場所に来ているだろう」

「俺と二人で来てもいつも通りだろ。ということで、今度のサークルの飲み会は強制参加な」

 流れるように強要され、俺は思わず顔を歪める。

「はぁ? やだよ、面倒くさい。なんで俺が――」

「頼むよ。実はちょっといい感じの子がいてさ。サポートして欲しいんだわ」

 猛は急に体を乗り出し、眉根を寄せて手を拝んだ。

「余計面倒じゃないか」

「金は全部俺が出すから。たった一人の親友を助けてくれよ。な?」

 割と本気で頼み込む自称親友に気圧される形で、俺は少し後ろに身を引く。

「……なら、条件がある」

「俺は五体満足で生きていきたいんだ!」

 俺の一言に、今度は猛が咄嗟に身を引いた。

「何を取られると思っているこのバカ……ただ、今度のやつ手伝ってくれ」

「ん? ああ、別にいいけど。俺いるのか? 人足りてるだろ」

「一人くらい知り合いがいないと寂しいだろ?」

「心にもないことを……」

 カクテルに口を付ける俺を見て、猛はお手本のようなジト目を向けた。

 構わず、俺は続ける。

「それと、お前が俺の罰ゲーム分を全部飲んでくれるなら、行ってやってもいい」

「誰もお前相手に飲ませようとしねェよ。後が怖すぎる」

 俺は一体なんだと思われているのか……気になったが聞かないでおくことにした。

「何時?」

「集合は六時だけど、ゆるくずっとやってるだろうし、いつでもいいぜ。来るとき連絡してくれれば」

 いつでもいいなら、と小さく首肯して猛を見た。

「交渉成立だな」

「マジで? 助かるわぁ! さっすが雅之君、話判るゥ!」

 ハイテンションで手を握ってくる自称親友は、素直な笑みで俺を見つめた。

「……うざ」


× × ×


 別に判っていた訳じゃないし、ましてや期待していた訳じゃない。

 ただなんとなく。なんとなく足が向いた。

 同じ曜日の同じ時間ならいてもおかしくないとは思ったが、別に期待していた訳でも、実際にいるとも思ってなかった。

 だが実際にその姿を見とめると、なんとなく心が躍る感覚があった。

「やぁ。また会ったね」

 前回と同じように声を掛ける青年に、俺は何も言わず頷いてみせる。

「……いつもここなのか」

「いや、いろんな所で描いてるよ。同じ曜日の同じ時間にいたのは、ただの偶然」

 そうか、と興味なさげに返し、俺はどけられている椅子の一つに腰かけた。

「今日は撮ってないんだね」

「この後すぐに面倒な接待があるから。約束したはいいモノの、中々足が向かない」

「それ、行く気あるの?」

 肩を竦めイタズラに微笑むと、青年はまた俺の目を見据えた。

 今度はしっかり受け止めて、答える。

「交換条件だから……それ、この前の続きか」

 訊かれ、彼はキャンバスを一瞥すると、

「いや、あれはもう終わったよ。今度は学内のコンクールのやつ」

「こんなに短期間で色々描くんだな」

「ううん、こんなことは珍しいんだ。お声がかかるのは有難いことだけど、ちょっと大変」

 困ったように微笑み、彼は座ったまま背中を伸ばす。

 言われてみれば、この前よりも少し顔に疲れが見える。元々日本人離れした肌の白さに、陰りがあるように感じた。

「今回は何を描くんだ?」

「特にジャンルとか決まってないんだ。好きなようにって……個人的に得意なのは博物画だけど、宗教画が一番好きで。逆に肖像画は苦手かも」

「……苦手もあるのか」

「そりゃね。なんでも描ける訳じゃないよ。君だって……」

 彼はそこで少し言葉を切ると、息を吐き一瞬目線を外す。

「いや、ないのかな」

 試すような視線に息が詰まり、俺は目線を落として首に手をやる。

「……撮る時に、なんか嫌な感じなのはある」

「嫌悪感ってこと?」

 ぼそっと答える俺に、彼は少し身を乗り出した。

「ああ。ああいうのを苦手っていうのかはわかんねェけど、なんか、うッ、ってなる」

「はは。なにそれ」

「ッ、なるモノはなる」

 おかしそうに笑う青年に、今度は俺が身を乗り出した。いつの間にか、話のペースを握られている気がする。

「それはきっと、苦手じゃないよ。ただその対象が嫌いなだけ。作品の出来上がりが他と変わらないなら、その瞬間の問題じゃない?」

 もっともな観点だと思ったが、俺は頷かずに窓の方を見やった。

「……ある人に、言われたことがある」

「何を?」

 語り出した俺の横顔をじっと見ているのが、そちらを見なくても判った。

「この写真は、撮っている君の表情が出てしまっている。きっとこれを撮った時の君は、苦虫を噛み潰したような顔をしていただろ……って」

「そうだったの?」

 優しく問う瞳に俺がどう映っているのか、少し気になった。

「まさしくだった。その人は、お世話になっているすごいおっさんなんだが……やっぱり見る人が見れば判るものだな。見透かされたことが無性に悔しかった」

 吐き捨てるような口ぶりに、青年はゆっくり首肯する。

「君が嫌いなモノ、当てようか」

「……いい」

「人物写真だろ」

「いいって言っただろ」

 顔を歪める俺に、彼はイタズラな笑みを浮かべた。

 その表情がなんとなく気恥ずかしくて、俺は堪らず目を逸らす。

「ああ、そうだよ。文句あるか?」

「まさか。嬉しいよ」

「なんでだよ」

「苦手の方向性が一緒でさ。共通点だ」

「……訳わかんね」

 何故か嬉しそうな青年に、俺はため息を吐く。

 掴めない奴だ。俺が言うのもどうかと思うが、きっと友人は少ないタイプだろうと思う。

「そろそろ行った方がいいんじゃない?」

 促され、時計を見る。

 少し本気で面倒だと思えてきたが、あれほど純粋に頼ってきた友人を無下にするわけにはいかない。こちらも頼み事をしているし、顔を出すくらいはしないと不義だろう。

 俺は重い腰を上げ、じゃあ、と一言残して教室を後にする。

 と、その前に。

「ああ、そうだった」

「……?」

 足を止め上着の内ポケットから用意していたものを取り出す。

 もし会えたらと思って準備していたのだが、会話していたら本気で忘れていた。

 手渡された加工紙を見て、彼は小首を傾げる。

「これは、なんのチケット?」

「……週末、よければだが」

 ぶっきらぼうに答える俺に、

「ああ……ぜひ、行かせてもらうよ」

 どうやら伝わったらしく、青年は柔和な笑みを浮かべて答えた。

「ん、サンキュ……じゃあな」

「――あのさ」

 今度こそ教室を出ようとするも、呼び止められ再度足を止める。振り返ると、いつの間にか椅子から立ち上がっている青年と目が合った。

 座っている姿しか見ていなかったので、平均よりも身長が低いのだと初めて知る。

 華奢な体躯は、虚弱とも表現できるほどだ。同年代の男性とは思えぬ儚さがそこにはあった。

 何も言わず言葉を待つ俺に、青年は珍しく言葉を詰まらせるも、

「……またね」

 すぐにいつもの笑みを浮かべ、小さく手を挙げた。

「……ああ」

 短く返事をして、助け舟を待つ友人の元へ向かう。

 どこか、後ろ髪を引かれるような感覚があった。これはまた、脳内反省会が開かれるんだろうな。

「――あ」

 そこで、一番大事なことを忘れていたと気づく。

 また、名前を聞き忘れた。


× × ×


 ドラマや映画で「運命の出逢い」という言葉を耳にするが、出会いというモノ自体、全部そうなんじゃないかと思う。

 どんなにありふれていても。ドラマチックでも。誰かに出逢うということは、少なからず偶然と必然が混ざり合っていて。

 それをどう呼ぶのかは、本人たち次第なのだろう。

「――はい、ありがとうございます」

 俺は深々と頭を下げてから、その背中を見送った。

 あの人の言葉に一喜一憂する自分が嫌いだ。そもそも、何故他人の評価を気にして行動しなければならない。俺は自由に、自分の思うように写真を撮る。

 だがそれでも。

 いつかあの人を本気で唸らせたい。それが今の目標であるのも事実だ。

「へェ、どの業界でも、重鎮ってのは雰囲気あるよな。あの雅之君が頭を下げるくらいだ」

 軽口を叩きながら近づく猛は、なぜか嬉しそうに俺を見た。

「俺をなんだと思っている……実際良くしてもらっているし、今回だって、あの人の支援のおかげだ」

 確かめるように、俺は周囲を見渡した。

 壁に飾られた数々の写真に、それが最も映えるように設置された照明。多くの写真を作品として楽しみに、もしくは値踏みしに来た観客たちが、静かにフロアを見回している。

【神童・諸澄雅之の世界】

 入口に掲げられた気恥ずかしい文字列は未だ見慣れない。先日取材で来た記者に同じような見出しで記事を書かれると思うと、今から頭痛がする気がした。

「気難しいし少し嫌な人だが、素直に感謝している……それに」

 口に出すのは初めてだが、思った以上に素直に言える。

「あの人の作品はすごい」

「ふん、すごいのはお前だよ。その若さでこんな立派な個展が開けるんだから。すごいおっさんが支援したくなるくらい、お前はすごいの」

 少し丸くなる俺の背中を叩き、猛は得意げに笑った。

 ジト目を向けるも変わらず笑いかけてくるその姿に、思わずため息を吐いた。全く、こいつには敵わない。

「褒めても何も出ないぞ」

「素直に受け取れよ、照れ屋さんめ。これだって、抜群の仕上がりじゃねェか。うちのキャンパスだよな、これ」

 猛が傍にあった一際大きく飾られた写真を見やる。

「サボり魔のくせによくわかったな」

「さすがにわかるよ。しかし、洒落たタイトルつけやがって。たあ――」

「読まなくていい」

 すかさず止めた。友人に口に出されることなど想定していないからやめてほしい。

 睨む俺を当然のように躱し、猛は何故か満足げに頷きながら目を細める。

「俺は運命だと思うけどね。歩き回っててこんなの撮れるなんて、奇跡みたいなもんだろ? 俺だったら、この相手が可愛かったら間違いなく恋に落ちてるね」

 一瞬息が止まった。

 内心の動揺を悟られないよう努めるが、何故動揺しているのかと自分に疑念が生まれる。

「はいはい、そうですか……ほら、面倒な飲み会まで行ったんだから、無駄口叩いてないでしっかり働け」

「人使いが荒いねェ……こっちは傷心中だってのに」

「結果は結果だ。受け止めて次に生かせ」

「前向きなアドバイスをありがとよ……じゃあ、また後でな」

「何かあったらすぐ言え」

 後ろ手に手を振る友人の言葉を、頭の中で繰り返す。

 正直、あの感情がどういったものかは自分でも判断が付かない。ただ衝撃的だったということが、俺の中で膨らみ続けている。

 恋だの愛だの、正直疎い方だと思う。だからといって、これがそうかどうかということくらいは判るつもりだ。

 ただ――。

「いい友達だね」

 変な声が出そうになった。

 この場での主役という事実だけで奇声を踏みとどまったが、不意のつき方に怒りすら覚える。狙ってやったのだとしたら本当に油断のならない奴だ。

 何を言ってやろうかと思いながら振り返るが、結局すましたことしか出てこない。

「そうか? うるさいだけだろ」

「君をよく理解してるように見えたけど」

「どういう意味だ」

「別に」

 やはり、と言えばいいのか。すぐに彼のペースに持っていかれる。だが、そのことに不快感はない。

「……来てくれたんだな」

 俺の言葉を受け、青年は指で挟んだ加工紙をひらつかせて、

「直接チケットもらっておいて、来ないなんて選択肢はないよ……それに、これも見たかったしね。少し恥ずかしいけど」

 猛同様に、傍らの写真を見た。

「そうか」

「これが個展の目玉ってことでいいのかな?」

「まぁな。直近で受賞した作品だし」

 それらしい理由に納得したように頷くと、青年は出入り口の方に目を移す。

「友達の前に話してた男性って、この前言ってた人?」

「見ていたのか」

「声を掛けるタイミングを窺ってたからね。難なく友達に先を越されたけど」

 言って、澄んだ目で俺を見る。

 試すような、促すような瞳に射抜かれて、少し言葉に詰まってしまう。

「……ああ、あの人がそうだ。驚かれた。まさか俺が、人物写真を目玉にするとは思ってなかったらしくて」

「そっか……で?」

「で? なんだ」

「なんて言われたの。この写真について」

 微笑む姿からは、純粋な興味だけが読み取れた。その無邪気な様子に、俺は思わず微笑をこぼす。

「笑われた」

「笑う? どうして」

 もっともな疑問だ。俺は一度息を吐く。

「また、俺の表情が見えたらしい。なんでもお見通しってわけだ」

 どこか嬉しそうだったのが少し不思議だった。一体あの人は、この作品から俺をどこまで見抜いていったのか。

「それで、どんな顔してたの?」

 また向けられる純真な疑問に、今度は憮然と答える。

「言わない」

「つれないなー」

 さして残念そうでもなく答え、青年は再び自身を写した作品を見据えた。それに釣られるようにして、俺もその写真に視線を移す。

 どれくらい経っただろうか。数分な気もするし、ほんの数秒だった気もする。

 端麗な横顔を一瞥してから短く息を吐くと、俺はゆっくりと口を開いた。

「そういえば」

「ん?」

「名前、聞いてなかった」

「ああ、そういえばそうだったね」

 独り言のような口ぶりで答えると、彼は体ごとこちらに向き直った。

青柳芥人(あおやぎかいと)。君は?」

「この会場の至るところに書いてあるだろ」

「ちゃんと本人の口から聞かないとね」

 意地悪く微笑む姿にため息を吐き、俺も改めて青柳を見る。

「諸澄雅之」

「知ってる。有名人だからね」

「……あんた、腹立つ」

 本音が出た。

 心の底からの言葉に、しかし青柳は堪え切れず吹き出した。

「ふふ、ひどいな。正面から言われるのは初めてだ」

 青年は愉快そうに笑っている。何が楽しいのかは理解に苦しむが、それは嘲笑など一切ない純粋な笑顔だった。

「けど。あの無表情・不愛想で有名な天才君の感情を動かせたのなら、光栄かな」

「言っていろ」

 俺の反応に満足そうに頷くと、

「それじゃ、主役をずっと拘束する訳にもいかないし、他も見て回ってくるよ。また帰る時に声かけるね」

 青柳は振り返り、ゆっくりと歩き出す。

「――青柳」

 思わず呼び止めていた。

「なに?」

 訊きたいことがあった訳ではない。反射的に声が出てしまっただけなのだが、ここで何も言わないのはなんとなく癪だった。

 もう適当に何か聞いてしまえと、立ち止まりこちらに顔を向ける青年の目を真っ直ぐ見据える。

「あんたの目には、この写真どう見えた」

 口から出た問いかけに自分で驚いた。俺はそんなことを聞きたかったのか?

 驚いているのは彼も同じだった。予期せぬ質問だったのだろう、綺麗な眼が一瞬見開かれ、体の動きを止めていた。

 青柳は俺から視線を外し俯くと、少し考える素振りを見せる。

 そして、小さく口角を上げた。

「少なくとも……嫌われてはない、のかな」

 こちらの反応を見ずに、青年はその場を後にした。

 俺は軽く息を吐き、首に手を回して少し俯く。

 あの時、何を想ったのか。今、何が訊きたかったのか……考えてみてもよく判らない。

 その答えを探すように、自然と顔を上げてあの日の光景に目を向けていた。

 出逢いをどう捉えるかは本人たち次第だ。

 他愛ないと思う者もいるし、運がいいと思う者もいる。傍から見たら、運命と言う者もいるし、一目惚れだと見る者もいる。皆違う観点から同じモノを見ていて、どれも正しい。

 だから俺は、自分が思ったことに、素直に従うことにする。

 自分で何度見返しても――ただ、とても綺麗だ。



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