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羊飼いのエレナ  作者: タバスコ
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羊飼いと月下の姫君

羊飼いと月下の姫君


【月下の少女】


 エレナとシルビアは馬車に押し込められると、スパ・センスの町を通り過ぎて山間の山城へと連れていかれた。

其処は、スパ・センスの領主が住む城でスパ・センスの町が見下ろせる高台に作られている。

城に着くとエレナとシルビアは別々に取り調べられた。

エレナは正直に事情を話したが隠していたネックレスを取り上げられてしまった。

「そのネックレスはシルビア様から頂いた私の物です。返してください」と訴えるが、調査官は「証拠品として預かる。 調べが付くまでお前は暫く城に留め置く事とする」と言うとエレナを連れえ行けと部下に命令した。


エレナはてっきり、牢屋に繋がれるのだと思って居たが連れていかれたのは馬屋だった。

馬屋には前歯の無い馬番のお爺さんとバロンが繋がれていた。


馬番のお爺さんは軍馬に勝手に触るなと注意する。

不用意に近づいて触ろうとすると噛みつかれたり、蹴られたりして怪我をするぞと脅された。

エレナはお爺さんに前歯が無いのは歳のせいではなく馬に蹴られたのだろうかと思ったが其れより先に訊く事が有った。

牢屋なら食事は牢番が運んでくれるが馬屋では誰がエレナやバロンの食事を運んでくれるのか?

早速、お爺さんに訊くと「時間に成ったら食堂に行けばコックが食事をくれるわい。下働きは裏口に回って飯をくれと言えば良いんじゃ」

「私は下働きではなく囚人です」

「フォフォフォ」とお爺さんは笑うとエレナに取り合わずに何処かへ行ってしまった。

仕方なく馬屋の中を検めると軍馬が四頭繋がれていて柵の中に入れられていた。

傍らに乾いた(わらが積み上げられている。

今夜はこの中に潜り込んで休むしか無さそうだった。


そろそろ時間だろうとエレナは食堂に食べ物を貰いに、バロンを伴って馬屋を出る。

勝手に出歩いても誰もエレナを咎めなかった。

キョロキョロとしながら教えられた食堂へと進むと、途中にハトが沢山居る小屋を見つけた珍しさに中を覗くと中に人が居いる。

「このハトは食べる為に飼って居るのですか? 」とエレナは声を掛けると。

「違うよ」とハト小屋の中の男が言う。

このハトを使ってこの城とロガチョブの領主様との間で手紙のやり取りをしているのだと男は言う。

そんな事が出来るとは知らなかったとエレナが言えば俺が調教しているから出来るのさと男は胸を張る。

エレナは感心してまた来ますと礼をすると食堂へと向かった。


 食堂の裏口にエレナは回るとドアをノックする。

中から恰幅の良いコックが出て来るとエレナとバロンをじろじろと見る。

エレナは精一杯の愛想笑いをして食べ物を乞うと暫く待てとコックは言って奥へと引っ込んでしまった。

暫く待つとコックは二つの皿を持って現れて一つはバロンの餌の残飯だと言い。

もう一つがエレナの分だとスープの中にパンが漬けてある皿を渡す。

食べ終わったら扉の脇に食器を置いておけと不愛想にコックは言うと扉をバタンと音をさせて閉じてしまった。

エレナは扉に『ベー』と舌を出してやった。

皿を見比べるバロンの残飯とエレナの食事は対して変わらない様に見える。

「フン」と鼻を一つ鳴らして扉の脇にしゃがみ込んでバロンに皿を渡す。

「こんな事なら牢屋に繋がれたかったわ」とエレナは独り言ちる。


文句を言いながらも皿の料理を食べて見ると存外に旨い。

悔しいが今年食べた中でも一番美味しいかも知れないとエレナはコックに関心した。

バロン共々綺麗に食べ終わった皿を言われた通りに扉の脇に置き。

馬屋へと戻って行った。


馬屋に戻るともうやる事も無い。さっさと寝ようと藁の中に潜り込むと藁の中に虫がうじゃうじゃと沢山這いまわって居る。

飛び出す様にエレナが藁から出ると、これでは流石のエレナでも眠れないと諦めてしまった。

バロンは平気で馬屋で眠って居る、恨めしげに見つめて何処かに休める場所は無いかとエレナは城の中を彷徨った。


暫く彷徨うと礼拝堂を見つけた。城の者も神に祈るのだろうと当たり前の事に関心した。

こじんまりとした礼拝堂は中に入ると窓から月の光が差し込み祭壇を照らしている。

祭壇の上には全裸の少女が両腕を広げて月の光の中にいた。

銀色の髪を肩の長さに切りそろえ白磁の肌を晒して月の光を浴びるその少女は確かに美しかった。

吸い寄せられる様に彼女の前にエレナは進み、口を開こうとした時に先に全裸の少女が語り掛けて来た。

「こんな所で何をしている? 」

「私が訊きたいと思って居た所です」とエレナは答えた。


【彼女の事情エレナの事情】


 「私はアニエレボ修道院で羊飼いをしているエレナと申します。理由は判りませんが兵士に捕まって城に留め置かれて居るのですが眠れずに城内を彷徨っていたら偶々、礼拝堂を見つけて中を覗いたら貴方が居たのです」とエレナは説明した。

祭壇の上からエレナを見下ろし腰に手を当てて聞いて居た少女は「そうか」と何度か頷くと「アニエレボ修道院の者だとアスティーヌ川虐殺事件の被害者か? 」と聞く

エレナは首を傾げて「アスティーヌ川って? 」と聞き返した。

「ああぁ、海老川の事だ」と少女は思い出した様にエレナに答えた。

虐殺と聞いて両親の死をエレナは思い出した。

「多分、そうです」とエレナは答えた。


少女は傍らに置いて有った服を身に着けながら自分は前領主アルベルト・グリーンボルトの娘、アレッタ・グリーンボルトだと名乗った。

前領主と言えば田舎者のエレナでも知って居る。

英雄ランディ・カーチスに寄って謀反の企てを暴かれ処刑されたと噂で聞いて居た。

確か、家族も全て処刑されたと聞いて居たが生き残りが居たのかと驚いていた。

彼女は白いシャツに皮のチョーカーを首に巻き、濃い茶色のズボンを履いて居た。

男物の様な出で立ちだったが似合っているとエレナは思った。

長椅子にアレッタは座るとエレナにも椅子を勧めた。

「さっき何をやって居たのかと聞いたな」と言い。

「月光浴だ! 」と投げ捨てる様にアレッタは言った。

エレナは日光浴なら聞いた事は有るが月光浴など初めて聞いた。

「それは体に良い物なのですか? 」とエレナが訊くと「知らん」と短く彼女は答える

変な人なのだろうとエレナは心の中で確信した。


「お前、何故両親が殺されねば成らなかったか知って居るか? 」とアレッタが訊く。

エレナは首を振り「知りません」と答えた。

少し意地悪そうな顔に成ってアレッタは「教えてやっても良いが一つ条件が有る。訊くか? 」

「もう、昔の事です。訊いても両親は戻って来ません」とエレナは項垂れた。

慌てた様にアレッタは言い募る。

「聞け馬鹿者! 」と暴言を吐き、「私の話を聞き良く覚えて置くのだ。それだけでお前の両親が何故殺されたのかを教えて遣る」と言い勝手に話し始めた。


 そもそも、ここセンス領地は五十年前にアレッタの祖父アレックス・グリーンボルトがアスタート国から切り取りモスコールへと編入した新しい領地だった。

モスコールに取っては対アスタートへの足がかりであり、アスタートに取っては脇腹に突き付けられた短剣の様な領地なのだ。

当然、アスタート国は領土奪還を目指し何度もセンス地域へと軍を進めたがアレックスはその全てを退けて来た。

だがアレッタが八歳の時に最大の危機を迎える。


当時、モスコール国は隣国クリンツィ国との戦乱の最中に在った。

国はアレッタの父アルベルト・グリーンボルトにもクリンツィ戦への参戦を要請し、アルベルトはその要請を断る事が出来なかった。

騎士団を率いて父は遥か遠くの戦地へと赴きセンス領地は手薄の状態に成ってしまった。

この機に乗じてアスタート国は一万の大群を使いセンス攻略戦を仕掛けて来たのだ。

城を預かって居た祖父アレックスはロガチョブ領主マズィル・ラフロスへ援軍を要請しマズィル卿はこれを受けた。

千の騎士団を引き連れマズィル卿はアニエレボ山まで進軍したがアスタート軍一万の知らせを受けると何と祖父を見捨てて撤退を決めたのだ。

万策尽きたかに見えたこの時、祖父アレックスは一通の手紙を書き敵アスタート軍司令官へと使者を送った。


短い手紙にはこう書かれて居た。

『センスを脅かす事なかれ、さすればセンスもまた決してアスタートに仇なす事は無し

その証として孫娘アレッタを差し出す用意あり、この言、聞こえぬならばスパ・センスを火の海に沈め民を亡き者としグリーンボルトの名の元に最後の一兵まで戦うべし』


敵総司令官は沈黙した。

センスの民はグリーンボルト家の支配地に代わっても未だにアスタートの民の意識が強かった。

アスタート軍もスパ・センスの民をモスコールの圧政から解放する事が正義と信じて戦っている。

グリーンボルトが最後の一兵まで戦うのは良いがスパ・センスの民を犠牲には出来ない。

アスタート軍は停止し波が引く様に後退していった。


見事に祖父アレックス・グリーンボルトはアスタート軍からセンスを守り抜いた。

そして敵前で撤退したマズィル卿を裏切り者として糾弾し急速にロガチョブとの中が険悪と成ったのは当然で。

更にはアスティーヌ川流域に点在していた集落を襲い民を皆殺しにした事により自領の民からの信頼まで失う事に成りマズィル・ラフロスの威信は地に落ちた。

これらの事を全てアレックスが原因だと逆恨みしていた節が有る。


兎も角、アスタート軍が引いた以上、アレッタをアスタートへ差し出さねばならない。

当時、彼女は十歳にも満たない子供だった。

その事を理由に彼女の母親は人質に出す事を反対し父も祖父もアスタートとの交渉を続けたのだった。

何度も手紙のやり取りがあり条件はコロコロと変わり最近ではアレッタはアスタートへ嫁に行き、代わりに貴族の子弟から養子をグリーンボルト家へ差し出す所まで話は変節していた。


それら無数にやり取りされた手紙の一つが盗まれた。


恐らくラフロス家の者が関与していただろうが証拠が無い。

手紙は内容を書き換えられ謀反の動かぬ証拠としてランディ・カーチスの手に渡った。

「確かに父や祖父の提案はモスコールに取っては裏切り行為に映ったかもしれないが、この取引は領地を守る為の方便だった。引いてはモスコールに取っても利益に成る事だ、断じて謀反など父は考えて居なかった」とアレッタは興奮した様に言う。

「現に今も私はアスタートでは無くモスコールの地に居るでは無いか」と目に涙を貯めながらエレナに言った。

だが証拠は動かし難い物だった。

ランディは裁判を行い父と母を処刑したのだ。

本来ならば娘のアレッタも連座して処刑されるはずだったがランディは何を思ったのかアレッタの裁判を行わなかった。

裁判保留の形でアレッタは助かったのだ。だがそれ以来アレッタは此の城で飼い殺しの様な生活をしているのだと言った。

何時、裁判が開かれるか判らない状況でビクビクと死への恐怖に耐えながらの生活などアレッタは御免だった。

やるならサッサと裁判でも何でもやってくれと思い、アレッタは奇行に走った。

夜中に奇声を発して走り回ったり部屋の中を無茶無茶に壊したり夜中に裸で月光浴をしたりと狂人の振る舞いを行った。

持て余した現城主代行ボブ・ラフロスは主家であるカーチス家へ裁判の続行を願い出た。

結果、近々カーチス家から人が来る事に成ったのだ。

アレッタに死刑宣告をする為に。

「お前には真実を覚えて置いて欲しい。私と言う人間が生きていた事を一人でも多くの人に伝えて欲しい」とアレッタはエレナを見つめた。


突然の重い話にどう答えれば良いのか判らない。

戸惑っているエレナにアレッタは約束だったなとアスティーヌ川虐殺事件の真相を明かした。

マズィル卿はアニエレボ山付近まで進軍したがセンス側絶体不利の知らせに撤退を決断する

アスタートにセンスを抜かれれば次はロガチョブだ。

マズィル卿はロガチョブでの籠城戦を想定しての撤退だった。

アニエレボ山が国境線だった頃は山を越えて遣って来るアスタート軍をロガチョブ軍は籠城して撃退してきた歴史がある。

祖先の戦術をマズィル卿は踏襲しようとした。

その第一段階が周辺から人と食料を一掃する事だった。

アスタート軍に麦一粒とて渡しては成らない。

エストレイ、タラムイ、ドーズィ、ミストの各村には避難命令が出され全ての食糧を持ってロガチョブの町へ避難する様に指示を出されていた。

しかし、マズィル卿はアスティーヌ川周辺に難民が集落を作って居た事を知らなかった。

アニエレボ撤退時に避難民の情報を得たマズィル卿は驚愕と同時に非情な決断をする。

今更、ロガチョブに難民を受け入れる余裕は無い。

ロガチョブを守る為に難民を文字通り切り捨てたのだ。


小さな畑を踏み荒らす軍馬の蹄、集落の家々を焼き次々に無抵抗な民を切り倒す兵士。

その様はそれを行った兵士に取っても殺された民に取っても、この世の地獄だった。

戦が終わり、虐殺の事実が明るみに出るとマズィル卿の行いは民に非難されたが国から然るべき裁きが成される事は無かった。


「簡単にだがこれが私が知る事件の真相だ」とアレッタは言った。

次々に明かされる事実にエレナは目が回る思いだった。

思い出される両親の事、修道院で出会った孤児達、シスターマリンの事、駆けまわる思考はエレナに思いもよらない考えを思い浮かべさせた。


「つまり、貴方の無実を証明すれば、私は両親の仇が打てるのですか? 」


エレナの思いも寄らない言葉に今度はアレッタが目を見開く。

「たしかに、手紙を偽造したのはラフロス家だろう。偽造が発覚すればラフロス家は破滅するだろうが、どうやって無実を証明する」

首を左右に振りエレナは「判りません」と答えた。

また、会って貰えますかとエレナが訊くと勿論だとアレッタは言った。


【ファーストクエスト:シルビアに逢え】


 エレナは礼拝堂を出ると馬屋へと戻って行った。

敵討ちなどしても両親は戻ってこない。だが当時のエレナに取って両親が全てだった。

両親との暮らしがエレナの世界だったのだ。

突然、世界を壊され修道院へと行った、そこには同じ様に世界を壊された子供達が大勢居た。その全てがラフロス家の責任だとは言わないが、ラフロス家には罪が有ったはずだ

シスターマリンもシスターシャロンもエレナを愛してくれたが幼いエレナが両親の愛を欲しがらなかった訳じゃない。与えられる筈だった愛を奪われた多くの子供達が居たのだ。

泣きはらした虚ろな目で佇む子供達の中にエレナは居た。

周りの子供達と同じ目をして。

誰かがそんな子供達を作ったのだ。

そこに罪が有るならば裁かれるべきだとエレナは思う。


「まずはシルビア様を探そう」とエレナは呟いた。

少なくともシルビアはエレナよりも賢いだろう、きっと何か考えてくれるに違いないと思った。


馬屋に戻ると馬番のお爺さんがもう来ていた。

お爺さんに新しい藁を出して貰って天日に干す為に地面に敷き詰める。

虫を追い出して、しっかりと乾かすのだ。

準備が終わると食べ物を貰いに食堂へとバロンを連れて行った。

食堂の裏口をノックすると恰幅の良いコックがまた出て来た。

エレナは愛想笑いを浮かべて食べ物を乞うと待って居ろと言って奥へと引っ込む

戻ってくると又、皿を二枚持って来た。

エレナに皿を渡して扉を閉じようとするのをエレナは止めた。

シルビアの事をコックに訊いたのだ。

「ああ、その女なら東側の三階の部屋に閉じ込められている。会う事は出来ないぞ」と言ってバタンと勢い良く扉を閉める。

扉に精一杯、舌を出してから脇にしゃがんで食事を取った。

『三階か、どうやってシルビア様に逢おう』とエレナは考えた


 どう云う訳かエレナは城の中に入れて貰えない。

中に入ろうとすると誰かしらに止められるのだ。

中庭や城の周りは自由に動き回れるが城の中にはどうあっても入れて貰えない。

自分の服装が悪いのだろうかと思いもするが理由がエレナには判らなかった。

仕方なく城の東側に回り込みシルビアが居そうな窓を探した。

大きな声で呼びかけようかと思ったが囚われているシルビアを思うと憚られた。

傍らのバロンに吠えさせようとエレナは考えた。

バロンなら怒られても謝れば良い。

枝を拾いバロンの前で踊る様に吠えろと指示するとバロンが吠える。

喧しく吠えるバロンの声に幾つかの窓が開き、犬を吠えさせるなと怒鳴られる

エレナはペコペコと謝った。

謝った甲斐があり、一つの窓からシルビアの姿を確かめると目で挨拶してエレナは馬屋へと戻って行った。


馬の調教用のロープが有った。馬の轡に端を結び馬場の中で馬を走らせて調教する為のロープだが三階まで届きそうだった。

次に紙を探したが見つからない。

どうにか手に入らないかと考えているとハト小屋の事を思い出した。

手紙を運ぶ不思議なハトだ。

あそこならと思いハト小屋へと行き小屋の番をしている男を探す。

男は小屋の中で糞の始末をしていた。

エレナは声を掛けると紙は無いかと尋ねた。

妙な顔をされたが、小さな紙片を男は渡してくれた。

丁寧にお礼を言ってエレナは食堂へと行く。

裏口の扉をノックすると何時ものコックが出て来て未だ時間じゃないぞと言うがエレナは炭をくれないかと頼んだ。

「どうして、そんな物が必要なんだ? 」と聞くコックに

「馬番のお爺さんに頼まれたの。馬の調教に使うんだそうです」と答えた。

ぶつぶつ文句を言いながらもコックは竈から燃えカスの炭をエレナに渡してくれた。

馬屋に戻るとエレナは小さな紙片に炭で文字を書いた。

小石を拾ってきて紙片で小石を包むと大事そうにポケットに仕舞い。

朝に広げた藁を馬屋に戻して寝床を整えるとエレナは夜を待つのだった。


夜も更けて来た頃、藁の寝床からエレナは這い出して。

城の東側、シルビアが居る窓の下へと遣って来た。

小石を拾うとシルビアが居るはずの窓を目掛けて小石を投げる。

何度か投げると窓が開いて驚いた顔のシルビアが居た。

紙で包んだ小石をシルビアに投げると紙を広げて読むように手振りで伝える。

シルビアが頷くのを確かめてからロープを窓へと投げるが後少しで届かない。

何度か試すとシルビアがカーテンを片手に掴んで身を乗り出してロープを受け取ってくれた。

紙片にはロープの端を部屋の中でしっかり結んでくれるように頼んでいる。

ロープを頼りにエレナは壁をよじ登って行ったのだった。


シルビアの部屋に忍び込んだ時にはエレナの腕は上がらず息も絶え絶えだった。

それでもエレナはシルビアに「お話しを聞いて貰えませんか」と話しかけた。

「無茶をするのね、エレナ」とあきれ顔のシルビアだったが水差しからコップに水を入れるとエレナに差し出した。

「今なら大丈夫でしょう、何が有ったの? 」とエレナを促す。

昨日、アレッタに逢いエレナが訊いた事をシルビアに伝えるとエレナはアレッタを救いたいと言った。

自分を含めて沢山の子供達の世界を壊したラフロス家の罪を裁きたいと訴える。


シルビアは難しい顔をしたがアレッタを連れて来なさいとエレナに言った。

アレッタと一緒に城で起こって居る事を含めて話し合いましょうと言う。

「期待して宜しいのですか? 」とエレナが訊くと。

「アレッタ次第でしょうね」とシルビアは応じた。

エレナは頷くと又窓から出て行き。

ロープはシルビアが窓から投げ返してくれた。


翌朝、エレナは食事が終わると真っ直ぐに礼拝堂へと向かった。

礼拝堂の前に座るとアレッタを待った。

いつ来るかなどエレナは知らない、来ないかもしれない。

それでもエレナは他に方法が思い浮かばず礼拝堂の前で待ったのだ。

エレナは待つのは得意だった。

羊飼いとして太陽が傾き自分の影がゆっくりと動くのを何年も見続けて来た。

辛抱強くエレナは待ち続けた。

夕日がエレナの影を長く伸ばしだした頃、アレッタが現れた。

「また、会ったな」とアレッタが笑った。

エレナはアレッタに走りよるとシルビアと会ってほしいと頼んだ。

アレッタはシルビアの事を知らなかったがエレナが一緒に捕まった仲間だと説明した。

「シルビア様なら何か考えが有るはずです。是非会って見てください」

アレッタは少し考えてから「判った。会いに行こう」と言った。


【セカンドクエスト: 証拠を探せ】


 夜、アレッタがエレナを城内へと迎い入れてくれた。

アレッタが先導してシルビアの部屋へと移動する。

扉は鍵が掛かって居て開かない事を確認するとアレッタは隣の部屋へと入って行く。

不審に思うエレナにアレッタが説明してくれた。

「此処は城だ廊下が火災や敵襲で使えない時は部屋を横断して移動出来る様に部屋同士を繋ぐドアが作られている」と言うと成程、部屋には隣へと通じるドアが有った。

しかし、そのドアにも鍵が掛かって居る。

アレッタは針金を曲げて鍵穴に突っ込むと簡単に鍵を外してしまった。

「子供の時から此の城は私の遊び場だったのだ、これ位は出来るさ」と悪戯っぽく笑う。

シルビアの部屋に入るとシルビアがお茶を用意してくれた。

「相変わらず驚かす登場の仕方ね」とシルビアがクスクス笑う。

「そなたがシルビアか、何やら考えがあるそうだな」とアレッタが言う。

「ええ、私がシルビア・セイムスです」と名乗る

一瞬、何かを思い浮かべるとアレッタはその場に膝を着いて頭を垂れる

驚くエレナを尻目に「失礼な物言いをしました。申し訳ありません」とアレッタは詫びる

「宜しいのですよ、もう夫は亡くなり私は家とは関係を無くしてしまいました」

「関係を? 失礼ですが側室であられますか」

「そうです、本妻様に追い出されちゃいました」とシルビアは笑った。

「どうぞお立ちに成って、エレナも椅子に座って」と二人にシルビアが椅子を勧める。

エレナはシルビアが偉い人なのかとアレッタに訊いた。

アレッタは知らなかったのかと意外に思いながらもエレナに判る様に伝えるにはどうすれば良いかと考えてからこう答えた

「民を裁くのは領主だ、領主を裁くのは領主の主家が仕事だがセイムス家を裁ける者はもはや王しか居ないと言えば、どれくらい偉いか判るか? 」と答えた

国王の次に偉いのがセイムス家なのだとエレナに教えたがエレナにはピンと来なかった。

クスクスとシルビアが笑いながら「良いのよ判らなくてもね」と言った。


「私が話す前にまずは貴方の覚悟を聞かせて頂けませんか」とシルビアがアレッタに言う。

「覚悟? 私自身の生死が掛かって居るのです当然、命懸けです」

「それでは足りません、もし企てが失敗し貴方の死が確定してもエレナを守り切る覚悟は御在りですか? 」

驚きアレッタはエレナと見た。

「随分とエレナを庇われるのですね」

「彼女には恩義がありますからね、せめてエレナの未来だけは残して上げたいの」

二人のやり取りを聞いていてエレナには訳が判らなかった。

キョロキョロとするエレナにシルビアが説明してくれた

「エレナ、貴方が貴族の揉め事に巻き込まれれば只では済まないでしょう。最悪死を賜る事に成るかもしれません。貴方の気持ちは解りますが私は貴方を無事に教会へ戻したいのです」

シルビアはアレッタに向き直ると「貴方は自身が処刑されようとエレナを守れますか? 」と真剣な眼差しを向けた。

アレッタは伏せた目を上げると毅然とした態度で「必ず、守って見せましょう」と答えた

「まずは私とエレナがどうして捕まって居るのか、からお話ししましょう」とシルビアは話し始めた。


 シルビアは夫を亡くし修道女と成るべくエスエレボ修道院を目指していた。

事情を抱え教会へは家名を伏せての行動だった。

本来、何かしらのトラブルが有っても修道院に辿り着くまでは教会はシルビアに不干渉を貫くはずだった。

だが道案内にエレナが付いて居る。

エレナがシルビアのトラブルに巻き込まれて何かしらの危害が身に迫って居ると予想されるなら教会はエレナ保護に動く。

実際、ならず者達がエレナ達を追っている風だったし期日に成ってもエレナ達はエスエレボ修道院に辿り着いて居ない。

心配したロガチョブ教会の教主カイルは領主マズィル卿へ捜索依頼を出した。


カイルの話からエレナ達がスパ・センスへ向かう可能性を考えてマズィル卿は実子であるボブ・ラフロスへ伝書バトを使って連絡を取ったのだ。

短い伝文の内容はハッキリとした事情は判らないが兎に角アニエレボを越えて来る女を保護せよとだけが伝わった。


「つまり、城では全く事情が判らないままに私とエレナを捕らえたのですよ」とシルビアがまた笑う。

捉えてから事情を聴けばよいと考えて居たのだろう。

取り敢えず捕らえ事情を聴けば、容易ならぬ事情だった。

特にシルビアが持って居た箱の中身、夥しい量の宝石の数々、それこそ城の一つや二つは建ちそうな量だった。

宝石とは一度その手に持てばもう放したく無く成る魔力を持って居る。

それはボブ・ラフロスに取っても同じで彼は宝石を自分の物にしたがっている。

「待って下さい。そんな事が出来るのですか? 貴方は側室と言えどセイムス家の縁者なのでしょ」アレッタは呆れた様にシルビアに問う。

「だから容易ならざる事情なのです」

ボブ・ラフロスは父マズィル卿に宛てて長い手紙を書き使者を先日送ったらしい。

内容は判らないが予想は付く、シルビアの身元を確認して事実調査を行う積りなのだろう

あわよくばシルビアの事は見なかったとして宝石を横取りしたいと思って居るのかも知れないとシルビアは言った。

「偉く城内の内情に詳しいのですね」とアレッタが訝る様に言う。

「ええ、私に事情を聴いた男が話してくれましたからね」

「なんと、口の軽いヤツだな誰なのですか、その事情を聴いた男は」

「ボブ・ラフロス様の片腕とも言われるサーマル・エレガス様です」

アレッタが目を見開く。信じられないと首を振ると「まさか」と呟いた。

サーマルと言えばボブの参謀格の部下だ最も身近に置く部下がそんなに口が軽いとは思えない。

続けてシルビアはもっと信じられない様な事を話し出した。

「サーマル様も宝石に魅入られたのです」


此処からが重要ですと前置きするとシルビアは一口お茶を飲んだ。

サーマルはここスパ・センスはモスコールで有ってモスコールでは無いと言う。

モスコールの領地に成って五十年以上経つのに未だにスパ・センスの民はアスタートを恋しがっている。

アスタートもセンスを諦めたはずも無く、不気味な動向を続けている。

もし、スパ・センスの民と内応してアスタート軍が攻めて来たらボブ領主ではこの地を守り通す事は出来ないだろうとサーマルは言った。

名将アレックス・グリーンボルト成ればこそ今まで守る事が出来たのだ。

ボブは自分が薄氷の上に胡坐を掻いている事にまったく気が付いて居ない。

ボブが領主ではもうスパ・センスの未来は無いだろうとサーマルは愚痴を零し

シルビアに一緒に逃げようと誘って来たらしい。

「幾ら何でも信じられない」と目を丸くしてアレッタが言った。

「ええ、勿論です。当然裏が有るのですよ」とシルビアが微笑む。

サーマルが欲しいのはシルビアでは無く宝石だ。

だから宝石の持ち主のシルビアごと持ち出そうと考えている。

そうすれば後からセイムス家がちょっかいを出して来ても宝石の持ち主のシルビアを矢面に立たせれは自分は言い逃れできると踏んだのだ。

事情が判然としない状態でもシルビアさえ居れば自らは安全に宝石を自由に出来る。

それがサーマルの考えだろうとシルビアは言った。

アレッタは苦虫を噛み潰した様な顔で「なんとも卑怯な男ですね」と感想を言った。

「小役人とはそう言う物です。自分の保身を第一に考えるのは習性と言って良いでしょうね」

そこで問題に成るのがボブの存在だ。

サーマルが宝石を持ち逃げすればボブが黙って居る筈は無い。

しかし、サーマルは不敵に笑いそれは大丈夫だと言ったらしい。

サーマルはラフロス家を破滅させかねない何かを持って居るのだと言うのだ。

それが有る限りボブは迂闊にサーマルに手を出せないのだとシルビアに語った。


「ここからは私の予想ですが、アレッタの話を聞いてラフロス家を破滅させかねない何かとはランディ・カーチス様に渡した手紙の原本だと思うのです」

アレッタは言う「その様な物はさっさと処分して居るはずでは無いのですか? 」

「本来ならそうでしょう。しかし、ボブが偽の手紙を作成させたのがサーマルならばラフロス家の口封じを恐れてサーマルが原本を隠し持って居ても不思議では無い様に思えます」


驚きにアレッタもエレナも言葉が無い。


「私はサーマルの誘いに乗って見ようと思います」とシルビアがカップを手の中で回しながら言う。

「そうすれば逃げる時にはサーマルは手元にラフロス家の弱みを一緒に持って逃げるでしょう。それを手に入れられればアレッタ、貴方の無実は証明されるし予想とは違う弱みだったとしても貴方の命を贖う事は出来るのではなくて? 」

シルビアの話にアレッタは何を思うのか口を一文字に結び何かを考える風だった。

やっと口を開いたアレッタは「上手く手に入るでしょうか」と呟いた。

「何が何でも手に入れるのです」とシルビアがアレッタを見る。

「失敗すればシルビア様も只では済まないのではないですか」とアレッタ言う

「そうですね、多分エレナに影響されたのでしょうね」とシルビアが言うと。

エレナはお茶を噴き出して慌ててテーブルを袖で拭きシルビアを見る。

アレッタもシルビアも笑い出した。

「今、一番自由に動けるのはエレナ、貴方でしょう。私とアレッタの連絡役を頼みましたよ」とシルビアが締めくくった。


翌朝、サーマル・エレガスの死体が城壁の外で見つかった。


調査の結果、酒に酔ったサーマルが誤って城壁から落ちたのだろうとされ事故死として処理される事に成った。


不可解なのはサーマルの宿舎の扉が鎖で封印され誰も中に入れない様に封鎖された事だ。


不信に思った者も少なく無かったが領主ボブ・ラフロスが事故死だと言えば遭えて逆らう事は出来なかったし封鎖の意味を詮索する事も出来なかった。

なぜなら同日、ラフロス家の主家筋であるカーチス家の役人が明日、城を訪問する事が発表され城内は慌ただしく裁判の準備を急がされたからだった。


アレッタが絶望する様にその知らせを聞いたのは昼を回ってからだった。


【リトライ・証拠を探せ】


アレッタは明日が裁判と決まると自室へ軟禁され外へ自由に出歩けなくなった。


エレナはそんなアレッタと連絡を取る術がない。


馬屋で辛気臭い顔で馬を眺めるエレナに前歯の無い馬番のお爺さんが話しかけて来た。

「どうしたい。辛気臭い顔して」

「アレッタに会いたいけど如何すれば良いか判らないのよ」

「そいつは難しいなぁフェフェフェ」とお爺さんは笑うと

「どうじゃ、一つ遣って見るかい」とエレナに笑いかけた。


 エレナを連れて城の裏口へと回ると下働きの詰め所へ案内してくれる。

エレナを外で待たせると女中頭を呼び出し何度も頭を下げながら女中頭にエレナの事を頼んでくれた。

出来ないと言う女中頭に縋る様に歯の無い馬番は最後なのだと訴える。

最後なのだからお願いだと女中頭に「頼む頼む」と何度も頭を下げた。

根負けした女中頭がエレナを中に入れてくれた。

給女の衣装を渡され着替える様に言われる。

「給金は出ないからね」とニヤリと笑う女中頭は付いておいでとエレナにワゴンを押させてアレッタの元へと案内してくれた。

お爺さんがエレナの事を頼んでくれたのは嬉しいが、どうしてあんなにも必死に頼んでくれたのか不思議に思って居ると女中頭が教えてくれた。

お爺さんが世話をしている馬達は領主一家が乗る馬なのだと言う。

アレッタの祖父も両親も勿論アレッタも馬に乗る。

その馬の世話がお爺さんの仕事なのだが、もうそれもアレッタが居なく成れば終わるだろう。

だから最後なのだ。

最後にアレッタの為に何かがしたかったのだろうと女中頭は言った。

アレッタの部屋の前には番兵が二人配置され厳重に扉は閉じられて居る。

女中頭は扉の前に行くと「アレッタ様のお茶を交換しに参りました」と告げる。

番兵は直に扉を開けてくれた。

アレッタはエレナを見ると花が咲いた様に笑いかけてくれた。

女中頭に向き直ると

「良くエレナを連れて来てくれた。礼を言うよ」と女中頭に頭を下げる。

「お礼なら馬番にお願い致します。あれがしつこく頼むものだから仕方なく連れてまいりました」

「そうだったか、そなた同様あれも長く我が家に仕えてくれた者だったな」とアレッタは瞳を閉じた。

女中頭はゆっくりとした動作でお茶を交換して行く。

時間は余り取れないだろう。

アレッタはエレナを手招くと「良く来てくれた。お蔭で約束を果たせそうだ」

「約束? 」エレナは首を傾げる。

「私がどうなろうとお前だけは必ず助けると約束しただろ」とアレッタは言うと手紙をエレナに差し出した。

「明日、裁判が始まったら、その手紙をコックへ渡せ。必ず力に成ってくれる、コックと一緒に城を抜け出して教会へ戻ると良い」

アレッタはそう言うと押し付ける様に手紙をエレナに渡すと「済まなかったな」と呟いた。


「もう諦めてしまわれるのですか」とエレナは呆れた様に答える

「まだ、私達は何もして居ないのですよ」

「今から何が出来ると言うのだ。時間が無さすぎる、私は貴族としてグリーンボルト家最後の当主として無様な真似は出来ぬ」

「今の言葉をおじい様がお聞きに成ったら、さぞお嘆きに成られるでしょう。おじい様なら最後の最後まで諦めたりは為さらないはずです」

「この状態で私に何が出来ると言うのだエレナ」エレナの讒言にアレッタは怒りだした。

「貴方にはまだ味方が居ます。馬番も女中達もコックだって、私やシルビア様も居ます。

何も出来ないと何故思われるのですか? 」

目を瞬かせてアレッタはエレナを見た。

「必ずアレッタ様をお救いします。諦めたりなさらないで下さい」とエレナは言った。

丁度、お茶の交換が終わった女中頭がエレナに声を掛けた。

女中頭は深々とアレッタにお辞儀をするとエレナを伴って部屋を出て行った。


エレナが下働きの詰め所を出る時に女中頭がエレナに言う。

「アレッタ様を助けてくれるの? 」

「必ず助けます」とエレナは答え馬屋へと戻って行った。

去って行くエレナの背中に女中頭はアレッタにしたように深々と頭を下げた。


夜を待ってエレナはシルビアの部屋へと窓から忍び込んだ。


シルビアも難しい顔をしている。

「サーマルは恐らく殺されたのでしょうね」

「なぜですか? 」とエレナはシルビアに訊いた。

サーマルは殺されない為にボブの弱みを握って居たはずだ、それなら殺される筈が無い。


「加減を誤ったのでしょう。 自分は安全だと思い、気持ちも大きくなって大胆な行動を取ってしまった。ボブの許容範囲をサーマルは越えてしまったのかも」とシルビアは答えた。

シルビアを連れて宝石ごと逃げるなどボブには許せなかったのだろう。

そして、ボブを脅迫していた証拠品はサーマルの部屋に有ると確信を持つだけの状況に成ったからボブも大胆な行動が取れたのではないだろうかとエレナに語った。

「サーマルの部屋を探せば良いのですね」と短絡的にエレナは答えるがシルビアは首を左右にする。

「部屋の扉は鎖で封鎖されているそうじゃない。 忍び込む事は出来ないと思った方が良いでしょう」

そこに在る筈だと思えても探しに行く方法が無いとシルビアは難しい顔をする。

ボブはサーマルの部屋を探したはずだ、だが探し出せなかったから部屋毎封鎖したのだろう。時間を掛けて探さねば探し出せない程、巧妙に隠された証拠をエレナが僅かな時間で探し出せるとも思えない。


ふと、シルビアの目がエレナの首筋で止まった。

「エレナ、私が上げたネックレスは今しているの? 」

ふいに訊かれて慌ててエレナは謝罪した。

「ごめんなさい。城で取り調べを受けた時に取り上げられてしまったんです」とシルビアに謝った。

「良くやったわエレナ」とシルビアは手を叩き、顔が明るく成った。


取り調べを統括していたのはサーマルだ。

取り調べ官がネックレスを着服して居なければネックレスはサーマルの手に一旦は渡る。

その時にはサーマルは宝石を全て自分の物にしようと考えていたはずだ。

わざわざ、ボブにネックレスを返すはずが無い。

大切に隠すだろう。

どこに?

当然、証拠品と一緒に!

「エレナ、バロンは貴方の匂いが付いて居るネックレスを探し出せると思う? 」

「私の匂いなら十日経ってもバロンは探します」とエレナは保証した。

シルビアは良しと頷き後はエレナとバロンをサーマルの部屋へ入れるだけだと考えた。

アレッタがこの部屋に忍び込んだ時に部屋と部屋を繋ぐ扉の鍵を開けたがアレッタが帰る時に鍵は開けたままに成っていた。

隣の部屋から紙とペンを拝借しエレナを待たせてシルビアは手紙を書いた。

「明日、裁判が始まれば城の耳目は裁判に集中するでしょう。その隙にコックに会いなさい。そしてアレッタの手紙と私の手紙を渡すのです。事情は全てこの手紙に書いてあります。後はコックの気持ちに賭けるしか有りません。もしコックが貴方を教会へ連れて行くなら、それも運命です。コックに従いなさい。良いですね」とシルビアはエレナに念を押す。

「判りました」とエレナは答えた。


【運命の日】


 翌朝、四頭建ての立派な馬車がセンスの城へと入城した。

城の前に止まった馬車からカーチス家の役人が三人降りて来るとセンス領主代行のボブ・ラフロスとその実父ロガチョブ領主マズィル・ラフロスが出迎える。

馬車から降りて来た三人は城へと入ると着替えの為に客間へと案内され裁判の最終準備が慌ただしく行われた。


アレッタは待女達にかしずかれながら騎士の正装を纏う。

白を基調とした騎士服に白のマントと儀礼剣を腰に差し凛々しい若武者の様な出で立ちだった。


城の気の早い者達は裁判の傍聴席に早くも詰め掛け謀反事件最後の裁判を見逃す物かと意気込む。


馬屋では歯の無い馬番が口を一文字に結んで馬の世話をしていた。

「お爺さん、アレッタに助かってほしい? 」とエレナは聞いた。

お爺さんは聞こえない様に馬にブラシを掛ける手を止めない。

「私は助かって欲しいわ」と傍らのバロンを撫でる。

裁判まで後、僅かだった。


「アルベルト様は馬がお好きでなぁ」とお爺さんが独り言の様に言った。

アルベルトとはアレッタの父親だ。

「良くアレッタ様を連れて馬で遠出をなされたが今の領主さまは馬がお嫌いなご様子じゃ

ハトばかりを気になされて馬には見向きもなされん」寂しげにお爺さんはそう言った。

「アレッタ様が居なく成ったら儂は城を出て町で暮らすつもりじゃが、この馬達はどうなるんじゃろうなぁ」と不安気にエレナを見詰める。

ハッキリとはラフロス家を批判出来ないのだろう。お爺さんも女中頭も此れからもスパ・センスで生きて行かなければ成らない。

エレナは今、その事に気づいた様だった。

「ごめんなさい」とエレナは言った。

気持ちを隠して領主に仕えなくては成らない彼らは辛い立場なのだろう。


それはコックも同じかも知れない。

コックはエレナをサーマルの部屋へ連れて行ってくれるだろうか?

エレナは不安に成って来た。

シルビアはコックの判断に従えと言ったしエレナはそれを承知した。

だがコックが教会へ向かうと言う事はアレッタを見捨てる事だ。

コックが見捨てたから仕方が無かったとエレナは思えるだろうか?

エレナは自分の気持ちが判らなかった。


城の鐘が鳴る。

裁判が始まった合図だった。


城の裏口に回り食堂の扉をエレナはノックした。

何時もの恰幅の良いコックが出て来たがエレナは愛想笑いをしなかった。

二通の手紙をコックに手渡すと怪訝に思いながらもコックは手紙を読んだ。

一通を読むと顔を強張らせてエレナを見詰め、更にもう一通を読むと驚きに手が震えだす。

顔には怒りや諦めの感情が現れては消えて行った。

読み終わるとコックは天を見上げ、エレナを見て又手紙を見た。

「サーマルの部屋へ連れて行ってください」とエレナは言った。

コックの目は手紙とエレナを行き来する。

「アレッタ様に賭けて見てください。私が信用出来なくてもアレッタ様を信じて見て」

お願いしますとエレナは頭を下げた。

「終わってしまいます。馬番のお爺さんも女中頭の気持ちも貴方だってもうアレッタ様に食事を作れなく成ってしまいます」とエレナは言った。

終わらしたく無いと言葉を続けるエレナに「もう言うな」とコックは遮った。

「でも」と言葉が溢れる。

「もう、何も言わなくて良い」とコックは言うとエレナを食堂の中へと招き入れる。


コックは別段、隠れる風も無く堂々とエレナとバロンを連れている。

エレナにコックは話してくれた。

コックは元はグリーンボルト家に仕える騎士だったが謀反が発覚してから城内の騎士は皆前線の砦へと追い遣られてしまった。

これでは残されたアレッタ様を守る者が居なくなると思い、彼はコックに身をやつして城に残った。

アレッタ様はその事を知って居る。

いざと成ればエレナでは無くアレッタを連れて逃げる予定だったとコックは言った。

今、コックが動けばもうアレッタを連れては逃げられないだろう。

だが、逃げるよりも戦うのが騎士の仕事だとコックは言う

「俺はアレッタ様に賭けて戦う事にする」


サーマルの部屋と思わしい扉には鎖が巻かれ鍵が有っても開けられない様に成っていた。


コックは扉を通り過ぎると壁に斧やハンマーが飾られている所からハンマーを取り上げると扉へと戻って来る。

まさかとエレナは思ったが、思った通りだった。

コックは思いっきり振りかぶるとハンマーを扉へと打ち付ける。

扉は大きくヒシャゲながらも耐えるがコックは構わずに再びハンマーを打ち付ける。

大きな音が響き渡り直ぐに兵が集まって来る。

「力づく」と目を丸くするエレナにコックはニヤリと笑い。

またハンマーを打ち付けると扉の蝶番が外れ扉は部屋の中へと倒れ込んだ。

「行け! 」とコックは言い扉を塞ぐように体を入れるとエレナを中へと押し込んだ。

「俺が敵を防いでいる間に証拠を探し出せ! 」とコックは言う。

一人で何時まで持つか判らないが時間は無い。

すでに外には兵が集まってきている、何をしていると誰何する兵の声がエレナにまで聞こえていた。

無茶苦茶だと思いながらもバロンにエレナの匂いを追わせた。


バロンは部屋の中を嗅ぎまわり、壁に掛けられた一枚の絵に吠え始めた。

これだとエレナは思い絵を外して検め様とするがバロンはまだ壁を吠える。

不信に思い壁をエレナは調べて見ると壁はレンガを積んで作られて居て、一つのレンガがガタガタと動く。

爪をレンガの端に引っ掛ける様にしてレンガを抜くと中に空洞が有った。

そこにはエレナが貰ったネックレスと封をされた手紙が一通置いて有る。

「在ったわ! 」とコックへ叫び

手紙を掴むと出口へと向かった。

すでに出口では兵とコックが揉み合う様に暴れている。

コックはエレナを見ると「うぉおおおおお」と叫んだと同時に兵士達へと突っ込みエレナに道を作った。

エレナはコックと兵士の隙間を抜けると裁判が行われている大広間へ向かって走りだしていた。


大広間の扉は誰でも傍聴出来る様にと鍵などは掛けられていない。

両手で大きく扉を開き、裁判の場へと飛び込む様にエレナは踊り込んだ。


正面が一段高く成って居て。立派な長机が置かれている。

三人の裁判官らしき男達がいて真ん中の男が手に手紙を持って読み上げている所だった。

右側には多分、マズィル・ラフロスとボブの親子。

左側にアレッタが白い騎士服を着て囲いの中に居た。

エレナは人を掻き分ける様にアレッタの元へと進みアレッタへと声を掛ける。

「アレッタ様、証拠の手紙です!」

エレナは必死の形相でアレッタへと手紙を差し出した。

驚きに目を見開きながらもアレッタは手紙を受け取ると。

気持ちを切り替える様に首を振り

「裁判長、お待ちください。新しい証拠が此処に在ります」とアレッタは叫ぶ

ざわめく広間でアレッタは裁判長へと手紙を渡そうと正面へと歩み寄る。

しかし、直ぐに両脇に控えていた兵士に囲いの中へと押し込められた。

マズィル卿は変化無かったがボブの方は明らかに動揺している風だった。

騒めく場内を静粛にと裁判官たちが木槌を打って静まらせていく。


簡単な裁判だった。

証拠の手紙にはハッキリとセンスをアスタートへ渡す旨が書かれており、既に領主が一人処刑されている。

今更、アレッタの有罪は動かない。

それを新しい証拠などと言い裁判を混乱させようとしている。

裁判官はアレッタの悪あがきだと判断した。


「それは、どの様な証拠なのですかな」と裁判長はアレッタに訊く。

「マズィル親子の不正を暴き、私達グリーンボルト家の無実を証明する物です」とアレッタは言った。

裁判長は右審と左審の裁判官と相談するとアレッタに再度聞く。

「ラフロス家を糾弾すると言われるか? 」

「そうです」とアレッタは胸を張る。

「ならば、それは此の裁判とは関係の無い証拠品と成りますな」

愕然とするアレッタに裁判長は続ける。

「ラフロス家の不正を正す裁判を行うならば新たな裁判費用として金貨一枚を今、納めて頂きたい。それが無いならその証拠を受け取る事は出来ぬ決まりです」


場内はザワザワとした人々の声とも成らない声が広がる。

アレッタは腰の儀礼剣を鞘ごと抜くと「この儀礼剣を納めます。金貨5枚は下らない品です」と言うが裁判長は「金貨で納めるのが決まりなのです」と取り合わない。

「裁判の続きを始めて宜しいですかな」とアレッタに確認した。


エレナはアレッタのマントの裾を引っ張りアレッタに耳打ちする様に顔を近づけた。

「アレッタ様はエレナとエレナの財を守ってくれる人ですか? 」と確認する様にアレッタに訊く。

今、それを言うかとアレッタの顔に血が昇るが気を納めて

「当然だ。約束は守ってやる」と投げ捨てる様に言った。

エレナはスカートの裾を引き上げると手をカボチャ型のパンツの中へと入れる。

パンツには小さな袋が縫い付けられて居て、その中から金色のコインを取り出した。

振るえる手でコインをアレッタへと差し出すと

「アレッタ様にエレナは賭けます」と言った。


エレナの震える手の上に金貨が乗って居た。

アレッタは何故エレナがこの様な大金を持って居るのか判らなかったが、その震える手と大きく開かれた目を見てエレナに取って大切な金貨なのだとだけは理解出来た。

「私に賭けると言ったな。ならば一蓮托生だ、負ければ無し勝ったら十倍にして返してやろう」言うが早いかエレナの手から金貨を取り上げ兵士に手紙と一緒に裁判長へと渡す様に頼んだ。

裁判長は憮然と金貨を手に持ち確かめると手紙の封を切った。


手紙を見た裁判長は直ぐにただ事では無いと左右両審の男達を集めて手紙を検分する。

時間が掛かると見たのだろう裁判長は休廷を宣言して奥へと引き上げてしまった。


茫然とするアレッタとエレナ。

何時の間にか二人は手を握り合っていた。

上手く行くだろうか、エレナもアレッタも手紙の内容を確認していない。

もし、何か間違いがあればアレッタは助からないだろう。

本物の手紙で有ってもアレッタをアスタートへ人質に出す等の内容ならばアレッタの立場が良く成るとは思えない。

手を握り合って法廷で座る二人の少女に話しかける者は居なかった。


裁判は三十分程で再開された。

裁判長は両の手に一通づつ手紙を持って居た。

向かって左の手を上げて「この手紙はラフロス家からお預かりした証拠の手紙です」

右の手を上げて「この手紙は先ほどアレッタ嬢からお預かりした手紙です」

「結論を言えば、二つの手紙は全く同一の手紙で有りました」

騒めく場内に静粛にと木槌が打ち鳴らされる。

「領主の印も筆跡も書かれている内容も更には花番まで全て同じ物でした」

花番とは手紙に連番を付ける様に、書いた手紙事に三本の茎を描き其処に花びらを書いて行く偽造防止の工夫だ。同じ花びらの数を持った手紙など存在しない様に成って居る。


「これはどう言う事が正直我々は迷っている。アレッタ嬢これをどの様に入手したのかこの手紙が何故存在しているのか御説明頂けますかな」

三人の裁判官達はアレッタに発言する様に促した。

アレッタにしてもまさか、偽物の手紙が二つも出て来るとは思って居ない。

説明せよと言われても咄嗟には答えられない。

「今回の件はシルビア様と言うセイムス家に連なる御婦人の御助力を得て行った事です。

シルビア様は今、この城で軟禁状態に在りますが連れて来て頂ければ私より正しく手紙の事を説明して頂けると思います」


セイムスの名に裁判長の顔が強張る。さらに『城に軟禁されているだと』

なぜセイムス家が関わるのか不明だが事は重要だった。

対応を誤ればカーチス家と言えど危うい。

厳しい視線をボブ・ラフロスに向けるとセイムス家の者を軟禁しているのかと詰問する。


ボブは本人がそう言っているだけで本当の事かは判らない。

セイムス家に手紙を送り身元を確かめている所でその間、城で御滞在願っていると言い。

決して軟禁などはしていないと言った。

「では、この場にお連れする事は問題無いと言う事ですな」と裁判長は確認した。

悔しそうにボブは頷くと近くの者にシルビアをお連れする様にと指示を出した。


シルビアが登場すると場の空気が一変する。

気高く気品に満ちたその姿は誰が見ても庶民には見えない。

何を疑ってボブが軟禁していたのか裁判長は理解出来なかった。

起立して裁判長は高い位置からの言動を詫びるとシルビアへ発言を求めた。

「道すがら、内容はお聞きいたしました」と言い

「同じ手紙が出て来たそうですが、それなら一方が偽物だと言う事でしょう。

偽物と同じ手紙ならそちらも偽物の手紙です」とシルビアは言い切る。

「二通とも偽物と御言いですか? 」と裁判長が確かめる。

「当然です。本物が二通も有る訳が有りません、二通有る、それだけで偽物なのです。

ランディ・カーチス様は騙されて偽物の手紙でアレッタの家族を裁いてしまったのです」

とシルビアは言った。


厄介な裁判に成ったと裁判長の顔が歪む。

まさか、セイムス家がこの裁判に絡んでくるとは思いもしなかった。

しかも偽物の手紙で領主をカーチス家の当主が裁いたと言っている。


裁判長は椅子に深く座り直すと「事件の経緯を改めて整理しましょう」と言う。

ランティは詳細は判らないがロガチョブに寄った際、領主マズィルの歓待を受け、その時に手紙を受け取った。

ここでマズィル卿は「それは違います」と発言の訂正を要求した。

「何が違うのですかな? 私はランティ卿、御自身の口から直接お聞きしたのですぞ」

「恐らく、勘違いなされたのでしょう」とマズィルは言った。

「勘違い? 」

「そうです。 手紙はスパ・センスの町でサーマルから渡されたと私はランティ様からお聞きしました」とマズィル卿は答えた。

「ほう。そのサーマルなる者は今どこに居られる? 」

ボブが発言を求めると「昨日、不幸な事故が有りまして城壁から落ちて帰らぬ人と成ってしまいました」と答えた。

再度、場内は騒めくが裁判長は無視した。

サーマルがどう云った経緯で手紙を手に入れたのか最早ボブやマズィルでは判らないと言う。

アレッタに手紙を何処から手に入れたのかと問えば、サーマルの部屋で発見したらしい。

全てはサーマルの画策に寄る陰謀で有ったかとマズィル卿は悔しそうに拳を握った。

全てを死んだサーマルの所為にする積りかとアレッタは憤るが手が出せなかった。


その時、エレナがそんな筈は有りませんと言う。

「控えよ女、裁判の場で発言出来るのは騎士爵以上の者だけだ」と左審の男が言った。

エレナは口籠ると意を決して。

「私はアレッタ様の騎士です!! 」と叫んでいた。

場内は一瞬静まり返り、一人がプッと笑うと釣られる様に場内は笑いに包まれた。

エレナは恥ずかしさに顔を真っ赤にしてしゃがみ込みそうに成る


「笑うな下郎ども、エレナは間違いなく私の騎士だ。私の騎士を侮辱する者はグリーンボルト家当主たる私が許さん! 」


アレッタの叫びに場内は再び静まり返った。

「間違いなく、その少女は貴方の騎士なのですか? 」と裁判長が確認する。

「そうです。エレナは私の最後の騎士です」とアレッタが答えた。

裁判長は軽く咳き込むと

「では、サー・エレナ発言を許可する」

サーとは騎士への敬称だ。敬称で貴族に名を呼ばれてエレナは忽ち舞い上がったがアレッタが落ち着けとエレナの背中を叩く。

シルビアが落ち着いて話しなさいと頷いた。


「私はランティ様を案内してアニエレボの山を越えた事が有ります」

エレナはかつてランティ他二人を伴ってアニエレボの山を越えている。

その時、エレナはエルビスと言う騎士にロガチョブの町から来たのかと問うと詮索するなと注意された。ロガチョブから来たとも来ていないとも言わずに詮索するなとはロガチョブから来た事を認めているのではないかとエレナはまず言った。


そして、彼らは非常に急いで居た事も話した。夜に来て朝まで待てないから直ぐに案内しろと彼らは言ったのだ。

手紙の内容を知って居たからこそエレナを急がせたのだろうと言う。

「ランティ様はロガチョブで手紙を手に入れていたはずです」とエレナは締めくくった。


マズィル卿は机を叩く様にして反論してくる。

「お前の様な娘がランティ様と知り合えるはずが有るか。出鱈目を言う物じゃない、そもそも確かな話など何も無いでは無いか」と激高した。

裁判長がマズィル卿を手で制して

「私はこの地へ赴く前にランディ様と話す機会を得て、色々とお聞きしてから此方に参った。その時に何故、アレッタ嬢の裁判を延期なさったのかをお聞きしたのだが…… 」


道案内をしてくれた少女を泣かせてしまった事を気に病んでいたらしい。

狼に囲まれて少女が連れていた犬を捨てろと言ってしまった。

それで少女が泣き出してしまったのだ。軽い気持ちで言ってしまった事だったが少女には重大な事柄だったのだろうなと悔やんでいた。

その少女と同じ年頃の少女に死刑宣告をするのはランティに取って気が重かったのだ。

「それでアレッタ嬢の裁判を取りやめておしまいに成られた」と裁判長は言った。

赤い髪に雀斑そばかすだらけの顔の少女、何故気が付かなかったのかと裁判長は悔やんだ。

確かに彼女こそランティを案内した少女だろう。


「だがマズィル卿のおっしゃる通り、全ては予想の話ですな。確かにマズィル卿が関与していたと言える証拠にはならん」と切り捨てる。


エレナは考えた「手紙、手紙」と呟くと

「裁判長様、インクの作り方をご存じですか? 」と聞いた。

当時のインク作りでは手の平サイズの樽に原料を配分通りに測りながら入れて半年程寝かして色を安定させてから始めて商品として出荷される。


原料を測って混ぜては居るが手作業である以上は樽事に差異があるのだとエレナは言った。

ある樽はインクが薄く、ある樽は粘度が高く書き難いなど良く聞く話だった。

手紙の配達を頻繁にしているエレナはそんな苦情を良く聞いて居た。


「ロガチョブからハトが運んできた手紙が有れば、そこに書かれているインクの匂いと偽物の手紙のインクの匂いを比べればマズィル卿が関係している事を証明出来るはずです」


マズィル卿は反対したが無実を証明出来る機会だと裁判長から諫められ断り切れなかった。

ボブは父親からの手紙を全て保管していたので謀反事件当時の手紙を手に入れる事が出来た。

アレッタは父親が使っていたインクが残って居たのでそれを使い文字を書き手紙の代わりとして裁判長に提出した。

偽の手紙とアレッタの手紙、マズィル卿の手紙が揃うと机を用意させて皆が見ている前でアレッタの手紙とマズィル卿の手紙を机に置きバロンに偽の手紙の匂いを嗅がせる。


果たしてバロンはマズィル卿の手紙に吠えた。

手紙を入れ替えて同じように行うが、やはりバロンはマズィル卿の手紙に吠える。

場内の騒めきはマズィル卿が陰謀に加担していたのかと疑いの目に変わって居た。

「犬の曲芸で貴族が裁かれて成るものか」とマズィル卿は喚きバロンの鼻など信用ならないと主張した。

騒ぎが大きくなると裁判長は再び休廷を宣言した。


裁判長は簡単な裁判から由々しき事態に変化した裁判を如何した物かと二人の裁判官と話し合う事にしたのだった。


残された三人の女達に次々に話しかける者が居る。

ある兵士は「貴方の勇気に敬意を表します」とエレナに声を掛けた。

「アレッタ様を信じております」と女中頭がいた。

シルビアに「なぜセイムス家の方が此処に居られるのですか? 」と場所を弁えずに聞く者もいた。

兵士達は人だかりと成りだした被告席から人を追い払は無ければ成らなかった。


【スパ・センスの橋】


 裁判が再開されたのはたっぷり一時間は経ってからだった。

裁判官達は席に着くと木槌を鳴らし裁判の再開を宣言する。

三人は立ち上がりアレッタへと向き直ると

「この度の事は我がカーチス家の大きな失態でした。正式にアレッタ・グリーンボルト当主へ謝罪いたします。」と深々と頭を下げたのだった。

ラフロス家の陰謀に気が付かず、まんまと企みに利用されたカーチス家をどうか許して欲しいと素直に裁判官は謝罪した。

それを聞いたマズィルは「何を言っておいでか? すべてはサーマルの企みに寄る冤罪ですぞ。ラフロス家も被害者なのです」と食って掛かる。

「マズィル殿は犬の鼻をお疑いか? 」と裁判官が言うのへ。

「犬の鼻など証拠になりません」と言い切った。

「では、我々貴族は此れから兎やキツネを狩る時に犬が使えぬ事になりますな」

言うと「犬の鼻程、確かな証拠は有りませんぞ」と裁判官は言った。

項垂れるボブ・ラフロスの横で茫然とマズィルは立ち竦んだ。


かくしてアレッタの無実が確定したのだった。


歓声を上げる傍聴席の人々、茫然とするアレッタに抱き着くエレナ、それを見守るシルビアの姿。

それらを見て裁判官達は静かに席を立った。


アレッタは部屋へと戻る途中で青あざとタンコブだらけのコックに会った。

精一杯の笑顔のコックは今夜は御馳走を用意したかったが手が腫れて鍋が振れませんと謝罪した。

「構わないよ。良くエレナを案内してくれた」とコックの腫れた手を握って礼を言った。

歯の無い馬番が涙を貯めてアレッタを見た。

アレッタは馬番に駆け寄るとまだ引退は早いぞと笑いかけた。

うんうんと泣きながら馬番はアレッタに縋った。


シルビアとエレナを連れて部屋へ戻るとアレッタはシルビアへと礼をする。

「貴方が居たから裁判が上手く行ったのでしょう。セイムスの名が無ければあの裁判官も公正な裁判を行ったか疑わしい所でした」

「私の名など無くても二人ならきっと裁判でも何でも勝てたでしょう」とシルビアは言う

アレッタは首を振ると「貴方さえ良ければ私の傍で相談役と成っては頂けませんか? 」

とアレッタはシルビアの手を取った。

困った様な顔をしたがエレナとアレッタを見比べて微笑み「私で良かったら、お願いするわ」と言った。

エレナもアレッタも歓声を挙げたのは言うまでもない。


翌朝、エレナは馬屋で歯の無い馬番のお爺さんにさよならの挨拶をした。

「なぜ、出て行くんじゃ? 」

「私にはもう此処でする事が無いわ。エスエレボ修道院に行って修道女に成るの」と寂しく笑った。

城門を出てエレナは歩いて朝日に照らされるスパ・センスの町を通り。

アニエレボの山へと続く橋へと辿り着く。


馬が駆けて来る音がした。

歯の無いお爺さんが何時もブラシを掛けていた馬だ。

白いマントを靡かせて銀髪の少女が乗って居る。


驚き見つめるエレナの前に急停止した馬から少女が声を掛けた。

「馬鹿者! なぜ出て行く」とアレッタが怒って居る。


「私にはもうアレッタ様の元で何もする事が有りません。私の様な者がお傍に居てはアレッタ様の為に成らないのです」とエレナは項垂れた。

「騎士が主を見捨てて出て行くなど有っては成らない。それにエレナお前は私に約束を守らせない積りか? 」とエレナに問う

「約束? 」

「お前は私がお前とお前の財を守るかと聞いた。そして金貨を寄越しただろうが。

私は十倍にして返すと言ったし、お前を守るとも言った。その約束を破らせる積りなのか」

エレナは何も言えなかった。

「エレナ戻ってこい」とアレッタはエレナに笑いかけた。


橋の袂でエレナは泣き崩れたのだった。


おわり


一旦、これにてエレナの冒険はお仕舞です。

機会が有れば続きを書くかもしれませんが……


それでは、さようなら

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