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羊飼いのエレナ  作者: タバスコ
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羊飼いの少女と貴婦人


 エレナはいよいよ、アニエレボ修道院を追い出される事に成った。


元々孤児だったエレナは修道院で世話に成って居たが今春十七歳に成る。


明確な基準がある訳では無いが、そろそろ独り立ちしなければ成らない。


だが、羊飼いとして働いて居たエレナに特別な職能だの技術だのが有る訳も無く、誰かと結婚するか修道女と成るかの二択しか彼女には選択肢が無かった。


気を利かせたロガチョブの修道士が昨秋、エレナに葡萄踏みの仕事を紹介してくれた。


アニエレボ山周辺にはエナ、レタ、ミスの三つの村があり主な産業として葡萄の栽培をしている。


この中のレタ村には葡萄酒工房が有り葡萄酒作りが盛んに行われていた。


葡萄酒作りの工程で『葡萄踏み』と言う工程がある。


プールの様な大きなたらいに葡萄を入れ其処に何人もの年頃の少女が入り素足で葡萄を踏む、膝までスカートを捲し上げて葡萄を踏む少女達を近隣の町や村から若者達が見物にやって来るのだ。


中には泊まり掛けで遠くロガチョブの町から来る者までいる。


一種、お祭り騒ぎの催しと成っていた。


若者達は気に入った娘は居ないかとたらいの中の娘たちを品定めして、意中の娘が居れば交際を申し込む事が許されていた。


そのたらいの中にエレナも入れて貰ったのだ。


エレナは初日から最終日の五日間、毎日恥ずかしさを堪えて盥の中の葡萄を黙々と踏んだがエレナに声を掛ける若者は居なかった。


日に焼けた赤い髪と雀斑そばかすを散らせた顔、痩せた体の少女には特別な魅力を感じなかった様だ。


 山の雪が溶けだし山野に花が咲き一年で一番美しい季節がやって来た頃、エレナが住む修道院の主、シスターシャロンに呼び出された。


「おめでとう。 エレナ貴方に修道会から入門の許可が出ましたよ」とシャロンは微笑みながらエレナに言った。


シャロンの隣にはシスターマリンも一緒だ。


マリンは実際に孤児達の面倒を見ているシスターでエレナも随分とお世話に成っている。


マリンもエレナにおめでとうと言ってくれた。


「付いてはバロンの事なんですが」とシスターシャロンが切り出す。


バロンは牧羊犬としてエレナと一緒に羊飼いの仕事をしてきた老犬だ。


すっかり歳を取りエレナと一緒に羊飼いの仕事を引退する事に成って居たがエレナがこの修道院を去った後、誰が飼うか決まって居なかった。


「貴方の修行先、エスエレボ修道院の院長様がエレナが責任を持って面倒を見るなら連れて来ても良いと言って下さいました」とシャロンが微笑みを絶やさずに言った。


エレナが喜んでお礼を言う前にシャロンは続きが有ると手で制する。


「ただし、私達のお願いを一つ叶えて頂きたいのです」とエレナを見つめた。


「どの様なお願いなのでしょう? 」と不安げにエレナが訪ねると。


シスターシャロンは落ち着いた声でエレナに説明する。


とある未亡人がみさおを立て、亡き夫を弔う為に修道女と成るべくエレナの修行先と同じエスエレボ修道院へ入門する事と成った。


数日後にはロガチョブの町に着くだろう。エレナには彼女を迎えに行ってエスエレボ修道院まで案内をして欲しいと言う願いだった。


バロンを犬質に取られたエレナに嫌は言えないがアニエレボ山からエスエレボ修道院までなら一泊で行ける距離だがロガチョブの町まで二泊三日、更にエスエレボ修道院まで二泊まる五日は掛かる行程だ。流石に即答出来ずに言い淀む。


ダメ押しをする様にシスターシャロンとマリンは声を揃えて


「勿論行ってくれるわよね! 」と微笑みのままエレナを見つめる。


エレナは、うんと頷いた。



こうしてエレナは春を迎え、羊飼いから修道女へと成るべく修行に出る事になった。



明日は旅立ちと成った夜に一緒に暮らしていた子供達が贈り物をくれると言う。


毛糸で編んだ鍋敷き、裏庭で拾った綺麗な石、春の花で編んだ髪飾り、子供達が皆で書いた手紙、恥ずかしがりながら渡す少年や涙を浮かべて手渡す少女。


一人一人にお礼を言った。


貰った物をエレナは大切に布で包みカバンへと入れる。


最後の夜,プレゼントのお礼にエレナは歌を歌った。

私の事を忘れないでねと思を込めて。



翌日、出発する時にはシスターシャロンやマリンも見送りに出てくれた。


マリンはエレナの事を心配しながら言葉を掛けてくる。


「風を引かないでね。


ちゃんと食べるのよ。


向こうでも可愛がられる様にしてね。


お返事は頷くのではなく、ちゃんと言葉に出してお返事するのよ。


貴方は声が良いのだから、皆に聞かせてあげてね。


私はね、貴方の歌が好きだったのよ。」


マリンはエレナを抱きしめてそう言った。


エレナは今までの感謝を言葉にしようと一生懸命に喋った。


「貰った物をネコババした事を許してくれて有難う御座いました。


嘘を付いても許してくれてありがとう。


良い子じゃ無かったのに文字を教えてくれて有難う。


病気の時に看病してくれて有難う。


何時も食事の支度をしてくれて有難う。


私のお母さんに成ってくれて有難う御座いました。」


言い募るエレナにもう止めてとマリンが言った。


「全部、全部当たり前の事じゃないの」とマリンは言葉と一緒に涙を零し、エレナも何時の間にか童女の様に泣いて居た。


エレナにしがみ付き一人の少年が行かないでと泣くと釣られる様に皆が涙した。


シスターシャロンがたまらず「さぁ、もうお行きなさい」とエレナを促す。


最後に深々とお辞儀をするとエレナは一路、ロガチョブの町へと旅立った。


六年間暮らした修道院、今までの暮らしにもう戻れないと思うと心の中に大きな穴が開いた様に感じて寂しさと、そして此れからの暮らしへの期待と不安。


一匹の老犬を道ずれに何度も修道院を振り返りながらもエレナはロガチョブを目指すのだった。



【傷心の未亡人】



 本来、ロガチョブへの道程はエストレイ村、タラムイ村、ドーズィ村、ミスト村と村々を巡りながら進む物だがエレナは海老川沿いを進んだ。


村では村人の家に頼めば泊まれるが幾ばくかの代金を請求される。


その為に村共有の物置小屋でエレナは何時も泊めて貰っていたが火が使えない。


お金が無いエレナは天気が良いなら村には寄らす、何時も海老川沿いを下ってロガチョブへと向かっていた。


海老川とはスパ・センスの町からロガチョブまでアニエレボ山を迂回する様に流れる川だ。


本来は尤もらしい名前が有るが土地の者は皆、海老川と呼んだ。


海老川の由来は春が来て雪解けが始まる頃、川に川海老が沸くからだ、一週間程の短い期間だが川は海老の色で桜色に変わる、子供達が手を川に突っ込み引き上げると手の中には数匹の海老が跳ねる。それを其のまま口に入れるのが子供達のおやつだった。


ザルで川を掬うとザルは海老でいっぱいに成る。婦人たちはそれを叩き棒で潰し団子にして串に刺して焼いたり、スープの中に入れて夕飯に出す。


厳しい冬を越えて春の兆しの此の海老料理はこの地方の名物だ。


すでに海老が取れる時期は過ぎたが懐かし気にエレナは川沿いを下って行った。


エレナも昔は手掴みで海老を食べた口だった。


ロガチョブに近づくにつれエスエレボ山の吹き降ろしの風に煽られる。


バロンは厳しい視線で前を行き、同じように目を細めてエレナも進んだ。




 ロガチョブ教会の教主カイルは約束の日に現れた三人に違和感を覚えていた。


聞いて居た話から想像していた人物像と今、目の前に居る御婦人とが合致しないのだ。


お付きと思わしい二人は納得出来る。


一人は老齢の紳士、もう一人は待女だろう四十近い歳で細身の体形が地味な厚手の待女服が似合っている。


未亡人だと聞いて居た婦人は服装こそ黒を基調にしたシンプルなドレスに真珠のネックレスと常識的な服装だ。


年齢は三十半ばと聞いて居たがずっと若く見える。


二十代だと言われても不信には思わないだろう、肌が抜ける様に白く栗色の髪も艶があり目元が涼やかで何より気品が有った。


美貌以上の美しさを感じさせる内面からの美を持ち合わせた女性だった。


見た目で判断しては行けないが彼女が操を立てて修道女と成る道を選んだとは思えなかったのだ。


きちんと挨拶した老齢の紳士はバルマンと名乗った。


待女はマイヤ、ご婦人がシルビアだと紹介された。


ファーストネームだけだ家名は事情あって話せないと紳士は詫びた。


訳ありは承知していたカイルはそれ以上無理に訊こうとはせず。


案内役は昼過ぎには到着するだろうと説明して、奥の客間へと三人を案内した。



カイルが予想した通り、案内役は昼過ぎに到着し三人を呼びに行った。


これが案内役だと礼拝所の通路に佇む案内役を見て三人は驚いた。


日に焼けたと思わしい赤い髪、顔は雀斑そばかすだらけで痩せ過ぎな体、野暮ったい型遅れのワンピースに肩掛けバックを一つ背負い、何処かで拾ったのか木の枝を杖替わりに持って居る。女物の服と僅かな胸の膨らみだけが案内役を女だと主張していた。


傍らの犬が彼女の騎士然とお座りしている。


「これは、羊飼いではないのか? 」とバルマンはカイルに聞いた。


「その通りです。彼女はエレナと言います、ご婦人方が今から向かうエスエレボ修道院の更に向こうアニエレボ修道院に住む、いや住んで居た羊飼いです」


バルマン達は教会の案内役なのだから教会のシスター辺りが案内役なのだろうと思って居たようだ。


カイルはエレナが今春からエスエレボ修道院でシルビア同様シスターと成る為に修行に行く事に成っている事、エレナがロガチョブとエス・エレボ間の郵便の仕事に慣れて居て道に詳しいく旅慣れている事を説明し今回の案内役に抜擢された事を説明した。


「エレナに任せて置けば何も心配ありません、安心してエスエレボ修道院を目指してください」とカイルは笑顔でバルマン達へエレナを紹介する。


待女のマイヤがツカツカと通路を進むとエレナを値踏みする様に見回すと顔を引きつらせて一歩下がり鼻をつまんで叫んだ「この子、臭いわ!! 」


「何時からお風呂に入って居ないの、犬の匂いが染みついて居るじゃない」と嫌悪の顔をエレナに向ける。


バロンがそんなマイヤを睨み歯を剥いて唸うなった。


エレナもバロン同様にマイヤを睨み「ゔ~ 」と唸うなっていた。


慌ててカイルがマイヤに言い訳する。


「エレナは先ほども言いましたが、アニエレボからこのロガチョブまで旅をして来たのです、風呂などに入る事は出来ませんよ。それにこの地方の修道院では風呂は有りません。


固く絞った布で体を拭く位です。多少匂うのも仕方ないでしょう」


その話にマイヤもシルビアも、まさかと驚いた。


「私も、もうお風呂には入れないのでしょうか? 」とシルビアが訊いた。


「入れません」ときっぱりとカイルは言い切った。


青い顔のシルビアに老齢の紳士は可愛そうにと思いながらも言わねば成らなかった。


「案内役に貴方を引き渡せば私の仕事は終わりです。


思えば短い旅だったかもしれませんな、どうぞ御達者でお暮しください」


と頭を下げる。


挨拶されればシルビアも答えねば成らない。


「バルマン様、お役目ご苦労様でした。色々と世話を焼かせましたね。帰路もどうぞお気を付けてお戻りください」と深々とお辞儀をしてみせた。


バルマンが立派な二頭立ての馬車で去るとカイルと女達三人が残った。


馬車は無いのかとマイヤが訊くのにカイルは歩いて行くのも修行だと言った。


「エスエレボ修道院での修行はもう始まっていると思って下さい」とカイルが説明する。


マイヤとシルビアは大量の荷物を持って居たが殆どを教会に預かってもらう事に成り。


それぞれがカバンを一つ肩に掛けると其れだけが二人に許された荷物だった。


シルビアは教会の修道士に郵便物が届いていないかと確認すると一つの箱を修道士は持ってきた。


綺麗な意匠を凝らした箱だった。高さと幅が十センチ長さが三十センチ程の大きさの箱を大事そうにシルビアはカバンに入れた。


エスエレボ修道院まで歩いて二日だと聞いてシルビアがまた青く成った。


歩く事が修行に成るのですか? とカイルに聞くとカイルは「長い距離を歩く間に色々な事を人は考えます。過去の事、将来の事、そして自分に足らなかった事など色々です。


そして、貴方は気付き、学ぶ事でしょう。謙虚さと言う事を、それはきっと貴方の此れからを助けてくれる知識ですよ」と言った。


エレナは隣でこのやり取りを聞いて居た。


エレナは何度も長い距離を歩いて居るが謙虚などと言う物を学んだ事など無かった。


だが、カイルに文句を言う筋合いでも無いかと黙って聞いて居た。


それより問題はマイヤだ。


彼女はまるでエレナを自分の下女のだと思って居るのか一々命令口調でエレナに指示を出す。


馬車から降ろした荷物を教会へ運ぶのもエレナが遣った。


その扱いにエレナは内心、怒って居たのだ。


面と向かって文句こそ言わなかったが、必ず懲らしめて遣ろうと心に誓っていた。


準備が整いエレナ達は最初の村、ミスト村を目指した。



【追跡者】



 エレナ達が旅立った日、そろそろ日が沈もうかと言う時間、五騎の騎馬がロガチョブの町へと駆け込んできた。


先頭を行くのは三十半程の紳士然とした優男で他の四人は一目で堅気とは思えない荒くれ者達だった。


彼らは町で宿を取ると酒場に繰り出した。


酒場の片隅のテーブルに彼らは座ると酒と食事の注文を出しひそひそと話し始めた。


「明日からの予定を話す、良く聞いてくれ」と優男が言った。


彼がリーダーなのだろう四人は神妙に頷いた。


「バルマン卿はもうシルビアから離れているはずだ、安心して良い。


明日は俺がロガチョブの教会へ行って荷物の確認をしてくる。


教会に荷物が有れば受け取って終わりだが、シルビアが荷物を持って居るなら奪わねば成らない。たぶん途中の村には泊まれないだろうから野営の準備を皆にはしておいて欲しい」


皆は頷くが一人、頬に傷が有る男が軽く手を上げる。


優男は視線で促すと男が口を開いた。


「荷物を奪った後はそのシルビアって女はどうするんで? 」


「口は封じねば成らんな」と優男が言った。


「美人なんでしょ、そのシルビアって」欲望が顔に出ている。


「変な考えは捨てろ。余計な事はするな」と優男は厳しく男を睨んだ。


つまらなそうに傷の有る男は肩を竦めた。


酒と食事が届くともう話も終わったと言う様に食事に専念した。



 シルビア達を送り出した翌日にカイルに面会を求める紳士が居ると報告が来た。


その紳士は朝から教会に寄付をしたいと申し込み、ついでに教主にお会いしたいと言っていると言うのだ。


訝し気にカイルはその報告を聞いた。


取り敢えず会って見ようと思い客間へと紳士を案内させた。


紳士はロベルトと名乗った。


シルビアの嫁ぎ先の騎士で主からシルビアが盗んだ箱を取り戻す様に密かに命じられて来たとロベルトは言った。


箱を見なかったかとカイルに訊く。


カイルはシルビアが箱を大事そうにカバンへ入れるのを見たと言った。


ロベルトは残念そうにそうですかと答えるとカイルに礼を言って教会から出て行った。


ロベルトの言う事はどうにも回りくどく胡散臭かったが嘘とも決めつけられない。


カイルはこれで良かったのだろうかと思いながらも今更どうにも成らないと思い神へ祈った。



 ロベルトはシルビアを馬鹿な女だと思った。


教会に預けて置けば殺されずに済んだのに。


一つ首を振り仲間達と馬を駆ってミスト村を目指した。


ロベルトは村へは入らず、仲間の一人を偵察に出しシルビア達の足取りを聞きに行かせた。


シルビア達はミスト村には泊まらずにそのまま通過した様だった。


ロベルトは意外な気持ちでこの報告を聞いて居た。


思ったより早い。昨日はミスト村で一泊するだろうと読んでいたが通過するとは意外だった。


ならばと地図を広げると次はドーズィ村だと馬を走らせる。


しかし、ドーズィ村にシルビア達が来た形跡が無かった。


ここでロベルトは迷いだした。


あり得ない、エスエレボ修道院への道はミスト村、ドーズィ村、タラムイ村、エストレイ村と巡る道しか無いはずだ。それなのにミスト村から先の足取りが途絶えるなど考えられなかった。


一旦、エスエレボ修道院にシルビア達が駆け込めばもうロベルト達は手が出せない。


何としてでも修道院に逃げ込む前にシルビア達を捕らえねば成らなかった。


ロベルトは必ずエスエレボ修道院にシルビア達は遣って来る。


一気にエスエレボ修道院まで行ってシルビア達を待ち伏せしようと考えた。


傷の男を始めとしてならず者達は雲行きの怪しく成りだしたロベルトを疑いの目を向け始めた。


ロベルトの考えは判るがそれではチャンスは一度きりに成る。失敗すれば其れまでだ。


箱が手に入らなければ彼らへの報酬もどうなるか判らない。


傷の男が周辺を探してみてはどうかとロベルトに言うがロベルトは地図を地面に投げる様に広げると「どこを、どう探せと言うのだ! 」と傷の男を見た。


地図は殆どが空白だった。山が有り川が書かれていて村の位置が大体判るだけの物だった。


当時、地図は重要な軍事機密だ。精巧な地図など手に入らない。


彼らは仕方なくエスエレボ村へと急いで向かった。



【シルビアと言う女】



 エレナ達がミスト村に着くとエレナはマイヤにお金をくれと手を出した。


シルビアはお金を案内役のエレナでは無く待女のマイヤに渡していた。


嫌々だったがお金が無くては村では何も出来ない。


マイヤは何に使う積りだと聞きエレナは食べ物を調達するのだと言った。


此処で泊まるのでは無いのかとマイヤが言うがもっと先へと進まねば成らないとエレナは言う。


仕方なくマイヤは小銭をエレナに渡した。


エレナは家々を回って食べ物を分けて貰い、ほくそ笑んだ。


上手く行きそうだと思ったのだ。


マイヤのエレナに対する態度は最悪だった。


あからさまにエレナの事を田舎者と馬鹿にするのだ。


エレナはマイヤやシルビアに野宿をさせる積りだった。


村に泊まれば村人達があれやこれやと世話を焼いてくれるだろうが野宿と成れば誰も世話など焼いてくれない。すべてエレナに頼らなくては成らないだろう。


そうなればマイヤもエレナの事を見直すに違いないと思ったのだ。


マイヤがエレナにペコペコしながらお世辞の一つも言って来る事を夢想すると笑いが込み上げてくる。


エレナはミスト村を出るとドーズィ村への道をそれ、海老川へと道を取った。


暫く進むと昨日エレナが野宿した木が見えて来た。


何度も焚火をしたのだろう石を積みかまどが作られていた。


そこに枝を並べてマッチで火を点けるとマイヤがまさか野宿する積りかとエレナに聞いて来た。


勿論、その積りだと答えると馬鹿かと罵られた。


ここで野宿する位なら、さっきのミスト村でどうして宿を取らないとヒステリックにマイヤが言うがエレナは聞こえない振りをした。


さっさと川で水を汲み小さな鍋に湯を沸かす。


嫌なら戻れば良いとマイヤに言ってやった。


フルフルと怒りで震えるマイヤにシルビアが「落ち着いなさい」と声を掛ける。


「村にはお風呂が無いのでしょう」とシルビアがエレナに聞いた。


「御座いません」と不思議そうにエレナは答えた。


何を言って居るんだ、この人はと疑問に思ったが直ぐに答えが出た。


彼女は服を脱ぎだし春まだ浅い海老川へと入って行った。


水はまだ冷たいだろうに彼女は川で体を洗いだしたのだ。


周りに人は居ないが遮る物も無い川辺で臆する事なく裸に成れる彼女にエレナは驚いた。


エレナはシルビアを美しい人だと思って居たが裸に成ったシルビアはもっと美しかった。


どこまでも白い肌は乳房に青い血管をはっきりと浮き出させ、髪を洗う彼女の裸体はエレナには無い曲線を描いた。初めて間近で見る成熟した女性の体を見てエレナは少なからず衝撃を受けた。


それが何かはまだエレナには判らないが、エレナはシルビアから目が離せなかった。


流石に冷たかったのだろう直ぐに川から上がり焚火で体を温めつつシルビアは着替えた。


「私はここで野宿で良いわ」とシルビアが言った。


マイヤは戻る事無くシルビアの言に従った。


マイヤとシルビアが眠った後、エレナは子供達から貰った花の髪飾りを取り出した。


もう萎れてしまっていたが、飽きずに眺めるとそっと自分の髪に刺して見た。


その時、寝返りを打ったシルビアに驚き慌てて髪飾りを外す。


そんな自分に微笑みエレナは大事そうに髪飾りをカバンに仕舞った。



 翌日、マイヤがシルビアにしつこく村で泊まるべきだと力説する。


仕方なくシルビアもエレナに村で休む様に頼んだ。


エレナはシルビアがそう言うならと承知した。


少し遠回りになるがエレナはタラムイ村へと向かうのだった。


タラムイ村に着くとマイヤが村人に宿を頼んだ。


マイヤはシルビアと自分の分の宿を頼んだがエレナの分は頼まなかった。


シルビアがマイヤに言ってくれたがエレナは断った。


マイヤへの意地がある。村の物置にバロンと一緒に泊まる事にした。


夜は寒いがバロンと一緒なら大丈夫だろう。


翌朝、出発しようとしたらシルビアから話が有ると言われる。



 昨日、宿を頼んだ村人からシルビア達を探す一団が居ると聞かされたらしい。


ならず者の様に柄の悪い奴らだったと村人は言う。


シルビアは恐らく自分を連れ戻そうとする一団では無いかと思うと言った。


未亡人を連れ戻して如何する積りかエレナには判らないが、修道女に成ろうとする女を連れ戻そうとする事は良く有る事だった。


エレナを育ててくれたシスターマリンは昔、夫の暴力に耐えられずにエスエレボ修道院の門を叩いた、夫は親戚の男衆を頼んで、しつこくマリンを連れ戻そうと修道院に掛け合ったが修道院はマリンを守り通した。以後、マリンはシスターと成り教会への信頼は今も揺るがない。


エレナはシルビアの言う事を信じた。


だが、どうすれば良いのか。進めば必ず、ならず者達と出会う。


エレナは一旦、ロガチョブの教会に戻ろうとシルビアに言ったがシルビアが首を振らない


するとシルビアは一つの箱を取り出した。


複雑な意匠を凝らした上等な箱だ。


箱の鍵を外すとその中から青い石が嵌ったネックレスを取り出しエレナに上げると言った。


キラキラと輝く青い石をエレナは初めて見たが、これが宝石だろうと思った。


マイヤは止めるがシルビアは良いのよと言う。


ただし、と続けてシルビアをスパ・センスの町まで無事に連れて行く事が条件だと言う。


「どうしますか? エレナ」とどこか挑むようにシルビアが問いかけて来た。


エレナは黙って頷いた。


エレナは貰ったネックレスを直ぐに自分の首に掛け、ネックレスを服の下に見えない様に隠した。


シルビアは何も言わずマイヤは複雑な表情をしていた。



エレナは村で食糧を調達すると再び海老川へと道を取った。



【アニエレボ山、再び】



 ロベルトはエストレイ村に留まってはシルビアにばれるかもしれないと思い村には入らなかった。恐らくシルビアは追手の可能性を考えて行方を眩ませたのだろう。


だが、どうせ彼女に、この国で行く当てなどエスエレボ修道院以外に無いとロベルトは思って居る。


待って居れば必ずシルビアが遣って来るはずなのだ。


エストレイ村には仲間を偵察に頻繁にやっているがシルビアの姿は確認できなかった。


ロベルトはイライラしながら待って居たが、もっとイライラしている男が居た。


傷の男だ。彼はシルビアが修道院以外の所を目指している可能性を考えていた。


それならば現状を納得できる。


こんな所で何時まで待っていてもシルビアは来ないだろう。


それなのにロベルトは動こうとしない。


仕事に失敗すれば報酬は貰えなく成る可能性が高い。


傷の男は仲間にエストレイ村の向こうタラムイ村まで偵察に行くようにロベルトには内緒で仲間に指示を出した。


結果はビンゴ、シルビアの足取りを掴めたのだった。


今度は仲間も宿を提供した村人に金を握らせ根掘り葉掘りと聞きだしていた。


仲間の報告では女が二人で泊まったと言う。ロベルトは修道会から道案内が付けられているはずだと言ったが村人は見て居ないらしい。


村人の家だ、狭い家に二人の客人を泊めた村人は家族と重なる様に眠ったが、どうしても寝付けない。夜中に起きだして見るとボソボソと声が聞こえる。


訊くとは無く聞いて居た話の内容は、このまま修道院へ行くのは危険だ。計画とは違うが国境の町スパ・センスへ向かおうと話していたらしい。


ロベルトが焦ったのは無理ないだろう、完全に裏を掻かれていた。


「国境の町だと、他国へ逃げる積りか! 」とロベルトが叫ぶ。


「なんとも、思い切った事を考える女だ」と傷の男も呆れる。


女達が泊ったのは昨日の事らしい。エスエレボ修道院を目指しているならもう来て居なくては成らない。ならば彼女達の向かう先はスパ・センスの町と決まった。


ロベルト達は急いでアニエレボ山へと街道を駆けて行った。



エレナは海老川を遡る様にアニエレボ山へと向かっていた。


最初、アニエレボ修道院に助けを求めようかと思ったが修道院には女と子供しかいない。シスター達に迷惑を掛ける事は出来ない。


直接、アニエレボ山を越えてスパ・センスの町を目指す事にした。


臆病なエレナは仕切りに追手を気にしたが幸い追って来る気配は無かった。


シルビアはもう追手にエスエレボ修道院を目指して居ない事はバレているだろうと考えていた。


本来なら今日には修道院に着かなければならない。


それが到着して居ないなら何処に行ったのか? と言う事だ。


順当に考えればロガチョブに戻って居るだが、追手がシルビアの立場を理解して居る者ならそれは無いと考えるに違いなかった。


追手が誰なのかは判らないが、せめて分散してくれれば有難いのだが……


街道を大きく外れた道は地元の者達だけが知る道だった。


容易く追手に見つかるとは思って居ないが行先に当たりを付けて先回りされると厄介だと考えていた。


先を急ぐエレナにマイヤは文句を言うがシルビアはエレナに気にせずに進む様にと言った。


気は焦ったが一泊を挟んだ。


その夜、シルビアはエレナに相手は馬かもしれないが先回りされないだろうかと尋ねた。


馬の速さが判らないエレナは答えられなかったが先回りされて居ると考えて避けて行く事は出来ると答えた。


「出来るの? 」と疑わし気にシルビアが訊く。


「馬は道を走るはずです。なら道に出ないで山を越えれば出会わずに済むのではないでしょうか」


エレナは羊飼いとして山の隅々まで知っている。今はどこに美味しい草が生えているかを知って居ないと羊飼いは務まらない。美味しい草は道になどに生えてはいないし羊を連れて行く場所は草原の只中で馬はやってこない場所だった。


シルビアは見つからない様にお願いと言い、エレナは頷いた。


翌日はエレナはゆっくりと進んだ。


シルビアが訝しむとエレナが説明する、


「麓でもう一泊します。そうしないと夜に山を越える事に成ります。明日の朝に出発すれば夜にはスパ・センスの町に着くでしょう」


山を越える前に成るべく体力を回復して置かなければ成らないとエレナは言う。


アニエレボの山は決して標高の高い山では無いが裾野が広い山だ。


延々と登り延々と下る。そんな山なのだとエレナは言った。


特にスパ・センス側の斜面は崖が多く真っ直ぐには降りられないとも付け加えた。


体力を回復し一気に山を越え無ければ成らない、何故ならその森にはロボが居るからだ。


「ロボ? 」とシルビアが訊く


「狼です! 土地の者は賢狼ロボと呼んでいます」とエレナは答えた。


スパ・センス側の森には狼の一団が住んで居る。


その群れのボスがロボだ、どの様な罠にも掛からず猟師を躱し、逆に猟師を襲う。


森はロボのルールに支配された土地でルールを破ると狼に襲われるのだとエレナは言った。


マイヤは大丈夫なのと不安気に訊く。


「ルールを守れば安全です。私は何度も森を行き来してるけど襲われたのは一度きりです」と答えた。


マイヤとシルビアの顔が青く成ったがエレナは気にしなかった。



 その日はアニエレボ山麓の村、エナ村にエレナ達一行は泊まった。


最初にエレナが様子を見に行き誰も怪しい者は来ていない事を確かめてから宿を頼んだ。


その夜はシルビアはエレナも呼んで山を越える対策を話し合った。


「追手の動きは判らないけど時間的に考えて追手が先回りしている可能性は高いと思うわ」とシルビアが切り出した。


「先回りしているとして、どこで待ち伏せしているかですね」とマイヤ


「道を通って移動してるなら、山頂ではないでしょうか」とエレナが言う。


馬で行ける道が山頂まで続いて居る。


山頂は岩や石でゴロゴロとした荒場だ。ロガチョブ側の斜面は見通しの良い草原地帯に成っている山頂から見張れば山を登る者を発見するのは容易いだろう。


「夜に登った方が良いのではなくて」とシルビアが提案する。


エレナは難しい顔をした。


「ロボに一度襲われたのは夜に山を越えようとした時です。その時は強い騎士様と一緒でしたから助かりましたが夜に山を越えるのは危険です」


エレナの話にシルビアとマイヤが黙り込む。


話し合いの結果、朝、エレナに山頂の様子を見に行って貰い安全そうなら其のまま出発し待ち伏せされて居るなら夜に山を越える事に決まった。


エレナは反対したが行かないのならネックレスを返して貰うと言われると黙り込んだ。


夜が明けるとエレナはアニエレボ山をこっそり登って行った。


山頂を見上げると人影は見えなかったが薄い白煙が昇って居る。


誰かが居るのだろう、其のまま山を下りレタ村へとエレナは向かう


山頂への道はレタ村から続いて居る。きっとレタ村の人々は彼らの事を知って居るだろう。


レタ村で情報を仕入れエナ村に戻る時にはもう夕刻だった。


「無事だったのね、良かったわ心配していたのよ」とシルビアがエレナを出迎えてくれた。


エナ村によそ者が来てシルビア達を探しに来ていた、村人がシルビア達を匿ってくれて助かったそうだ。


エレナはレタ村で仕入れた情報をシルビアに伝えた。


ならず者の数は五人、全員が馬に乗って居いて一人だけ優男が居たそうだ。


周りの者はその優男をロベルトと呼んでいたと伝えるとシルビアとマイヤが絶句する。


様子の変な二人に「知って居るの」とエレナが訊くと。


「前の私の夫よ」とシルビアが答えた。


「もっとも結婚式を挙げただけで夫婦らしい生活は何も無かったのだけど」と何故かシルビアは怒りの感情を顔に出していた。


どういう事とエレナが訊こうとするとマイヤに止められた。


マイヤは「このまま此処に隠れてロベルト様をやり過ごすのどうでしょうか」とシルビアに提案した。


エレナも名案だと癪だがマイヤに賛成する。


シルビアは爪を噛んで考えると首を振った。


「それは出来ないわ」と断言する。


「ロベルトはセイムスの犬よ、寄越せと言われれば妻でも渡す忠犬だわ。簡単に諦めるとは思えない」とシルビアは言った。


マイヤは目を伏せエレナは驚きに目を見張る。


シルビアはどうやら複雑な事情を抱えている様だった。


エレナ達は予定通りに夜のアニエレボ山を越える事に成てしまった。



【裏切りの森】



 エレナ達はゆっくりとアニエレボ山を登って行く。


草いきれが鼻孔をくすぐる、昼間に登ればさぞ美しい景色だろうと思わせたが今は星の明かりに照らされて暗く広がる海の様だった。風に靡く草原が波の様に見えた。


空には銀河が判る程に星で溢れている。


その星明りに山頂の形が暗く区切られて見えた。


此方から見えると言う事は向こうからも見えると言う事だ。


見つからない様にゆっくりと登って行く。


山頂には行けない、途中で山を迂回して森へと出る予定だ。


エレナは見つからない様にバロンに吠えるなと指示を出し最短で森へと入れる様にと登って行った。


森の中に入り込めさえすれば、まず見つからないだろうとエレナは考えていた。



八合目辺りまで登り草地と岩場との境辺りをエレナは迂回し始めると山頂で動きが有った。


数人の人影が岩場を駆け下りて来るのが見えた。


エレナは二人に声を掛けると走り出した。


山頂からは別の男達がエレナ達の先回りをしようと森へと向かってる。


エレナが振り返ると二人は何とか付いて来ている。


「頑張って走って! 」とエレナは励ました。


此方は走りやすい草地だが男達は崩れやすい岩場を飛び越える様に進まねば成らない。


走る距離は此方が長いがきっと森に辿り着けるとエレナは思って居た。


もう少しで森だと言う所で一人の男がエレナの前に走り込んで来た。


頬に傷の有る男だった。恐らく一人だけ山頂では無く森の前で待機して居たのだろう。


味方の声を頼りに男はエレナ達の前に走り込んで来た。


両手を広げ歯を剥いて獰猛に笑う男にエレナの足が竦む。


「止まれ、命まで取ろうとは思ってねぇよ! 」と男は言った。


その男の足にバロンが噛みついた。


悲鳴を上げる男をマイヤが付き飛ばすと三人は一目散に森へと駆け込む。


ゼイゼイと息を荒げて止まったのは山頂が見えなく成ってからだった。


バロンが付いて来ているのにエレナは安心した。


二人も何とか付いて来ていた。


「マイヤ良くやったわ、勇敢なのね」とシルビアがマイヤを褒めた。


「夢中でしたわ」とゼイゼイと息をしながらマイヤが言った。


「まだ安心出来ません、早く降りましょう」とエレナは下り始めた。


森は大小の崖が点在している、バロンに先導させてエレナは山を縫う様に崖を迂回して降りて行った。


狼達の遠声が聞こえて来る。森がざわつき始めていた。


背丈ほどの藪をエレナは見つけ、そこを背中から藪漕ぎしながら進み藪の中に座り込んだ。


二人にも座る様に促した。


「どうしたの」とマイヤが言う。


「このまま、進むのは危険です。今夜は此処で夜を明かしましょう。


ここなら追手にも見つかりません」と説明した。


本当に大丈夫なのかとマイヤが心配するが進む方が遥かに危険だとエレナは主張した。


結局、シルビアが休みましょうと言いそれで決まった。



エレナは森のザワツキを聞き取ろうと耳を澄ましていた。


「狼が心配なの」とシルビアがエレナに訊いて来た。


エレナは頷き「そうです」と答えた。


山の裾野に散って居た狼が山頂の異変に気付いて登ってきているとエレナは言った。


出会えばどうなるか判らない。今は動かない事が一番良いとエレナは説明する。



「そうなの」とマイヤが言うと立ち上がった。


不信に思いエレナとシルビアがマイヤを見上げる。


マイヤの手には短剣が握られていた。


その短剣をシルビアの喉へと押し当てる。


「何をするの悪い冗談は止めて」とシルビアが言うが「冗談で有りませんわ」とマイヤが鼻で笑った。


「シルビア様、箱を出してくださいます? 」とマイヤは言った。


仕方なくシルビアはカバンから箱を取り出す。


奪う様に箱を取り上げたマイヤはエレナにもネックレスを渡せと言った。


「お前の垢だらけの首には勿体ないのよ。そのネックレスはね」と笑った。


振るえる手でエレナはネックレスを外すとマイヤへと投げた。


マイヤはそれをスカートのポケットに仕舞うと「追っても無駄よ。私には短剣があるのですからね」と言った。


「追手に捕まるわ」とシルビアが言う


「追手はもう私達を通り越して山を降りているわよ」と小馬鹿にするように言う


「狼と追手が鉢合わせしている内に山頂を越えれば私の勝よ」とマイヤが笑った。


「シルビア様、貴方が悪いのよ」とマイヤは言う


「私が? 」意外な事を聞かされたとシルビアが驚いた。


「私はシルビア様がロベルト様の所に嫁がれた時もお供しました。大旦那様の所へ行かれた時も付いて行きました。そして修道院に行くと成っても付いて来ました。それなのに昨日今日知り合った羊飼いにネックレスを渡して私には金貨一枚くれなかったじゃないですか」吐き出す様にマイヤは言った。長年の忠節をシルビアは踏み躙ったのだとマイヤは訴えた。


「旅が終わったら貴方にも上げるわ」とシルビアが言う


「ええ、頂きますとも。全部ね」と言うとまた笑った。


「私は他国などに行きたく無かったのよ、この国には父も母も居るのですからね、行くならお一人で勝手に行って下さいな」と言うと箱を持って藪の中に消えて行く。


マイヤが消えた方向を茫然とエレナは見ていた。


前にエレナは言われた事が有る。

自分で守れない財は隠さなくては成らないと、シルビア様は使ってしまったから災厄に逢われたのだとエレナは思った。


しかも、こんなにも早く。


気付けばエレナは股間に手を当てていた。


「エレナ、マイヤが言う様にロベルト達はもう私達を追い越していると思う? 」


慌てて股間から手をどけてエレナはシルビアに答えた。


「まだだと思います。マイヤは誤解しているのでしょう」


山を蛇行する様にエレナ達は降りて来た。それは決して意地悪や道に迷ってでは無い。


山には崖が点在し真っ直ぐには降りられないからだ、バロンが居たからこそ迷わずに降りてこられた。


何も知らない、よそ者が夜の山を下る事など叶わない。


ロベルト達はまたエレナ達より上に居る筈だと答えた。


シルビアは爪を噛み暫く考えていたようだった。


何かを決意した様に頷くとエレナに命じた。


「マイヤを追うわよ。どの道あの箱が無くては私は何処にも行けはしないのだから」


「でも、マイヤは短剣を持ってます。それに、ならず者も居るのですよ」


「ロベルトがマイヤを発見する前にマイヤを捕まえるのよ」と言うと藪から出て行こうとする。慌ててエレナがシルビアのスカートを掴むとバロンに追わせましょうと言った。



【約束の森】



 マイヤは真っ直ぐに山頂を目指して登っていた。


首から掛けたカバンを撫でて笑いを堪える、箱はカバンの中にしまってある。


箱の中の宝石が有ればマイヤの人生は大きく変えられる。


今夜を乗り越えればそれで良いとマイヤは思った。


それですべての願いが叶う。


シルビアは可哀そうだが、それはロベルトと結婚した時から可哀そうな女だった。


今更、何も変わらないとマイヤは笑った。


暫く進むと崖に突き当たった。


それ程、高い崖では無い、乗り越えられないかと飛びつくが後少しで手が届かない。


何度か試し、諦めて迂回しようとした所に男達と出会った。


どうしてこんな所に男達が居るのかマイヤには理解出来なかった。


男達は忽ちマイヤを取り囲んでしまう。


男達の中にロベルトが居た。


「お前、シルビアと一緒に居た待女だったな、名は何と言ったか? 」とロベルトが前に出て言った。


「マイヤで御座います。お久しゅう御座いますロベルト様」


「そうであった。こんな所で何をやっている」


「逸れてしまったのですシルビア様と」とマイヤは言った。


「逸れた? 」疑い深くロベルトが訊く


「ええ、そうです。シルビア様の所へ戻ろうとしていた所でした。お見逃し下さるならシルビア様の居る所をお教えしますわ」


「そなた、今崖を登ろうとしていたな。上にシルビアが居るのか? 」


マイヤの言葉が詰まる。


シルビアは下だ。


「登ろうとして居たのでは無く下って居たのです」とマイヤは笑って見せた。


「シルビア様はもっと下にいます」と指を指す


マイヤの胸から剣先が生えていた。


自分の胸から生えた剣先を信じられないと言うようにマイヤは見て倒れていった。


マイヤの後ろには傷の男が立って居た。


「余計な真似だったかい? 」と問う傷の男へ「いや」と短くロベルトが答えた。


「どの道、始末せねばならん」


マイヤのカバンを改めると箱が出て来た。鍵が掛かって居て直ぐには開けれそうに無い。


ロベルトはシルビアを追うか迷ったがまずは箱の回収が最優先だと納得し引き上げると号令を出した。


傷の男はやっと終わったかとホッとした。


頼りない雇い主にイライラしたが、これで報酬の心配も無く成ったと仲間と喜び合った。


山頂には馬が繋いである、そこに戻ろうと成り山頂への道を探した。


忌々しい山だった。そこいら中に崖が有りおいそれと登るも下るも出来ない様に成っている。


昔は国境だったと言うが之なら軍は越えられないだろうと思えた。


ロベルトが立ち止まる。どうしたと思い見ると金色の目が光って居る。


目の前に狼が居た。



 バロンを先頭にエレナとシルビアはマイヤの後を追った。


山の騒めきは狼達の声にハッキリと変わっていた。


木霊する狼の声は上から聞こえるのか下から聞こえるのか判らない。


山全体から聞こえる様だった。


ビクビクしながらエレナは進みマイヤの死体を発見した。


胸から血を流しマイヤは死んで居た。


カバンの中身がばら撒かれ散乱していたが箱は無かった。


男達と出会ったのだろう。


シルビアは絶望した様に立ち竦んでいた。


エレナは躊躇う様にマイヤのスカートのポケットを漁った。


するとエレナが貰ったネックレスが指に当たる。


そっとシルビアを盗み見てからシルビアと視線を合わせない様にネックレスを自分の首に掛けて服の下に隠した。


シルビアを見ると目が合った。シルビアが何も言わなかった事にエレナはホッとした。


返せと言われたらどうしようと思って居たのだ。



「箱はロベルトが持って行ったのでしょう。エレナ、箱を取り戻す方法が有ると思う? 」と独り言を呟く様にエレナに問う


「運が良ければ戻って来ます」とエレナは答えた。


期待して居なかった答えにシルビアは呆気に取られる。


「どうするの! 」とエレナの肩を捕まえた。


「兎に角、森から出ましょう。ここは危険すぎます」



 登ったり下ったりは大変だが、山を回り込むのはそれらに比べれば簡単だった。


慎重に進みエレナ達は草原地帯へと脱出する事が出来たのだった。


森が見えなく成ってからやっとエレナは立ち止まり草の上に座り込んだ。


シルビアもそれに倣って座るとエレナに箱を取り戻す方法を聞いた。



 エレナは狼と森の話を始めた。


昔、この草原は森だった。此処だけじゃなくエスエレボの山もタラムイの山も緑豊かな森だった。そこに人が現れロガチョブの町や村々を作り始めた。


木を切り倒し海老川で運び町を作り森を壊した。


森で住んで居た狼達は次第に住処を追われてアニエレボの山へと遣って来たのだ。


そのアニエレボの山も半分まで壊された、アニエレボの先はスパ・センスだ、これ以上先へは進めない。


ロボ達は人を憎んでいる。森を壊しロボの住処を奪った人を憎くて憎くて溜まらない程、憎んでいるはずだった。


それでもロボは長い時間を掛け村人と一つの約束をしている。


人々はロボの狩場を侵さない。


ロボは獲物の一部を人に分け与える。そんな文字にも成って居ない約束事だ。


ロボはこの約束で賢狼の名と狩場の権利を得ている。


この森で狩りが行えるのはロボ達だけだ、この決まりを侵しては成らない。


ロボは此の権利を守る為なら誰にも容赦などしないだろうとエレナは言った。


ロベルト達はこの森で狩りをしてしまった。



シルビアは訳が判らなかった「いつ、ロベルトが狩りをしたと判るのよ」


「マイヤを狩りました」とエレナは答えた。


理解出来ないでいるシルビアにエレナは説明する。


「狼に取って鹿も人も同じ獲物です」


シルビアは怖い物を見る様にエレナを見つめて動けなかった。


「この森ではロボのルールが全てなのです。ルールを破ったロベルト達をロボは許しません、明日の朝にはお肉に成って居ます」


「つまり? 」とシルビアが訊く


「ならず者達の死体を探して箱を取り戻しましょう」とエレナは言った。



【スパ・センスの橋】



 朝日が昇る一瞬、草原は夢の様に美しい。


オレンジの光が草原を舐める様に走り抜けると草原には赤や黄色そして白い花が斑模様を作って居る。朝もやに霞むその光景は永遠に続いて居るような錯覚を与えた。


 エレナはバロンとシルビアを従え山頂へと向う。


まず、目に入ったのは馬の死体だった。


近づいて見ると皆、食われて居るのだろう辺りは血の匂いが濃い。


一頭の馬でシルビアがロベルトの死体を発見した。


しがみ付く様に鞍に手を掛けロベルトは絶命していた。


食い千切られたのか片足は何処かに消えている。


無残な死体を前にしてもシルビアは不思議と落ち着いて居た。


元は夫だった者の死体に何を思うのか暫し立ち止まり、それから箱を探し始めた。


エレナも手伝い馬の下敷き成っていた箱を回収する事が出来た。


山を下る途中で男達の死体が所々に転がって居る。


逃げながら戦ったのだろうがロボには敵わなかったようだった。


ロボは剛毛で覆われていて剣で叩いても肉まで切れないのだ。


敵う訳ないと改めてエレナは思った。



「昼にはスパ・センスの橋を越えられるでしょう」とエレナは言った。


「そう」と短くシルビアが返す。


バロンを先頭に黙々と下る二人は言葉少なかった。


風に靡く梢の音、虫の声、ただ歩き続ける作業に何時しか思考は遥か昔から現在までの生い立ちを再生して行く。

誰かに聞いて欲しかったのだろうか。


唐突にシルビアが語りだした。


「昔ね、一人の少女が居たのよ」と始まった語りは、まるでシルビアとは違う人の事を話す様に語られた。


昔、美しい少女が居た、家の勧めで、とある男と結婚する事に成った。


相手は優しそうな男で少女も満更でも無かった。


結婚式の時、男の主家からも来賓が来ていた。


来賓で来ていた男が花嫁を気に入ってしまった。


来賓の男には妻が居て立派な息子までいた歳も少女よりずっと年上で少女の父親よりも上だった。


それでも花嫁の夫は来賓の男へ花嫁を譲ったのだ。


側室として少女は別の男へと嫁いだ。男の本妻は少女が本宅に来る事を拒んだ。


仕方なく別荘へ少女は住まわされ以後、牢獄で暮らすような暮らしが遣って来た。


何処にも行けず、誰とも会わず、たまに訪れる男の相手をする。


そして、その男も死に今度は男の息子が少女だった女を修道院へと追いやった。


全ての財産を置いて一生、修道女として暮らせと息子は言った。


女は男からドレスや宝石を買い与えられていた。


お前の物だと言質も取って居たが息子は無視した。


女は何も持たずに修道院へと旅立った。



「でもね」と悪戯っぽくシルビアが笑う


「箱に宝石を詰めて教会へ預けていたのよ」と言った。


彼女は両親と手紙のやり取りをしていた、その為に教会だけには行けたのだ。


その時、郵便物を保管する場所を借りて箱を置かして貰っていた。


修道院へと出発する時、教会へ寄ってロガチョブの教会へ送るように手配していたのだった。


多分、それに気づいた息子が追手を差し向けたのだろう。


寄りに依って元夫のロベルトを差し向けるとは思わなかったが、シルビアの顔を知って居る者を送る必要が有ったのだろう。



「私はね、アスタート国に行くわ」とシルビアが宣言する様に言う


ポカンと聞いて居たエレナにシルビアは言う


「アスタートに行って人生をやり直すのよ」



アスタートはエレナが住むモスコール国と国境を接する隣国だ。


土地を巡って何度も戦った相手国だった。両国の国民は互いに恐れ憎しみ合っていた、そこへ行くと言う。


無茶だとエレナは思ったが、では何処へ彼女は行けば良いのかエレナには判らなかった。


 お昼を過ぎた辺りでやっとエレナ達はスパ・センスの橋へと遣って来た。


この橋を渡ればもうスパ・センスの町だ。


エレナは別れの挨拶をした。


「どうぞ、お気を付けて、アスタートへ辿り着ける事をお祈りしています」


「色々ありがとう、貴方と出会えて良かったわ、此れから貴方はどうするの? 」


「エスエレボ修道院に行って修道女に成ります」とエレナは答えた。


シルビアは驚き、顔を強張らせた。


「そのネックレスが有れば貴方も自分の人生をやり直せるのよ」


「私にはシルビア様の様な勇気が有りません、それに自分で守れない財は身に余る財です。使えば災厄に見舞われます。シルビア様がマイヤに裏切られた様に…… 、身に余る財を使う時は私とその財を守ってくれる人の為に使えと教えられています。


私の財を守ってくれる人が現れるまで誰にも見せず、持って居る事も気付かれない様にしなくては成りません」とエレナは言った。


「そう、貴重な教訓ね。私も気を付けるわ」


それを聞いてやっとエレナは微笑んだ。



それではと別れようとした時、橋の反対側から数人の兵士が橋を渡って来る。


エレナとシルビアは道を開けて、兵士達が通り過ぎるのを待ったが兵士達はエレナとシルビアを取り囲むと忽ちバロン諸共二人と一匹を馬車に押し込み連れ去ってしまった。









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