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『愛』

作者: 市見 和双

これは、私が酔いの勢いに任せて書き殴ったものである。

私は、これを添削するつもりも、編集するつもりもない。

何故なら、これは酔いによって表面化された。私の本当の想いであるからだ。

愛とは何か。


「愛」と言うものを目にした事がある人は在るだろうか。否、それは無いだろう。

何故なら、愛と言うものは目に見えないものだからだ。愛と言うものは心で感じるものだからだ。


初めて触れる愛と言うものは何で有ろうか。

これに答えがあるのかどうかはわからないが、それは恐らく両親から捧げられる生命への感謝で有ろう。私たちがこの世に生まれてきた事への感謝が、愛という形で私達にもたらされる事が、私達にとっての最初の愛だろう。


だが、中にはその愛を受けずに、即ち望まれなく生を受けたものもいるだろう。


そんな人達は、望まなく子を産んだ親達よりも尚、不幸で有ろう。いや、不愛と言うべきか。


愛を受けると言うことは、その人が真っ当な生命を全うするのに欠かせないだろう。


もしも、愛を受けずに生を受けた人たちがいたら、その人達は自らの子に愛を与える事が出来るだろうか。


否、それは不可能だ。何故なら、その人達は愛を受けていないからだ。

愛を受けていない者は愛を受ける事は出来ない。否、愛をどう与えて良いのか分からないのだ。愛を受けずに生を受けた故、愛を如何にして授けたら良いのか分からら無い、いや知らないのだ。


愛と言うものは、受け継がれるものである。

親が自らへ授けた愛を次は、自らの子へ授ける。そうやって、愛と言うものは巡り行くのだ。


その、巡行を断たれた人達は、愛を受け継ぐ事は出来ない。愛を受け継ぐと言う自らに与えられた使命を果たす事は出来ない。

そして、その子供もまたその使命を果たす事は出来ない。


愛を受けたことの無い者は、他の誰かに愛を授けることが出来ない。いや、分からない。愛の授け方が。

そもそもに愛を知らないのだ。


金を持っていない者が、他の人に金を与えられないのと同じだ。


愛を授かっていない。つまり、愛を持たない者は愛を与える事が出来ない。


また、愛を持たない者は愛を受け入れらない。親以外から与えられる愛を受け入れる事が出来ない。それが、愛だと言うことを理解出来ないのだ。否、愛そのものを理解出来ないのだ。


1人の人間が生を受けた瞬間に受けた愛と言うものは、その人間の愛と言う概念を構築するのだ。

その愛を受けなかった人間が愛を理解するなど、不可能なのだ。


愛を、私たちは理解しているのだろうか、私達は、愛を授かる事が出来たのだろうか。私達は愛を授ける事が出来るのだろうか。


分からない。


愛とは何だ?



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