2 都市とロリ
2 都市とロリ
求める価値がある。意識の底から魂の腕を伸ばし、渇望し、願い、触れようとする価値が。
ロリータ、と僕は心の中で呟く。同時に、数多くの、数え切れないほどのロリたちの顔や姿が僕の周りに現われる。美しき小さな人々、ロリータの群、ロリ化した人々の姿が僕の視界の中で地平線まで広がり、何もかもを埋め尽くす。
ロリに囲まれ、ロリに埋もれる。大人と子供の境にあって悩ましく伸びる途中の手足の群、ぞっとするほどに細やかな肌のテクスチャー、小さな唇と折れそうな骨の群。ロリに包まれ、僕はその中で安堵を覚える。心から求めてやまない何かにやっと手が届いたという安堵に、ほっと息をつく。
ロリがいる。沢山のロリが。世界中のロリが。宇宙全てのロリが。
満たされた気分。肺や胃の中に満足感が溜まる。
けれど何かが引っ掛かり、僕はふと、目の前のロリを見つめる。可愛らしいロリっ子の一人を見つめ、何かが違うと感じてしまう。別のロリに視線を移し、またも、違うと感じる。
更に別のロリ、更に更に別のロリと、一人一人大勢のロリを見つめる。腕を伸ばして触れる。小さな肩を掴み、背中に手を伸ばし、頬を寄せ、違う、違う、と呟き、焦る。
そうして僕はロリの群の中を右往左往する。気が遠くなるくらい長い時間をかけて一人一人のロリを確かめ続け、そしていつの間にか、感じていたはずの安堵が消え失せていることに気がつく。ロリの群の中を歩き続け、全てのロリを置き去りにして、一人立っていることに気がつく。
そこで、僕は最後の一人を見つける。その場の誰よりもロリらしいロリを。昔から良く知っているはずの、イデア・ニンフェットを。
慌てて僕は彼女に歩み寄ろうとする。けれど、決して触れることはできない。いつもいつも、そこでその世界が終わるからだ。意識が砕け、朦朧とし、身を裂くような苦痛を伴う混乱の中に落ちる。
そしてそこで目が覚める。
*
ロリよ、ロリ、なぜ我を見捨て給うや……
そう囁いた自分の声で目を覚ました。
視線を彷徨わせると、味気ない白い壁紙と、私物のほとんどない広い部屋の床が見えた。それでようやくそこが自宅マンションでないと気づく。目に入ったのは、WLOの職員用住居、派遣された職員用に貸し出されている短期滞在用の部屋の内装だった。
しばしベッドの上で意識の冴えを待った。眠りの残滓と、夢の残滓が追い払われるのを待った。ロリよロリ、というあの言葉の連なりが頭の中でリフレインしている。あの暴動を鎮圧した後で調べては見たが、あまり大したことは分からなかった。
ロリよロリ、何故我を見捨て給うや。ロリ・ロリ・ペド・タニマナシ。
ロリ化黎明期から少しの間ネット上で流行った言い回しで、ロリ化を嘲笑したり不安視したりする人々やあるいはロリ化に関して何らかの被害を受けた人たちがSNSなどで呟いていたらしい。だがとっくに流行りは過ぎ去り今ではほとんど忘れられたネット上のネタ、息絶えたネットミームの一つでしかない、はずだった。
ロリよロリ。群衆の声の残響を振り払うように、僕は軽く頭を振る。
ふと、僕は、ロリが好きなんだろうか、と自然とそんな自問が心に浮かんだ。
基本的にロリ化賛同国のロリ化賛同市民の一人として、ロリは嫌いではない。過酷な病と老いに満ちた人生の苦痛をロリ化は和らげた。無理解と孤独と想像力の欠如から起こる争いの多くをロリ化は静めた。多くの人間がロリ化に感謝している。
だがそういうことじゃない。もっとプリミティブで分かりやすい部分で、自分はロリが好きなんだろうか、とそういう思いがわきあがっていた。
可愛らしくコンパクトなロリ化した人々、美しいロリータとなった人々に羨ましさを感じることはあった。ロリ化しつつも未だに荒事への便利さから男性型身体を使い続けている身としては、その身体的な美しさに憧れることもある。
しかしもっと心の奥底の部分で、何かロリに執着している感じがあった。焦りにも似た執着だった。
考える。が、考えているうちに、だんだんと頭がはっきりして、それと共に考えそのものがぼやけて霧散してしまう。眠りの余韻が消えて、日常の思考の透明さが戻り、それと同時に、引っ掛かっていた何かも消えてしまう。
立ち上がって、窓に歩み寄る。WLOの住居は快適だった。床面積は広く、間取りも一人で滞在するには十分すぎるものだった。窓も広く大きく作られている。
カーテンを開けると、林立するビルの群れが見えた。湾岸の新造成区、日本の栄えた都市が朝日に照らされていた。遠くに「LO」の文字を掲げた白いビルが見えた。
嘆息して、僕は洗面所に向かった。いつまでも寝起きの考えに浸っていたかったが、働かなければならない。ロリのための仕事に行かねばならなかった。
世界ロリータ機関憲章第一条には、「すべての人々が可能な最高のロリータになること」とある。「L・O」のシンプルなゴシック体二字をロゴマークとして旗に掲げるこの組織は、ロリ化技術の国際的拡散に先んじて設立された。
社会を一変させたロリ化を世界に推進し、そして同時にそのロリ化が適切且つ倫理的且つ充分に健康な形で行われるかどうかを監視・管理・制御する組織。更にロリ化関連技術の研究に関しても同じように倫理の枠組みを外れず正しい形でそれが行われているかどうかを見張る、ロリ化の番人にしてロリ化関連国際法の中枢であり実行力である。それが、WLOだった。
実行力――ロリ化関連技術の暴走を阻止、あるいは制圧するための、非難や経済的制裁以上の実行力が、WLOにはいくつか存在する。基本的にはロリ化推進国及び受入国の賛同によって運営されるこの組織の中にあって、どの国にも疎まれがちな人員たちだ。
「ニンフォレプト」と呼ばれるのが、その代表だった。
基本的にはロリ化した人員だけで構成され、ロリ化に関する不審な事柄あらば調査・制圧に乗り出す、WLOの尖兵ともいえる役職。WLOによって発見された事件や問題を追い、必要があれば諜報から戦闘から捜査までも命じられる。
ニンフォレプトの人員はその過剰ともいえる権利を行使せねばならないという仕事柄、多くの危機に適切に対応できる少数の精鋭をそろえるという形がとられていた。あくまで緊急的な危機の調査と制圧がその任である。危機がニンフォレプトの手をすり抜け増大しきった場合、そこで必要となるのは各国の政府であり警察機構であり軍隊や医療機関である。ことがそこまで及ばぬように働くのがニンフォレプトの役割だった。
その、ニンフォレプトの拠点のひとつ、WLO日本地方局のビルは、旧都市部に造成された半人工島のウォーターフロント都市の一角に存在していた。
半人工島、新造成区と呼ばれるそこは、かつて度重なる災害と温暖化による海面上昇で水没の危機に瀕していた都市部を再開発した地区である。真新しいビルが立ち並ぶ、ロリ化先進国の首都の新たな中心部というわけだった。その新造成区の中で、周囲のビル群と比べても一際目立つ、丸ごと漂白したような白亜の塔こそがWLO日本地方局のビルだった。先のハンバート・エレクトリックの事件現場とはさほど離れてもいない。
そんなビルの中の通路を、僕は拡張現実に表示したガイド情報に従って進んでいた。
そこに、
「あなたがヴォロージャ調査官?」
と、唐突に声がかかった。
拡張現実表示を一時的に消して顔を上げると、一人のロリ化した女性が通路の壁を背に立っていた。外見年齢は十代終盤といった感じで、これはロリ化した人間としては、やや珍しい。大体のロリ化人は十代前半から中盤くらいの見た目になる。本人の希望と、遺伝的素養によってロリ化した後の身体的容貌は決定されるが、二十歳以上に見える人間はほぼ存在しないのだ。
だから僕はまじまじとその相手を見つめてしまった。
美しく整った肌、あまり目立たない胸の膨らみ、美的にも健康的にも理想的なラインを描く骨と肉――それらはロリ化人としては当たり前のものだったが、やや特徴的なのは大きめのブラウンの瞳と、ところどころ軽い癖のついた黒い髪だった。やや吊り気味の瞳はどこか躍動感を感じさせる。首元辺りまで伸びた髪は猫っ毛で、瞳にぴったり似合っている。あとはふわふわと振れる尾でもあれば、化け猫だといわれても納得できそうだった。
「正しい本名はヴラジーミル・ヘイズだ。ヴォロージャというのは」
「愛称でしょう。皆そう呼ぶと聞いて、私もそう呼ぶことにしたの」
言って、彼女は上背であるこちらを見上げて視線を合わせる。
「キャロル。キャロル・ラトヴィッジ」
名前だけをはっきりと告げてくる。だが、それで十分だった。僕は既に補助機械脳から目の前の彼女の外見によって検索をかけていたし、その求めに応じてすぐにWLO日本地方局のサーバーが情報を送りつけてきていた。拡張現実表示された情報には、『キャロル・ラトヴィッジ調査官』とある。つまり、僕と同じ、ニンフォレプトというわけだ。実年齢は二十を過ぎて数年。僕よりもいくつか年上だった。
「日本地方局の、ニンフォレプト?」
表示された情報をそのまま口にすると、キャロルはその通り、と返してくる。
「これから、ミーティングでしょう?」
キャロルは言った。僕は首肯し、通路の先を見やる。突き当たりの大扉の向こうの、二階分をぶちぬいて作られたフロアに僕は呼び出されていた。先の占拠事件に関する、調査官及び情報官、その他必要関係要員を集めての情報共有のためだ。
「君もだろう。顔合わせならどうせそこでまとめて行われるだろうに」
言うと、彼女はそれもそだけどね、と軽く笑って見せた。
「でも、パートナーとして行動するわけだし、味気ない集団ミーティングの中での顔合わせより先に挨拶しておこうと思って」
「パートナー?」
「そ。シーリン統括官から情報、来てないかな。私はこの国、来たばかりのあなたより少しだけ長いから。あなたと組んで補佐しろって」
確認する。と、確かに予備情報として共に行動する人間に関するものが存在した。シーリン統括官の情報受付に機械脳から要請すると、キャロルの情報が返ってくる。
「なるほど」
「ちょっと吃驚したよ。あなたと組めって言われて」
「それは、どうして」
問うと、キャロルはくすりと笑みを零して答えた。
「だって、ニンフォレプトの中ではヴォロージャ、結構知られてるじゃない。まだかなり若いのに、北米や欧州では凄い活躍ぶりだって。新進気鋭のパッケージ使いってさ」
なんだそれ、と反射的に若干顔をしかめてしまう。
「確かに向こうで多く働いてはいたけれど、凄い活躍ってのは全くもって言い過ぎだよ」
本心からそう言い放つ。WLOに入ってこのかた、多くの仕事は経験したし、若年だというのも事実だけれど、別にコミックヒーローみたく無双の活躍をした覚えはない。
ただ、パッケージ使い――クオリア・パッケージを使用することにかけては、それなりに自信はあった。もともとニンフォレプトなどと言う特殊な人員の一人になれたのも、僕がクオリア・パッケージによる感覚変化に非常に相性が良かったからだ。WLOでの仕事を希望し、いまだ一般に広く普及していないクオリア・パッケージのテスト人員として選ばれた。そこで僕自身驚いたことに非常に高いスコアを上げることができた。それで、常時人員の不足しがちなニンフォオレプトとしてその適性を活かすことを進められたのだ。
「それに、ほら、ヴォロージャってちょっと特殊じゃない?」
僕の言葉を半ば無視して、そう続けられる。
「特殊?」
聞き返しつつ相手の視線を観察し、僕はすぐに気がつく。僕自身の、身体だ、キャロルが注視しているのは。
「ああ……」
なんと言ったものかな、と思う。ロリ化人が大半を占めるWLO、それも特にロリ化率の高いニンフォレプトにあって、ロリ化しつつも男性型身体を使っている――そのことをどう説明しようかと考え、言葉に迷う。
「ま、いいか。ともかく、よろしくね、ヴォロージャ」
幸い、あっけらかんと言った調子でキャロルはすぐにそう言い、綺麗な歯を見せて笑う。
「ああ、まあ、よろしく」
一応納得したような声を出して、僕は歩みを再会した。ととと、と素早く隣についてくるキャロルと共に、大扉に向かう。
しかし、パートナー、ね。
胸中でその単語を転がしながら、僕は過去に組んだ何人かのニンフォレプトを思い浮かべた。
ニンフォレプトとしての仕事に関して、誰かと組んで動くというのは別に珍しいことではなかった。むしろ単独で動くことのほうが少ない。テロや紛争が差別や異教徒嫌悪と共に悪夢のように吹き荒れたちょっと前に比べれば、随分と国家という垣根の持つ排外的な性格は減じていたが、それでもまだ国家と言う概念はしぶとくはっきりと生き続けている。国境をすいすいと越えて移動し、ロリ化賛同国は勿論、非賛同国にも立ち入り、ロリ化に関するあらゆる脅威を監視し制止し時に握りつぶす役目を負ったニンフォレプトというものはデリケートな存在なのだ。バックアップとしての相棒の存在はニンフォレプトではそれ故に一般的なものだった。




