6 ダイタンな幼女・2
「最初から全部、説明してくれないか」
イデアの本当の身体というやつを見下ろしながら僕は小声で呟いた。
ドロレスが視線でベッド脇の長椅子を差してきたので腰を下ろす。一度そうしてしまうと、倦怠感や諦念のようなものが渦巻く身体は二度と立ち上がれそうにないと感じられた。
「君は日本に渡ってからどうしていたんだ。炉学研究所の一職員になれた、という以上のことは、僕には話してはくれなかったよな」
僕はドロレスとイデア本体、どちらを見て言葉をかければ良いのか分からず、結局俯きがちになって二人の間の曖昧な空間を目に映して言った。
「炉学研究所に入ったのは本当。だけどそこに至るまでの経緯を話した事はないかな」
「それは――」
「施設を出てからヴォロージャと言葉を交わしたときには、ヴォロージャは既にそこにいない私の姿を見ていたから」
ドロレスが答える。その顔には、美しいロリの表情が浮かんでいる。ただのロリではない、今まで見た中でもっともロリらしいロリの体現者の表情が。
日本に渡ったイデアは、僕が無理矢理にイデアを求めたせいで、自らのことを語る機会を失ったということになる。痛みのような寒気が僕の背中に張り付く。
「あの施設での暴動で死に掛けた私は日本に送られて、ここで当時試験中だったある新しい治療法のテストケースにされたの。私のように脳機能が大規模に死んでしまった人間を、その意識を、寝たきりや植物状態といったものから解放するための方法のね」
「代理身体を使った生活のことか?」
僕が訊くとドロレスは「それはその一部」と答えた。それからドロレスはイデア自身の頭部に指先でそっと触れた。
「私の脳機能は一発の銃弾でかなりの部分が死んでしまった。言語機能や情動、記憶、多くの人間らしい機能が消えた。生存のためのあれこれは何とか機械で肩代わりできても、そうした高度な脳機能はどうしようもなかった。でもね、私のロリ野は残っていたの」
ロリ野――ロリ化した大脳に形成される、クオリア共有において大きな役割を果たす部位。他者のクオリアをエミュレートして感じるとも言われる部位の事だ。
「私は他者や機械、それに人工的な、このドロレスって子みたいな身体のクオリアを共有する事で自身の欠損を補填してるの。他者のクオリアで世界を感じ、他者の脳機能をエミュレートする事でロリ野と、ロリ野に繋がったコンピューターが色んな脳機能を再現してる」
僕はイデアの身体に繋がった機械の群を見る。半分ほどは医療機器だと一目でわかるが、残りは病室に似つかわしくないような、サーバーや、中小企業の抱える小サイズの高性能計算機のような筐体も並んでいた。
「そうして私は私を初めて、ある程度だけれど取り戻したの」
私自身の身体はここから一歩たりとも動けないままだけなんだけどね、とドロレスが付け加える。
「他者のクオリアを使って、機械と共同で擬似的に再現された脳機能を使って『自己』を保ち、駆動させているのか……」
「そ。私の場合は代理身体の機械的なセンサーが作る感覚と自分の脳が繋がってるから、これはこれで便利だよ。ここにいながら多くを見て触れて感じられる。ロリ野が模倣する手本とした生の脳は、最初は研究者たちの脳を手本としたし、いくらかボランティアの学生の脳を手本としたりもした。今は時々、私個人の協力者たちがここに来てくれる」
「協力者――フジサワ・ナナサのような?」
「うん、彼女も含めて多くの人がね。そのおかげで擬似的にだけれど生き続けられる……最も、もう長くはないけれど」
「なぜ」
「所詮は一時凌ぎの治療法だったってこと。ロリ野はかつての私の脳を機械と協力して他者の脳を利用してエミュレートしてくれているけれど、元々大脳の一部でしかないロリ野にその仕事は荷が重過ぎるの。年々機能は落ちてるし、神経組織の萎縮も進んでる。この私の最後に残った物理的な「私」も、いつ死んだっておかしくない状態なの」
言われて、僕は押し黙る。イデアの最後の魂の一欠けらの物理的表現たるロリ野も死のうとしている。その事実に、どんな言葉も出てはこない。分解され、腐り落ちて消えるように喉の奥で言葉が飲み込まれ押しつぶされていく。
一呼吸挟んで、ドロレスは語り続ける。その声音は僕が使っている時と変わらないはずだが、今は全く他人のものに聞こえる――というか、イデアの声そのものと聞こえてしまう。
「ナナサはね、研究所とは違う、外部の協力者。この数年間、私は代理身体を使って多くの人と出会ったし、その交流の中で多くの協力者も見つけてきた。ヴォロージャにも何度も話したよね、私が、私たちが抱える問題の話。共感してくれるロリは多かったし、ロリ以外でだって協力してくれる人はいた」
「フォーンレットやそのドロレスだけじゃなかったのか」
「フォーンレットって言うのは、あの男性型だね。うん、私が扱った身体はもっと沢山あるよ。フォーンレットはちょっと特殊だったけどね。あれは炉学研究所にとって邪魔な組織に対抗するための身体だった」
「電子的な侵入や建造物への不法侵入のための身体か」
僕は声に皮肉を混ぜる。口にしたのは統括官から教えられたフォーンレットの情報だ。
ドロレス=イデアは少しばかり意地の悪い笑いを浮かべて「そう表現すればまあ、そうかな」と曖昧に肯定する。
僕は嘆息し、一つ先の話から推測してそれを言葉にしてみた。
「君にその新しい治療を施したのは、炉学研究所か?」
その通り、とドロレス=イデアは首肯する。
「最初は研究対象に過ぎなかった。けれど徐々に私はロリ化関連技術に関してちょっかいを出すようになったの。最初は誰も彼もが冗談程度に捉えていた。けどその内、いくらか私は炉学研究所にその知識や技能を認めさせていった」
そうするくらいしか、ほかに生きていける道なんてないと思ったから、とドロレスは付け加えた。一日中一年中自分の生身の身体はベッドに貼りついたままだったが、ネットには繋がっており、有り余った時間の全てを注ぎ込んで様々な事を学ぶ事ができたのだ、と。
「数年後には炉学研究所に入ることになった。私は自分の生命維持と、代理身体や諸々の生活に必要な機器を扱い続けるために働くことにした。ヴォロージャにも報告のために連絡したよね」
「ああ、炉学研究所に入ることにしたって……」
覚えている、と言いかけて言葉を止めた。僕が覚えているのは映像通話で喜んでいるイデアの姿であり、つまり半分以上幻、僕自身の作り出した偽物だ。
「こんな身体だからね、生きてるだけでものすごいお金がかかるの。興味を尽きさせないように、生かしておきたいと思ってもらえるために……生きていくだけの権利を手にし続けるために、必死だった」
その間僕は自分で作った自分のためのクオリアの中で生きていた。ニンフォレプトとして。
「その必死さのおかげかな。私の研究は炉学研究所内でも注目を集め始めて、気がつけばあっという間にいくつかの大きな成果も上げることが出来た」
彼女はその成果とやらを僕にいくつか簡単に語って聞かせた。専門的な話は理解が出来ないが、現在のロリ化やそのメンテナンスにおける画期的な技術のいくつかを、イデアは自分と自分のチームで作り出していたことを僕はその話から理解する。まだ若年の個人がそこまで急激にのし上がったというのは信じ難い話にも思えたが、イデアに限っては何故か信じられるという気もする。過去に感じていたあの聡明さがあれば、なんでも可能だと。
「それで、炉学研究所の中枢に、上位の構成員になったのか」
「それなりに自由が利く立場を得たよ。望んでいた通りにね」
ただの一職員、というのは嘘だったわけだ。僕はその嘘の先に起こった数日前の悪夢的な光景を思い出して吐き気を覚える。
「あの暴動、数日前の大規模なロリ・コンフリクト現象には、どう関与したんだ」
多くの人間に対して、これまでニンフォレプトとして何度も使ってきた詰問口調がぎりぎり形を保っていた。
「あれはね、ハンバートの失敗。でも、盗まれたこっちの失敗でもあるかな」
イデアの口調は少しも揺らがなかった。知性に満ちた声の響きがそのまま強さともなっているかのように、淡々と答えていく。
「元々ね、ハンバートは手強い相手だった。炉学研究所からも出来る限り自分たちに有利な状況を、技術を、知識を引き出そうとしていたし、私が密かに進めていた研究に関してもいつの間にか感づいて妨害や奪取を試みた」
喋れば喋るほど、見慣れたドロレスの顔が昔懐かしい施設で話していた頃のイデアに見えてくる気がして、僕は内心で困惑しながら彼女の声を聞き続ける。
「暴動は、ハンバートが内通者を使って新型のクオリア・パッケージを盗んで、しかも自社で先に実用化しようと研究し始めた事で起こった」
そこまで言って、確認するようにイデア=ドロレスは顔を上げて問いかける。
「新型のパッケージの事は、大体知ってる?」
ああ、と頷く。兼田から聞いた『連鎖共感拡散型パッケージ』について簡単に僕は話し、確認する。
「ロリが他のロリとクオリア共有を介してパッケージを最適化し流し込み強制的に実行させ、その連続で広がっていくものだと聞いている」
「うん、合ってるね。じゃあ、話が早いかな。ハンバートはそれを中途半端な形で使っちゃったの。彼らが盗み出したパッケージは未完成品だった。人を広く汚染できるってだけで、どんなクオリアをどうばら撒くかについてはまだ組み込めてない、いわばそのシステムだけが出来上がった状態の。ハンバートは多分、自分たちの利益を産むようななにか都合のいいクオリアを作って広げようとしたんだと思う。けれど、共感と連鎖のスピードやその強制力は彼らの想像を上回っていた」
「それで結果としてパッケージはハンバートのテスト中に関連施設の外へと漏れ出し、都市に住む凄まじい数のロリが次々にそれに汚染された」
これも兼田からの話で聞いたことだ。
「そういうこと。……彼らが結果的にばら撒いてしまったパッケージは私たちの想定した完成形とは大きく異なり、不完全極まりないものだった。中途半端なクオリアの変化はロリの意識をより強く抑圧したの。ヴォロージャ、ロリ・コンフリクトの原因は、覚えてるよね」
「ああ」
意識の中の野性と理性の衝突。人間が根源的に持つ「価値への意志」――なにがしかの対象に価値を見出し追求しようという絶対性と、社会性を保ち他者を理解し想像し尊重する意志のコンフリクト。それこそがロリコン現象の原因であると、イデアもナナサも語っていた。
それを踏まえて、話の先を読むのは簡単だった。つまり、あの暴動の原因は、
「ハンバートの流したクオリアの改変が、ロリたちの意識の中のコンフリクトを増強してしまった」
「そうして超大規模ロリコン現象が起こってしまった」
イデアが僕の言葉を継いだ。僕はその言葉を更に継ぎ返す。
「更に、その最中に、君は、炉学研究所は、ナナサたちを使ってミサイル攻撃をハンバートに仕掛けた」
「起こってしまった暴動を、コンフリクトを、止めるためにね」
僅かに苦々しいといった感を声に乗せてイデアはそう答えた。
「ミサイル攻撃は元々存在した非常的な攻撃手段の一つだった。暴動を収めたのはそれだけじゃないけどね。ハンバートの施設へのミサイル攻撃はあくまでパッケージの最初の汚染元を断つ事しか出来なかった。更に複数種の異なるパッケージを流して、やっと止めたんだよ」
それだって、ハンバートのパッケージが中途半端な出来だったから成功したんだけれど。
肩をすくめてイデアは息を吐いた。




