1 ロリへの扉
1 ロリへの扉
人間に炉因子、ロリータ因子が存在するという説が学問の場で始めて唱えられたのは、十九世紀初頭だった。人には、ロリになろうとする因子とその逆を行こうとする反‐炉因子が存在し、その引き合いの結果が男と女、大人と子供といった『人間』なのだ、と、そうした話がはじめに囁かれた。ロリへの信仰やその人間への影響については更に遡って古代から世界中で受け継がれてきたが、一応なりとも学問としての研究が始まったのはそこからだとされる。
ロリータ。人間の少女、中でも若く、また深い外見的魅力を持った人々。幼さと未成熟と成長の途上にある玄妙さが生み出す美麗さの宿主。
だがロリータとはそうしただけではない、ある種の内的特性を持つものである。それが分かったのは炉因子の提唱から百年近く経ち、二十世紀に入ってからだった。遺伝子や脳構造への生物学的・医学的アプローチが続けられる中で人類はロリータという存在を再発見したのだ。
彼女らロリータたちには、通常の人間の有する以上の「共感能力」が存在する。数多くのロリ少女への実験で判明したことがそれだった。彼女たちは脳のある部位――大脳前頭葉のロリ野と呼ばれる、ロリ少女にしか存在しない特異な部位によって、他者の「クオリア」を感じることが出来る。
赤い色を見た時の、赤いというその「感じ」そのもの。それがクオリア――感覚質と呼ばれるものである。個人的体験としての感覚の質であり、本来他者と共有不可能なそれ。色の感じそのもの、音の感じそのもの、痛みそのもの、味そのもの……言い換えてみれば、知覚・五感の感覚そのものであり、意識をなす感覚そのものである。
ロリータはそれを共有できる。成長の途上でロリータと呼ぶに相応しい外見を得た少女たちは、実験の中でその特殊な共感能力を見せたのだ。
そうした実験から数十年。
二十一世紀に入り、遺伝子工学や大脳生理学が継続的に発展する中で、人類はいくつかのつまらない発見と実験を繰り返し、とうとう一つの大きな実りへと到達する。
人工ロリータ化。ロリ化と呼ばれる技術の獲得が、二千二十年代になされ、それから三十年も経たずして、世界中に広がったのだった。
*
僕の頭の中を警察や救急隊員の声が飛び交っていた。正確には、彼らの通信が脳内に造成された補助機械脳にひっきりなしに飛び込んできていた。事件の状況、現場の構造、規制線と警備の位置――それら情報が音声や映像や画像でやり取りされている。遥か昔よりの人類の夢の一つ――人体のサイボーグ化は未だ技術的なボトルネックを多く抱え、僅かな大きさの補助機械脳をなんとか先進国住民の頭蓋内に普及させるに留まっている。
僕はそうした小さな機械脳の中の情報をざっと確認しながら、現場とその周囲を見つめていた。軽装甲に覆われたやや大型の輸送車両の荷台の上に軽く腰掛け、眼前の状況を瞳に映しこんでいる。ふと視線を下げると腰掛けた荷台天面に自分の顔が映り込む。少年、と呼ぶのが適切だろうか。外見はまだ若く見える。整った顔立ちはひどく中世的だが、細く鋭く伸びる四肢は男性的なラインを内に秘めていた。暗い鳶色の瞳は今は夜闇のせいで真っ黒く見えた。じっと座ったまま頭の中の通信を聞き、視線を戻す。僅かに目を細めて数十メートル先にあるものを見つめる。
上空に淀む霧を突き抜けて屹立する背の高いビルの群の中の、比較的新しいものの一つ。先進的でありつつ、ところどころに古いデザインを散らしたどこか人の身が馴染みそうに無い高層建築物。六月の梅雨時期の夜気に晒されどこか歪んで見える摩天楼の一つ。
そのビルの敷地の周囲には規制線が張られ、大勢の警官が野次馬のざわめく外部と現場の内部を隔てている。蠢く野次馬たち――その半分以上が、十五にも満たない外見年齢の、ロリ化人だった。
『はじめての日本はどう? ヴォロージャ』
警官の無線通信の声に混じって、その場にはあまり似つかわしくない声が踊った。冷えたガラスの上に氷でも転がすような、透き通る声音だった。細く鋭い、少女の声色である。
僕は薄く唇を開いて、それに答えた。
「ロリが多くて驚いている」
他の通信を補助機械脳の隅に追いやり、呟いた。多くの通信が飛び交う中、今僕が話す相手は、純粋にプライベートな通信先だった。普段は映像つきの通信を使い、お互いの姿を見ながら話すのだが、状況を考えて今は音声だけで通話を受けていた。なぜだかそのことが――相手の姿が見えないことが、微かに不安に感じられ、僕は一つ落ち着くために息を吐いた。
『皆、海外から来た人は同じ事を言うけれど。日本がそういう国だって、知っていたでしょう?』
「勿論知っていたさ、イデア」
細く言葉を口の端から零しながら、僕は視線を野次馬たちに向ける。甲高い声を上げる小さな娘たちの姿。半世紀前だったならば異常極まりない、ロリ少女ばかりが群成す光景がそこにある。
「ロリを見ていると何故か、心が安らぐ気がする」
そうぽつりと呟いていた。下は十代から、上は五十代ほどまで、ロリ化適正年齢は広い。様々な歳の様々な人間がロリ少女となっている。だが目に映れば皆ロリはロリであり、その外見や所作、纏う雰囲気には表現し難い安らぎか心地よさのようなものを覚えてしまう。
『日本は世界で最もロリ化が進んでる。私たちの母国を国民ロリ化率で追い抜いたのが既に五年前……爆発的な勢いで毎年ロリ化率が更新され続けてるから』
イデアが呟いた。
ロリ化――脳を含めた人体のロリータ化。それが、今僕が目にしている光景を作り上げた原因だった。旧来の性別・年齢の分布を大きく塗り替えた技術こそが。医療技術、脳科学、遺伝子操作技術、様々な技術の進歩とその成果が結びつき、ロリ化は実現された。
美しい肉体に健康な身体――しかし、ロリ化の効能はそれだけに留まらない。
ある種の特殊な共感能力。ロリ化技術の黎明期にそう呼ばれた、特異な脳構造が生み出す意識の力、いっそ非現実的と言っていいほどの能力こそが、ロリ化の最も大事な点だった。
「ロリ先進国か……未だ途上国じゃ受け入れを拒否していたり、そもそも運用するだけの資金も設備もない国は多い。一体世界のロリ化人口の何割が日本人なんだろうな」
この目に今映る野次馬は多くがロリである。補助機械脳をネットに繋ぎ検索すると、日本のロリ化率が五割を少し超えたあたりであることがすぐに判明した。一定以上の歳の高齢者はロリ化が難しく、また幼児はロリ化がほとんど不可能であることを考えれば、信じ難い高い数字だった。ロリ化を受け入れた先進各国でも平均ロリ化率は3~4割ほどであるのだ。
世界全体のロリ化人口が約十億。その内数千万が日本にいる。
ロリ溜め込み国家。一億総幼女化を志すロリ化先進国。ロリ化技術発祥の地である欧米をあっさり追い抜き、世界のロリ化の最先端をひた走る、前衛国家。それが日本だった。
『でもそのおかげでロリ化関連技術の研究は最もやりやすい。私の生活も日本あってのもの』
「ああ、そうだな。君はずっと研究所にいるんだろう、イデア。『炉学研究所』、だったか」
言いながら、自然と笑みが零れる。
『ええ。それにしても、一度この国に遊びにきてって何度か誘ったのにな。ヴォロージャ、結局自分の仕事のために初めて来日することになったね。薄情者なんだから』
冗談めかしてイデアが笑う。
「悪かったよ。忙しかったんだ、色々」
『知ってる。大事な仕事だって――でもさ、日本だとヴォロージャは少し目立つかもね。若いのに、男性としての身体を使い続けているわけだし』
言われて、僕はそうだね、と肯定し、自分の青年的身体を意識した。少女的な、ロリ化によって得られる標準的ロリ化身体に少しだけ近くはあるが、根本的に男性型の身体である。一般的なロリ化人はロリ化によってロリータ的身体を持った少女となる。男性身体を持った状態でのロリ化はほとんど見られない。珍しい例だった。
(内面はロリ、外面は男性という。特殊事例だな)
考えて、胸中で呟く。
まだ男性の身体を持っているのか。
多くの人に何度も訊かれているな、とは内心で思いながら、答える。
「仕事のためだよ。荒事要員でもあるから、あまり脆い身体だと支障が出るんだ。現場仕事でなければ、僕だってロリではあるんだし身体もロリ化しておきたいけれど」
何度か繰り返したことのある説明を、僕は口に出した。
「耐久性や運動性能だけじゃない、視覚やその他身体感覚を最適化するためのクオリア・パッケージに順応するためでもあって……まあとにかく、まだまだロリ身体だけじゃ対応できない種類の仕事は存在するんだって事」
と、そこまで言って僕は僅かに顔を上げた。補助機械脳に見過ごすことの出来ない通信が入っていた。
「悪い。仕事の時間だ」
イデアに言うと、彼女は落ち着いた声音で返した。
『そう……新造成区での占拠事件?』
「ああ――いや、なんで知ってるんだ?」
『ニュースが多く流れてるし、他に大きなそれらしい事件もないし。それに、WLOが介入するってさっき報道されてたよ』
「情報が早いな」
日本の警察が流したか? と一瞬疑う。だがそれにしても早い。
『気をつけてね、ヴォロージャ。それから、時間が空いたら――』
「ああ、一度会おう」
告げて、イデアとの通信を終える。補助機械脳が作り出す仮想視覚――現実の視界に重ねて表示された拡張現実だ――に開かれていた通話のウィンドウやアイコンが消え、同時に別の相手からの通話が飛び込んでくる。




