1ページ 〜メイナ
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旦那様へ
毎日のお勤め、ありがとうございます。怪我などはしておりませんか?少しのことでも大事になりかねませんので、差し支えなければお帰りになられた時に教えてくだされば、嬉しく思います。
旦那様と夫婦となり、この家で共に暮らしはじめて三ヶ月になりますね。春の花が精一杯咲き誇り、暖かな日差しが降り注ぐ中、町の唯一の教会で誓いを交わせたことが嬉しく思います。
わたくしと旦那様の縁は、旦那様の上司の騎士団長様とわたくしの父が旧知の中で、お見合いをさせて頂けたからでございましたね。わたくしにとっては素敵な旦那様と出会えたことを幸運に思いますが、旦那様にはわたくしを押し付けられたようなもので、申し訳なく思っております。
これから、一生懸命頑張りますので、末永くよろしくお願いします。
このノートは昨日、町の雑貨店に寄ったとき、店のマーガリーおばさんが「旦那と深い仲になりたけりゃ交換日記でもしてみない?」と半額で売ってくださったので、勇気を出してこのノートを購入してみました。
もし、旦那様さえよろしければ、このノートで交換日記をしてみませんか?わたくし、旦那様のことをもっと知りたいです。好きな食べ物、嫌いな食べ物。好きな色や好きな花。旦那様のことを、たくさんたくさん知りたいです。
メイナより
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「行ってらっしゃいませ」
旦那様と目を合わすと、一つコクリと頷きを返してくれました。そこに笑みは無くとも、深い紫色の目が暖かくわたくしを見つめてくれているので、わたくしもお返しに微笑みを旦那様に送ります。
朝靄が旦那様の回りを包み込む様は、まるで己の主人を現世の理から守るようにも見えます。その神秘的な幻想を毎日見ることのできるわたくしは幸せものですね。
飾り気のない濃紺の騎士団の制服ではありますが、見事に着こなしわたくしに背を向けて歩きだす旦那様。その背を見えなくなるまで見送るのもわたくしの日課の一つでございます。
真新しい木の香りがする家に入り、テーブルに残っていたカップを片付け、掃除と洗濯を済ませ、昨日買ったばかりの一冊のノートをテーブルの上に置きました。厚みのある白地の表紙には、旦那様の目の色に似た深い紫色の花が一つ、彩られています。
さて、何を書こうかと頭を悩ませます。ノートを開き、インク瓶にペン先を浸せたまま暫し考えました。
始めのページに相応しい文として、思い付いたのは旦那様との出会いのこと。あの日、旦那様と出会わなければ、あの日がなければ旦那様とこうして一つ屋根の下で暮らすこともなかったのですから。
ペン先をそっとノートに滑らせて、少しでも綺麗に見えるように文字を連ねます。自分で書いていて、誰も居ないのに少し恥ずかしく、どきどきと胸が高鳴ってきました。それは初めて旦那様とお会いしたときと似ていて、何故か顔に熱が集まります。
普段口には出せない思いを書くのが照れ臭くて、そわそわと落ち着かなくなり、一度ペンを止めて深呼吸を一つしました。すると木の香りが胸いっぱいに入り込み、鼓動も少し落ち着いてきたような感じがします。そして最後の文を連ね、ペンを止めました。
昨日買い物に出たとき、町の中心にある雑貨店の前を歩いているときでした。ご夫婦で営んでいる雑貨店はいつも目新しいものが並んでいて、見るだけでも楽しませてもらっています。店の窓際に飾られた可愛らしいお皿に目が止まったとき、窓越しに店主の奥さまのマーガリーおばさんと目が合ったのです。そして手招きをされ、店内に入って暫しマーガリーおばさんと楽しくおしゃべりをさせていただきました。
ふと、話の折に旦那様との新婚生活について相談をしてみました。
「旦那様ともっと仲良くなりたいのです」
「それは良い心掛けだね!それならこんなのどうだい?」
そうして見せてもらった一冊のノート。表紙の模様の色が、旦那様の深い紫色を思い出され見とれてしまいました。じっと見ているとマーガリーおばさんが、そんなに気に入ったなら半額にしてくれると言ってくださったのでその場ですぐ購入したのでございます。
私室の本棚に隠したノートをいつ渡そうか、再びどきどきと高鳴りだした胸をもどかしく感じつつ考えます。少し早いですが、今日の晩御飯のメニューを思い浮かべキッチンに入りました。食材を並べながらも考えるのは交換日記と旦那様のこと。はたして、旦那様は交換日記をしてくださるでしょうか。少し不安に感じながら、朝に見たばかりの旦那様の深い紫色の目を思い出し、わたくしから不安を追い出します。
背がとても高くて、大きな体を少し屈めてはわたくしの顔を覗きこむ旦那様。深い紫色の目を優しく細めて私を見てくれる旦那様。黒い髪を無造作に手で整える姿が色っぽくて、今だに直視が出来ないでいるのが少し悔しくもありますが、とても……とっても素敵な旦那様。
旦那様に少しでもわたくしと夫婦になり、良かったと思っていただけるように心を込めて夕食の準備を進めます。
窓の外を見れば空が赤くなりはじめていました。急いで外に干していた洗濯物を取り込み、再びキッチンに戻り夕食の準備再開です。それが終われば、そろそろ旦那様が帰ってくる頃かと思い、風呂槽に水をポンプで溜め、薪に火を着けて温めます。
慣れない家事も三ヶ月も経てば、出来るようになるものですね。失敗もしますが、その回数も少しは少なくなってきたように感じます。
旦那様をお迎えする準備をほぼ終え、時間ができたので火の着いてない暖炉の前の一人掛けの椅子に座ります。木で作られたそれは、小さなテーブルを挟んで二つ向かい合っています。私が座る方の椅子には座面にクッションが置いてあります。いつの間にか置かれていたクッション。その事を思い出し、くすりと笑み、旦那様を思います。
私には勿体ないほどに素敵な旦那様。出会ったときから優しくて、大好きで愛しい旦那様。
「おかえりなさいませ!」
「ただいま、メイナ」
口数は少ないですが、私を見つめる目が優しいことを知っています。だから、私も旦那様の目を見つめ微笑みます。
交換日記は、明日の朝に渡すことに決めました。明日、旦那様が勤務に行く前までに、渡す勇気を溜めておかなければ、ですね。それまで、このどきどきを楽しむことにしましょう。