⑤ バイバイ
炎はゆっくりと、俺とアイに迫りつつあった。
動くこともままならないアイ。
そして、イサムが俺たちの前に立ちはだかる。
絶望を絵に描いて額に入れたような状態。
覚悟を決めなければならない。
「彼女はもうすぐ子供を産む。見逃してくれないか?」
剣を鞘に戻して両手を挙げてそう言うと、イサムは下卑た笑みを浮かべた。
「駄目だ。腹を裂いた後に、仲間達と犯す」
「そうか、でも良かったよ」
右手だけを集中させて、気配を消す。
ゆっくりと戻した剣を抜く。
イサムには、まだ俺が両手を挙げているように見えているはずだ。
「なにが良かったんだ? お前はすぐに殺されるから良かったのか?」
イサムがこちらに剣を向ける。
「死ね、男はいらねぇ、え?」
イサムが剣を振る前に、俺の剣はイサムの腹に突き刺さっていた。
一部隠密のスキル。
カムイすら騙せたスキルに、たかが盗賊が見破れるわけがない。
「お前らがクズで良かった。躊躇いなく殺せる」
腹に刺さった剣をそのまま横に掻っ捌く。
緑の血を撒き散らしながら、イサムが崩れ落ちた。
初めて人を殺す。
だが、動揺など微塵もなかった。
モンスターを殺すのと変わりない。
そんなことより、今はアイの状態が心配だった。
「アイ、行くぞ」
アイは動かないし、話さない。
辛そうな表情で首を振る。
そんなアイをお姫様だっこで抱え上げる。
「ちょっ、置いて行って、って、言った、よ......」
「黙れっ!」
思わず叫んでいた。
アイが黙り、俺も話さない。
無言で山を登る。
下方で、悲鳴が聞こえ、リリン達と盗賊の戦いが終わったようだが、それも興味がない。
一刻も早く、ボスを倒してアイと教室に帰る。
『たららたったたー』
イサムが死んだのか、レベルアップの音が頭に響く。
『ハジメ君のレベルが3から4に上がりました。HPが......』
「うるさいっ」
レベルアップの音声が途絶える。
今は、すべてのことがどうでもいい。
アイを助ける。
その為ならなんでもする。
一直線に盗賊のアジトを目指して山を登る。
手の中のアイを力一杯抱きしめた。
ただひたすらアジトを目指して山を登った。
人を抱えて山道を登るのは、想像以上に体力をけずられた。
もうすぐ、山頂の洞窟だが限界が近いのがわかる。
だが休めない。そんな余裕はない。
「......ハジメ」
アイが話しかけてくる。
また置いていけと言うつもりだろうか。
「少し、休憩しよう。今のまま戦っても勝てないよ」
「そんな時間は......」
「大丈夫、だいぶマシになってきた」
多分、嘘だろう。顔色はどんどん悪くなっている。
しかし、このまま戦闘しても確かに勝てない。
木陰にアイを置いて、少し休憩をすることにした。
「ハジメは馬鹿だねぇ」
「無理して喋らないほうがいい」
そう言ったがアイは話すのをやめない。
「こんな豚を身篭った女なんか捨てて行けばいいのに」
「馬鹿なことを言うな」
本当にそうだ。
「まさか、こんなに早く出てくるなんて思わなかった。ここの時間がおかしいのか。豚の繁殖が早いのか。どっちだろうね」
「どっちでもいい。アイが助かればなんでもいい」
アイが苦しそうに笑う。
「ハジメはチョロインだねぇ、一回しただけでそんなにのめり込んだら後々苦労するよ」
「チョロインってなんだ?」
そのような単語の記憶がない。
「チョロいヒロイン。ハジメにピッタリでしょ」
「ああ、そうだな」
二人で笑う。
感情が込み上げてきて、涙がでそうになるのを堪える。
「ねえ、ハジメ」
「ん?」
「楽しかったよ」
笑ってアイが立ち上がった。
動けないと思っていた。
だから、動きが遅れた。
慌てて立ち上がった時には、アイは自分から離れた場所に移動していた。
そして、その後ろは......っ!
「アイ、動くな、戻って来い」
アイの後ろ側は崖になっている。
このミッションからずっと大事に持っていた鱗の盾を地面に置いた。
なにをしようとしているか、想像はつく。だが、信じたくない。
「うちはね、自分が生き残れれば、他はどうでもいいと思ってた」
笑っている。
だが、その笑顔はまるで、すべてを覚悟したような笑顔だ。
「でもね、今はちょっと違う。うちの所為でハジメが無理して死んだら、それは自分が死ぬより嫌だと思った」
「アイっ」
名前を呼ぶ。だが近づけない。
近づけばアイが居なくなるという確信がある。
「うちもチョロインだったみたい」
アイの身体がゆっくりと後ろに倒れて行く。
「アイっ!!」
駆け寄る、だが間に合わない。
「ハジメは頑張って生きてね」
アイの姿が視界から消える。
「うわあぁああああぁぁ」
崖から手を伸ばし掴もうとする。
だが、手は空を掴み、アイは笑いながら落ちて行った。
「バイバイ」
最後まで笑いながらアイは闇の中に落ちて行く。
「ぁああああぁぁ」
叫ぶ。
声を上げる。
身体が燃えるように熱くなり、脳の血管が何本も切れたような錯覚を起こす。
様々な思考が流れ、それが焼けるように消えて行く。
自分が考えたゲームで、アイはオークに犯され、そのために身を投げた。
悪いのは誰だ。このゲームを作った神。俺。俺の作ったこの世界。俺。俺だ。俺。すべて。すべてが俺。俺の。俺が。俺、俺、俺......
白。
すべての景色が真っ白になる。
俺は世界の中に、溶け込んだ。




