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盗撮で生計を立てる人

作者: ゆまち春

 標的には三つ目の目がある。そうに違いなかった。


 でなければ、おっさんにピエロ、死神をも破ってきた俺の甲子園級超剛速の消える魔球に気づいて振り返り、素手でキャッチするなんて芸当をただの女子大生ができるはずがない。


 涼しい林道として有名な哲学の道を歩く彼女に、私は日課のついでに訊いた。


「君は三つ目の瞳をその後頭部に隠しているのではないか。そうに違いない。それは公平とは言えないだろう。今日はシェーバーを持ってきた。充電済みだ。是非ともその後頭部から生える黒い地毛を一本残らずり落として欲しい」


 足を止めた彼女は、これ見よがしに深い溜め息をついた。


「はあ。一方的に私を殺そうとするあなたが、いつからフェアなんて常識を覚えたんですか。でも勉強不足です。そんな馬鹿げたことのために私の髪は落とせません」

後生ごしょうだ」

「死んでくれたら考えます」


 暗殺対象の彼女は哲学の道から大学へと抜けていった。

 油断している。

 毒を塗ったダーツの矢を投擲とうてきしてみたが、彼女は屈伸してそれをかわした。

 振り返ることもなく。

 ……本当に、只の女子大生か?




 彼女の殺害案件を依頼された。

 書類なんてしち面倒なものはない。口頭と口座だけで行われた取引。


 クライアントには会うが、殺害の方法を向こうは決めなかった。だから後ろから暗殺しろなんて酔狂すいきょうな指図を受けてはいない。


 以来遂行一日目に、私は殺し屋としての矜持きょうじを持って、これからターゲットとなる彼女に挨拶に向かった。


「始めまして、私殺し屋をやっております。これから一ヶ月、アナタ様を狙いに狙わせていただきます。早急に遺書を書くことをお勧めいたします」


 彼女は私を一瞥いちべつしただけで、路傍ろぼうの石ころのように私を扱って横を通り過ぎていった。


 子どもだ。

 世の中に殺し屋という職業があるのを知らないのだろう。だから変人のたぐいだと決め付ける。しかし、世の中にはそれで生計を立てている人間がいるのだ。


 勿論私はこんなことでいちいち腹を立てはしない。しかしあら不思議、腕にはめた輪ゴムが左手の親指と右手の人差し指にひっかっかって伸びちゃってますわ。


「死ねぇ!」


 短距離走の選手ならコンマ。普通の大人なら大股の一歩ほどの距離での輪ゴムの射的。外すことなんてありえないはずのその距離を、私は外した。


 こちらを振り向きもせずに、メトロノームのように揺れた暗殺対象の彼女。


 屈辱だった。殺し屋としてのプライドなんてありはしないが、私にだって大人としての立場がある。道の真ん中で女子大生に叫びながら輪ゴムを飛ばし、さらにそれを外すなど、一週間ノイローゼで仕事を休みたい躁鬱そううつな気分にもなった。。


 無反応な彼女は、哲学の道を抜けて大学へと歩いていった。


 その夜、私は安ホテルの一室から相棒であるスナイパーライフルの望遠レンズを覗いていた。

 その先には道路を削った銃痕が二つと、半身だけ振り返った彼女、口の動きで「しつこい」と諭してくる。

 私はベッドの上で笑い転げた。

 私は決めた。この依頼が終わるまで、私は背後からの攻撃にてっすることを。

 



 そんなこんなで二週間が経った。


 彼女は大学の学食で、「ちぇこの定食」などというトレーの上にエビとハムスターを足して焼いたものの肉を、まるで料亭の切り身魚を食べるが如く気品よく口に入れていた。


 そんなゲテモノを出した学食のおばちゃんも、ゲテモノに文句も言わずに食べる彼女を顔をしかめて見ていた。


 彼女の周り三席は込み合った学食内のエアポケットのように空席。


 耳に差したイヤホンからは、望遠レンズの先の音が聞き取れる。

 学食の騒々しさを頭に入れては、必要な情報だけを選び抜き取っていく。


 あの子なに。席占領しちゃって。ほらあれよ。ああ援交した。お前言ってこいよ。あんなゲテモノ喰ってる女に咥え――


 必要な情報だけを抜き取った。


 彼女の周りには誰もいない。これをチャンスだと思う殺し屋もいるだろう。しかしそれは素人だ。彼女の周りを歩く人間すらいないし、背中もガラ空きで、ご丁寧にもイスに座っている。まるでいっそ殺してくれといわんばかりだ。が、殺し屋にねらわれているのを知られて堂々としていることは並大抵の胆力ではできることではない。つまり、彼女をここで狙うということは、第三勢力や宇宙人やらに彼女が護られていることの証左しょうさでもある。わかる。長年の勘がそう告げているのだ。


 ここで殺すのは得策ではないな。


 スナイパーライフルをカモフラージュのために買ったギターケースに詰め込み、一介の大学生をよそおってその場を離れた。



 帰り道、彼女は徒歩だ。決して自宅が近いというわけはないが、電車の定期を買うのが勿体ないのだろう。自転車も買わない辺り、お金がないのかもしれない。


 とぼとぼと地面を向いて歩く彼女。


 ・・・・・・。しかし、ここで殺すのは三流プレイヤーのやり口だ。プロはもっと奇をてらってこそなのだ。パフォーマンスも求められていることを忘れてはいけない。


 彼女は自宅に帰り、すぐさま入浴した。


 俺は、このタイミングを、待っていた!


 用意していたスナイパーライフルでお風呂場のガラス窓を打つ。

 割れたガラスの音に反応して近隣住宅の明かりがつくが、そんなことはどうでもいい。興味はただ一つだ。

 湯船に浸かっていた彼女は、タオルを体に巻くこともせずに、窓から体を乗り出す。


 望遠レンズのついたカメラで彼女を撮って撮影して眺めて撮影した。

 一分もしないで彼女は窓のなくなった風呂場から出て行ってしまったので、俺も撤退した。

 殺し屋には副業が必要だ。



「あんたいい加減にしなさいよ! せっかく昨日やっと新しい窓が届いたってのに! 前の割って一週間じゃない!」


 哲学の道で彼女に日課の遺書勧告をしていたが、彼女はご機嫌ななめだった。


「手先が狂ったのさ。プロにだって失敗はある。次は確実に殺すさ。なんせ、期限は残り二週間だからな」

「あんたが死ね」


 自分が狙われても文句も言わない彼女は、しかし風呂場の窓が割られるとタガが外れたように怒るのだった。


 長い髪をフラダンサーのように振って、大学に遅刻するほど怒鳴り散らしてストレスを晴らした彼女は、哲学の道を歩く。




 現在大学で講義を受けている彼女を殺害するのが俺の仕事だ。だがオフ日もある。


 その日は上司と会う約束があった。上司なんて一般的な会社のようだが、要するにクライアントで金の入り目だ。

 おあつらえ向きの温泉宿の、ビップルームの個室にノックをして隙間から体を忍び込ませると、クライアントと知らない女の子が談話していた。


「チェックメイト!」

「うわ~! ゆかちゃん強い! これはプロになれるよ。おじちゃん保障しちゃう」

「えー? ホントー? でもでも、私はプロなんかよりア・レが欲しいな」

「約束だからね、はい今日のご褒美。今回のお金も中に入ってるからね」

「ありがとうおじさん! またね、ちゅ」

「まったねー。・・・・・・・・・・・・きたか」

「はい」


 何もなかった。何も見なかった。


「首尾はどうだ」


 制服姿の女の子がほくほく顔で部屋から出て行くと、パイプを吹かして威厳を醸し出す中年男。


「まずまずです」

「そうか。殺せるか?」

「勿論です。万が一にでも殺せなかった場合には全額お返しいたします。ご安心ください」


 カーテンが揺れるとベランダの温泉から硫黄いおうの腐った臭いが鼻をつく。


「何故あの子を殺すのか、君には話したかな?」

「私情を挟まない、首を突っ込まないことが殺し屋としての理念です」

「殺し屋というのは賢明だな。期限は二週間後だ。それまでに確実に殺せ」

「はい」


 短いやり取りだったが、俺にはここへ来てよかったと思える安堵感に似た収穫があった。


「どうせなら君も昼食を取っていくか」

「いえ、仕事がありますので」


 頭を下げて部屋の扉を閉めた。一路いちろ、私は彼女のいる大学へと向かった。




「という話なんだが、あれは通報した方がいいのだろうか?」


 込み入った時間を終えて、一段落つこうとしていた食堂のおばちゃんに頼んだ大盛りカレーを食べながら、対面席の彼女に問いかける。

 サラダの器にある最後のトマトをスプーンでころころとしていた彼女は、行きずりの不審者でも見るかのような目線を向けてきた。


「えーと、ごめんなさい、誰でしょうか?」

「お前を狙う殺し屋だ」

「ぶっ」


 水を噴出したのは近くを通りすがった一介いっかいの大学生、などではなく、この二週間毎朝顔をつき合わせていた暗殺対象の彼女だった。


「え、え? なんであんたアロハシャツなんか着てるの」

「ハワイに行ったからに決まってるだろ」

「今朝会ったのにんなことできるわけ。まさか自家用チャーター機?!」

「買い被るなよ。国内のワイハー、通称|伊豆(日本のハワイ)だ」

「いや、そんな見くびるなよみたいにカッコよく言うことじゃないし」


 自分で汚したテーブルを近くのナプキンで拭く。しかし、いまどきの学食にはナプキンなんて洒落たものがあるのか。私のころはそんなものなかったぞ。十年かそこらしか違わないのに。


「で、なんだっけ。私を殺そうとする人の動機がどうとかでしたっけ」

「間違えるな。殺すのは俺だ。殺すことを依頼した俺のクライアントの話だ。しかも、論点はそんなことではない」

「そんなこと」

「問題は、私の依頼主が犯罪に手を染めているかもしれないということだ」


 支払いに差し障りがでることは困る。全額前払いで依頼を受けたから手元にお金はあるのだが、返す事態になりかねない……。


「依頼者から前金は受け取っているとはいえ、それは仕事を果たすための報酬だ。依頼主が犯罪に手を染めているなら、罪を償わなければならない。違うか?」

「どの口がそんなこと言うのよ……。別に、人それぞれお金が欲しい事情があるんだから、あんたに関係ないでしょ」

「なんだ、お前も体を売ったからバレて欲しくないのか?」

「私は……!」


 言いかけた言葉を、彼女は飲み込んだ。

 立ち上がった彼女はトレイを乱暴に返して食堂から出て行ってしまう。


 私は股の間に隠していた小型カメラのスイッチを切った。映していたのは椅子に座っていた彼女の下半身だ。彼女がガニ股をしてくれていたことを願いながら、カレーを口に運んだ。




「一か月。お前を殺す日がついにやってきた」

「……そうね」


 約束の日の朝。今日は日課のために訪れたわけじゃない。

 林道には私と彼女しかいない。

 私が持つ剥き出しの包丁を恐れて、歩いていた人らは一目散に逃げだした。


「稀に、目に見えない殺意に気づく人間に会う。そういうのがどういう人間かわかるか?」

「禅問答がしたいんだったら他所でやりなさい」


 君子危うきに近寄らず。危険感覚を持つというのは何よりも賢明なことだ。犯罪の片棒を担いでいると認識した時点で、その場から撤退する。その判断が命を救うことも握りつぶすこともある。


 けれどそう易々やすやすと手にできるものでもない。

 皮肉なことに、周りに興味がないやつほど危険を察知する能力に長ける。

 生きるのを諦めているやつのほうが、安全には気を付けていたりする。

 

 自殺は、自分から危険に突っ込まないとできない芸当だ。 


「最後にいいかしら。どうしてあなたは人を殺すの」

「仕事だからだ。頼まれなければ暗殺などしないだろう」

「あんた、一度も暗殺なんてしなかったじゃない。たまにお風呂場の窓ガラスを割るぐらいで、後は背中からボール投げたりご飯一緒に食べたりするだけで……」


 彼女は暗にこう言っていた。


「あんたのことなんか好きじゃないんだからね、ってやつか。これだから女子大生という職業に就いたやつは。勘違いするなよ。俺はお前に恋慕れんぼするほど暇ではない」

 

 眉間に皺を寄せてため息を吐いた。大学で陰口を言われて、俯きながらこの林道を歩いていたときに吐いていたものと同じだった。


「あんた、何がしたかったのよ?」


 目を閉じた彼女は、彩りのある世界との縁を断ち切ってしまっている。

 それは悲しいことでも寂しいことでもある。

 死ぬ前にそんな境地に達することは、全く幸せではないというのに。


「殺す気もない。けれど毎日ちょっかいだけはかけてくる。友達面のつもり? お金で体を売るような女はちょろいとでも思った? 冗談じゃない」

「冗談を言っているのはお前だ。貧相な体で金を稼げると思うな。もっと肉を食え肉を。特に生レバー」

「さっさと刺しなさいよ。警察が来るわよ」


 時計を見る。時刻は午前九時。もうそろそろ、警察は仕事を終えている頃だろう。

 となればマスコミももう動いているかもしれない。


「なあ、しりとりでもしないか。そうしたらお前の最後の言葉は「る……留守番電、それはさっき言った……ルーズベット! ぐはあ」になる。ちなみにアメリカの大統領はルーズベットではなくルーズベルトだ。馬鹿な大学生め」


 携帯を開く。速報ニュースからお目当ての項目を探す。


「私何も言ってないんだけど」

「無言と多弁は紙一重だ。もしお前が何も言っていないと思っているならそれは大きな間違いだ。訂正をしないということは、無実を晴らさないということは、事実と認識されても構わないということだ」

「……」


 援助交際の疑いを持たれた時点で、弁解をしなかった。何もしていないにも関わらず。


「お前は俺のクライアントに持ち掛けられた金銭交換の肉体互助を引っぱたいて蹴飛ばした。お前とクライアントが触れたのは手のひらと頬だけだった」

「それ知ってて……」


 お目当てのページを探し出す。ありがたいことに画像がトップに表示されていた。


「それを周囲に対して言わなかったお前が、嫌気が差したぐらいで死のうだなんて……ああ、見つけた。よし、解散」

「……は? 何、解散?」


 彼女の目が開く。驚いた猫のようにまん丸だった。


 俺は携帯で開いたページを彼女に掲げる。


「クライアントが逮捕された。援助交際の容疑だ。「どうやら容疑者は将棋の三本勝負と称して未成年女性をホテルに連れ込み」だそうだ。依頼主がいなくなったなら、俺も職業規定にのっとるしかない。事前の金は送り返す。仕事は遂行すいこうしない」

「あんた……」

「よかったな。逮捕が明日じゃなくて」


 内心、俺は冷や冷やしていた。証拠ビデオだけでは犯罪の証明には不十分だった。未成年淫行の罪には問えるが、援助交際となると当事者からも言質を取らなければならなかった。偶然にも、被害者面したターゲットとの密会の場に、偶然女子高生が紛れ込んでいたおかげだ。


 当然、言いくるめた女子高生も通報してある。今頃は取り調べ室のはずだ。


 踵を返してその場を去る。早くしなければ、包丁を持った俺の元にも警察がやってくる。まあ、これはプラスチックだからドッキリで済まされるのだが。問題は、俺の職業を聞かれたときだ。


「仕事、果たさなくていいの?」

「仕事はなくなった。俺は殺し屋の副業から、本業に戻るだけだ」

「本業?」


 首を傾げた彼女に、俺は背負ったギターケースから、三脚と超高解像度4K録画ハイレゾ録音ビデオカメラを取り出した。


「じゃあな。それはギャラだ。取っておきな」


 輪ゴムで縛った十万円の札束を彼女に放り投げる。そのシーンをカメラに収めて、一本の動画が完成する。


「は? なんのお金。どうして……」


 顔を上げた彼女の顔を素早く撮影。

 足音を置き去るスピードで俺はその場を離れた。


 ディスティネーションは場末の監視カメラもないネットカフェだ。

 そこならカメラに収めた女性のあれこれを販売をしても足がつかないからな。

 


 殺し屋

職歴:大卒

   殺し屋家業を務めて十余年

備考:前科なし


あとがきその1

 去年の今頃に八割書いていたものを見つけたので、この機に完遂させました。

 一年前の文章と大差ない現在の筆力に悲しくなります


あとがきその2

 盗撮と題名にあるのに筋にあまり関わっていなくて期待していた人には申し訳ない。ちなみに、食堂で彼女は足を閉じてご飯を食べていたので殺し屋は一度も盗撮に成功していません。

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