猫と花火とかぶりもの
夜になると蝉はどこに行くんだろう、すれ違った子どもが無邪気に父親へと問いかけていた。
つい先ほどまではけたたましく声を上げていた蝉たちも、今では夜の闇に姿を潜めている。時折ジジジ……とくすぶる様子もあるが、すぐさま静寂が辺りを覆った。
まるでお前だな、と茶化してやりたい気持ちを込めて足早に進む少年の旋毛をぼんやりと見ていると、ふいに黒目がちな瞳と目があった。
スッと通った鼻筋に長いまつげ、柔らかくサラサラな真っ黒な髪。どこに出しても恥ずかしくない整った顔をしているこの美少年は、その実なかなかの猫かぶりだった。
「……なにか?」
「ん、いや何でもねぇよ」
「じゃあその気持ち悪い顔どうにかしなよ」
「はぁ?!」
「ニヤニヤして人の頭凝視しないでくれる?ボクそういう趣味ないから」
「俺だってンな趣味ねぇよ!」
久しぶりに会ったら妙にしおらしいかと思えばこれだ、やっぱりコイツはこういう奴だよ…。心配して損した気分だ。
「お前ってホント図太いよな」
「光栄」
齢11、比奈 裕介。こんな奴でもまだ小学5年生だってのが驚きだだ。
俺がこんな年の頃は鼻水たらして蝉を両手に一日中走り回って遊んでたけどなぁ。っても十五年前とは環境が変わっているっていうのもあるのかねぇ、今の子どもは何かと規制が多くて可哀想だ。
「ねえ、笹山、ボクここにする」
「ん、こんなとこでいいのか」
「早く早く、始まっちゃうよ」
ユウに先導されたどり着いたのは小さく手入れのあまりされていないだろう神社の裏手、虫も多そうだし何より木々に囲まれている。まぁこいつがいいって言うならなにもいわねぇけど、手早く持ってきたレジャーシートを敷き、ユウにこちらを向くように声をかけると怪訝そうな表情で拒否の意を示される。
「人の親切を断るんじゃねぇ、おら立て美少年」
「笹山雑なんだもん、また顔にかけたら許さないよ」
「お前顔だけは綺麗なんだから念入りにやってやる、武士の情けだ」
「武士じゃないじゃん!うわっバカ山!」
嫌がるユウの顔面に容赦なく虫除けスプレーをふりかける。前回目に入ってしまったのが余程しみたらしく、今回は堅く目を閉じ堪えている。まぁこんなもんだろう。
「次は腕と足やるぞ、ほらさっさとしろ」
「覚えておけよ笹山……」
「お前こえーよ、親切だよ親切。逆に感謝してほしいくらいだ」
「家でるとき虫除けしたし、パッチも貼ってある」
「何時間前の話してんだよ、もう無効だ」
ふんと鼻をならしながらも腕を差し出してくるところが子どもだなよなぁ。素直でかわいいところもあるじゃねぇか、なんて思っていると、バチン!と乾いた音とともに頬にじんわりと痛みが広がる。
目の前の美少年は勝ち誇ったように口角をあげていた。ンのやろう。
「笹山、ほっぺに蚊が止まっていたよ」
「……ありがとうよ」
「どういたしまして?」
手のひらの血を誇らしげに見せつけてくるこいつは、かわいい顔してかなりの負けず嫌いだ。もっと優しくつぶしてくれよ、と思いながら徐々に痒みが増していく頬を掻いた。
「お、あと五分。なんか飲むか」
「ボク水筒あるから大丈夫」
「えらいえらい」
「偉いからこれ貸してあげるよ」
ぽいと投げつけられた三センチくらいの何かは、俺にぶつかってシートの外に転げ出た。何なんだ。
「あんまり掻くと、血が出ちゃうよ」
拾ったそれは携帯サイズのかゆみ止め。なかなか用意周到だなこいつ、もうちっと素直だったらもっと仲良くやれる気がするんだがなー。
ありがたく使わせてもらうと、丁度夜空に一発目の花火が打ちあがったところだった。
「おお!なんだなんだ、絶景だな!」
「たぶんボクしか知らない場所」
「お前ガキんちょの癖していい場所知ってるじゃねぇか!でかした!」
「うるさいなぁ、バシバシ叩かないでよ」
「たーまやー!」
木に囲まれてあまり見えないのではと思っていたのだが、頭上のポッカリとあいた夜空いっぱいに、黄色や赤の色とりどりの花火が次から次へと派手に散っていく。最初の興奮は落ち着きを取り戻し、魅入られたように明るい夜空を眺めていた。
花火が散る瞬間、カッと辺りに光が満ちる。刹那、巨大な和太鼓のような力強い音が響きわたり、体が震えた。
「ボク、あれが好き」
ぽつりと呟くユウが見つめる先には、幾ばくもの細い金色の光が線を引くように伸びていく花火。ゆるやかに落ちていく光の先が、最後に桃色の光を放ち、夜の闇に吸い込まれるようにして消えていった。
「しだれ桜みたいで綺麗」
「また上がるといいな」
「うん」
最初は見上げていたのだがいっそ横になった方が見やすいことに気づき、ごろんと横たわりながら道中買ったフライドポテトをくわえていた。
日中は猛暑日だなんだと灼熱地獄だったが、この時間になると過ごしやすいものだ。少し湿った土のにおいが温い風に運ばれてくる。
あいかわらず、今にも落ちてきそうな花火は大迫力のまま続いていた。
「こんなに落ち着いて花火みたのはじめて」
「よかったな」
「いつも皆うるさいから」
「しかたねぇよ、お前らまだ小学生なんだから」
「今日はありがとう」
「……!?」
いま、ありがとうって言ったか?!まず俺に対して感謝の気持ちが存在したことに驚いているんだが、それを口にだすなんて珍しいもなにも初めてのことだから花火を見るのも忘れて隣の美少年を凝視していた。
こいつ、ありがとうって言葉知ってたのか。
「きもい、見ないで」
「お前、かわいいところあるじゃん」
「かわいいとかキモイ、気色悪い」
「三度もきもいって言われると流石に傷つくんだけど」
「ざまーないね」
なんだかなんだとムキになって言い合っているうちに、気付けばラストのドデカい花火。あっという間の一時間半だったなぁと、最後の光が輝きながら消えていくのを静かに見送った。
「あーあ、終わっちまったなぁ」
「まだ夏は始まったばかりなんだから、また見に行けばいいじゃん。彼女とでも」
「……おっまえなぁ」
「あ、ごめん。一ヶ月前にこっぴどく振られたんだったね、ごめんごめん」
「その薄ら笑い引っ込めてから謝れこのクソガキ」
「う、痛いやめてよおじさん」
「まだ26だ!!お兄さんと呼べ!」
まだ癒えていない傷を容赦なく抉ってくる悪魔のような美少年を羽交い締めにして制裁を加えていると、誰かが背中にぶつかってきた。
振り返ると顔に絆創膏を貼ったタンクトップのヤンチャそうな少年と、丸々したお餅みたいな少年の二人組。腕の中でもがいていたユウが、アッと声を漏らした。
「おいおっさん!裕介をはなせ!」
「はなせー」
やっぱりな、こんな親近距離であったのは初めてだが、いつもの奴らだ。
にしてもおっさんはやめてほしい、まだお兄さんで通用する外見だと自負してる、なんてこんな小学生相手にいっても無駄か。
「あはは、ちょっとふざけすぎちゃったね。ごめんごめん、君たちはユウのお友達?」
「そ、こいつら友達の晃一と大樹、同じクラスなんだ。コウ、ダイキ、この人はオレの知り合い……近所のおにーさん。」
「お友達に会えてよかった、僕と一緒じゃつまらなかったよね。えーっと、晃一くんと大樹くん?これからもユウと仲良くしてあげてね」
「えっ、あ、はい!」
「はいー」
「じゃ、また今度な!」なんて似合わない言葉遣いのユウが友達の方に歩き出したかと思いきや、思い出したかのように踵を返し耳打ちしてきた。
「笹山、猫かぶりに疲れたらまた遊んであげてもいいよ」
「うっせバーカ、そりゃ俺の台詞だ」
「じゃーね」
「おう」
不敵に笑ったその顔はどう考えても小学生のものではなかったけれど、ヤンチャ少年二人の間に入った瞬間には、表情豊かな悪ガキのようなどこに出しても恥ずかしくない、やんちゃな小学生、裕介になっていた。
すげーなあの歳にして何匹の猫かぶってるんだよ。俺だって小学生の頃はもうちっと年相応だったけどなー。
あーあ、あっちぃな。早く家に帰ってシャワー浴びて寝よ。
そういやビールあったかな、昨日切らせちまったんだっけか。スーパーこの時間ならまだ開いてるし少し寄って帰ろうか。なんて考え事をしながら
歩いていると、尻のポケットに入れたスマホがヴヴヴ……と鳴った。
「あーー、くそ、めんどくせぇなー」
これは長くなりそうだ、仕方ない。ビールはまた後で買いにでよう。電話取らなかった方がめんどくさそうだし。今日は一時間くらいで解放してくれよ〜。
笹山、モードチェンジ!なんてふざけたことを考えながら、一呼吸おいて通話をタップする。案の定、ヒステリー気味の甲高い声がぎゃんぎゃんとわめき立てた。
「もしもし、今日はどうしたの?荒れてるね〜。え、彼氏と喧嘩?」
しらねーよ、勝手に喧嘩してろよ、何で俺に電話してくるんだよ、なんて言いたいことは諸々あるがすべて飲み込み努めて優しく穏やかな声色でひとつひとつ話しを聞いていく。
こいつはめんどくさいが良い人脈を持ってるから無碍にはしたくない。自分のためだと思ってこれまでと同じように耐えろ、そして共感に撤しろ。
「あはは。僕の方がよかっただなんて言っちゃダメだよ、僕だって、そうだなー。猫かぶってるかもしれないよ?」
なーんてな。
周りに合わせるために年相応になろうと自分を誤魔化す猫かぶり小学生と、本性性悪猫かぶりお兄さんのお話でした。
ご要望があれば二人の出会いなどもそのうち書くかもしれません。