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イヤな奴、二人

作者: 岡田久太郎

 市役所に就職したのは三十年前だ。弁護士になれたらいいな、漠然と思って大学の法学部に入学したが、司法試験の難しさは想像以上だった。その夢は早々と諦めた。

迷った末に市役所の上級職員を目指した。その試験も十倍以上の競争率だったが、何とか合格することができた。

 就職して新人研修を終えると、配属されたのは用度課だった。市で使う物品の購入を担当する係である。物品と言っても様々で、鉛筆のような小さな物から市役所の庁舎といった巨大な物まで扱う。

 部屋は市職員だけではなく、業者や市会議員が出入りして活気がある。上級試験に合格してきたとは言え、実務の経験がまったくない二十二歳の若造である。慣れないスーツを着て端の席に座り、女子職員に教えて貰いながら仕事を始めた。

「山田、飯食いに行こうぜ」

 用度課に来て二日目の昼前、自分の名前を呼ばれた。顔を上げると、赤黒く日焼けした、がっしりした体つきの男が立っていた。

 四十歳前後だろうか。うすら笑いを浮かべて見下ろしている。短く刈り込まれた髪は細かくカールしている、いわゆるパンチパーマだ。額は狭く、眉は薄い。公務員定番の黒っぽいスーツではなく、赤いスポーツシャツを着ている。大きく開いた襟からは胸毛の生えた厚い胸板が見える。

 こいつは誰だ、私は声を出せなかった。

「何か言えよ。お前」

 男は太く大きな声を出した。周りに目を泳がせると、他の職員は下を向いたまま仕事を続けている。

「ちぇっ、度胸のない奴だな」

 男は私が座っている椅子の足を蹴った。

「矢沢さん、そんなに怒鳴りつけちゃ可哀そうよ」

 椅子に座ったまま固まっている私を見かねて、向かいにいる中年の女子職員が声をかけてくれた。矢沢さんと呼ぶからには、見ず知らずの人間ではないようだ。男は女子職員に目を向けた。

「愛川さんに言われたんじゃここらへんで止めとくか。山ちゃんに飯をおごってやろうと思っただけだよ」

 矢沢は私の腕をつかむと、七階の食堂に引っ張っていった。

矢沢は初級職で市役所に入職し、用度課一筋で二十年を過ごしてきた主任だった。上級職が職場を転々として管理職を目指すのに対して、初級職は現場に腰を据える。とは言え、矢沢のように一つの課に二十年いるのは異例だった。

「もう用度課から出たいよ」というのが矢沢の口癖だったが、用度業務の隅から隅まで精通していた。特に建設工事には詳しく、設計や作業のミスを見つけては業者を呼び出し、怒鳴りつけた。 

 建設となると、市長や市会議員が口を出したがる。知り合いの業者に仕事をまわせば票になる。税金から払った工事代金は巡り巡って政治献金に姿を変え、懐に入る。業者の方も一筋縄ではいかない。地元の業者にまわす工事が少ないと、議員に泣きつく。一方、不景気のせいか、全国規模のゼネコンが国会議員の口利きで市の仕事に食い込もうとする。

 最も怖いのは暴力団だ。市の工事で事故が起きれば、被害者と組んで尻を持ち込んでくる。買収予定地に手をつけておき、建設が決まると目の飛びでるような高値で売りつけようとする。

 最近は住民もうるさい。工事で騒音をたてればすぐに苦情が出る。工事の振動で家にひびが入ったと言って補償を求めてくる。本当に市の工事でひびが入ったかどうか、怪しいものだ。

こうした連中を相手にするのが用度課だが、課長は二年毎に移動してくる上級職だ。無事に過ごして次のポストに就くことしか考えていない。政治家相手ならともかく、やくざやうるさい住民を相手にすると、端から腰が引けている。こうした時が矢沢の出番だった。

 元々、矢沢の顔かたちがやくざ風である。兄が県警に勤めていて、警察に顔が利く。人懐こいところがあり、初級職のくせに、部長クラスの上級職員や議員、果ては市長のところまで出かけて行って話をしている。ゴルフが好きで市の有力者に顔が広い。用度課長も頭が上がらない存在になっていた。

「ゴルフ場でお辞儀されて誰かと思ったら、○○組の組長だったよ。困るんだよな」

 用度課の部屋で声高に話していたこともあった。そんな矢沢だったから、上級職とは言え新人の私を「山田」と呼び捨てにするのは不思議ではなかった。

 矢沢は用度課の部屋に居ないことが多かった。たまに居ても、話しかけるのは課長、次長、私の三人の上級職だけ。中級や初級職は鼻であしらった。昼になると会計課の田沢映子と落ち合い、二人でどこかに出かけて行った。

 休日には私をあちこちに連れていった。職員住宅に呼んでくれ、矢沢の家族と焼肉を食べたこともあった。私を可愛がるのは将来市の幹部になるかもしれない上級職だからだ、と気づいていたが、若かった私は誘われるがまま後を付いていった。


 ゴルフも教えてくれた。矢沢はゴルフ会員権を持っていて、何度か誘われた。そのコースに行くと、サングラスをかけた矢沢が赤と白の横縞のシャツ、チェック柄のズボンを着て現れた。首には金のネックレス。いつにもましてがらが悪い。後ろには細身の若い女を連れている。映子だった。

「矢沢さん、それじゃやくざだよ」

 私が声をかけると、矢沢は嬉しそうな顔をした。

「いいんだよ。そう思われた方が、待遇が良くなる。映子、お前は今日一日、やくざの女房で通せ」

 矢沢は豪快にボールを飛ばし、映子はきれいなスィングでボールを打った。ゴルフを始めたばかりの私は、二人の上手さに舌を巻くばかりだった。

「山ちゃん、今朝女房を殴って、手が痛いよ」

 ある朝、矢沢が私の席に寄って来た。見上げると、目の周りがむくみ、不機嫌そうな顔をしている。焼肉に呼んでくれた時に見た奥さんの顔、そして映子の顔が頭に浮かび、何も言えなかった。周りの職員は顔を上げようとしない。沈黙がしばらく続いた後、

「また、ゴルフやろうぜ」と言い残し、矢沢は部屋を出ていった。


 

 用度課に二年いた後、私は総務課に異動した。その後も、営繕課、市立病院などへ移り、結局は図書館に腰を落ち着けた。矢沢とはたまに顔を合わせた。

「早く帰ってきて助役を目指せよ」

 そう声をかけてきたが、私は笑うばかりだった。家族の詳しい近況を印刷した年賀状を毎年くれた。それによれば、奥さんはボランティア活動に熱心だった。少なくとも、離婚はしていなかった。

 私の方は年賀状を出したり出さなかったりだった。用度の仕事に戻る気配はなかった。それに、どう努めても矢沢とは肌が合わなかった。四十になる頃には、無理してつきあう気がなくなっていた。

 矢沢は用度課に居続け、次長に、そしてとうとう課長になった。初級職員がそのポストに就くのは初めてだった。市の幹部や政治家に取り入ったのが実を結んだに違いない。



 矢沢が課長になって一年ほどたった頃、図書館に出勤すると、職員はいつになく大きな声で喋り、テレビはつけっ放しだった。電話にかじりついている者もいる。

「山田さん、聞きました? 用度課の矢沢課長が汚職で逮捕されるそうです」

 女子職員が教えてくれた。矢沢は既に警察署に留められている、工事の談合をしきり各社から金を貰っていた、市役所にも警察の調べが入る、職員の誰かが内部告発したようだ、断片的に情報が流れてきた。窓から市役所の方を見ると、上空を二台のヘリコプターが旋回している。マスコミが詰めかけているのだろう。

「いつかこうなると思ってたんだ。矢沢さんは用度課に長く居すぎたんだよ」

「誰が告発したんですかね」

「さぁな、上にはぺこぺこするくせに、下には威張り散らしてたからな。密告したい奴はたくさんいるだろう」

「そうですね。私も用度課にいた頃は何度も怒鳴られました」

「君か、告発したのは」

「やめてくださいよ。そんな度胸はありません」

「困ったな、これはまずいよ」と口にしながらも職員たちの顔はどこか楽しそうだった。出世した男が転落するのを目の当たりにして胸がすっとする、という気持ちがないと言えば嘘だろう。

 私は職員の話を聞きながら、矢沢がゴルフ会員権を持っていたのを思い出した。それに、乗っていた車はクラウン。女もいる。給料でやっていける筈がない。あの頃はもう、業者から金を受け取っていたのだ、その時やっと気がついた。



 矢沢は裁判で有罪とされ、市は懲戒免職の処分をくだした。それから数年がたち、矢沢のことが職員の口の端に上らなくなった頃、矢沢からの年賀状が舞い込んだ。以前のものと違い、新年の決まり文句と自分の名前だけが記されている。

離婚したのかな、懲戒免職では退職金もでない、どうやって暮らしているのか、年賀状をめくる手が止まった。

 翌日、正月のテレビにも飽きて、ゴルフの練習場に出かけた。いつまでたっても上手くならないのに腐りながら球を打っていると、誰かの視線を感じた。その方向に目をやると、がっちりした体にいかつい顔つきの男がこっちを見ている。

 私はすぐに目をそらした。良く見なかったので断言はできないが、矢沢のようだった。どうする、声をかけるか、それとも気がつかないふりをするか。

 次の瞬間、私の体はそそくさと帰り支度を始めていた。ゴルフバッグを肩にかつぎ、顔を少し下げてその男の横を通り過ぎた。男の姿が視界の隅をよぎった。

 男は、私が顔を向けようとしないので目をそらしたようだ。かつての矢沢なら、「山田、何で逃げるんだよ」と、どすの利いた声を上げただろうが、話しかけてこなかった。


 車の運転を始めても、その男の姿は脳裏から離れなかった。私を見る目をそらした時、男の顔に何か諦めたような表情があった。矢沢だとすれば、罪を犯したことに引け目を感じているのだろうか。職も家族もなくして、自信を失っているのか。声をかければ良かったか。

引き返すか---- だが、足はアクセルを踏み続けていた。


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