第7章 決戦
千という兵は、この時代においてはさほどの大軍勢でもない。しかし、岸岳一門が二百余名であることを考えれば、逃避したくもなるほどに絶望的な戦力差だ。
諜報からそれを聞きつけた彦右エ門は、兵を小出しにして来なかった寺沢を高く評価する一方で、こちらの策がうまく機能していることも確認していた。千の兵を送りこんできた事実は、これがまさしく戦であると寺沢が認めたということにほかならぬ。戦となれば、記録にも残り、岸岳の名は語り継がれる。
「それこそが目的だ。そうでなければな」
彦右エ門は、宇木にある農家たちを集め、彼らを一時的に避難させる手はずを整えていた。
いかに人口が少ないとはいえ、無人ではない。戦のただなかにあれば、民にも当然被害が出てしまうだろう。戦が終わったとしても、岸岳一門を受け入れたとして処断されるかもしれぬ。
それを防ぐために、宇木の農民たちには岸岳一門から強制されて農村を接収されたことにしておく必要があったのだ。もっとも、農民たちは実に嬉々として岸岳一門を支援しようとしていたが。これといって刺激のない毎日が流れる農村に、岸岳の一門は興味の対象であった。
「やや、彦さん。調子はどうだい?」
こう言って声をかけてきたのは、宇木を総括する村長である。
齢四十ほどの年齢だが活力に満ち、屈託のない笑みを浮かべるさまは無邪気ですらある。無論のこと、彼らがこの戦に参加することはないのだが、このまま放っておけば村長自身が槍を持って前線に立ちそうな雰囲気だった。
土地柄から閉鎖的かと思われがちな宇木ではあるが、人心は深く広い。このあたりも、彦右エ門がこの地に陣を敷く理由になっていた。
「調子は良好ですな。しかし村長どのには申し訳がない。この地は戦場となる」
「なあに、波多の殿さまには世話になった。弔い合戦なら派手にやってやらにゃあ」
「そういうものです。ですが、村長どのは早く南へお逃げください。戦には参加させません」
はっきりと告げられて、村長は渋い顔を作った。わしも波多の殿さまから受けた恩は忘れていない。弔い合戦にゃ参加したいのだがね。どうしても駄目か。
「駄目ですな」
とはいえ、そう言ってもらえること自体は実にありがたく思えた。農耕地を荒らすことにほかならない戦である。幸いにも蓄えがあるということに加え、猪狩りや山菜採りなどで生活に困ることはないと言うが、反感はあって然るべきであろう。それが表に出てこないのは、やはり波多親の人柄と、その死への同情には違いない。
彦右エ門は実のところ、主君である波多親を統治者としては高く評価していなかった。時機を察する目がなく、また決断力と行動力に欠けるためだ。しかし、一方でその穏やかな人とのなりがこういった人々の心を掴むことができるのであれば、それもまた才であったに違いない。
「人というのは、複雑なものだな」
ぼんやりとつぶやいていると、馬蹄が響いた。
半兵衛である。甲冑をまとい、いかにも臨戦態勢といった風情の親友に、彦右エ門はふと向き直った。さすがに戦場に出ると、また半兵衛はさまになっている。それに対して、自分はどうだろう、鎧に着られているというのが正しいのか、どうにも馴染まぬではないか。
「仕方がないだろう、彦。おぬしの防具、寸法が合うものがないのだ」
「いや、それならばむしろ着なくてもよいのだが」
「戦でそういうわけにいくまい」
半兵衛の言葉はもっともだったが、むしろ寸法の合わない甲冑をつけた大将のほうがよほど貧相ではないのか。そんな疑問が浮んだが、押し黙ることで彦右エ門は自分を納得させた。文句を言うわけにもいかないのだ。
岸岳一門は、それぞれが甲冑と槍、刀を携えていた。こういった武具防具は、もとから岸岳一門が隠蔽していたものに加え、弔い合戦へ理解を示した商人らが秘密裏に横流しをしてくれたものである。馬も二十頭が用意でき、主力の武士らに与えられていた。
「おれたちの頭領は、いまやおぬしだ」
半兵衛は言うと、寺沢の兵が近付いてきていることを敏感に感じ取っていた。どうやら戦の匂いがしてきたようだと、半兵衛の表情が変わる。滅多に見せることのないそれは、なにやら笑みのようですらある。狂奔に猛る岸岳の面々も、続々と彦右エ門のもとに集まっていた。
かける言葉など、もはやあるまい。
彼らは荒くれだ。だが、単なる荒くれではけしてない。その芯には、たしかな忠義と信念を掲げている武士たちなのだ。彼らはこれから、自らの死に場所を求めて戦うのだ。どのような言葉であれ、意味をなさぬ。そうであるのならば。
「さあ、戦だ」
村を包み込むような壮絶な鬨の声が、彦右エ門の静かな言葉を皮切りにして響き渡った。
◆◇◆
寺沢の命を受けた盛重が、多重陣形を敷いて宇木の村へ圧力をかけたのは、早朝の頃合いである。どうしたところで戦は避けられぬのであれば、早々にけりをつけておきたいというのが盛重の思うところであった。
と言いつつ、夜戦を仕掛けなかったあたりは盛重の賢明さがうかがえる。もとより波多岸岳の一門は、倭寇としてその猛威を奮った兵だ。夜の戦には岸岳に分があろう。盛重の堅実な方針は的を射ており、緊急で拵えられた馬防柵をものともしない、足軽の突貫が敢行された。
これに、彦右エ門はあらかじめ用意していた小細工を弄することを決断した。
火薬をくくりつけた火矢を、いっせいに放ったのである。岸岳の面々は弓に長けてはいなかったが、別段当たる必要性はない。火薬の中に木片などの欠片を混ぜ、爆発の瞬間に四方へ飛散するようにしていたのだ。
これが、実に効いた。直接の爆風にさらされない限りは致死性の低い細工ではあったが、足軽の肌を割く小さな飛来物と、耳を叩く音が幾段にも途切れることなく続けば、もとより戦功をたてるような戦ではない。盛重率いる兵らの士気は、みるみる低下していった。
「なるほど、はったりか」
盛重はすぐさま細工を把握すると、すかさず檄を飛ばした。
臆するな、敵は狙って矢を放っているわけではないぞ。ただ光と音、そして小さな木くずで驚かせようとしているだけだ。走れ、走れ、そして首級をとれ。敵はたかだか二百ばかり、恐るべきなにものもない。
「そう、敵の将が叫んでいる頃合だろう」
そうでなければ困る。とばかりに、彦右エ門は笑みを浮かべた。岸岳一門の幕を閉じる相手なのだ、それくらいの度量を持っていてくれなければ、相応しくない。もっとも、盛重のことは彦右エ門もよく話に聞いた相手である。相手に不足はないと、端から確信しているところではある。
戦端は開いたが、いまだ岸岳の面々は誰も抜刀せず、槍を振るってもいない。
猛る一門の面々を抑えるのは難儀であったが、その逃げ場のない熱量こそ岸岳の武士だという感慨もあった。これをいつ解き放つか、それを見極めるのが彦右エ門の役目であり、そのためだけにいまここにいるのだということを彦右エ門自身が理解している。それゆえに、彦右エ門は盛重の動向を徹底的に注視した。
矢攻めに立ち直り始めた盛重の兵らは、槍をまっすぐに携えて彦右エ門の拵えていた最初の陣に肉薄した。陣といっても、麻と木材を編んで作った柵と、大小の石を適当に並べただけの大雑把なものである。肉薄されるや否や、彦右エ門はこの小さな陣を即座に放棄し、駐留している矢を射かけていた兵らを退散させた。無論、すべての火薬に火をつけることも忘れてはいない。
爆裂による炎、そして音、さらには四散した木片は陣を制圧したつもりでいた盛重の兵らに相応の打撃を与え、わずかに混乱が生じた。この隙を、彦右エ門は逃さなかった。
半兵衛率いる二十の騎馬を、畳み掛けるように投入したのである。頃合いとしてまるで申し分はなく、そのはたらきは彦右エ門の期待を超えた。わずか二十騎で盛重の陣を撹乱し、そして離脱したのだ。
盛重はこの時点で、危機感を覚えていた。直線的な用兵とはいえ、圧殺するには十分な兵力を用意していたはずだ。まさか、こうも翻弄されるとは想像だにしていない。
「否、敵はかの波多一門。それに加えて島津の用兵とくれば、なるほど舐められぬ」
盛重は気を取り直し、すぐさま兵の一斉投入を決断した。ただ投入するだけではない。六陣に分けた兵らを三方向から包み込むようにして、岸岳一門を制圧しようというのだ。兵力の逐次投入をするほど、彼は愚かではない。そして、岸岳に余裕がないことも承知していた。ここで攻め気に出なければ、無駄な被害が拡大するばかりではないか。
その動きに、彦右エ門は感心した。さすがに、小細工でいたずらに消耗してくれるような相手ではない。それを認めると、彼はすぐさま決断をした。
いまこそ、いまこそ。岸岳を後世に示す好機ぞ。
「括目せよ。我ら蛮兵なれど、義兵なり」
「括目せよ。我ら逆賊なれど、武士なり」
もはや、策はなどいらぬ。敵を懐に入れよ。
戦え、そして死ね。
それでこそ、武士ぞ。波多の臣たるものぞ。
さらば。
さらば、友たちよ。