第6章 派兵
岸岳一門蜂起の報に、寺沢志摩守広高はさほど驚きを覚えなかった。
ただひとこと「そうか」とだけつぶやいて、彼は淡々と自らの実務に戻ったという。というのも、広高はこうなることをある程度予測をしていたのだ。彦右エ門の懸念通り、彼はあえて岸岳一派を抑圧していたのである。
案の定、彼らは暴発して勢力を集め、現体制に牙を剥いた。こうなれば、あとは不穏分子を取り除くだけである。それだけのはずであった。だが、広高は数日を駆けて情報を自らのもとに集めていくうちに、ふとした疑問を抱いた。
「彼奴ら、統制されている?」
抑圧した感情に任せての蜂起であれば、もっと混乱が生じていてもおかしくはあるまい。実際それを見越して、自らが手を下すのは末期の瞬間のみでよいとたかをくくっていた。だが、どうにも状況が予測と異なっている。
まず、岸岳の残党は宇木の地に集結した。これはよい、どこに集ったところで、所詮は当主を失った烏合の衆でしかないのだから。しかし、その烏合の衆であるはずの一派が宇木に三日城を築いたと言うから、これには広高も穏やかではいられなくなった。
城といっても、柵を組み小さな堀を重ねただけのものだが、ここにきて広高はなるほど、してやられたとばかりに唇をかんだ。付き従う臣下の中で、特に戦に長ける者を呼び寄せると、広高は問う。
「岸岳の一件、そなたはどう見る?」
問われた軍師はしばしあごを撫でて、おそれながら、と頭を垂れた。
「おそれながら、岸岳の一門を烏合の衆と見るのはいささか早計でござる」
「理由は」
「ひとつに、陣とすべき地に宇木を選んだ理由にございまする。柵や堀を組んだのは、すべて山岳のない北の方面ばかり。これは明らかに野戦に備えるためのもの。その三日城そのものも、計算された動きであるからこその迅速さでござろう」
ふたつに、と軍師は続ける。
岸岳の一門は、民を味方につけつつある。これこそが、広高を軸とする藩体制にはもっとも脅威であった。そして、なにより岸岳が自棄になって蜂起したのではなく、一定の方針に従っていることが見て取れるというのだ。
「改易された波多氏への同情を、民から引き出していると」
「そなたの考えにわたしも賛同する。まったくの同意見だ」
軍師の意見にうなずいて、広高は思案を巡らせた。
なるほど、どうやら岸岳の一門は単なる暴発で蜂起したわけではないらしい。たしかに統制のとれた動き、そして計算された陣、民の感情操作も然りだ。ただの賊として、あるいは陳腐な叛乱として片付けるには不安材料が多いと認めざるをえぬ。
こうなってくると、興味がわくのは岸岳を統制しているいまの首領である。
「岸岳一門の主だった面々は、すでに流された先で死んだはず。波多親に子がいたという話も聞かぬ。鬼人……半兵衛が松浦に戻ったようだが、あれにこれほど状況を動かす力があるとは思えないのだが、どうか」
「鬼人はたしかに十人力とも百人力とも噂されておりますな」
だが、それはしょせん噂にすぎぬ。鬼と言われど、人間でしかないのならば、いかに強かろうと恐れるに足らぬ。真に警戒すべきは彼ではないと、軍師は断言した。
「波多老中大下柾吉が嫡子、彦右エ門。あの男がついているのでござろう」
「彦右エ門。流血を嫌い、岸岳城の放棄を即決したあの男が、いまさら叛乱だと?」
「いかにも」
疑うような視線を投げかけておいて、それでいながら広高は奇妙な確信を持った。
まさしくそうだろう。岸岳一門はもともと荒くれの集団でしかない。それをまとめ上げ、民意までをも操るなど、たしかに大下彦右エ門のほかに該当する者がいないではないか。この確信は揺らがなかったが、同時に少しばかり寂しさもあった。
広高は、彦右エ門に対してさほど悪い印象を持っていなかったのだ。流血を避け、民の平和と安定こそ必定とするその在り方には感心したものである。それが、いまになって叛乱とはどいう了見であるのか。気にはなったが、しかしそれを確かめるすべもない。
広高はすでに後手であることを認めて、派兵を決断した。
足軽や騎兵を合わせ、千名。これは、岸岳一門の総勢力二百名の、実に五倍に上る数である。さらに後衛の予備兵力として千を準備させた。もちろん、その二千が広高率いる藩の総勢力であるわけもない。もとより、数の上で敗北する可能性など皆無の戦であった。
だが、それでも広高は警戒を怠ることをしなかったのである。
相手が北部九州で最強を誇った松浦党であるから、というのももちろんであったが、それだけではない。かの第六天魔王織田信長は、桶狭間でまさに五倍の敵を打ち負かしているのだ。信長ほどの智謀を彦右エ門が有するとはさすがに思えないが、この戦は今後藩を統治していくうえで肝要となる。けして失敗は許されないという、広高の思惑もあった。
兵らの指揮を任されたのは、広高に従う軍師である。名を松野盛重といい、軍学に明るく長年広高の側近として遇されてきた男だ。彼は宇木へ入るまでにいくつかの策を広高に進言した。
「火攻めはいかがでござろうか」
「ならん。宇木の地は今後重要な農作地となる。枯れ地にはできぬ」
そもそも、火を放つのはいいがどうやって消火する気なのか。宇木には水量の多い大河などはなく、山から流れ出る小さな川しかない。山に火が移れば未曾有の惨事となろう。
「それでは、南の山より奇襲をかけようと存じまする」
「ならん。南の地は見帰の滝があるではないか。それに、あのあたりは天照大御神が降り立ったとも言われている。神聖な地に泥を塗るわけにはいかぬな」
ほかに、毒攻めなども候補に挙げたが、すべて広高によって退けられてしまった。
盛重にしてみれば盤石を期するための策ではあったのだが、本音でいえば策を弄せずとも数の力でどうにでもなるとは思っていた。しかし松浦党、それも岸岳一門を相手取るということには武者震いもある。なにかしら策をもって戦に臨みたいというのは、軍師の性であったろう。
とはいえ、結局有効な策を思いつくこともなく、盛重は正面からの野戦を選択した。
数に大幅な利のあるこの戦において、それこそが最良であった。