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岸岳  作者: 宇津木太久郎
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第5章 宣戦

 いかにして寺沢とあいまみえるか。


 その議論を終え、半兵衛はふとそうした過去の出来事を思い出していた。なんとなしに、いまの状況に被るものがあるのではないか。相談をせず、ただ正面から向かっていくことを考えていた半兵衛を叱りつけ、彦右エ門が手を貸してくれている。


 やはり、おれはひとりではなにもできぬ。

 それは分かっていたことではあった。そしてもうひとつ。


「おれだけを除け者にしようとするとは、やってくれるな。半兵衛よ」


 ぽん、と肩を叩かれて、半兵衛は振り返るのをためらった。見るまでもなく、彦右エ門が怒り狂っていることが知れたからだ。たしかに、除け者にしようとしたことは事実であったから、半兵衛には返す言葉がない。だが、けして悪意からではないのだ。


「分かってくれ、彦。おぬしはこれからも天下に必要な男だ。おれたちの愚行にわざわざ付き合う必要などないと、そう思ったからこそ」

「余計な配慮だったということだ」

「おぬしには娘もいるではないか」

「家族がいる同胞はおれ以外にもいる」


 まったくである。


 口喧嘩や頭の回転で彦右エ門に勝つことはできぬことは、半兵衛も身に染みていた。まして、こういう状況になるとは想定もしていなかったのだ。彦右エ門には早くに島津へ逃げ延びてもらい、次の世代へ繋げていってもらいたかった。だが、たしかにそれは半兵衛の身勝手というものであろう。

 現に、彦右エ門はこうしてそばにいるのだ。まったくもって、ままならぬ。


「りんは、どうしたのだ」

「すでに嫁入り先を決めてきた。憂いはない」

「なに?」


 驚いて、半兵衛は彦右エ門へと向き直った。これは意外だったのだ。彦右エ門は贔屓目に見ても、娘であるりんを溺愛していた。男手ひとつで育ててきたのだからなおさらだろうが、その愛娘を松浦に残すとは。それこそ、りんだけでも島津に逃がせばよいではないか。


 いや、それ以前に嫁入りと言ったのか。


「りんならばうまくやっていける。おれの娘だ」

「なぜ島津に逃がさない? 松浦に留まれば、先が知れぬぞ」

「あれが拒絶した。島津は故郷ではないとな。覚えてもいない土地に逃げようとは思わぬと、そう言ってのけたよ」


 なんとも、女とは思えぬ言いようである。


 りんのことを知っているだけに、半兵衛は意外さを禁じえなかった。あの娘は淑やかでおとなしく、そして病弱な印象ばかりを持っていたが、まさかそれほどに檄したところがあるとは。


「……いや、必然か」


 思いなおして、半兵衛はつぶやく。なにしろ、この彦右エ門の娘なのだ。外見がどうあったとしても、その気性が受け継がれていればそうもなろう。婿になるという男が、これではなかなかに苦労をしそうではある。


 これに、彦右エ門が苦笑を浮かべて半兵衛の肩に手を置いた。


 まあ、まあ。そう言ってくれるな。あれのおかげで踏ん切りがついたというのもあるのだ、我が娘ながら、たいしたものだというところが大きいのさ。器量がよく、度量もある娘というのはそうはいまい。


 なにやら娘自慢が始まり、半兵衛は小さく嘆息を落とした。


「りんが余計なことを言わなければ、おぬしは島津に落ちのびていたのかもしれん」


 言ってはみたが、おそらくりんが言わずとも結果は変わるまい。

 彦右エ門は心の内に揺るがぬ芯を持つ男だ。


 ほかの岸岳一門が蜂起すると知って、ただ黙って自分だけの身を案じるような性格ではないことも、重々承知はしていた。承知していながら逃がそうとした自分自身もなかなか面の皮が厚いと思わないでもないが、それは棚に上げてもいいだろう。むしろ、こちらの配慮を察してくれてもよいではないかと、そう愚痴のひとつも言いたくはなる。


「余計な配慮だと言ったろう、半兵衛よ」


 彦右エ門は肩をすくめて、そう告げた。


 来てしまったのだから仕方あるまい。観念して状況の整理を手伝え、半兵衛。実戦となればおぬしが軸となるのだからな。おれのことなど、もう気にするな。


「案じてくれたことには感謝する」


 彦右エ門の方針は明快であり、かつ単純であった。


 まず、岸岳一門は寺沢の下につくことをよしとせず、独自の勢力を保持する。

 ただ叛乱を起こすのではなく、一時的に岸岳を復興するというのである。こうすることで、岸岳一門がいまだ健在であり、寺沢だけでなく民衆へその印象を根付かせる狙いもあった。つまりこれが一揆ではなく、武士による常道の戦として成立させるための方針である。


 もっとも、拠点とすべき岸岳城はすでに廃城となり、取り壊しも進んでいる。さらに、ここは警戒が厳しいために、奪還はもはや現実的ではなかった。そもそも、奪還するまでの段階で兵力を消耗してしまう。これでは意味がない。


 では、どこをして拠とするのか。これについても、彦右エ門は目星をつけていた。


「おれは、宇木の里を考えている」


 宇木といえば、岸岳から北東に位置し、北に鏡山を望むことのできる農村地帯だ。東西南を山に囲まれているが、鏡山を望む方面には山も森もなく、景観のよい地区ではある。だが、その囲われた風土であるために人の往来がなく、農村がいくつか点在するだけでこれといった特徴もない。商人すら滅多に訪れないという、まさに辺境であった。


 そう。だが、だからこそよいのだ、と彦右エ門は言う。


「宇木は三方を山に囲まれている。便宜上三方山とでも名付けておこうか。これが天然の要害となる。これをもって、後方の憂いを断つ」


 三方山のうち南の山には、松浦に置いて神聖な地とされる見帰の滝があり、これまた寺沢が南から回り込むことをためらう要因ともなろう。寺沢は民衆からの印象を大事にしていたから、まず地元の風習を過度に刺激することはしない。このあたり、彦右エ門は寺沢の方針を高く評価していたが、翻せば重要な時に身を切る決断ができないということでもある。


 一度方針を定め、それに乗ってしまえば、いざというときにその方針から抜け出せなくなるのだ。寺沢はその典型であると、彦右エ門は見ていた。もっとも、それは波多親も同じであっただろうし、おそらく自分もそうであろうが。


 では、大義とはなにか。


 これこそ彦右エ門がもっとも頭を悩ませた問題であった。

 なにしろ、寺沢の施政はけして間違ったものではなかったからだ。土着の豪族や岸岳一門の弾圧は新参の藩主からすれば当然であったし、課税は重くともけして寺沢の欲から生じたものではない。広高は松浦をはじめとする約八万石を治める藩主として、その治世を盤石なものとせねばならない責務を負っているからだ。


 その責務は民への責任でもあり、治世を象徴する城の築城、そして新田を開発するために肝要となる暴風林の設置など、増税によって得たものはことごとく一帯の支配の強化と、民の暮らしの安定に充てていた。後世のことではあるが、この安定と栄華は松浦の史上に類を見ず、一代でこれを極めた広高を名君として知らしめることになる。唯一、息子の堅高を後継とした点は失政であったとされているが、それは彦右エ門にとっても未知のことでしかない。


 だからこそ、彦右エ門はことに掲げる大義に慎重になった。


 失政を犯した藩主に対して、反旗を翻すのは簡単だ。民衆を焚きつけるような言葉はいくらでもある。しかし、善政に対してなにを言えというのだ?


 結論として、彦右エ門は困難な思索を捨て去ることをこそよしとした。

 つまり、「岸岳一門はいまだ滅びず」という一点である。


 改易されたとはいえ、秀吉による波多親に対する処遇はあまりにも非道であった。朝鮮から帰還してみれば、故郷への上陸をいっさい禁じられ、その船のままで筑波に流されたうえで、無念のうちに命を落としたのだ。一城の主にして歴史ある波多の当主に対し、これは到底許されることではない。


 ゆえに、改易そのものが無効であり、波多の忠臣が残されている以上、岸岳一門はいまだこの一帯を治める権限を有するというものであった。道理は通っていないが、しかしこの一文を松浦一帯に流した時、民衆は「波多の領主さま」に同情の念を抱いた。なんとかわいそうな領主さまだろう、たしかに少しばかし寺沢の領主さまは横暴だったのではないか、という具合だ。


 民衆の同情は岸岳一門を強力に後押しした。怒りとは違い、同情は使う側からすれば制御がききやすいというのも計算にあったが、糧食や武具など、水面下で協力を申し出る者が多く現れたのは彦右エ門にとっても僥倖というほかあるまい。


 かくして、岸岳一門は寺沢に向けて宣戦したのである。

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