第3章 戦支度
半兵衛にとって、彦右エ門は友人ではあったが家族ではなかった。至極当然のことではあるのに、半兵衛はそれが残念でならぬ。もし彦右エ門が兄であれば、さぞ自慢したであろう。
彦右エ門の出生である島津は、いまだ天下に類を見ぬ強大な軍事力と、それをまるで無駄にせぬ即断即決を旨とした実行力を併せ持っていた。例外として柾吉は穏やかそのものといった性格であったが、彦右エ門はまさに島津由来とも言える気概を継いでおり、優しげに見えながらもその内に秘めた熱は松浦さえも霞む。少なくとも、半兵衛はそう確信している。
それを象徴するのが、豊臣秀吉から島津討伐の号令が下りた折のことである。
彦右エ門は、まっさきに波多親へ豊臣の側につくよう進言したのだ。
彼にとって、それは故郷に背を向けることにほかならず。そこにいかほどの苦渋の決断があったのかは分からぬ。しかし、彦右エ門は大局を見たうえで、ここで豊臣につくべしと断じ、それを臆すことがなかったのである。身内すら切り捨てるその覚悟に、半兵衛は戦慄したことをよく覚えていた。結果として、柾吉と波多親による苦悩が彦右エ門の意見をよしとしなかったが。
いまもそうだ。耐えるべきところは耐え、忍ぶところは忍ぶ。
理を解していなければ、およそできることではあるまい。
だからこそ、だからこそ、彦右エ門はこの先も生きねばならぬ。半兵衛にとって、彦右エ門は未来を担うべき男であった。過去にすがり、殉じようとする愚かな自分たちに付き合わせるわけにはいかぬ。
そう思って、彦右エ門には島津への避難を請うたのだ。
そして半兵衛自身は岸岳一門の代表者を静かに招集した。鏡山の中腹にこしらえられた山小屋でのことである。鏡山は岸岳城から大きく離れており、また寺沢の支配下に置かれている。しかし神聖な地であるがゆえに寺沢の目が行き届いておらず、忍んで密会するには都合のよい場所であった。
末期の戦になることは目に見えているがゆえに、集った面々の顔付きはむしろ晴れやかですらある。岸岳の信条に殉じることができることは、またとない武士の誉れではないか。彼らの表情からは、そういった力強い意志を読み取ることができた。
「とはいえ、どう攻めたものか」
同志たちの顔付きに頼もしさを覚えつつ、半兵衛は腕を組んでいた。
玉砕はもとより覚悟のうえ、しかしただやみくもに向かっていくだけでは一方的に打ち倒されるだけであろう。寺沢を夜襲するという案も出たが、それは信念に反する。なにも寺沢を討ち果たそうというわけではないのだ。
「波多の誇りを掲げて戦うのだ。そうでなければならん」
「そうだとも。夜襲をかけて寺沢を討ったとしても、それでは波多の誇りは示せぬ」
まったく、そのとおりである。幸運に幸運が重なって寺沢の首を取ったとして、その先がどうなるのか。豊臣は忠臣の死に激怒し、大挙して波多一門に襲いかかるであろう。そうなれば、噂に聞く光秀の三日天下ではないが、いたずらに松浦の地を混乱させて民を苦しめるだけであることは明白だった。それは半兵衛とて本意ではない。
であれば、正面をきって堂々と野戦をしかけるか。それしかないと、半兵衛は断じた。
寺沢はけして戦上手ではなく、武人として実績があるとは言えぬ。それでも豊臣から松浦を任され、さらには九州の勇たる島津との取次を担うなど、その総兵数はとても軽視できるものではない。だが、隠れてどうにかなる問題でもない。やるならば、堂々と誇りを掲げねばならぬ。
沈黙の中、ひとりの若い波多武士が惜しむように声を出した。
「やはり、彦どのに助言を請うべきではないでしょうか」
「いや、彦右エ門は根からの武人ではない。卓抜した知恵は治世にこそ活きるものだ」
こう返したのは、半兵衛である。返しつつも、半兵衛は自らの言葉を内心で否定した。
知恵と知識は同一ではないが、表裏ではある。知識を高めれば、必然知恵も湧き出るというものだ。知識なき者はいたずらに蛮勇をのみ誇るが、知識ある者は蛮勇をすら手中に収めて己の手脚とする。その意味で、彦右エ門は的確な妙案を導き、示してくれるやもしれぬ。
ないものねだりをするべきではない。策がないのであれば、やはりいずこかに布陣をし、正道をもって野戦をしかける以外にはあるまい。そのための陣地、そして寺沢へ次第を伝えるための使者の選抜の双方を一同が検討し始めた、まさにその矢先のことである。
「待たれよ」
静かな声が、岸岳一門の間を駆け抜けた。
ざわ、と騒然となったのは、そこに現れたのが不在を嘆かれていた当人、彦右エ門であったからだ。彼は武装をこそしておらず、農村に暮らす民の格好そのままだったが、しかし腰には太刀を下げている。半兵衛は親友の姿にまず驚き、そして声を上げた。
「彦! なぜここが知れた」
「岸岳の同志に声をかけたら、嬉々として教えてくれた。半兵衛よ、守秘を徹底できていないのではないか?」
言われて、たしかにと納得をする。
この場に集った岸岳一門の中心人物らは、彦右エ門を島津へ逃がすということで意見を一致させていた。しかしそれを知らぬ者のほうがはるかに多いのだ。そもそも、この場にいる誰もが彦右エ門が松浦に残るとは考えていなかったというのもある。彼には娘であるりんもおり、こうした無為な争いをよしとするまいと思っていたからだ。いや、いまでもまだそう思っている。
「おれたちは止まらぬぞ、彦。波多の誇りは」
「承知している。岸岳とはそういうものだ」
だが、と彦右エ門は続けた。
「軍師なくして戦ができると思うな」
言うや否や、彦右エ門は半兵衛らが眺めていた地図に目を向ける。ややあって、彼はひとつひとつ問いかけていった。こちらの兵力はいかほどか、武具は揃っているのか、戦略は、戦術は、指揮は誰が執るのか。なにを大義に戦を仕掛けようというのか。
そのすべてに明確で合理的な回答を持ちえないのであれば、一藩を相手にして戦などできはしないと、彦右エ門は岸岳一門につきつける。
「大義がなければ、まず話にもならん」
「なにが大義かはおれたちの心が決める。波多の武士として散る覚悟こそが大義だ」
「己の言葉に酔うな。大義とは民がそれをして是と認め得る理ということをわきまえろ」
静かなもの言いであったが、しかしそれでいて有無を言わせぬ気があった。かつて何度も垣間見た、彦右エ門の言葉の力だ。押し黙ってしまった岸岳の面々に対して、彼はこれまでの方針を確認し、それを検証して新たな指示を下していく。
その姿に、半兵衛はふいに懐かしさを感じて目を伏せた。