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畢竟に咲く赤い花  作者: 玲瓏
第一章
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水染俊の自殺と、彼の家族

 事件の日、水染俊は既に八条探偵事務所を辞めていた。大学も行かずただ家で過ごす日々を送っていた。

 母である水染(みなぞめ)菜帆(なほ)が得たいのしれぬ予感を感じ取ったとしても不思議ではない。引きこもりとなっていた息子が、夜に外出しようとしていたのだ。

 八条さんのところに行く。水染俊はそう答えたという。

 だが、実際には八条のところには訪れておらず、事務所にすら訪れることはなかった。事務所にいた八条と、水染の家を尋ねた松枝(まつえ)亜紀(あき)の主観による事実からそれがはっきりとされている。

 水染が自殺だということも明らかになっている。

 自殺した日の朝、松枝が大学に行く際に警察と救急車で慌ただしくなっているところを目撃している。周りの学生の調査したところ、騒ぎの中心は水染で、屋上から飛び降り自殺をしたとされている。あまりにも無残な人間離れした状態で発見されたという。

 警察の調査によって確実な自殺であると判断された。

 学校へ向かう水染の姿を同じ大学の学生が発見しており、誰かに連れ去られることはなかった。大学にある監視カメラの映像にも水染は一人でしか映っておらず、それ以前にもそれ以降にも屋上へ登った人物はいない。

 この捜査は覆されることはなかった。

 世間の関心は動機なき死へと向かわれた。遺書もなく、遺言を聞いた人物もいない。

 当初は殺人説も浮上していた。不登校であった水染はいじめられており、その主犯格と椿事の末殺害されたのではないか。もしくは、思わぬ事故で死亡してしまったのではないか。

 説として、どちらも曖昧なものであった。いじめを名乗る者が出ることはなく、事故死だとしたらなぜ夜中に屋上にいくというワンシーンを彼は演じたかという疑問に答えなければならない。それもまた、思わぬ、の中に入ると言う者もいるが、屁理屈ですらないつまらない逃げ方であることは明白だ。

 警察は自殺という形で落ち着き、世間もそれに納得する形でこの事件は終わった。

 世間一般ならそれで良い終わり方であろう。

 母はどうだろうか。二十年もの時間をかけて大切に育ててきた息子が、自分に何も言わず自殺したのだ。もちろん、奈帆は他殺だとは思っておらず、自殺で納得している。動機がないことが彼女にとっては問題であった。

 事件が片付いてしまったあと、奈帆は葬式の準備をしながらも彼の動機を一生懸命探した。息子の部屋、自分の部屋、弟である拓也(たくや)の部屋、夫である俊哉(としや)の部屋。それだけに留まらず、リビングや台所、ソファーの下からベッドの下まで探せるところは隈なく探したが、動機となるものは見つからなかった。

 ただ、俊の机の上には写真立てがあった。かなりシンプルで、長方形の形にホワイトカラーだ。中で写真にうつる真っ赤な花に目が惹かれたのは、彼女が何かを感じ取った証拠であるだろうし、この物語の最後に本当の意味を知ることになる。この時はまだ、ただの赤い花でしかなかった。

 花に疎い奈帆に、名前はわからなかった。中心から外に向かって大きな花弁が不規則に広がっている、という事と、なんの脚色もなくただ真っ赤だということしか分からない。

 奈帆は諦めかけていた。俊が死んだ動機を探るのは、太平洋の中に沈んだ小さなスプーンを探すほどに無謀で果てしなかった。

 本当に何も語らず、死んでしまったのだ。奈帆は悔しがる日々を続けていた。親として無力であったことは、彼女にとって衝撃的であったのだ。

 後追い自殺。彼女はネガティブな発想を浮かべた事もあった。それほど悲しみに蝕まれ、やつれていった。

 死んだような日々を送り続けた彼女は、ある日、人生の分岐点とさえ呼べるほど大きな運命に出くわした。父も、弟も全く想定すらできないことが起きたのだ。

 実の息子から封筒が届いた日、彼女は一心不乱に事務所へと駆け込んだ。


 事務所のオーナーである私は日常において当たり前のように浅葱君や他の子達とコミュニケーションを欠かさなかった。仕事の合間に作られる雑談の時間は私にとっても楽しいものであったし、何よりその時間があるからこそ亜紀ちゃんや小原君はいつまでもここにいてくれるのだろう。

 水染君も例外ではない。彼は無口ではあるが、私からの受け答えには素直に応じてくれている。

 家族の話題になった時だ。彼はこう話してくれたのを覚えている。

「見本的な家族かもしれませんね」

「見本? 水染君の家族がってことかな」

「はい。父も母も優しいんです。説教をするときも怒鳴ることはなくて、なんというか、僕を信頼してくれてるような気がします」

 家庭の見本と例えたこの時の水染君は、どこか誇らしげであった。ただ、それは傲慢ではない。事実、彼の家族は傍から見ても裕福であり幸せなものであったに違いない。実の家族である俊もそれを実感している。

「僕は幸せものですね」

 彼がそういったとしても、私は不思議には思わなかった。

「ですが、その信頼が、たまになんですけど不安になりますね。答えられるかどうかって」

「現に答えられているんじゃないの? 友達もいるし、……まああまり給料は多いとはいえないけどこの事務所で社会を学んだり、大学にもいって成績は優秀なんでしょ」

 彼自身はそれを受け止めているだろうに、なぜか顔は晴れなかったことを覚えている。

「親の期待だけを見ることが、あなたの人生じゃないでしょ。そんなことでいちいち悩んでたら、自分の夢すらも見失うよ」

 この時、水染君は大学一年生、つまり今から一年前の日であったが、彼はその時点で既にシナリオライターになるという夢を持っていた。

 主にテレビゲーム等のシナリオを描くのがそれらしい。文章を書くことに苦手意識を持つが、世界観や独自の人生観を持つ彼ならではの将来であろう。

「夢、ですね」

 彼は静かに私の言葉を繰り返した。

 結局この日は水染君の顔が晴れないまま終わってしまったのであった。

 軽く、水染家についてまとめておく。

 自殺した水染俊は長男で、その下には拓也という弟がいた。中学生の弟も兄に似て寡黙な性格だ。だが、口数は兄より勝る。よく生意気であると俊がこぼしていたのを思い出す。

 母の奈帆は私と同年代の女性で、自信家の一面を持っている。専業主婦であり拓也と俊、二人の息子とは父よりも繋がりが多い。近所付き合いも豊富な一面をもっており、私からしてみれば好印象な奥様である。化粧も上手い。

 ただ、時折傲慢になる。元々高校の教師をしていた彼女は、息子達を育てる際に使った教育プロセスを絶対的であると信じ、目標どおりに育ててきている彼女は子どもたちを過信しているところがあるのだ。子育てに関してはプライドが非常に高く、息子の俊が私の所に来るときも長く話をしたものだ。

 ただ、彼女自身は厳しい英才教育を施していることはない。時代を考え、子供を考え、思料してきた。私からみても、彼女の教育は褒め称えるべきものであったことは否定しない。

 父の俊哉(としや)は仕事熱心でありながら、夕飯前に帰ってくることが多いと聞いている。今でこそ休日は家でのんびりとしているが、子供達が幼い頃はよく公園で遊んだり、遊園地にいったりと活発的な父親だったらしい。教育に関しては奈帆に及ばないため手を出せなかったが、そのことでよく揉め事が起きた。

 俊哉としては、子供にばかり構う奈帆に不安を覚えたのだろう。

 やはり、一般的か、それより優れた家庭であることに間違いはなかった。家庭内暴力もなければ、嫁姑問題があったわけでもない。

 水染君の言うように、彼は恵まれた存在であったはずだった。

 私は小原君を執務室に残して奈帆を迎えに階段を下り、玄関へ行く。

 扉を開けると、精神を擦り減らした奈帆の姿があった。

 私は掛ける言葉を見つけられないまま彼女を迎え入れた。

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