過干渉探偵
水染君から送られてきた封筒の中には、一枚の原稿用紙が入っていた。まるで小説の一部分を送られてきたようだ。
タイトルはない。原稿用紙の書き方を守っているところから、タイトルの付け忘れということはないだろう。小説家を目指した水染君が、雑な間違いをするはずがない。
それに、書き出しの部分も何やら首を傾げられる程に変である。前に何かの言葉が続いているような出だしだ。
つまり、水染君から送られてきた原稿用紙は、なんらかの小説Xの一部分であると言えないだろうか。そしてなんらかの小説Xに当てはまるXは、水染君の小説ではないだろうか。
彼は、この事務所の最寄駅から二、三駅離れたところにある国立の大学に通っていて、物書きが集まりサークルに入っていた。水染君の友人である八条探偵事務所の仲間、小原君の話によれば、中宮彩香という女性と二人で一つの小説を一年かけて作っていたらしい。余談ではあるが、彩香という子は小原君の彼女だ。
順調に作家活動は続き、小説も終盤に入ったところで無事完成……とはいかず、混濁した事情によって水染君と中宮さんに軋轢が生じ、小説は断念となった。
その後、水染君は探偵事務所をやめ、自殺した。
まるで小説が断念されただけで自殺をしたように感じてしまう。
水染君はただ自分の予定が狂っただけで自殺するような男だっただろうか。彼が自殺する動機にしては、やや納得のし辛いところがある。何度か母親に連絡を取ってみたものの、それ以外の動機に関する証拠は出てこない。
ならば、その小説自体が彼にとって死ぬほど大切な物だったのではないだろうか。
私は執務室で小原君を待っていた。小原君は今日は夜勤というシフトで組まれているが、私は一刻も早くこの小説の正体を知りたかったのだ。小原君は一度水染君の小説を目にしているため、この小説を見ればわかるだろう。前後の繋がりがなくとも。
小原君から、着きました、とメールが届いた。私の携帯モニターにはにこやかに手をあげた顔文字が飾られているのが映っている。
彼には用件を伝えていない。なかなかどうして、水染君の死に一番衝撃を受けていたのが小原君であった。悲しみと後悔、彼はそんな事を口走っていた。私はその中から脱出しようとしている小原君にこの封筒と原稿を見せることに必然性を感じることはなく、反対に躊躇さえした。
この原稿はメッセージだ。天成の閃きが囁いたのだ。水染君からのメッセージがこの小説であり、これは私にではなく、事務所に届いた。小原君も見る必要がある、それが水染君の願いでもある。
「失礼します!」
ノックを忘れ、更に失礼しますと同時に扉を開けた。失礼します、の意味をまるで分かっていない所がいかにも小原君らしい。
元より、小さいことに怒ることはしないけど。
「早速だけど、これ見てもらってもいい?」
私は小原君に封筒と原稿を手渡した。
「なんすかこれ」
最初はパズルを解くように小原君は二つの紙を見ていたが、やがて固まった。
「こ、これ……」
「見覚えはある?」
「これ、ここに出てくる人物名、全員水染と彩香が一緒に書いてたっていう小説っすよ! ああ彩香ってのは俺の彼女の名前なんすけど、しかもこれ、多分ですけど、最後のシーンだ!」
「ちょっとまって、水染君の小説ってどこまで完成してたの?」
「確か、起承転結の、転のとこまではできてたって聞いたっす」
小原君の情報は信じることができた。純粋に、彼が生真面目だからである。信頼に値する人物は信頼するのが使い勝手が良い。
「っていうか、これどういうことっすか。水染のヤツ、自殺したんすよね? なら、そんな水染からこんなもの送られてくるわけないっすよ!」
「日付指定の郵便とかならありえるけど。うん、とりあえず郵便局にいって調べた方がいいね。ありがと小原君、大分参考になったよ」
私は席を立って木製のハンガーにかけられた外套を羽織った。
「水染君の親の事を考えると無闇な詮索は避けるべきなんだけどね」
「調べに行くんすか」
「もちろん。これはある意味、小さい事件だからね。死んだはずの人間からの手紙っていうのは」
目の隅に何か特別な物を見た気がして、私は窓を見た。
私の執務室には客人が来ることを事前に知るために、という意味合いをこめて庭を見下ろせる場所に窓がある。大人は入ることができない小さな四角い窓で、押すと回転して開くようになっている。
「あれ、お客さんっすかね」
見覚えのある顔で、私は目を細めて窓に近づきながらその人物を見た。
水染奈帆。水染君の母親が、落ち着かない様子で事務所の庭に立っていた。