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畢竟に咲く赤い花  作者: 玲瓏
第二章
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常識的終着点などない

 松枝に、例の八条というオーナーの部屋まで案内された。

 建物の外見からして、現代的でない西洋風の建物と感想を抱いていたが、内装も洒落があらゆる方向に散らばっていた。世界史の教科書にある一般市民よりも多少高級な家を丸ごと現世に持ってきたような風貌であるが、背景によく馴染んでいて違和感のない建物である。それがまた不思議だ。

 全体的に落ち着いている。それ以上でもそれ以下でもない。街の環境のせいもあれば、建物の色のせいでもある。この独特の建築美を、どう表現しようか、悩む。作家志望の僕に対する挑戦に違いない。この事務所を、どう言葉に表現するか。

 結局表現する前に部屋に着いてしまった。松枝からは執務室だと言われていたが、いざ入ってみるとベッドがあったり冷蔵庫があったりと、生活感漂う執務室である。

「いらっしゃい。あなたが例の水染君だね」

 八条さんは陽気に挨拶をした。中央にあるソファーと背の低い机は、僕の家のリビングと似ている。その奥にある執務机とも呼べる机に座ってパソコンを弄っていたのだろう八条さんは立ち上がると奥のソファーへと座った。

 僕はソファーの横に立った。

「面接じゃないんだから。座ってもいいよ」

「では」

 松枝のちょっとした笑い声が聞こえた。

「俊ちゃんはいつも礼儀正しいからねー。満足にソファーに座ることもできないんだよ」

「最近の若いもんは~って言ってる人たちに見せてあげたいね」

 机の上には既にチョコレート、ビスケット、オレンジジュースが用意されていた。勝手に手を付けてはならない。僕の心はそう言っていたが、その声に八条さんは反した。

「好きに食べていいよ。オレンジジュースじゃだめだったかな」

「いえ、そんなことは」

 だめだ、初対面での会話は何歳になっても緊張してしまう。

「じゃあまたねー俊ちゃん! 八条さんも、ちゃんと話聞いてあげてくださいね!」

「わかってるよ。じゃあね」

 松枝は同席すると聞いていたが。少し予想外なんだが。堂々とした裏切りに僕は慌てながらも口に出せず、若干のパニックを起こしたがプラスチックに包まれたチョコレートを取り出してそれを食べ、なんとか落ち着けた。

 甘味は偉大だ。

「大まかな内容は聞いてるよ。小説が書ききれないんだってね」

「はい、そうです」

 何しにきたのかを忘れかけ、一瞬で思い出した。小説を書ききることができず、苦悩しているのだ。

「どうして書ききれないのかわからなくて――」

「原因は置いといてさ」

 八条さんは否応なく口を割りこませた。

「小説を書ききるといいことって何かあるのかな」

 僕はまだ緊張が残る頭で考えた。これはつまり、小説を書き終える事の目的を尋ねられているのだ。書き終えて、僕に何のメリットがあるのだろう。

「達成感があります」

 八条さんは笑顔を浮かべた。母と似たような笑みだと思った。

「そう。なんだ、分かってるじゃない。目的が分かってるなら後は書くだけだと思うけど、それができないから悩んでるって訳なんだね」

「その通りです。原因を考えているのですが、どうも、自分は怠けている気がしているのと、他人と比較してしまうのとがありまして、劣等感をですね」

 いつか声に出てしまうのではないか、と不安になる程自分に落ち着けと言っている。あまりにも日本語が成立しておらず、下手をすれば本当に小説を書いているのか疑われかねない。

「怠け者ってことか」

 八条さんはオレンジジュースを飲んだ。

「"どうして"の罠に嵌ってるかもね、君」

 不思議な言い回しの言葉の意味を汲み取ることができず、聞き返した。八条さんは言った。

「どうしてって原因を考えすぎて、自分を追い込んでるでしょ。聞いてる限り、君は随分と気が弱く、自信がない」

「まあ」

 カウンセラーみたいだ、と思いながら会話は続けられた。

「だから考えている内にやる気が全て無くなっていく。君の場合は自分を責めてるから、気づかないうちに精神も磨り減ってるんだね」

「そうでしょうか」

「そうだよ。だからオススメは、原因追求を止めること。変わりに、どうすれば終わらせられるのかを探すこと。今探してみて。どうやったら最後まで書くことができるのか」

 言われるがままに探し始めた。

 五秒で、答えが一つしかない事に気づいた。

「終わりって言えば、終わらせる事ができます」

 予想外の答えだったのか、八条さんは「へえ」と口にした。

「ちょっと興味があるね。それ、どういう意味か教えてほしいな」

「小説を書いてて、ここで僕が終わりっていえば、その小説は終わったことになる。だから、そうすればいいんじゃないかなって思いました」

 言葉にしていくうちに、間違った事は言ってないと自信がついた。変な所に自信をつけてしまったと思った。

「面白いねそれ。じゃあ一ページ書いて、それで終わりって作者がいったら終わった事になるってことだよね。素直に良いと思うよ、その発想。私が言いたい事とはちょっとずれたけど、君は真面目過ぎる所もあるんじゃないかなって思う。見た目で判断したんだけどね。だから最後まで書かなければならないって使命感も重荷になってたんじゃないかな」

「そんな気がしてきました」

 振り返ってみれば、八条さんの言う通りなのだ。自分の中で、シナリオはここで終わるべきだという終着点を決めていた。それは自分が決めた終着点ではない。一般的な視点から見たゴールというだけである。常識的に考えて、という言葉を意識しすぎて、それが結果筆を止めていたのだ。

「はい、そんな気がします」

 僕は再び頷いた。真面目過ぎる、と褒められたのが嬉しかったのは言葉にしないでおいた。

「私から言えることは、別に無理して終わりを決めなくてもいいんじゃないってこと。人生だってそうでしょ? 終わりは決まってない。っていうか、決まってたら退屈でしょうよ。そんな定例化した物、売れるとも思わないし」

 上品な立ち振舞をしながら、大胆な発言をする人である。

「一つも作品を仕上げられないのはダメだ! ……っていう人はいると思うけどね、そんな都合よく終わる作品なんてないんだよ。他人にとやかく言われる事よりも、君がしたい事をすればいいと思うよ。って、これ私が言っていいのかわかんないっていうか、ここ探偵事務所なのに、そのオーナーが言う台詞じゃないねえ」

「そ、そのすみません、相談する場所を間違えたかもしれません」

「冗談だよ、真に受けちゃったか」

 冗談には気づかない方だ。よく友人にもそうからかわれているが、人を信用するように教えられてきたのだから不思議はない。

「悩みはどうかな。スッキリしたならいいんだけど」

「はい。とりあえず、気楽に、ですね」

 僕は八条という人物に興味が湧いた。ものの五分足らずで全ての悩みが消し去られたのだ。ただの人間ではあるが、高い何かを持った人であると感じた。

「どんな作品を書いていたのですか」

「今も暇な時に書いてるんだけどね。さっきも書いてたんだけど……やっぱり、推理物が多いかな」

「探偵が出てくるんですか」

「私が出るんじゃないんだけどね。後、なんていうか、人が死なないからミステリーっていうのかどうかも分からないんだけど」

 死体が無いのだ。刺激のない作品のように思えるが、悪いとは思わない。無条件でそう思ってしまう程、八条さんへの信用値は高かった。最初は胡散臭いと思っていたが、今は思っていない。

「賞に応募しましたか」

「してないよ。趣味で書き続けてるからね、昔から」

 応募しない理由にはなってない気がした。

「昔から書いてるなら、技量はあると思います。出したら、もしかしたら合格するかもしれませんよ」

「私が出したくないんだよ。あの作品は応募して賞を取るっていう作品じゃないんだ。競争のない物語だから。分かるかなあ」

 考えてみたものの、この人の及ぶ考えには到底かなわなかった。

「ほんわかした物語だから、それを競争させたくないんだ。例えるなら、マシュマロっていうお菓子を投げ飛ばして、その距離を競うっていう。あ、なんか更に混乱してきたっぽいね」

 砲丸投げのように、マショマロを投げている所を想像した。大人がそれをやるのだ。投げ飛ばされるより先にマシュマロが潰れそうだ、と思ったが、例えの中の空想の話で都合の悪い所は添削するに限る。

 まあしかし、よくわからない。

「分かったらいいね、いつかね」

 あまり長い間いるのも迷惑になると思い、話の途切れを切っ掛けに退散することにした。

 事務所を出る時、松枝に呼ばれ、思い切り肩を掴まれた。

「なんだよ」

「あ、大分よくなったみたいだね!」

 松枝は僕が何かを言う前に、満面の笑みでそう言った。

「あの人、心理学も学んでるのか。最初はただ、小説の仲間と話せればいいと思ってきただけで、こんなに晴れた気分になるとは思わなかったからな」

「学んだって聞いたことはないなあ」

 大学で心理学を学ぶ松枝よりも熟練されていた話し方だ。それとも、折り合いがよかったのだろうか。

「でも俊ちゃんが元気になったならよかったよ。武人ちゃんにも報告せねば」

「心配してくれてんのか、アイツ」

「あーみえて実は気にかけてくれてるみたいだよ」

 ――そんなん気にしちゃいけねえ! 自分の正義に向かって進むんだ、俊!

 そういえば、そうとも取れるような発言を一度耳にした気がする。その言葉で結局僕は変わらなかったが、今にして思えば面白い言葉だった。その時は気づかなかったのだが。

「ここで働けたらいいんだがな」

 満杯になったコップから水が少しこぼれてしまう程自然に、言葉に出してしまった。

「働きたいんだ」

 その水は、松枝が逃さず手で受け止めた。

「実は、家計が厳しいらしい。今はお金がほしいっていう状態でな。家庭でも悩みがある。それを解決するにはもっとバイトをすればいいんだが、生憎、その宛がないし、正直、自分の時間が失われるのは困る」

 この時思い出していたのは、松枝にアルバイトでの愚痴を言っていたあの日の事だ。

 客が多く、忙しいがあまりにも単純作業の連続でつまらない。それに、どうしてもミスが重なり怒られる事が多い。理想とするのは働きながらシナリオを書く事だが、今のアルバイトじゃそれができない。

 そう言った時に松枝は、かわいそうだねえ、ウチならできるんだけどねえ。と言ったのだ。それ以降、内心羨ましいと思っていた。

「八条さんに聞いてみたらいいんじゃない。多分、おっけーしてくれると思うよ」

「でも僕は探偵の仕事なんてしたことがない。お悩み相談なんてもっと無理だ」

「大丈夫! お給料は多分どこよりも安いけど、その分、すっごく楽しいよ。なんなら、私の側にいてメモを取ってくれるだけでもいいんだし」

 話を聞いてくれているのか不安になりながらも、ここで働くかどうか悩んだ。今日中に決めるのは難しいと判断した。

「また今度来てみることにする」

「おっけー。待ってるね! 後、お金に困ってるなら、バイトは掛け持ちの方がいいよ。そっちのアルバイトよりもお金は本当に低いと思うから」

 なんとなく想像は付いているが、賃金が低いのは気にしない。家計を支えるため、というのは本音を隠すために出した手札にすぎない。

 本音は、ここで働いて、八条さんや他のメンバーとたくさん話をしてみたい、というのだった。

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