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畢竟に咲く赤い花  作者: 玲瓏
第一章
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現世へ

 浅葱(あさぎ)君が帰ってきて二週間が経った。水染(みなぞめ)君が死んだことは彼にはもう伝えてある。当初は事務所内に漂う寂寥の重圧に私も浅葱君も他の子たちも沈鬱な気持ちでいたが、その空気は薄れつつあった。真っ青な空に浮かぶ太陽が連日続き、心の中にある曇りを溶かしてくれたからである。

 私は執務室兼自室にて、ようやく完成した浅葱君のレポートを見ていた。ドイツ遠征の成果のようなものだ。事件の概要と、2W1Hをまとめたものだ。内訳はフーダニット、ホワイダニット、ハウダニットを模したもので、八条探偵事務所独自の方式を取っている。

 上出来になってきた。箇条書きで要点を抑え、報告書としての形で完成している。文句があるとすれば、自分の意見を出していないところだろう。

 時計を見れみれば、もう午後四時だ。なんとも今日は平和な一日でお客さんが来ない。経営の本を復習し、掃除をし、小説を読んでいるだけで終わってしまった。

 常に忙しい人にとっては申し分のない程に時間を余している。

 小腹が空いた。私は冷蔵庫の中とキャビネットの上に気まぐれに沿う物が何もないことを知ると、財布を手にして部屋を出た。

 その足は浅葱君のいる部屋へと向かい、扉の前まで来た所で私は扉をノックした。

「はい」

「私だけど、これからビショップにいって休憩するから、お留守番よろしくね」

「今の時期、油は安いもんですからね」

「別に、売りにいくんじゃないよ。それとも一緒に来る?」

 扉に阻まれて浅葱君の様子が見えないが、すぐに返事を寄越さない限り考えてくれているのだろう。

「飯が近いので、今は遠慮しときますよ」

「あ、そう。それじゃあ留守番よろしく」

 もやしのような気力のない返事がきたのを聞き、私は次に亜紀(あき)ちゃんの部屋へと向かう。

 どうやら接客中のようだ。

 私達は接客中の際、分かりやすいように扉にその表示を掲げる。表示板や方法などは個人に任せているが、亜紀ちゃんの場合は鳥が伸ばした嘴に『仕事中』と書かれているものを使っている。

 別に自由とは言ったが、この鳥の顔がどうも事務所のあり方と異なっているため私は気に入っていない。明らかにこの鳥は、目が人のことを馬鹿にしている。

 可愛いんだろうけれど。

 私は事務所を出て、向かい側にあるビショップへ入店した。

「いらっしゃいませ、そろそろいらっしゃる頃合かと」

「私の腹時計を見抜くなんてね。プロは違うね」

 お客さんの姿が見える。学生服をきた男子生徒が数人と、微笑みを見せながら会話をする親子連れだ。

「商売繁盛だね」

「そうみえますか」

「だからここにいるんだよ。今日は飛びぬけて誰もこない。亜紀ちゃんのとこにはいたけどね。もういっそのこと、浅葱君の成果をマスコミに投稿してみようか」

 いやあ、と店主は苦笑いを浮かべた。

「冗談だよ。あの事件を解決した浅葱君が世の中に知らしめなかったのは、浅葱君の意志だからね」

「ご立派ですな」

「お客さんが来るのが面倒くさいだけなんじゃない? 案外ね。あ、今日はショートケーキを一つ。チョコね」

 カウンターには店主の家族の写真がある。大分前に撮られているようで、近年見られるような画質の美化はなく、古ぼけている。その写真がシンプルなデザインの木製の写真立ての中に入れられ、マスターともう二人の人間が客を迎えてくれるように置かれている。

 写真に写っている奥さんと娘は亡くなったらしい。その影響で喫茶店を始めた、と聞いたことがある。

 店主は「どうぞ」とショートケーキを私の前に置いた。

 私はフォークを手に取り、角を取ると、そのまま口に運んだ。チョコクリームの甘みとケーキの無機質な旨みが、口の中でショートケーキを完成させる。柔らかな一時を私は大切に味わった。

「亜紀さんの所にはよくお客様がいらっしゃいますな」

「あの子は大学で友達が多いからね。その友達の友達が悩み相談で亜紀ちゃんを頼ったり、友達が亜紀ちゃんを頼ったり、一目惚れの男子生徒がただ話をしたいだけで事務所にきたり、色々だよ」

「ほほお」

 店主は感心したように頷いた。

「亜紀さんも立派な人です。オーナーの人の見る目のおかげでしょうかな」

「当たり前でしょ。私は良い子しか取らないの」

 それから店主と三十分くらいは話し込んでしまい、結局浅葱君の言う通り油を売ってしまった。ケーキは美味しく、店主とは話が弾むのだ。仕方ないことだろうと私は自分を慰めた。

「それじゃあね。また美味しい物を食べにくるよ。今日の夜の気まぐれディナーは?」

「社外秘、ということで」

「尚更お腹が空いちゃうね」

 私はビショップを出ながら事務所に戻る五分の間、延々と考え事に耽るつもりでいた。今日の夕飯を考えまた腹を空かせるのも一興だし、今読んでいる小説の推理をするのも面白そうだ。嵐の孤島ものは年を取っても面白いものである。

 玄関にある郵便受けに白い封筒が見えてから、その考え事は中止された。

 郵便受けが来るとしてもチラシかなんらかの勧誘だけで、白い封筒のみの個人宛の手紙が来ることは珍しいからだ。

 亜紀ちゃんへのラブレター? 事件解決依頼? たまに手紙の形で依頼をされることもあるから、さほど重要視はしなかった。

 手紙は私に語りかけるようにそこにあったのだ。ふと見て確認しただけだが、私に見つけてほしいと語りかけてくるようだった。私の目を大きく引いた。

 私は封筒を取る。表面には何も書かれていない。糊で質素に口を止めているだけで、それ以外の飾りはない。

 私は裏面を見た。

 ――嘘でしょ?

 ラブレターでも依頼書でもなかった。中身を確認しなくても、裏面に書かれた名前を見ただけで内容が容易に想像できた。

 ――でも、どうして。

 裏面には水染(みなぞめ) (しゅん)と書かれていた。

 自殺した子からのお手紙は初めてだ。

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