葬式は儀式
既に終わってしまった事は、これ以上進むことがない。どこの名探偵も事件が進めば進むほど証拠や推理の要素が増え、それを点と線で結び解決に導いていく。
私の携わる事件も例外はなかった。事件が発生し、証拠が続々と出始めて次の事件が発生しといった具合だ。どんなに素人な探偵でも時を味方に付けた時点で勝利は決まった物だと思っても良い。時と共に現れるちぐはぐな証拠を繋ぎ合せれば、自然と答えが出てくる。
俊の遺書から始まった事件は進展なく、証拠も現れず、ただ黙々と止まっているままであった。時は進むが、証拠は出ない。彼の心の謎を解く手がかりも出ない。
手詰まりといった状況の真っ只中にいた。
私は既に水染俊という人物の調査を終えている。中宮彩香の人物調査も終えている。できることといえば、原稿用紙を睨みつけて、その行間にある感情を読み取ろうと努力することしかなかった。
「なんで水染君は死んじゃったんだろうね」
私は深夜勤でありながら私の執務室で体を横にしている小原君に向けて喋った。
「原点っすね」
「なんでだと思う?」
小原君に、このように直球の質問を投げたのは今が初めてであった。
「何かが嫌になったんでしょうよ。その何かってのは知らないっすよ」
「自殺する人の心境になってみないと、至らない所なのかな」
「そんな、自殺するなんて考えを一度もしてない俺からしてみりゃ、食べたことない食べ物の味を教えろって言われてるようなもんすよ」
「辛いか苦いか、それくらいは分かりそうなものじゃない?」
夜の風が窓から流れ込む。庭に生えている草木の香りに心が洗われるような効果を感じる。静かな夜の静かな空気には、小原君も感傷的になっていた。その場の雰囲気に流されやすい性格をしているのだ、彼は。
「もしかしたら、何も感じないんじゃないんすか」
私は、小原君が答えられないだろうと思って会話を終わらせたつもりでいたのだが、彼は天井を見つめながら応えた。
「甘いとか、苦いとか、辛いとか何も感じなくなって死んじゃったんじゃないんすか」
自殺とは無縁な小原君の言葉から出たが、私の心に留まる程の説得力を持っていた。感動も何もない世界にいると考えただけで、確かにそれはつまらなさ過ぎる世界であると感じたからである。
「八条さん、俺、なんかこのままじゃ納得できないっすよ。水染が死んだ、ご愁傷様です、で終わりたくないっす。なんであいつが死んじゃったのか、俺は何をしてやるべきだったのか、んでもって、最後、あいつは俺の事をどう思ってたのか知りたい」
今まで溜めていたものを吐き出している。私はその全てを受け止めて、目線どころか顔自体を逸らしている小原君を見た。
「小原君の中で葬式はまだ終わってないんだね」
「よく意味分かんないんすけど」
「葬式は、生きている人間が死者と別れを告げるために行われるものなんだよ。まだ小原君は未練が残っていて、別れられていない。だから、まだ小原君の中で葬式は終わってない。ただ、それは私も。それに、奈帆さんもね。多分、みんなみんなそうだと思うよ」
「――八条さんの言う通りっすね。ドンピシャっす」
この事件に関わっている者全員、本当の意味での葬式はまだ終わっていなかった。形式上、儀式的にお坊さんがお経を唱えて、お香を焚き、一週間に一度墓の前で手を合わせることはしている。ただ厳しく言えば、その行為は偽善に近い。そうすることによって俊君と別れることができると考えた軽率な行いに近い。
こんな事を奈帆さんの前で言ったら私は刺されてしまうだろう。
「なら、本当の意味で葬式を終わらせようか」
小原君に言ったが、私は自分にも言った。
「これからどうするんすか。ひと通りの調査は済ませたんすよね。俺、何かやりたい気もするっすけど、何もないじゃないっすか」
「私もそれ考えてたんだよ。どうしようかなーってね。で、今小原君と話してたら自然と見つかったよ」
「へえ、なんすか、それ」
「水染君の物語を歩んでみればいいんだってね。簡単でいいでしょ?」
窓から入る風に反するように、しかし容易く小原君は私を見た。
「ロマンティックですね」
「そうと決まれば、明日から水染家に行って色々話を聞くよ。大学だけじゃなくて、幼稚園の頃の同級生や、小学校、中学、高校全て周る。綿密な調査を行って未練を絶とうか」
人間一人の物語を見るというのは、ただ映画館で料金を支払ってみるのよりも難しい。自分で紡いでいる物語というのは、日記にでも残さない限り記憶でしか無く、視覚的に人に教えることはできないからだ。聞き込みをして、その結果を水染俊という人物像と当てはめて、そこでようやく彼の物語を遡ることができる。
これは葬式だ。私が受け持っている依頼は、葬式を終わらせることだ。
「俺も参加したいっすね。それと、彩香も一緒に、皆で水染を安心させてやりましょうよ。あの遺書の意味だって、解読してやりましょう」
小原君らしく砕けた語尾じゃないことで、彼の真剣な態度は恐ろしい程に伝わってきた。彼もまた親友として、納得を求めている。
「そうだね。皆で分担して調べて、水染君の物語を見てみようか。それを見終わった後に遺書の意味を考えて、幕を閉じようか」
私自身は、彼を預かった身として。
小原君は、彼の親友として。
彩香さんは、彼の相棒として。
奈帆さんは、彼の母として。
四人の意志は明日繋がることとなる。