死神と契約書 番外編④―友達と恋人と―
ここはマンションのエレベータの中。
この扉が閉まってからどれくらいの時間が経過しただろうか。
エレベーターに乗りこんだ数秒後、激しい揺れに襲われた。地震だった。
あまりの激しい揺れにエレベーターが落ちるのではないかと思ったほどの激しいものだった。ただエレベーターが落ちることはなかったが、その動きは完全に停止した。
非常用ボタンを押してみても、向こう側から反応はなかった。携帯電話も圏外で使うことができず、中からはどうすることもできない。ただただ待つしかなかった。
閉じ込められた四角い箱には搭乗者が私を含めて四人いた。
一人はこのマンションの住人だろうと思われる女性。もう二人は私の友人であり、恋人同士であるふたりだった。最初のうちはパニックで泣いていた彼女だったが、彼氏である友人や私の慰めもあり今は泣き止んでいた。正確にいうと今は泣き止んだというよりは、このどうしようもない現実に疲れてしまっているだけなのかもしれない。彼氏である友人も最初の方はみんなを励まそうと率先して会話していたが、今はその口を閉ざしていた。口は閉ざしていたが、彼女の手を握り少しでも不安にさせないであげたいという気持ちがわかった。
それにしても助けは本当に来るんだろうか?相変わらず非常用ボタンの反応はなく、外の状況も一切わからないことが不安をいっそう駆りたてた。疲労感からか少し眠くなってきていた。寝て覚めたら夢だったなんてオチは期待できそうにもなかったが、何もできないこの状況では体力を使わないように寝てしまうほうがいい気もしていた。そして私は座ったまま目をゆっくりと閉じた。
どうやら本当に眠ってしまっていたらしい。
短い時間とはいえ、固い床に座って寝ると身体が痛くなる。
まだ焦点の定まりきらないぼんやりとした目で周りを見渡してみた。
「えっ?」
あまりの驚きに、眠気が一気に覚めた。友人二人の姿がないのである。
エレベーターの中には私と女性のふたりの姿しかなくなっていた。
助けが来た?…いやだとすると一緒に救助されるはずだ。ふたりは自力で抜け出した?…どうやって?そもそも私に何も言わずにどこかに行くとは考えにくい。じゃあどうして…
そんなことを思っていると、ちょうど対角線上に座っていた女性が話しかけてきた。
「ここはあなたの夢の中だと思えばいい」
「夢ですか?変なことを言いますね」
「二人の姿がいない理由がその答えだ」
確かに…、その言葉には妙に説得力があった。
「それでなぜ私の夢の中に?」
「現実ではあなたはかなり危険な状態だ」
「…それって命がってことですよね?」
「もうすぐ死ぬだろう」
「…そう」
夢のせいなのか、変に死ぬことを変に冷静に受け入れている自分がそこにはいた。
「二人は無事なんですか?」
「ああ、命に別状はない」
「じゃあ、よかった」
「こんな時に自分より他人を気遣うなんて変わってるな」
「そうですか?」
夢だからか、死が近いと言われたからか、決して誰にも言うつもりのなかったことを私は見ず知らずの人に話し始めた。
「あのふたりって恋人同士なんですけど、私を通じて知り合ったんです。彼のほうは私と幼馴染で小っちゃいころからいつもよく一緒に遊んでて…。その頃からずっと好きでした。でも言えなかった。変に関係が崩れるより仲がいいまま一緒にいたいって思ってたからなんですけど。だから、私はこの気持ちは誰にも言わずにずっと過ごしてきました。彼女の方は中学1年の時、隣の席がきっかけで仲良くなって、自然と3人で遊ぶことも多くなって、それでふたりが恋しちゃったってわけです。でも、ふたりが付き合うことに全然ショックとかなくて、幸せそうな二人見てると本当に嬉しいんです」
彼女は黙って私の話を聞いてくれていた。
「でも、このまま死んじゃうのもちょっと淋しいかな。最期まで言うつもりなかったけど、彼に気持ちは伝えたかったかな」
そう言うと彼女が言った。
「もし…、彼にその想いを伝えたいという願いなら叶られる」
「え?」
「現実のことをいうと、あなたは意識不明の状態だ。そしてそのまま目覚めることなく命を引き取るだろう。願いは残りの寿命と引き換えに叶えるため、本当に一言くらいになるが…どうする?」
急な彼女の問いかけに私は少し迷ったが、何も言えずに死ぬのは嫌だから叶えてほしいと彼女に言った。
すると彼女は「わかった、契約成立だ」と静かに言った。するとだんだん今の景色がぼやけてくた。まさに眠りから覚めるような、夢から覚めるような、そんな感覚だった。
しばらくして、私の名前を呼ぶ声が聞こえる気がした。でもはっきりは聞こえない。
視界もはっきりしないで、まるで霧がかかったように真っ白だった。その真っ白の中に私を見ている知った顔がふたつあることがわかった。彼と彼女だ。私はまず彼女の方を見た。心配そうに私を見ている。その目には涙があふれているのがわかった。次に彼をみた。涙を流してはいなかったが、私の名前を呼んでいるのがわかった。
私はかろうじて動く腕を彼に伸ばすと彼はその手を取ってくれた。
次に私は逆の手を彼女の方に伸ばすと同じように彼女はその手を取ってくれた。私は両手を合わせて3人の手をつなぐような形にした。私は息を小さく吸った。
―一言だけだぞ―
そんな声が聞こえた気がした。そして私は二人に向けて言った。
「しあわせに…なって…ね…」