勇者様、大きすぎます
世界は、魔王が召喚した一匹の魔獣に蹂躙されていた。
その大きさは山の如し、魔獣が寝転がるだけでも、一つの都が壊滅した。
咆哮一つで人々は吹き飛び、その爪は大地に巨大な傷痕を刻んだ。
数多の勇者が魔獣に挑んだが、戻ってくる者は誰一人いなかった。
その隙に魔族はその版図を広げ、その他の種族は滅びの道を歩もうとしていた。
……だが、彼らは諦めなかった。
魔獣に対抗すべく、彼らも呼び寄せたのだ。
最後の希望――異世界の勇者を!!
「よく来てくれた、勇者殿」
口を開いたのは、手の平に乗るぐらいのサイズの紅いトカゲ……いや、トカゲに翼はない。ドラゴンだった。
それが、自分の目の前で翼をはためかせている。
「……いや、呼ばれた覚えはないんですけど。何これ、ガリバー旅行記?」
周囲を見渡す。
晴天、自分に対して大地はあまりに小さい。
例えるなら大型のジオラマに踏み込んだかのよう。
街も森も山もミニサイズ。海もなんだか水たまりのようだ。
自分が今座り込んでいるのはどこかの砂漠のようだが……これもまるで、近所の公園の砂場のようだ。
遠くを見れば地平線が緩やかな曲線を描いている。
直感だが、多分足下の生き物とか無視して走れば、この世界を一周するのに三十分かからないような気がする。
自分が大きいんじゃない。周りが小さいのだろう。
「がりばーとやらはよく知らぬが、お主は私達の願いに応えて訪れてくれた勇者なのだ。私は紅龍族の長の娘ラースという」
ラースが、長い首を垂れた。挨拶らしい。
「どうも。龍天寺狼牙です。将来、確実に名前で就職に苦労します。龍なのか狼なのか、どっちなんだろう」
ホント、うちの両親はよく分からないセンスしてるよなあ、と狼牙は思う。
「それにしてもこう言う場合、どっかの王国の魔方陣とかが定番じゃないの?」
しかし現実は青空の下、完全屋外だった。
まあ、自分のサイズを考えると、分からないでもないけれど。
「召喚の儀式を知っているのか」
「いや、知りませんけど」
「でも、知っていたよな?」
「……説明が難しいけど、テンプレ、という概念があるんだ」
ネット小説は、よく読む狼牙である。
特に異世界トリップやらチートやら転生やらのジャンルは、かなりの数をお気に入りに登録している。
召喚された原因は、昨日骨董品店で店主に勧められた、国籍不明な古い根付け辺りだろうか。今はポケットの携帯電話のストラップになっている。
「よく分からない」
ラースが唸る。そりゃそうだ。
「いいから、話を続けて? ああ後、飛び続けるの辛いだろうから、手に乗っていいよ?」
「そうさせてもらう。飛び続ける事よりも、その場に留まるのが疲れるのだ」
ラースは素直に、狼牙の手の平に乗った。
「あいにくと、勇者殿を呼ぶに足るスペースが人の住む土地にはなかったのだ。それに人も妖精族も獣人も、魔族に滅ぼされつつある。よって我ら龍族が呼び出した。砂の上ならば、陣を描くのも難しくないしな」
「なるほど」
「頼む、魔王を倒してくれぬか」
「でも、何で僕が」
「勇者だからだ」
「いや、名前がDQNな事以外、普通の高校生ですよ?」
狼牙は、自分の学生服をつまんで主張してみせた。
「コーコーセー?」
分からない、という風にラースは長首を傾げる。
「学者見習いみたいなもんです。……えーと、多分こっちの世界に送られてきた時に、言葉も分かるようにされたのかな。こんな風に簡単に英語も覚えられたらいいのに」
どうでもいい事を愚痴りながら、狼牙はこれまでの話を整理した。
「つまり自分なりに状況を掴んでみると、この国だか世界だかは魔王なんだか魔族なんだかの脅威に怯えていて、しかも他種族には勝ち目が無い。そこで異世界の勇者を呼び出した。それが僕。そういう解釈でいいのかな?」
「さすが勇者、よく分かっておる! まるで事前に知ってでもいたかのようだな!」
「……ああ、うん。知ってた訳じゃないけど、そういうのは幾つも読んだから」
テンプレ、である。
「なるほど、そちらの世界にも勇者の伝承があるのだな。とにかく、話が早いのは助かる。人どころか我らでも本当に、勝ち目がないのだ……」
「軍勢は、どれぐらいの規模なんですか?」
「魔族はザッと一億二千万」
「ぶ……っ!?」
それは、さすがにちょっと数が多い。
この世界の人々と同じサイズなら負けるつもりはないが、まあゾウでも時にはアリに負ける事があると言うから油断は出来ないだろう。
「そして圧倒的な魔力を誇る魔王は、凄まじい攻撃魔法を使い、あらゆる魔法が通じない。おまけに魔王城は天空にあり、我らのような翼あるモノでなければ届かない。しかし我らだけでは戦力不足だ」
「……魔王城って、あれ?」
ふと、目についた存在を、狼牙は指差した。
少し遠くに、空飛ぶ円盤というか、デコレーションケーキ(チョコレート味)の様なモノが浮かんでいたのだ。
大きさは、一般的な深皿ぐらいだろうか。
この世界でなら巨大な王都一つ分といってもいい。
「うむ」
「配下は四天王とか、いるんですか?」
「さすが勇者……!」
「それはさっき、聞きました」
「うむ、だが四天王ではなく十二天だ。詳しく聞きたいなら……」
「ああ、いや、いいです。長くなりそうなので」
ぶっちゃけどうせ全部まとめて倒すのだから、聞くだけ無駄だった。
「そうか、残念だ。そして何よりも問題なのは、魔獣だ」
「まじゅう」
手の平の上で、ラースの身体がブルリと震えた。
「他のゴーレムやオーガなどとは格が違う。恐ろしく巨大で凶暴な魔獣を、魔族は飼っている。あまりの凶暴さに我らもひとたまりもなく、今もこうして滅亡の危機にある」
「ドラゴン……じゃないんですね」
彼女はふるふると首を振った。
「私達も強いと自負しているが、それをも上回る。しかし勇者殿の方が強いのは魔獣を直に見た私が保障しよう」
「その辺はやってみないと分からないか……」
魔獣のサイズは山一つ分サイズ。
一方、狼頭はその山自体を一跨ぎ出来るサイズだという。
普通に考えれば、多分負ける事はない。それよりも、狼牙が気になったのは全然違う事だった。
「……それにしても何で、ファンタジーなのにこういうのって、四天王やら十二天やら仏教関連なんだ?」
「ブッキョー?」
「こちらの世界の宗教ですよ。それよりも、つまりとにかくその魔獣と魔王軍を蹴散らせと」
「やってはくれないだろうか」
うーん、とちょっと狼牙は唸った。
それから一応提案してみる。
「……和解とか、出来ないんですかね? 向こうは向こうこっちはこっちで干渉しあわないとか、もしくは共存とか」
「出来ぬ」
「何故」
「奴らは人を喰う。妖精族を食う。獣人を食う。私達も食う。故に我らは種として戦わねばならない」
「ああ、そりゃしょうがないか……ただ、天敵がいなくなると、後の世界も大概悲惨な事になりそうだけど、それは僕の知った事じゃないな」
最終的には何か、人類種が他の種族を圧倒しかねない気もするけど、実際余所の世界の人間である狼牙には、関係のない事だ。
「……む、難しいだろうか」
「いや、実行する事自体は……まあ、いいんです。魔獣ってのがよく分からないけど、何とかなりそうな気もしますし。……まあ、殺すって事には、微妙に抵抗あるんだけど。強いて言うなら報酬ですかね。まさかただ働きじゃないでしょう」
狼牙の提案に、何故かラースはビックリしたようだった。
「か、金が必要か? 勇者なのに」
「労働には対価が必要です。これは憶えておいた方がいいです。でないと、反乱が起きますよ」
「わ、分かった。しかし勇者殿のサイズでは満足のいく報酬を払えるかどうか……」
「その辺はまあ、ほら知識とか……ああ、マジックアイテムとかいいですね。元の世界で使えるかどうか微妙ですけど、仮にも魔王達と戦ってきたのなら、人間が残した兵器クラスのがあるでしょう?」
普通の人間サイズの武器の類は論外だ。豆粒以下のサイズのモノなど、狼牙としては扱いようがない。
「うむ。まだ残っているモノを部下達に手配させてみよう」
「あと、ちゃんと元の世界に戻れますよね?」
「む?」
「でないと、多分僕が次の魔王になっちゃいますよ? この身体を見てもらえば分かると思いますけど、世界のあらゆるモノを食べ尽くすって意味で」
こんな世界に取り残されたら大変だ。
実際問題、狼牙も最終的に餓死しかねない。まだお腹が空いていない今のうちに、全てにケリをつける必要があった。
「も、ももも、もちろん戻れるとも! 魔王軍を倒してくれたら、すぐにでも帰還出来るように準備をしておこう」
「安心しました。あ、でも報酬を受け取ってからですよ?」
「う、うむ」
という訳で、異世界の勇者、龍天寺狼牙は動き出した。
山を一跨ぎし、足首までの深さの海に踏み込み、まずは魔王城を地面にはたき落とした。
再び地面に上がる。
こちらの世界の人間視点では大陸なのだろうが、狼牙から見ればその広さは六畳間といった所か。
ラースの話では、全て魔王領らしいので狼牙は遠慮せず踏んでいった。
魔族達は火の矢を撃ってきたり、雷を落としてきたが、どれもあまりにか細く狼牙にダメージを与えるには到らない。
足をよじ登ってくるモノも、ブンブンと飛び回ってくる飛行種族もまとめてはたき落としていく。あまりに数が多い時は、もう一度海に足を入れたり、制服をバサバサと扇いだりした。
魔王はどうしたのだろうと思ったが、おそらく最初、魔王城をはたき落とした一撃で死亡したようだ。魔王城は見事に砕けていた。
大陸の片隅に、魔方陣があったがこれも踏み砕く。
所要時間は十分と言った所か。
これで、魔族は駆逐された。
残りは魔獣だったが……幸い、戦いにもならなかった。
戦いが終わり、狼牙は魔王領に腰を下ろした。
砂漠の魔方陣を龍達が改めて書き終わるまで、ここで待機という事だった。
「魔族を倒してくれて、ありがとう勇者」
ラースは狼牙の肩に乗り、身体をすり寄せた。どうやら親愛を現わす仕草のようだ。
「いえいえ、大した働きはしてませんよ。残りはいいんだよね?」
「ああ、それはこちらの世界の種族の仕事でいいと思う。しかし本当にいいのか? その恐ろしい魔獣をそちらで引き取ってくれるというのなら、有り難い話だが……」
「んん、まあこの子も被害者ですからねぇ」
狼牙は、膝の上に乗せた恐ろしい魔獣の顎を撫でた。
「にゃあ」
魔獣は、幼い鳴き声を上げた。