転移エルフと数式の亡霊 〜スナック『エンター』のExcelミステリー〜
【第1章:路地裏のエルフと魔法の道具】
カラン、と重めの氷がグラスの底で鳴る。
N市の片隅、オフィス街の熱気が冷めやらぬまま流れ込む歓楽街の北端。俺の城であるスナック『エンター』の夜は、いつもこの音から始まる。
「マスター、お代わり。今度は少し濃いめで」
「はいはい、川口さん。あんまり飛ばすと、明日のお仕事に響きますよ」
適当な相槌を打ちながら、俺は隣で「魔法の道具」と格闘しているチイママに視線をやった。
エル。半年ほど前、店の裏の室外機のそばで、裸足で行き倒れていたのを拾った。
北欧のモデルのような端正な顔立ちに、ピンと尖った耳。客たちはそれを「精巧な特殊メイク」だと思い込み、彼女をエルフのコスプレ店員として可愛がっている。本人が「異世界から強制転移してきた本物のエルフだ」と言い張っていることなんて、俺以外の誰も信じていない。
「……アキラ師匠。この魔道具、また『更新』を要求してきました。術式が書き換わるのでしょうか」
「ああ、それはただのWindowsアップデート。放っておけば勝手に終わるから」
彼女はノートPCのことを「魔道具」と呼び、キーボードを叩く指の動きを「詠唱」と捉えている。
最初は電源の入れ方すら知らなかった彼女だが、一度教えれば驚異的な速度で吸収していった。今や店の経理はすべて彼女のExcel管理。俺が手計算で一晩かけていた帳簿を、彼女は数秒の「術式(関数)」で片付けてしまう。
エルフは長命だという。彼女にとって、この街の喧騒やデジタルな文明は、どう映っているのだろう。
そんなことを考えていると、カウベルが控えめな音を立てて、一人の女性客が滑り込んできた。
「いらっしゃい、育美さん。今日はなんだか顔色が悪いね」
常連の育美さんは、カウンターに座るなり、抱えていたカバンから古いMacBookを取り出した。その手は、心なしか震えている。
「マスター……エルちゃん。これ、見てほしいんです。亡くなった叔父のパソコンに残ってたファイルなんですけど……」
彼女が画面を開くと、そこには不気味なほどシンプルなExcelのアイコンがあった。
ファイル名は『for_ikumi.xlsm』。
それが、俺たちの平穏な夜を揺るがす「数式の亡霊」との出会いだった。
【第2章:解析の術式とカプ厨の視線】
「……なるほど。マクロ、か」
エルの尖った耳が、集中するとわずかにピクりと動く。
育美さんが持ち込んだファイルは、開こうとするたびに『今日は特定の日付ではありません』という冷淡なメッセージを吐き出し、勝手に閉じてしまう。俺が手を出せば一分で投げ出すような代物だが、エルは楽しそうにキーボードを叩いている。
「アキラ師匠。この魔道具の術式を一時的に止めるには、どうすれば?」
「Macなら『Command + ピリオド』だ。やってみろ」
俺がエルの肩越しに画面を覗き込むと、ふわりと彼女の髪から、この世界のシャンプーとは少し違う、透き通った花の香りがした。
その時だ。カウンターの端でカシスソーダを飲んでいた育美さんが、「ゴフッ!」と変な音を立ててむせたのは。
「と、尊い……。マスターの包容力溢れる視線と、エルちゃんの無垢な信頼関係……これ、性別を超越した究極の愛では……?」
「育美さん、顔が赤いぞ。酒のせいじゃないだろ、それ」
育美さんは重度の『カップリング厨』、通称カプ厨だ。俺とエルの距離が少し近づくだけで、勝手に脳内で物語を完結させて悶絶している。
だが、そんな茶番の裏で、エルが画面に映し出したコードの群れは、どこか切実な色を帯びていた。
「アキラ。これ、書き換えれば今すぐ中身を見られます。どうしますか?」
「……いや。叔父さんは『その日』に見てほしかったんだろ。なら、待とう。再来週の二十三日まで」
俺の言葉に、エルは意外そうな顔をして俺を見た。
エルフにとっての「時間」は、俺たち人間のそれとは価値が違う。百年に一度しか誕生日を祝わない彼女に、たった二週間の重みが伝わるかは分からない。
けれど、エルは静かに頷き、ファイルを閉じた。
「わかりました。……『時』を待つのも、魔法の儀式の一部ですから」
【第3章:QRコードの魔法と数式の亡霊】
九月二十三日。秋分の日の振替休日。
定休日の『エンター』は、今日だけは貸し切りのパーティー会場に姿を変えていた。
「誕生日おめでとう、育美さん!」
俺とエル、そしてなぜか「おやつ枠のバナナ」として紛れ込んだ川口さんの三人でクラッカーを鳴らす。
主役の育美さんが、震える指でMacBookの蓋を上げた。
今日だけは、あの冷淡なメッセージは現れない。
代わりに現れたのは、叔父さんからの温かいメッセージと、そして——画面いっぱいに広がる、崩れた文字列の羅列だった。
「文字化け……?」
「いえ、違います。これはアスキーアートです」
エルが魔法を解くようにフォントを等幅に設定し、サイズを小さくしていく。
バラバラだった記号が秩序を持ち、一つの巨大な「黒い正方形」へと姿を変えた。
「QRコード……いや、ページ召喚の魔方陣です」
読み取った先にあったのは、育美さんが愛してやまない漫画の、世界に一つだけのデジタルイラスト。叔父さんが彼女のために用意した、NFTという名の「消えない魔法」だった。
涙ぐむ育美さんの横で、川口さんがやけに詳しい解説を始めた。投資アドバイザーを自称するこの男、ただの常連にしては、裏の知識が深すぎる。いずれ、この男の「正体」も、この店に何かを持ち込むことになるのかもしれない。
宴が終わり、片付けを始めた店内で、エルがポツリと呟いた。
「アキラ。あのファイル、まるで『数式の亡霊』が宿っているようでした」
「亡霊?」
「ええ。正しい記述なのに動かない、あるいは、死者の想いが計算を歪める。私の世界では、それを『詠唱の亡霊』と呼びました」
エルは、川口さんから貰ったばかりのタブレットを愛おしそうに撫でる。
「……自分の誕生日はどうでもいい。でも、俺と出会った日は大事だ、なんて。お前、さっきのセリフ、どこで覚えたんだよ」
「魔道具で調べました。……嘘です。本当の気持ちです」
エルの尖った耳が、少しだけ赤くなっている。
俺は苦笑して、彼女の頭を軽く小突いた。
この店には、まだ解決していないバグも、明かされていない設定も山ほどある。
けれど、とりあえず今夜は、美味いフィナンシェがあればそれでいい。
「ところで、俺の誕生日、いつか知ってるか?」
「……それ、今関係あります?」
エルの冷ややかな、けれどどこか楽しげな声が、夜のスナックに響いた。
(完)
作品の経緯をnoteに書きました。
https://note.com/nayuta_arao/n/nc97f30076397




