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転移エルフと数式の亡霊 〜スナック『エンター』のExcelミステリー〜

作者: 荒尾ナユタ
掲載日:2026/07/12

【第1章:路地裏のエルフと魔法の道具】


 カラン、と重めの氷がグラスの底で鳴る。

 N市の片隅、オフィス街の熱気が冷めやらぬまま流れ込む歓楽街の北端。俺の城であるスナック『エンター』の夜は、いつもこの音から始まる。


「マスター、お代わり。今度は少し濃いめで」

「はいはい、川口さん。あんまり飛ばすと、明日のお仕事に響きますよ」


 適当な相槌を打ちながら、俺は隣で「魔法の道具」と格闘しているチイママに視線をやった。

 エル。半年ほど前、店の裏の室外機のそばで、裸足で行き倒れていたのを拾った。

 北欧のモデルのような端正な顔立ちに、ピンと尖った耳。客たちはそれを「精巧な特殊メイク」だと思い込み、彼女をエルフのコスプレ店員として可愛がっている。本人が「異世界から強制転移してきた本物のエルフだ」と言い張っていることなんて、俺以外の誰も信じていない。


「……アキラ師匠。この魔道具、また『更新』を要求してきました。術式が書き換わるのでしょうか」

「ああ、それはただのWindowsアップデート。放っておけば勝手に終わるから」


 彼女はノートPCのことを「魔道具」と呼び、キーボードを叩く指の動きを「詠唱」と捉えている。

 最初は電源の入れ方すら知らなかった彼女だが、一度教えれば驚異的な速度で吸収していった。今や店の経理はすべて彼女のExcel管理。俺が手計算で一晩かけていた帳簿を、彼女は数秒の「術式(関数)」で片付けてしまう。


 エルフは長命だという。彼女にとって、この街の喧騒やデジタルな文明は、どう映っているのだろう。

 そんなことを考えていると、カウベルが控えめな音を立てて、一人の女性客が滑り込んできた。


「いらっしゃい、育美さん。今日はなんだか顔色が悪いね」


 常連の育美さんは、カウンターに座るなり、抱えていたカバンから古いMacBookを取り出した。その手は、心なしか震えている。


「マスター……エルちゃん。これ、見てほしいんです。亡くなった叔父のパソコンに残ってたファイルなんですけど……」


 彼女が画面を開くと、そこには不気味なほどシンプルなExcelのアイコンがあった。

 ファイル名は『for_ikumi.xlsm』。

 それが、俺たちの平穏な夜を揺るがす「数式の亡霊」との出会いだった。



【第2章:解析の術式とカプ厨の視線】


「……なるほど。マクロ、か」


 エルの尖った耳が、集中するとわずかにピクりと動く。

 育美さんが持ち込んだファイルは、開こうとするたびに『今日は特定の日付ではありません』という冷淡なメッセージを吐き出し、勝手に閉じてしまう。俺が手を出せば一分で投げ出すような代物だが、エルは楽しそうにキーボードを叩いている。


「アキラ師匠。この魔道具の術式を一時的に止めるには、どうすれば?」

「Macなら『Command + ピリオド』だ。やってみろ」


 俺がエルの肩越しに画面を覗き込むと、ふわりと彼女の髪から、この世界のシャンプーとは少し違う、透き通った花の香りがした。

 その時だ。カウンターの端でカシスソーダを飲んでいた育美さんが、「ゴフッ!」と変な音を立ててむせたのは。


「と、尊い……。マスターの包容力溢れる視線と、エルちゃんの無垢な信頼関係……これ、性別を超越した究極の愛では……?」

「育美さん、顔が赤いぞ。酒のせいじゃないだろ、それ」


 育美さんは重度の『カップリング厨』、通称カプ厨だ。俺とエルの距離が少し近づくだけで、勝手に脳内で物語を完結させて悶絶している。

 だが、そんな茶番の裏で、エルが画面に映し出したコードの群れは、どこか切実な色を帯びていた。


「アキラ。これ、書き換えれば今すぐ中身を見られます。どうしますか?」

「……いや。叔父さんは『その日』に見てほしかったんだろ。なら、待とう。再来週の二十三日まで」


 俺の言葉に、エルは意外そうな顔をして俺を見た。

 エルフにとっての「時間」は、俺たち人間のそれとは価値が違う。百年に一度しか誕生日を祝わない彼女に、たった二週間の重みが伝わるかは分からない。

 けれど、エルは静かに頷き、ファイルを閉じた。


「わかりました。……『時』を待つのも、魔法の儀式の一部ですから」



【第3章:QRコードの魔法と数式の亡霊】


 九月二十三日。秋分の日の振替休日。

 定休日の『エンター』は、今日だけは貸し切りのパーティー会場に姿を変えていた。


「誕生日おめでとう、育美さん!」


 俺とエル、そしてなぜか「おやつ枠のバナナ」として紛れ込んだ川口さんの三人でクラッカーを鳴らす。

 主役の育美さんが、震える指でMacBookの蓋を上げた。


 今日だけは、あの冷淡なメッセージは現れない。

 代わりに現れたのは、叔父さんからの温かいメッセージと、そして——画面いっぱいに広がる、崩れた文字列の羅列だった。


「文字化け……?」

「いえ、違います。これはアスキーアートです」


 エルが魔法を解くようにフォントを等幅に設定し、サイズを小さくしていく。

 バラバラだった記号が秩序を持ち、一つの巨大な「黒い正方形」へと姿を変えた。


「QRコード……いや、ページ召喚の魔方陣です」


 読み取った先にあったのは、育美さんが愛してやまない漫画の、世界に一つだけのデジタルイラスト。叔父さんが彼女のために用意した、NFTという名の「消えない魔法」だった。

 涙ぐむ育美さんの横で、川口さんがやけに詳しい解説を始めた。投資アドバイザーを自称するこの男、ただの常連にしては、裏の知識が深すぎる。いずれ、この男の「正体」も、この店に何かを持ち込むことになるのかもしれない。


 宴が終わり、片付けを始めた店内で、エルがポツリと呟いた。


「アキラ。あのファイル、まるで『数式の亡霊』が宿っているようでした」

「亡霊?」

「ええ。正しい記述なのに動かない、あるいは、死者の想いが計算を歪める。私の世界では、それを『詠唱の亡霊』と呼びました」


 エルは、川口さんから貰ったばかりのタブレットを愛おしそうに撫でる。

 

「……自分の誕生日はどうでもいい。でも、俺と出会った日は大事だ、なんて。お前、さっきのセリフ、どこで覚えたんだよ」

魔道具インターネットで調べました。……嘘です。本当の気持ちです」


 エルの尖った耳が、少しだけ赤くなっている。

 俺は苦笑して、彼女の頭を軽く小突いた。

 この店には、まだ解決していないバグも、明かされていない設定も山ほどある。

 けれど、とりあえず今夜は、美味いフィナンシェがあればそれでいい。


「ところで、俺の誕生日、いつか知ってるか?」

「……それ、今関係あります?」


 エルの冷ややかな、けれどどこか楽しげな声が、夜のスナックに響いた。


(完)


作品の経緯をnoteに書きました。

https://note.com/nayuta_arao/n/nc97f30076397

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