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生きるために伯爵家の養女になりましたが、愛される未来は予想していません。

作者: 黒乃きぃ
掲載日:2026/06/24

 両親と死に別れ引き取られた先の孤児院が、違法な運営をしているところだった。ジーザス。



 人生は碌なもんではない。言葉を選ばずにいて良いのなら、クソッタレだ。と、ロクサネ・クレジダは思う。

 ロクサネは貴族学園に通う特待生だ。平民の生まれ――クレジダ伯爵家を出奔し、平民の母と駆け落ちした父、イェッタの娘で、三年前まで貴族の血を引いているだけの平民だった。両親が死に、生きるためになりふり構わずクレジダ伯爵家に助けを求め、奇跡的に伯爵家の人間に目通りが叶ったために、お情けで養女として扶養してもらっているだけに過ぎない。


 両親は商業ギルドで働いていた。二人共に事故に巻き込まれ死に、そのままギルドの斡旋で引き取られた先の孤児院は違法脱法なんでもござれの悪徳人身売買業者だった。自分が幼女趣味の貴族に内臓をばらして売り飛ばされる予定というのを盗み聞いたロクサネは、命からがら孤児院から脱走した。

 とはいえ当時、九歳。右も左もわからず、とにかく死にたくない一心で、無謀にも単身クレジダ伯爵家に向かった。そして、運はロクサネに味方した。命を救う、という意味合いでは。




「アレがレオノーラ様の義妹なんて…」

「平民の出でしょう?」

「みすぼらしいこと」

「レオノーラ様もお優しすぎますわ」


 ヒソヒソ、と学園内で声があちこちから聞こえる。それはロクサネに向けられたものだけれど、ロクサネにかけられたものではない。

 レオノーラ・クレジダは一つ年上の義姉だ。第二王子との婚約も間近だという義姉は、社交界の憧れの的らしい。平民出身の義妹を心から受け入れた、聖女のような淑女、と評され更にその人気は盤石のものとなったらしい。その噂は真実で、レオノーラは学園内でも顔を合わせればしきりにロクサネを気にかけ、周りにも陰口など叩かぬようキツく言い含めたり対応もしっかりしてくれる。ただ、レオノーラがどのような対応をしようとも。親たち大人の目がない学園の中でロクサネがどう見られるか――憧れの的であるレオノーラを悩ませる疫病神でしかなかったのだ。



「クレジダ嬢、大丈夫か?」

「……大丈夫です。お気になさらず」


 ご令嬢たちのあまりの言いように、時折親切な令息がロクサネに声をかける。だがその優しさに甘えれば、今度は男をたぶらかす悪女とでも噂されそうで、ロクサネは全ての労りを拒絶せざるを得なかった。レオノーラが働きかけ、教師陣もロクサネに関する悪い噂を聞くたびに動いてはくれている。だがそれでも変わらない現状に、ロクサネはできうる限り最大の自己防衛するしかなかった。

 


 クレジダ伯爵家の門を叩いた日。門番に叩き出されそうになっていたところを偶然救い出してくれたロクサネを救ったのこそが義姉、レオノーラだ。ロクサネがイェッタの娘であることは唯一持っていた形見とクレジダ家特有の魔力で割と直ぐに証明できた。だが養女とするかどうするか、イェッタの兄である伯父は悩んでいた。レオノーラがロクサネを妹として歓迎すると言ったために、ロクサネはそこからあれよあれよという間に伯爵令嬢になることになったのだった。


 ロクサネは生きたかっただけで、伯爵令嬢になりたかったわけではない。──なんて、時折思っては、それだけは考えてはならないと頭を振る日々だった。

 


「ロクサネ、学園はどうだ?」

「貴重な書籍を心ゆくまで読める、夢のような生活です。お義父さま」


 基本的に寮暮らしだが、週末は家に帰ることが推奨されている。レオノーラとロクサネもその慣例に倣って、毎週末ごとに家に戻る。ようやく身についた淑女らしい笑みでロクサネは義父に返事をした。


「まさかロクサネが特待生に選ばれるなんて。…イェッタもさぞ鼻が高いことだろう」

「…亡き父もそうですが、お義父さまに喜んでいただけたのなら、それが何よりです」

「ロクサネ…!」


 ロクサネを引き取って三年。引き取られたその日から、クレジダ家ではロクサネに淑女教育と基礎教育を大急ぎで詰め込まれたロクサネは、一学年目の途中からではあったが学園に入学させてもらった。ロクサネはそれを恩義に感じている。

 人間を一人育てること。それがどれだけ金がかかることか。学費も勿論だがタダではない。学びながら、自分は生きたいという欲のために、それまで会ったこともなかった義家族に金銭的にも精神的にも負担を強いていると自覚せざるを得ない。学べば学ぶほど、義家族の有難みと申し訳なさが募り、少しでも負担を減らしたい一心で、ロクサネは入学して半年足らずで成績優秀者が選ばれる特待生になった。授業料が免除されるだけでも、恩返しになるはずだと信じていた。


「本当に…優秀な義妹で、私も鼻が高いわ」

「お義姉様、ありがとうございます!」


 義姉は特待生にこそなっていないが、常に成績上位者である。そんな義姉ににこやかに褒められ、頭も撫でられ――この時は、ロクサネはこれで少しでも自分にできることをやれたのだと、信じていた。



 風向きが変わったのは、それから一年後。ロクサネは特待生の資格を維持できており、同学年の高位令嬢、令息とも顔見知りになった。そのころからだ。ヒソヒソと影口をたたかれることが更に増えた。


 曰く、悲劇のヒロインだとのたまっている。

 曰く、レオノーラになり替わろうとしている。

 曰く、家では贅沢狂いでクレジダ家の財政を傾かせようとしている。

 曰く、教師すら誑かし不正で特待生となりレオノーラを見下している。――などなど。


 最後のそれは学園に対する冒涜ではないかとロクサネは思うのだが、最早学生達からすればそれが真実なのだろう。遠巻きにされながら、ロクサネは必死に学ぶことしか出来なかった。



「君がレオノーラ嬢の義妹君だね」

「…第二王子殿下にご挨拶申し上げます。レオノーラの義妹、ロクサネ・クレジダでございます」


 友達と呼べる相手はほぼできず。ただ特待生として学び、このまま飛び級で卒業が可能なのではないか──一年以上経つと、そんな風に教員たちからロクサネが評されはじめた。その評価にレオノーラとの婚約が内々定している第二王子が興味を持った。


「君は平民の出自だとか」

「はい。父はクレジダ家の人間ですが、母と結婚するにあたり籍を抜いております。ですので、義姉と血縁ではございますが平民の生まれでございます」


 図書館で自主学習をしていたロクサネの元にわざわざやってきた王子は、幾つかロクサネの境遇について質問をしてから去って行った。その間、ロクサネは礼をした状態をキープして返答し続けた。腰を痛めた。



「…ロクサネ」

「はい、お義姉様」

「殿下が…殿下とお話されたと聞いたのだけれど」

「はい。お義姉様の傍に、得体のしれない人間がいるのを疑問視されたものと存じます。どのような出自か、どのような経緯でクレジダ家に迎え入れていただいたかをご質問いただきました」

「…そう」


 学内の昼食は、平等に無料で食べられる。食堂で昼食を取ろうとロクサネがフォークを持ったところに、レオノーラが深刻そうな表情でやってきた。そのまま珍しく姉妹で向かい合って昼食を取るも、姉妹の顔色はそれぞれ優れない。


「…もしまた、殿下がロクサネのところに行かれたら、教えてくれるかしら」

「勿論です」

「ありがとう」


 会話の盛り上がらないランチを終え、レオノーラは友人と合流するために席を立つ。それを見送って、ロクサネは辞書を片手に中庭へと向かった。昼休みの残りの時間、中庭の一番隅のベンチで、辞書を読み込むのがここ数日のロクサネの日課だった。



「勉強をしているふりかしら」

「辞書を読むなんて、流石特待生は違うわね」


 クスクス、と笑い声が聞こえる。居心地は悪いが、図書室で集中しすぎると午後の授業に遅れるリスクがある。目立たないように小さくなりながら、分厚い辞書に必死に線を引いた。


「クレジダ嬢は古代語に興味が?」

「…え、」

「ああ、急にすまない。辞書まで読み込んでいるものだからつい気になって」

「…基礎知識が皆さんに比べて足りていないので、その分学んでいるだけです」

 

 クラスメイトの侯爵令息──ブレイク・ローランシアが、女子生徒からロクサネをかばうような位置に立って声をかける。ぶっきらぼうな返しに聞こえたかもしれないが、ブレイクは次男で婿入り先を探していると聞いている。彼はいつも、人目のあるところでロクサネが悪意にさらされていると自然な雑談を振ってくる。そうやって自分を足掛かりにレオノーラに近づこうとしているのだろうと、ロクサネは少し警戒していた。


「ご覧になって、また男性とお話になっているわ」

「またお得意の悲劇のヒロイン気取りね」


 さらに言えばブレイクは跡取り娘たちからの注目度が高い。そのやっかみも食らうので、ロクサネとしては関わりたくない人物ランキング二位だった。堂々の一位は第二王子である。

 クスクスと聞こえる女生徒たちの声に、面倒なことになった、とロクサネはため息を吐く。


「ローランシア様。私に構われるだけ、ローランシア様の貴重なお時間を無駄にされることかと思います」

「…あんなに言われておいて、構わないと?」

「はい、構いません」


 どうやらブレイクにはロクサネへの同情もあったらしい。だが女生徒たちのやっかみからの影口はどんどん大きくなるばかり。それこそクレジダ家を貶めたい家の者も男女問わず賛同し始めている。

 侯爵令息であるブレイクが味方に付けば、確かに影口は一旦収まるだろう。だがすぐに、やれ春を売っただのと下世話な話が流れるだろうと、ロクサネは予見していた。だからこそ、目を丸くして影口を垂れ流す面々に聞こえないよう声を絞ったブレイクに、端的に返答をした。


「私自身がどう言われようと、特段構いません」


 どうせ本来は死んでいた身ですので。ニコリ、と綺麗に作った笑みを浮かべれば、ブレイクの表情は凍った。ついでに近くで聞き耳を立てていたらしい何人かの令嬢も、信じられないものを見る目でこちらを見ていた。



 そう。本来はクレジダ家に逃げ込まなければ、とっくに売り飛ばされて死んでいた。ロクサネは生きたかった。引き取ってもらったお陰で衣食住に困らないし、平民時代では考えられなかったくらい様々なことを学べている。多少の影口くらい、どうってことない。困るのは、家と義姉に迷惑をかけることだけだ。



「というわけなので、元平民でも働ける職場か、もしくは家に恩返しできる結婚をしたいんですがどうしたらよいでしょうか」

「…結婚、は難しいだろうな」

「まあ、そうですよね」


 特待生は通常の試験以外に、定期的に個別試験が行われる。

 特待生を監督している教員に、進路相談と称して問いかければ、渋い顔をされた。


「この成績ならさらに進学も可能だぞ。そっちでも特待生制度はある」

「いえ。もうこれ以上学ぶ気はありません。私を育てるのに、クレジダ家は無駄な出費をしたわけですから。その分を早く返したいのです」

「…養育費を養子が返す、なんて前代未聞だが」

「そうでしょうけれど。でももらい事故じゃあないですか。学費はどうにかできました、あとは養育費です」


 本当は持参金を逆にもらえそうな商家に嫁ぐのも手かと思ったが、そうした縁をクレジダ家が求めているかは分からないし、変に政敵と呼ばれる家とつながるようなことがあってもまずい。そうなると、確実に稼げる職に就く必要がある。

 教員からは王城の事務官と、王都で一番大きい商会を案内された。それらの資料を片手に、ロクサネは次の週末、クレジダ家に帰っていた。



「就職についてご相談させてください」

「就職…?」


 夕食後の団欒の時間。一度部屋に戻って資料を片手に、ロクサネは義両親と義姉に相談を持ち掛けた。


「はい。特待生に限り最終学年は無償で飛び級で卒業できる制度があるらしく。代わりに、学園の紹介した先に就職する必要があるそうです」

「…特待生までなったんだ。進学するという選択もあるだろう?」

「ですがそれでは、ずっとクレジダ家に依存したままです」

 

 義両親が苦しい顔をする。金銭面の苦労はその通り。レオノーラの鶴の一声がなければ、きっとロクサネを引き取る決断はしなかっただろう。クレジダ家の財力も無限ではない。だが引き取った今、彼らに後悔はない。ロクサネは努力家で、平民生まれとは思えぬほど勤勉に励み特待生という成績をたたき出した。だからこそ、義娘が自身の養育費を懸念しているなんて思ってもみなかった。

 

「──私は、死にたくなくて、あの日助けを求めました。でも、お義父様、お義母様、お義姉様の迷惑も何も考えていなかった。父──イェッタがクレジダ家と縁を切っていた以上、私を育てる必要もないのに、巻き込んだんです」

「死…?」


 死にたくなかった。ただそれだけだった。でも巻き込むべきではなかったと、今でこそロクサネは思っている。淡々と話すロクサネの言葉に、レオノーラが瞳を揺らす。横から挟まれたいぶかしげな声に、ロクサネは首を傾げた。


「お義姉様にはお伝えしていなかったのでしたっけ。内臓を売られる、というのを聞いて…引き取られた孤児院から逃げ出してきたのです」


 事も無げに話すロクサネに、レオノーラは絶句する。


 レオノーラはロクサネを自分の義妹にと、両親に強請った過去を後悔はしていない。後悔こそしていないが──特待生となり、第二王子が興味を抱いているロクサネにほのかに嫉妬心を抱き始めていたのも、事実だ。それでも努力家な義妹を守らねばとできうる限りで動いていたつもりだ。

 何故クレジダ家に彼女が逃げ込んできたか、レオノーラは聞いていなかった。単に孤児院が嫌で逃げてきたのかと、天涯孤独の身となったのだから、逃げこんでくるのも当然だろうとある種軽く考えていた。


「…そんなの、逃げ出して当然じゃない」

「ありがとうございます。お義姉様がそう言ってくださるからこそ、無事に生きながらえています」


 レオノーラはそこまで深く考えていなかった。だからこそ、命の恩人のように扱われるのは重過ぎる。だがロクサネからすれば、レオノーラの一声がなければクレジダ家に迎え入れられることはなかったのは事実なので、嫌みではない純粋な感謝なのだろう。


「一旦は王城の事務官になる前提で動きたいと考えています。政治的な家の繋がりは私には分かりませんし…何より寮があるそうで」

「結婚は? 貴方どうするつもりなの?」


 言外に家を出ていく話をすれば、義母がハッとしたように声を上げた。


「…養女にしていただいたとはいえ、元は平民です。クレジダ家の利になるのであれば是非と思いますが、難しいかと…それであれば間違いなく稼げることが重要かなと」


 家の利になれば、という言葉がするりと出る辺り、ロクサネはしっかりと貴族の娘らしい考えを身に着けている。所作だって相当洗練された。ただ、生母が平民で、生まれが平民なのも事実。政略的に婚姻のコマとして使いにくいのは事実だった。


「…ゆくゆく結婚を考えるにしろ、先立ってはお義姉様が家を継がれる前に、私の進路を決めておいた方がいろいろな憂いがないかと思います」


 レオノーラは最終学年。何事もなければ卒業と同時に第二王子と婚約がまとまる想定だ。第二王子がクレジダ家にやってくる以上、ロクサネの身の振り方を決めておくのは確かに必要なことではあった。


「…ロクサネ」

「お義姉様。どうしました?」


 一旦、義両親はロクサネの意思を尊重するとしてくれた。商売よりも事務処理の方が向いていそうだと考えたロクサネは、自室に戻ってから事務官の方の資料を捲り、気になる箇所に目印をつけていく。

 夜も更け、そろそろ資料も片づけて眠るか、と資料を片付けている最中。控えめに響くノック音に扉を開けば、そこには夜着にガウンだけを羽織ったレオノーラがいた。


「ロクサネは、本当に就職してしまっていいの?」

「はい」

「本当に…? せっかく特待生になったのよ。殿下と私のことで、気を使っているんじゃ…」

「気を使っていない、とは言い切れません。でも…就職は私自身の意思です」


 気にする必要はないのだと、ロクサネは言葉を砕いてレオノーラに話して聞かせた。平民だった身で考えれば、学園で学べるだけでも贅沢すぎるのだということ。死ぬだけだっただろう自分を救ってくれたクレジダ家に、自分にできる範疇でとにかく恩返しがしたいのだということ。



「…学園で、貴女への心無い声が多いでしょう。こんなに…こんなに考えてくれているのに、学園での貴女を守り切れなくて本当にごめんなさい…!」

「お義姉様が謝られることは何も! 平民出身が気に食わない方もいるでしょうし、それを足掛かりにクレジダ家を貶めたい人間もいるのでしょう。むしろ矢面に立つのがお義姉様ではなくて私で良かったです」


 比較される苦しさはある。何故必死に学んでいるだけなのに陰口をたたかれなければならないのかと悩むこともある。だが、平民出身という身の上を受け入れられない人間が多いだろうことも、学んだからこそ分かるのだ。これがただ自分を救ってくれただけのレオノーラに矢印が向いていない以上、ロクサネは耐えられると考えていた。

 聖人君子ではないので、苦い気持ちがゼロとは言えない。だがそれでも心の底からの本心でレオノーラに、自分で良かったのだとロクサネは笑う。レオノーラは泣き出しそうな顔で、そっとロクサネを抱き寄せた。


「私のことは気にしないで。ロクサネはロクサネの好きなように…自由にしてほしいの。将来も、それこそ恋愛も」


 レオノーラはそれだけ言うと、夜遅くにごめんなさいね、とロクサネの頭を撫でて自室へ帰って行った。その後ろ姿をロクサネはぼんやりと見送る。


「…自由、か」


 生き延びる、という目標は達成した。死に物狂いでマナーを学び、勉強もした。それが落ち着いてきて、今度は途方もなく不安になった。学んだ先で、今度自分が何をできるのか。何をしたいのか。それらが何もないことに、細く頼りなく──けれど温かなレオノーラの腕の中で、ロクサネは気づいてしまった。




「浮かない顔だな」

「…ローランシア様」


 週末の帰省から戻ってすぐ。図書館の片隅で課題を片付けながら、ぼうっとしていたロクサネの背中にブレイクが声をかけた。余程呆けた顔をしていたらしい、とロクサネは苦笑った。


「すみません、お見苦しい姿をお見せしました」

「いや、そんなことはない。だが、どうした?」


 席を一つ開けて、ブレイクが椅子に腰かける。偶然自習スペースで近くに座っただけです、という顔をするためか、ノートなりを机に広げながらロクサネに問いかけた。


「…くだらないことなのです」

「でも君の顔色はよくない」

「…そこまででしょうか?」

「ああ」


 流石に婚約者のいない者同士で特別親しくしているようには見せられない。参考書を広げつつ話を続けるブレイクに、ロクサネは観念して重い口を開いた。

 生き延びるために動いた結果、貴族令嬢になったこと。生きるために必死だったこと。それこそ死に物狂いだったが、立ち止まって改めると、何ができて何がしたいのか。生き延びるのではなく、どう生きていくのか、悩んでしまったことを吐露した。


「…苦労、してきたのだな」

「クレジダ家にかけた迷惑を考えれば、私は苦労したなんて言えません」

「…」


 ペンを手にとっては、置く。手慰みのような動作を繰り返して、ブレイクは何かを考えこんでいる。別に親しくもない同級生にうっかり重たい話をしてしまったな、と反省するも、碌に交友関係を広げることもしていなかったロクサネには、どうしたらこの空気感を払しょくできるのか分からず黙り込むしかできない。


「何をしたい、ではなく、どう生きたい、という夢はないのか?」

「どう生きる…?」

「例えば、いつかは結婚したいのかとか。君は動き続けないと不安になるようだが、その不安が仮に解消されたら、穏やかな生活を求めるのかとか、そういうことだ」

「…穏やかな、生活、」


 知らない言葉のように呟くロクサネは途方に暮れた顔をしていた。


「…結婚への憧れは? 君の生みのご両親は仲が良い方たちだった?」

「…生みの両親も、義両親も、仲が良い、です。ああでも…そう、そうですね。生みの両親はずっと、二人でギルドで働いてたのです。ああいう風に、目に見えて支え合える関係性には、憧れ…ますね」

「ご両親揃ってギルドで働いていたのか。それは大層仲が良かったんだろうな」

「…父は母のために、貴族を辞めた人ですからね」

「愛情深い人だったんだな」

「ええ」


 両親が死んでから、もしかしたら初めて人に両親の思い出を話すかもしれない。クレジダ家に入るにあたって、両親の最期を説明したりは何度もした。けれど己の思いを交えて、思い出を語る、というのはよくよく考えれば初めてのことだった。言葉を選びながら訥々と話すロクサネに、ブレイクは言葉を急かさずに穏やかに相槌を打った。


「もし、働きに出ることもできて、クレジダ家の不利益にならない縁談があったとしたら。君はどう思う?」

「そんな私に都合の良い縁談はないでしょう」

「もしもの話だ」

「…もしも、あったなら。お相手の方が、私の生みの両親を平民と言って厭わないのであれば…義両親が許せば、そうですね」

「そうか」


 ブレイクの急な問いに首を傾げつつ。家族以外にここまで胸の内を吐露したのは初めてだとロクサネは息を吐く。吐き出して気持ちが落ち着いたからこそ、スッキリした思考の中でロクサネはハッとする。クレジダ家の不利益になるようなことは言っていないとは思うが、ここまでぽろぽろと話すのはまずかった、と今更になって顔を青くした。


「大丈夫だ、今聞いた話は誰にも言わない。むしろもし誰かに話が回ったのなら、俺が犯人だとすぐに分かるだろう。そんなしょうもないことはしない」

「…まあ、ローランシア様が私の話を吹聴する利益もないですものね」

「そうだ、だから安心してほしい」

「…ありがとうございます」

 

 貴族同士のやり取りで、どこまでが腹芸なのかまだロクサネには上手く判別がつかない。けれど、以前も純粋に心配もしてくれていたブレイクを信じたいと思った。不器用に微笑むロクサネに、ブレイクも笑んで返した。



 

 

「…私に? ローランシア様から、縁談ですか?」

 

 それからしばらくして。ロクサネが無事に王城の事務官の採用試験も合格し、飛び級で卒業したらすぐの就職が決まった頃。いつもと変わらず週末の帰省中に、寝耳に水の話題に、ロクサネは信じられないと声をあげた。


「ブレイク様はクラスもご一緒よね? よく話すの?」

「…まあ、話す方だとは、思いますが…。でもローランシア様は次男でしたよね」

「ローランシア家が持っている子爵位を継がれるらしい」

「…なる、ほど」


 ブレイクはクレジダ家と同派閥。ロクサネが嫁ぐのに問題は一切ない。むしろ同派閥の家が増える形だ。聞けば領地は基本的に持たないらしいので、ブレイクもいずれは働きに出る予定らしい。なので、ロクサネが働きに出るのも問題ない──むしろ歓迎、とのこと。


「…あまりにも私に都合がよすぎる気が、します」

「そうか?」


 返答の前に一度顔合わせを。勿論クレジダ家から断れるものではないが、平民の血も混ざる養女であることは事実である以上、念のため事前の話し合いは必要だろう、と食い下がって得た時間だ。

 素直に、都合がよすぎると問うたロクサネに、ブレイクは小首をかしげた。ローランシア家の庭園のガゼボで二人きりだ。


「周りに何を言われようと、一人で黙々と学び続けるまっすぐな姿勢に惹かれた。姉君を立て、自立を目指す強さも好ましいと思った。できれば、それを支えたいと思った。これでは不十分か?」


 照れもなく、しっかりと目を合わせた状態で迷いなくブレイクは言い切る。ロクサネは思わずぽかんとした。言葉をかみ砕いて理解するまで数秒、ぼっと音が鳴るように頬を真っ赤に染めることになった。


「え、あ…え? ローランシア様、私のこと…その、」

「端的に言えば好きだ」

「え!??」


 令嬢にあるまじき大声が出て、はっとしてロクサネは口を両手で押さえる。分かりやすく照れて驚いているロクサネに、ブレイクは声をあげて笑う。


「君もそんな顔をするんだな」

「…私のこと、どう思っていらっしゃったので?」

「クールだと思っていた。だが……そうやって表情がクルクル変わるのは可愛らしいと思う」

「かわ…、」


 頬の熱が引かない。ロクサネは両頬を手で押さえた。


「君は俺が毎回、何の下心もなく助けに入ったり、話しかけにいったりしていると思ってたのか?」

「…お姉さまへの、足掛かりかと」

「…そうか、そう思っていたのか」

「他の方は皆様そうだったので…」


 がくりと肩を落とすブレイクに、ロクサネは申し訳なさそうに返す。


「ちなみに、ロクサネ嬢個人として、俺は結婚相手としてありかなしか、どっちだろうか。お互いの家のこともあるが、素直な気持ちを聞きたい」


 真剣なブレイクの眼差しに、ロクサネは息を飲む。

 確かにレオノーラへの足掛かりを求めているのだろうと大前提、思っていた。だが確かにブレイクからはロクサネ自身を心配するのも見えたし、悩んでいた時にはすぐに話しかけにも来てくれた。図書館での時間は、明らかにロクサネを案じてブレイクが追ってきてくれたからこその時間だ。


「…クレジダ家の養女になって、義家族以外で…真正面から話を聞いてくれて、心配してくれて、寄り添ってくれたのは、ローランシア様だけだったと思います。好きという気持ちを…お返しできるかの確証はでも、ないです。それでもよろしいのですか?」


 ブレイクの言葉を丸ごと信じるのであれば、ロクサネにずっと寄り添ってくれたのは間違いなくブレイクだった。この縁談に政略的な旨みは双方にない。だからこそこれはブレイクの思いが全てで、そこを返せるか分からない今、そんな曖昧な思いで良いのかとロクサネは戸惑いを素直に口にする。

 

「嫌々嫁ぐ、というのであれば君の幸せにならないから素直に言ってほしい。ただ、もし君が俺でも良いと思ってくれるなら手を取ってほしい」

「嫌々ということは絶対にないです。むしろ私なんかが良いのかと…お返しできるものが、あまりにもなくて」

 

 

「君が、俺の隣で幸せになってくれたら。それが一番欲しいものだ」

 


 照れもなく、まっすぐに目を見つめてハッキリ言い切るブレイクに、ロクサネの心臓は跳ねた。これが、恋の始まりかは分からないけれど、俗にいうときめきと呼ぶやつであることだけは、分かった。


「…それで、ローランシア様は幸せになれますか?」

「勿論。…ああ、できれば名前で呼んでほしい。この家には知っての通りローランシアだらけだから」

「では…ブレイク様」

「…うん。嬉しい」


 ほんのり頬を染めて、歯を見せてはにかむブレイクの表情はロクサネも初めて見るもので思わず見とれてしまう。


「…ブレイク様は、高位の方に婿入りもできたのでは?」

「まあできたが。ただわが家が無理に縁を繋ぐべき家もそこまでなければ、元々兄上を支えたい気持ちもあったし子爵意を継ぐのは割と以前から考えていたんだ。領地経営よりも、王城勤務にも興味があったしな」

「え」

「ああ、俺も卒業後は王城勤務予定だ」

「まあ…」

 

 さらりと告げられたブレイクの卒業後の進路に目を見開く。


「ふふ。じゃあ一緒の職場で働けるのですね」


 生みの両親のように。ロクサネが飲み込んだ言葉を勿論察しつつ、ブレイクは笑って頷いた。

 話は付いた。ガゼボから二人はブレイクのエスコートで移動する。応接間で二人が戻ってくるのを待っていた両家一同は、あまりにも少し照れながら、けれど打ち解けた様子の二人を見て、これは大丈夫だろう、と目配せし合った。


 その後。学園内で堂々と婚約者として振る舞うブレイクが、これまでロクサネの陰口を言っていた令嬢たちにあまりに冷たく当たるので、それをロクサネがフォローする姿を学園中が目にすることになる。今まで淡々と勉学に励んでいたロクサネの少し慌てた姿と、好意を隠さないブレイク。それぞれのこれまでとのあまりのギャップに、レオノーラは勿論、学園中がほほえましくそれを見守るようになるなんて、この時は誰も予想していなかった。


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