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厄喰い巫女は鬼に嫁ぐ  作者: 野良うさぎ(うさこ)


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6/7

認められて


「……ここ、どこ……?」


 目を覚ました瞬間、身体が自分のものじゃないみたいだった。


 重い。とにかく重い。


 布団から起き上がろうとしただけなのに、腕も肩も、胸の奥までずしりと鉛を流し込まれたみたいに痛んだ。


「……いたっ」


 思わず声が漏れる。それでも、この痛みは昨日のことが現実だったっていう証でもあるんだ。


 昨日のことは、ちゃんと覚えている。

 朔夜様が苦しんでいたこと。屋敷中に呪いが満ちていたこと。虎みたいな強力な呪いが朔夜様から出てきたこと。


 そして――私が朔夜様を抱きしめたことを。


 そこまで思い出した瞬間、反射みたいに自分の腕を見た。


「……っ」


 白い肌の上に、黒い痣が浮いていた。


 うっすら、ではない。

 昨日より、はっきりとしている。まるで細い蔦が皮膚の下に入り込んだみたいに、黒い筋が腕に絡みついていた。


「……怖いよ」


 でも、同時に、どこかで納得もしていた。

 だって、あの時、私は確かに「何か」を自分の中に入れたのだから。


「私が呪いを入れてしまったんだ」


 呟いた声は、思ったよりも落ち着いていた。

 本当はもっと慌ててもいいはずなのに、心のどこかが妙に静かだった。


 そこで障子が開く。


「あら、起きたのね! どう、このお部屋? 素敵でしょ! ほら、あなた荷物少ないから、帝都へ買い出しに行かなきゃね!」


「お、おはようございます……。あっ、すみません! 仕事、始まってますよね?」


「はぁ〜、もうあんなことがあった後だから、しっかり休んでいなさい」


 いつも通りの篝さんが部屋にやってきた。

 でも今日はいつもよりも少しだけ疲れて見えた。目の下に薄く影が落ちている。


「そ、それでも」


「それでもじゃないの」


 篝さんは冗談っぽい口調だったけけど、私の身体を探るように見ていた。心配と疑念、それが混ざり合っていた。


 視線が、まっすぐ私の腕の痣へ落ちる。


「やっぱり残ったわね」


「これ……」


「昨夜あなたが喰った呪いの痕よ」


「私が……食べた……」


「あのね、とぼけても駄目よ。……呪い、あなたの身体の中に残っているんでしょ?」


「……はい。その、嘘ついているわけじゃないんです。私、呪いを消せると思っていたんです」


「そんな巫女がいたら、奇跡に近いわよ」


 あっさり言われて、私はもう一度自分の腕を見た。


「じゃあ、昨日のあれで、全部終わったわけじゃ……あっ、朔夜様の呪いは――」


「ええ、人生はそんなに都合よくいかないわ」


 篝さんの声は静かだった。年齢を感じさせる重みがあった。


「あなたが消したのは、表に噴き出していた呪いだけ。屋敷の奥にも、朔夜様の中にも、まだ残っている」


 私、役に立たなかったのかな……。その事実に少しだけ落ち込んでしまった。

 私はまだ何も救えていないんだ。


 そう思ったのに――そのすぐ後で、違う感情も浮かんだ。


 心の奥から強い気持ちが浮かんでくる。朔夜様の役に立ちたい。今度こそ、朔夜様の笑顔を見たい……。


 あれ? 私、朔夜様の笑顔を見たいって思っているの?


 なんだか、照れてしまって顔が赤くなってしまう。


 篝さんが私の様子を見て、呆れたように息を吐いた。


「あなた、本当に変な子ね」


「え……?」


「普通はもっと怯えるのよ。というより、九鬼家の呪いなんて、逃げ出すのが普通なのにね」


 そう言われて、私は少しだけ困ってしまった。


 確かに怖い。

 腕の痣も、身体の重さも、昨日の呪いを思い出すだけで息が苦しくなる。

 それでも――


「……朔夜様はご無事ですか?」


 気づいたら、そう聞いていた。


「ええ。少なくとも昨日みたいに呪いが溢れ出してはいないわ。今回の『慟哭は』今までで一番酷かったから、少し辛そうだけど、死者が誰も出なかったから安堵していらしたわ」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。本当に良かった。朔夜様、喜んでいらしたんだ……。


 立ち上がろうとしたら、少し振らついた。篝さんが私の額にデコピンをしてきた。


「いたっ」


「あなたは自分の身体の心配をしなさいな。全く、二人して自分の身体の心配をしないんだからさ」


「は、はい……すみません……」


 そう返事をしながら、私は腕の痣にそっと触れた。冷たい。

 でも、昨日みたいな暴れる痛みじゃない。


 まるで、まだ私の中で何かが眠っているみたいだった。



 ***


「じゃあ、ここ置いておきます」

「この荷物はここでいいですか?」

「あ、このコーヒー豆も澪様のお荷物です」

「梱包を解いて設置しておきますね」


 その後、代わる代わる、私の部屋に訪れる屋敷の人だったり、配送員の人。沢山の荷物が私の部屋を埋め尽くした。


 布団があっただけの何もない部屋が、とても素敵な部屋へと変化した。

 華美過ぎず、地味すぎず、とてもセンスの良い調度品。


 正直、私にはもったいなさ過ぎて落ち着かなかった。

 屋敷の人に聞いたら、これは朔夜様の命令によるものだった。


『新しい巫女様の部屋に合う家具を揃えろって言われました』


 家具以外にも着物や雑貨、様々なものが届き、私の午前中はそれらの整理整頓と部屋の掃除で終わってしまった。


 昼の後、私は篝さんと共に屋敷の奥の部屋へ向かった。あの洋室。あんな事件があったから少し緊張する。


 部屋のテーブルにはそこには、朔夜様と黒鉄さんがいた。


 昨日よりも落ち着いて見える。

 でも、近づいた瞬間にわかった。あの人の中から漂う黒い気配は、完全には消えていない。


 静かに身体の奥底に沈んでいるだけだ。


「おう、澪様。そこに座ってくれ」


 私は視線の先の椅子に座った。篝さんも私の横に座る。

 黒鉄さんは腕を組んで、こちらをじっと見ている。


「その痣、昨日の呪いで間違いねえんだな」


「……ええ、多分そうです」


「たぶん、じゃ困るんだがな」


「ちょっと、黒鉄、意地悪しないの〜」


「い、意地悪じゃない。確認は必要だろ」


 その返しに少しだけ肩を縮める。

 だって、本当にわからないのだ。

 私は自分の力の名前も、正しい使い方も、何も知らないままここまで来てしまったのだから。


「これ見てよ。あんたも知ってるでしょ。私の実家が呪いを専売にしている家系だって」


 篝さんが机の上に古びた帳面を置いた。


「昨夜のことを整理したわ。黒鉄も私も、この屋敷であんなことを見るのは初めてよ」


 帳面が開かれる。古い文字が並んでいた。


「九鬼家に伝わる古い記録に、少しだけ似た記述があるの」


 篝さんは指先でその一文を押さえた。


「呪いを祓わず、己が内に喰らうものあり――」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がざわめいた。


 喰らう。


 昨日、私は確かにそんなことをした気がした。押し込んだ。自分の中に入れた。

 だから、この痣が残っている。


「そういう体質の者を、昔は『厄喰い』と呼んだそうよ」


「厄喰い……」


 口に出してみると、嫌な名前だった。でも、不思議と他人事には思えなかった。

 黒鉄さんが苦い顔で私を見た。


「そんなもの、人でいられるのか?」


 私もそれに頷く。

 

 だって、呪いを食べて、穢れを抱え込む。

 そんなことを繰り返して、本当に普通のままでいられるのだろうか。


 私は……自分の腕を見下ろした。


 ふと、コーヒーの匂いがした。朔夜様がカップを2つ手に持っていた。一つを私の前に置く。


 その匂いがささくれだった心を鎮めてくれた。


「……白綾は知っていたのか」


 朔夜様が初めて口を開いた。

 静かなのに、その一言だけで空気が冷える。


 私は少しだけ迷った。

 でも、隠しても意味がない気がした。


「母様は、知っていたと思います」


 三人の視線が集まる。


「子どもの頃、この力みたいなものが出た時……誰にも見せるなって言われました。姉様にも、絶対に言うなって」


 篝さんが黒鉄さんの頭を叩く。


「やっぱりね……」


「おい、俺に八つ当たりするな。それにしても……ひでえな」


 黒鉄さんの顔が険しくなる。




「……推論で決めつけるのは早い。……だが、俺は白綾家は好きになれん」


 朔夜様の声には、怒りとも呆れともつかないものが混ざっていた。

 私はその空気の中で、少しだけ居心地が悪くなった。


 だって、私の話をしているはずなのに、私はまるでただの荷物みたいだから。


 でも、荷物でも何でも、ここにいられるならそれでいい。

 そんな風に思ってしまう自分もいた。


 やがて、朔夜様がこちらを見た。


「澪は正式に九鬼家に置く。ふんっ、厄喰いだろうが、俺の前で死なずに役に立つなら構わん」


 反射的に私は立ち上がった。


「あっ、初めて私の名前を呼んでくださりました! 篝さん、聞きました! 澪って呼んでくれましたよ!」


「はいはい、よかったわね〜」


「いや、それよりも違うだろ。澪様を正式に九鬼家に置くって言ってんだぞ」


「あっ……」


 名前を呼ばれた嬉しさで頭が混乱していた。私、この家にいて良いんだ。

 朔夜様が咳払いをして続ける。


「ただし、当主付きだ」


 篝さんが小さく息を吐いた。


「当主付き巫女、ってことですね」


 黒鉄さんは露骨に嫌そうな顔をした。


「危険すぎるでしょう」


「遠ざけても意味がない」


 朔夜様は淡々と言う。


「白綾に戻しても別の形で使われるだけだ。なら、目の届くところに置く」


 優しい言い方じゃなかった。

 庇う声でもなかった。


 それでも、私は胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じていた。


 ここに、いていい。


 まだ完全に受け入れられたわけじゃない。

 でも、捨てられはしない。


 それだけで、私には十分すぎるほど大きかった。


「……ありがとうございます」


 自然と頭を下げていた。


 こんな風に感謝を言うのは、久しぶりだった。

 しかも、その言葉がちゃんと意味を持っているのも久しぶりだった。


 朔夜様は私から視線を外した。


「礼は要らん。お前がここにいるのは必要だからだ。勘違いするな」


「……はい」


「コーヒーが冷める。冷めるとまずくなる。飲め」


 冷たい言葉だった。

 でも、不思議と嫌じゃなかった。


 白綾家で向けられてきた冷たさとは違うからだと思う。

 あちらは最初から切り捨てる冷たさだったけど、こちらはまだ判断の途中に置いてくれる冷たさだった。


 私は泣きそうになりながらコーヒーを飲んだ。きっとこの香りはこの日の思い出とともに、何度も蘇ると思う。


 だって、朔夜様が初めて名前を呼んでくれた日だから。



 ***


「じゃあ戻りますね。黒鉄、後で寄るからね」


 篝さんが立ち上がる。私も釣られて立ち上がった。


「それじゃあ、澪様。客人じゃなくなったから、正式に教育係として私が教えますね。 ――当主付き巫女といっても、何もしなくていいわけじゃないの」


「はい」


「まず、勝手にうろつかない。夜に黒い気配が濃くなったら一人で動かない。封印蔵には近づかない。朔夜様『来るな』と言ったら、絶対に近づかない。いい?」


 最後だけ、やけに強い口調だった。

 私は少しだけ黙ってから、頷いた。


 昨日の自分を思い出す。

 たしかに、あれは言いつけを守ったとは言えない。

 でも、あの時行かなかったら、私はきっと一生後悔していた。


「……はい、わかりました」


 篝さんは私の顔を見て、少しだけ眉をひそめた。


「ちょっと〜、澪様は前科持ちだからね。昨日は言う事聞かなかったからさ」


「す、すみません……」


 たぶん、本当にわかっているのか怪しいと思われたんだろう。


「うん、分かればいいの。じゃあ屋敷のみんなに改めて紹介しにいくよ。――朔夜様失礼します」


 礼をして部屋を出る篝さん。私もその後を追った。

 部屋と出る時、私は振り返った。


 朔夜様はもう机の上の書類に目を落としていた。

 さっきまで私のことを見ていた人と同じには見えないくらい、感情のない顔。


 それでも――


 その奥にあるものを、私は少しだけ知ってしまった気がする。


 だから、簡単に怖いだけの人だとは思えなかった。


 部屋を出てから、私は篝さんについて歩いた。

 屋敷の廊下は昼より静かで、でも働いている人たちの足音や気配はちゃんとあった。


「おっ、正式に九鬼家にいられるのか!」

「良かったね〜」

「あんた仕事も丁寧だから嬉しいよ」

「巫女か……、本当に大丈夫?」

「当主付きは危険ではないのか?」

「やっと、これで九鬼家にも春が……」


 この家は、苦しいだけの家じゃない。

 苦しみの上で、みんな必死に生きている家なんだと思った。


 


「ふう、ちょっとだけ疲れちゃったね」


 人と普通に接するのが慣れなかった。私は今まで人として扱われていなかったから。

 夜、自室に戻り鏡台の前に座って、そっと袖をたくし上げる。


 痣はまだ消えていない。

 黒い蔦みたいな線が、腕の内側に静かに残っている。


「……厄喰い……それってなんだろう? わからない……、ううん、自分の力で知ろうとしないと駄目なんだ」


 問いかけても答えは出ない。当たり前だ。自ら動いて調べなきゃいけない。


 私は櫛を手に取った。母様の形見。


「母様は知っていたんですね。……なら、もしかして、母様の実家を訪ねたら……」


 自分の中にあるものに名前がついたことで、少しだけ輪郭が見えた気がする。


 その夜、窓の外は穏やかだった。

 昨日みたいに屋敷中が軋むこともない。


 けれど、ふと目を閉じた瞬間、胸の奥がざわついた。

 黒いものが、まだ屋敷の奥で眠っている。


 消えてなんかいない。

 ただ、息を潜めているだけだ。


 私は自分の腕の痣を押さえた。鈍い痛みが襲いかかる。なんだか、獣の鳴き声が聞こえてくるように思えた。


 それでも――


 もう、逃げたいとは思わなかった。


 この屋敷には、まだ沢山知らないことがある。

 朔夜様のことも、呪いのことも、そして自分のことも。


 知るのは怖い。でも、知りたい。だから、行動するんだ。


 そんな気持ちで目を閉じた時、私は昨日とは少しだけ違う自分になっていることに気づいた。


 配達員から送られた品の一つを手に取った。コーヒー豆だ。コーヒーの香りが朔夜様を思い出させる。


 なんだか、それだけでここが自分の居場所のように思えた……。


 胸の奥が温かい気持ちになれた――

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