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厄喰い巫女は鬼に嫁ぐ  作者: 野良うさぎ(うさこ)


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4/7

コーヒーの時間

 朔夜様に袖を引かれたまま、私は屋敷の奥へと連れて行かれた。


「あ、あの……」


「……」


 朔夜様が私の声に反応するように、一度立ち止まり、自分の手を見た。そして、そっと私の袖から手を離す。


「あ……」


「……勘違いするな。俺はまだお前を嫁とは認めていない」


 なんだか、おかしな物言いだった。怖い顔で低い声なのに、あまり怖く感じない。さっきまでは呪いの黒い気配が満ちていたはずなのに、今はそれを感じられない。


 でも、静かになったからって安心できるわけじゃない。


「温かかったです……」


「何がだ?」


「朔夜様の体温……?」


 朔夜様は何も言わずに再び歩き出した。私はその背中を追う。


 私は自分の手を見つめた。

 こんな風に、誰かに手を引かれるなんて初めてだった。


 しかも相手は、鬼の家の当主。

 怖い人のはずなのに……、どうしてか、振りほどきたいとは思わなかった。


「入れ。……別に取って食おうなんてしない。少し話をしてみたいだけだ」


「はい、わかりました」


「……そんなに笑っていて何が楽しい?」


「え? わ、私、笑ってましたか?」


 自分の顔を手で触る。確かに笑顔になっていたみたいだ。不思議だった。理由がわからない。朔夜様は「まあいい、入れ」といって、部屋に入っていった。


 通されたのは、簡素だけど広い洋室だった。

 余計な飾りはほとんどない。生活感も薄い。綺麗に整えられているのに、冷たくて、どこか息が詰まるような部屋。

 なんとなく、この部屋の主の性格がそのまま出ている気がした。


 朔夜様は部屋の中央にある円卓のテーブルの椅子に座った。

 私はそこでようやく自分が少しだけ体調が悪いことを思い出した。でも、座ってもいいか判断がつかず、とりあえず立っていたら


「早く座れ」


 短くそう言われて、私は慌てて席に座った。

 背筋を伸ばす。視線を下げる。目の所在に困る。


 沈黙が広がる。


 でも、白綾家の沈黙とはまた違う。あちらは冷たくて刺すような静けさだったけど、いまの沈黙はそんなに嫌じゃない。


「……ここにいろ。いいか、絶対に動くな」


「は、はい」


 朔夜様が軽いため息を吐いて立ち上がる。そして、ポットのお湯を沸かして、コーヒーを淹れ始めた。私は手伝いたかったけど、動くなと言われたから、どうしていいかわからずそわそわしてしまった。


 ほどなくしてコーヒーの良い香りが部屋に漂う。あ、この匂いだったんだ。この部屋に入った時に感じたのは。


 朔夜様はコーヒーをカップに注ぎ、一つのカップを私の前に置いた。戸惑う。


「……飲め」


「は、はい。わぁ、すごく良い匂い。……ほ、本当に飲んでいいのですか?」


「いいから、飲め」と少し語気を強めて言われた。


 私は一口、コーヒーを飲む。苦さと酸味が程よく、香りがとても良い、美味しいコーヒーだった。


「美味しい……、こんなに美味しいコーヒーは初めて……」


「そうか、どうでもいい。話を始めるぞ。お前は白綾家でどんな風に過ごしていたんだ?」


 私は反射的に顔を上げる。


 朔夜様は私を見ていた。冷たい目だった。あれ? でも、なんだか、嬉しそうに見えるのは気のせいかな? もしかして、コーヒーが美味しいと言ったのを聞いていたのかな?


 冷たさの奥にあるのは怒りじゃなかった。ううん、怒りよりも、もっと別の……確かめるような色。


「白綾家の私……」


 朔夜様は私の答えを待つ。優雅にコーヒーを飲んでいた。頭の中で色々な思いが交差する。


 どうしてそんなことを聞くのだろう? そんなの朔夜様には関係ないはずだ。

 私はただ、白綾家から送られてきた巫女で、九鬼家にとっては厄介か便利か、そのどちらかでしかないはずなのに。


 でも、黙っているわけにもいかなかった。本当のことを言うのが一番だ。嘘は嘘で塗り固められ、誠実じゃない。私は嘘が嫌いだ。


「……出来損ない、でした」


 自分で言っていて、少しだけ変な気持ちになった。

 だって、ずっとそう言われてきた言葉だから、今ではもう自分の名前みたいなものだった。出来損ないの方の娘って。


「術は使えません。霊力もほとんどなくて……、月の儀式でも、毎回私だけ失敗して……。だから、巫女の仕事はさせてもらえなくて、雑用ばかりしていました」


 言葉はするすると出てきた。

 止まらなかった。

 多分、今まで誰にも聞かれたことがなかったからだと思う。


「ご飯も……、使用人の方たちと同じものを、仕事の後にいただいていました。お部屋も、雨風をしのげるだけの場所で……。でも、あの、それが普通だったので……」


 そこまで言ってから、少しだけ困ってしまった。

 普通、ってなんだろう。


 私にとってはそれが普通だった。

 でも、今こうして言葉にすると、なんだか違うような気がしてきてしまう。


「……別に、つらいとか、そういうわけじゃないんです」


 慌てて付け足す。

 言い訳みたいだった。


「私が出来ないからいけないんです。役に立てないから、ああいう扱いになるのは当然で……」


 朔夜様がカップをコトンと置く音が部屋に響いた。なんだろう、その音がひどく胸に響いた。


 真っ直ぐに私を見つめる朔夜様。目をそらしたくなるけど、受け止めなきゃ駄目ってわかった。


「当然だと思っているのか」


 私は息を呑む。


 怒っているようにも見える。

 でも、その怒りは私に向けられているのか、自分でもよくわからなくなってしまった。


「……わかりません」


 それが本音だった。わからない。私にはわからないことが多すぎるんだ。


「昔は嫌でした。でも、ずっとそうだったから……、そのうち、そういうものなんだって思うようになって……」


 言いながら、自分の胸の奥が少しだけ痛む。


 ――ああ、私、本当は嫌だったんだ。

 

 本当は……、肉親である実の父様に甘えたかったんだ。姉様みたいに、期待に応えたかったんだ。だから……、私は……。


 今さらそんなことに気づくなんて、少しだけ情けなかった。


 朔夜様はしばらく何も言わなかった。

 部屋の中は、コーヒーの匂いだけが広がる。


 でも、さっきの沈黙とは少しだけ違っていた。

 冷たいだけじゃなくて、何かが揺れているような……そんな気配。


「……今日はもう休め」


 朔夜様はそれだけ言って立ち上がった。

 私は小さく頭を下げた。


「……はい」


 本当は、まだ色々言いたかった。

 謝りたかったし、ありがとうございましたとも言いたかったし、自分でもよくわからない気持ちが胸の中にぐるぐる渦巻いていた。


 でも、今はこれ以上喋らない方がいい気がした。


 部屋を出る直前、私は一度だけ振り返った。

 朔夜様は窓の外を見ていた。


 その横顔はやっぱり綺麗で、でも、綺麗すぎて、ひどく寂しそうに見えた。



 ***



 翌朝、目を覚ました瞬間、昨夜のことを思い出した。


 朔夜様の部屋での出来事……。白綾家での記憶――。

 そして、あの朔夜様の「今日はもう休め」という言葉。


 たったそれだけのことなのに、胸の奥が妙に落ち着かなかった。

 

 変な感じだった。

 ずっと他人に関心を向けられずに生きてきたから、少し質問されただけでこんな風になるなんて、自分でもよくわからない。


 とにかく、身支度を整えて、部屋の外に出る。

 九鬼家の朝は静かだった。


 使用人たちはもう働いている。

 廊下を歩く音、水の音、誰かが話す小さな声。

 白綾家と同じように朝は始まっているのに、空気だけが全然違う。


 目が違うんだ。ここは噂されていたような場所じゃない。だって、みんな目がキラキラしているんだから。


 ……そんなことを思ってしまった自分に、少し驚く。


 廊下を進くと、すぐに視線が集まった。


「あの子が……」

「昨日、あの状態の当主様に触れたって……」

「なのに生きてるの?」

「そんなこと、ある……?」


 ひそひそ声。

 隠すつもりもない小さなざわめき。


 でも、不思議とつらくはなかった。

 白綾家で向けられていた視線とは少し違うからだと思う。

 あちらは蔑みと侮蔑ばかりだったけど、こちらは警戒と困惑だった。


 もちろん歓迎されているわけじゃない。

 でも、意味のない悪意でもない。


 私はそれに少しだけ救われた。


 一日の決められた作業をしていると気が紛れる。時折、篝さんが様子を見に来てくれたり、黒鉄さんがこの屋敷のルールを教えてくれた。


 なんでも、夜が危険らしい。屋敷の中なのに危険。……それはあの呪いの他に理由がないと思った。


 程なくして、夕刻となり、歩いていると、前方から篝さんがやって来た。


「あ、ここにいたのね」


「は、はい。仕事がなくなってしまって……なにかすることありますか?」


「姫様は働きたがりだねぇ。じゃあ早速仕事しよう……って思ってたんだけどね、ごめんね、ちょっと一緒に来てほしいのよ」


 篝さんは相変わらずきびきびしている。髪の乱れもなく、姿勢も綺麗で、見ているとなんだか背筋が伸びる。

 白綾家の女中たちとは全然違う。仕事が出来る人って、こういう人のことを言うんだろうなって思った。


 篝さんは私を上から下まで軽く見て、特に問題ないと判断したみたいに小さく頷いた。


「当主様がお呼びよ」


 心臓がどくんと跳ねた。


「え……、わ、私を、ですか? で、でも昨日の夜にお話をして……」


「まあ、色々決めたんじゃないの? ほら、行くわよ」


 私は慌てて姿勢を正した。


 でも、どうして呼ばれたんだろう。

 昨日のことで叱られるのかな。やっぱり出ていけって言われるのかな。それとも、何か別の理由……。


 考えれば考えるほど不安になる。


 篝さんはそんな私を見て、少しだけ目を細めた。


「そんなに怯えなくていいわ。……と言いたいところだけど、相手が当主様だから無理ね」


「え?」


「ふふっ、あの方は怖いわよ〜。行けば分かるわ。来なさい」


 そう言って歩き出す。

 私は小さく息を吸って、その背中を追いかけた。


 九鬼家の廊下は長い。

 歩きながら、昨日よりもずっとこの屋敷の気配が分かるような気がした。

 黒いものが、家のあちこちに染みついている。

 でも、それを押さえつけるように、人の気配もちゃんとある。


 きっと、この家の人たちはずっとこの重さの中で生きてきたんだろう。


 そう思った時、また胸の奥がきゅっと痛んだ。


 案内されたのは、屋敷の奥にある洋室だった。昨日と同じ朔夜様の部屋。


 篝さんが扉の前で足を止める。そしてノックをした。


「――入れ」


 短い声。

 覚悟を決めて、私は扉に手をかけて、部屋へと足を踏み入れた。


 部屋の中には、椅子に座っている朔夜様と、その横に立っている黒鉄さんがいた。


 空気が、一瞬で重くなる。

 やっぱり、この人がいる場所は違う。

 屋敷全体に漂っている重さとは別格だ。黒くて、深くて、触れたら飲み込まれそうになる。


 それでも、昨日のあの時ほどではなかった。いまは、多分、普通に触っても大丈夫だと思う。


「……連れてきたか」


 篝さんは朔夜様に向かって敬礼をし、黒鉄さんの隣へと移動する。


 朔夜様の声は低く、淡々としていた。

 感情の起伏はほとんど感じられない。昨日よりもさらに機械的に感じられた。


「は、はい」


 私は頭を下げる。

 喉が渇いているのに、声だけはちゃんと出た。


 黒鉄さんは腕を組みながら私を見ていた。厳しい目だ。主を守る人の目だと思った。

 私はこういう目を知っている。

 値踏みする目、警戒する目、役に立つかどうかを見る目。


「本題に入ろう――。お前は、俺の呪いに触れて無事だった。……呪いが弱かったのは理由にならんし――」


 私は小さく息を呑んだ。

 やっぱり、その話になるんだ。


「偶然では片付けられない。はっきり言おう。それは異常だ。俺の呪いは当主が受け持つ代々と続く鬼の呪いだ。巫女程度が軽く触っただけで三日三晩寝込んでしまうはずだ」


 朔夜様の視線がまっすぐに向けられる。


「これまで、白綾から何人も巫女が来た」


 その言葉の意味は重かった。


「呪いに近づいて壊れた。逃げた者もいれば、二度と立ち上がれなくなった者もいる」


 私は思わず俯きそうになった。

 でも、俯いたら駄目な気がして、必死に耐える。


 朔夜様の声は続いた。


「……あとでもう一度、篝と一緒に自分の身体を調べろ」


 話の流れはわからなくなっていた。私は朔夜様の呪いに触れても無事だった。それが、異常だと言われた。何が異常か私にはわからなかった……だから、ただ頷くことしかできない。


「……はい」


「しばらく様子を見る。仮の住まいではなく、奥の間で部屋を用意しろ」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなった。

 追い出されるわけじゃない。

 まだ、ここにいていいんだ……。


「……使えないと判断したら、その時は出ていってもらうぞ、死ぬよりはマシだろう」


 表面上は冷たい言葉だった。

 

 そんなのは私にとって当然。ここは白綾家とは違う。役に立つかどうかを見て判断する方が、よほど誠実だ。


「……わかりました。ありがとうございます」


 私は頭を下げた。


「わたし、ここにいてもいいんですね……」


 絞り出すような声。言葉にしてから、自分でも驚いた。想いが凝縮されていた。


「私、役に立ちたいんです。……使い物になるまで、ここに置いてください」


 部屋の中が静かになった。


 顔を上げると、黒鉄さんが少し眉を動かしたのが見えた。

 篝さんは何も言わなかったけど、視線がわずかに揺れた気がした。


 朔夜様だけが、ずっと無表情だった。


 何を考えているのか全然分からない。

 でも、分からないままでも、私は言葉を引っ込めたくなかった。


 やがて、朔夜様が小さく息を吐いた。


「……好きにしろ。俺は厳しいぞ」


「は、はいっ!」


 心のうちに秘めた喜びが表に出てしまう。白綾家ではずっと隠していた。なのに、このひとの前だと、私は隠せないでいる。


 私は九鬼家に残る――


 まだ正式な居場所じゃない。仮の立場で、いつ追い出されてもおかしくない。

 それでも――ここにいられる。


「本当に……ありがとうございます」


 私は深く頭を下げた。涙なんて枯れ果ててもう出ないと思っていた。なのに、込み上げてくる嗚咽が抑えられなかった。


 白綾家では、役に立たない私は最初からいらない存在だった。

 でも、ここでは違う。

 

「……泣いているのか?」


「泣いていないです。う、嬉しいだけです……」


「……」


 朔夜様は私から視線を外した。


「篝」


「はい」


「こいつに最低限のことを教えろ」


「昨日も同じこと言ってたじゃないですか。花嫁修業ですか?」


「……篝」


「すいません、冗談です! ちゃんと教えますって」


 そのやり取りを聞きながら――


 ――背筋がゾクリとした。


 屋敷のどこかで、何かが軋んだような気がした。


 黒い気配が、一瞬だけ極大に濃くなる。


 黒鉄さんと篝さんも遅れて空気の異変に気づいたみたいだった。

 二人は朔夜様から距離を取った。


 朔夜様は苦い顔をしてため息を吐いた。


「……こんな時に……『慟哭』が起こるのか……」


 ――呪いが動く予兆。


 そう、本能が告げていた。

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