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厄喰い巫女は鬼に嫁ぐ  作者: 野良うさぎ(うさこ)


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2/7

出立の澪

  頭の中で考えがまとまらない。それでも、部屋に戻ろうと頭を上げる。誰かの気配がした。


「……ふーん、澪、九鬼家に行くんだ」


 聞き慣れた声だった。

 姉様――紫乃が柱にもたれて立っていた。


 灯りに照らされているその姿は相変わらずきれいだった。まるで、さっきまでの儀式の霊力が姉の周りにまだ残っているみたいに見えた。


 姉様は少し不機嫌そうに見えた。私はどんな反応をしていいかわからず、ただ頷いた。


「……別にあなたのことが心配で、執務室の会話を盗み聞きしていたわけじゃないわよ。勘違いしないで」


「は、はい……?」


「九鬼家ね……。相当な噂しかないわね。まあ、役立たずのあなたにはお似合いかもね」


 姉様はゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。

 足音が静かに近づくたび、胸の奥が少しずつ締めつけられる。


「……この家にいてもあなたは壊れるだけよ。なら、少しでも役に立てるならいいんじゃないの?」


 姉様の不思議な言い回し。冷たさと温かさが混同しているみたいな物言い。なんだろう、不思議と嫌いじゃない。


 でも、姉様が私を嫌っているのは知っている。だって、事実だから。姉様の胸の奥には、私に対して憎しみに近い感情を持っている。なぜ、そこまで恨まれているのかわからないけど……。


「……はい、わたしもそう思います。役に立てるように努力します」


 私がそう言うと、姉様の顔が少しだけ歪んだ。


「あっそ、どうせ、すぐ壊れるでしょうけど」


 何気ない調子で、そう言った。


「……そうかもしれません」


 私は小さく頷いた。

 否定する理由も、なかったから。


「……まあ、いいわ。精々死なないでちょうだいね」


 姉様は私に興味を失ったみたいに、背を向ける。


「あっ、あと白綾の名を汚さないで」


 それだけ言い残して、去っていった。


 足音が遠ざかる。

 私はその場に立ったまま、動けなかった。


 さっき父様に言われた言葉よりも、姉様の態度の方が……心に重くのしかかったような気がした。






「ふぅ…………」


 自室に戻ると、私は腰が抜けたようにその場に座り込んでしまった。


「鬼の嫁……か」


 帝都最強の祓い師として、皆から恐れられている呪われた九鬼家。私も沢山の噂を聞いたことがある。


「でも、九鬼家は帝都の闇に巣食う悪いあやかしを倒しているの。……なんで、みんな嫌っているの?」


 私は初め、九鬼家に嫁げと言われた時――

 私でも役に立てるチャンスかもしれない、と思ってしまった。


 自分の部屋を見渡す。壁はボロボロで隙間風が入り、人が一人眠るだけで精一杯の広さ。


 寝具と僅かな着替えと雑貨。無駄なものが何もない。ううん、何も置けない。


「白綾家の落ちこぼれの次女……」


 ものがないだけじゃない。なんの思い出もこの家で生まれなかった。


 明日には、この部屋を出る。


 そう思っても、特に感慨は湧かなかった。だって、思い出がないから……。


 

 深呼吸をして、荷物を整理する。と言っても、持っていくものはほとんどない。

 風呂敷に替えの着物を包む。


「これも……持ってかなきゃ」


 桜色の巾着に入れられてある小さな櫛。子どもの頃、母様が私の髪を梳いてくれた櫛。


「母様……、私、役に立てるかな?」


 天井を見上げる。母様がいた頃はまだ良かった。こんな部屋ではなく、普通の部屋を与えられて、普通の娘として過ごした。


「あっ、ちょっとだけ思い出あったんだね」


 母様との思い出があったから、これまで生きてこれた。


『あなたのその力は……異能に近いわ。……私以外、誰にも見せちゃ駄目よ、澪。……うん、あなたの姉さんにも見せちゃ駄目』


 自分の頬に一筋の涙が伝っていた。


「母様……うまく生きるのって難しいね……」






 翌朝、私は正面門の前で馬車を待っていた。

 空を見上げる――鈍色で重く、空気が湿っていた。


 馬車はまだ来ない。……もちろん、見送りは誰も来ない。

 当主である父様と、その跡取り娘の姉様が来ないのなら、他の人が来るわけがない。

 来たら罰せられてしまう。


 それでも、何度か後ろを振り返ってしまう。姉様の気が変わって、もしかしたら見送りに……。


 私は首を横に振る。あの人は他人にも自分にも冷たい人だ。益にならないことはしない。

 

 私は小さく息を吐いた。その時、顔に冷たい感触が当たった。

 雨がぽつりぽつりと降ってきた。


 次第に、音を増していく。傘なんて用意していない。でも、濡れていたら九鬼家の人に失礼だし、戻って――


「お姉ちゃん! この傘使って! じゃあね、バイバイ!」


 子どもが駆け寄ってきて、私に傘を押し付けた。唖然とする私に笑いかけてくれた、あの時の子ども。


 思わず私も表情が緩む。急いで傘をさして――、子どもに向かって手を振った。


 じんわりと心に温もりが灯る。もう子どもの姿は見えないけど……


「ありがとう、行ってくるね」と自然に言葉が出てきた。


 


 程なくして馬車が到着する。馬車へ向かって、一歩踏み出す。


 足を止めて振り返った。 

 大きくて立派な白綾の屋敷。


 ――そこに、私の居場所はなかった。


 それでも、私はもう一度だけ、その景色を目に焼きつける。


 それから、ゆっくりと前を向いた。もう、振り返らない。


 

「白綾澪様、こちらへどうぞ。濡れてしまいます」


 従者に促され、私は馬車に乗る。

 視界が覆われ、外の世界と切り離される。


 馬車が動き出した。そういえば、こんな風に馬車に乗るのは初めてかもしれない。

 改めて、私が普通じゃない立場にいたことを認識させられる。


 それでも――、もしかしたら、私が役に立つのなら……。


 そんな想いを胸に、私はそっと目を閉じた。



 ***



 どれくらい走ったのだろうか?

 馬車の揺れに身を任せながら、ぼんやりと外の気配を感じていた。


 やがて、馬車がゆっくりと速度を落とす。


「……到着いたしました」


 私はゆっくりと目を開けた。馬車の中からでも感じる異様な雰囲気。少しだけ、自分の息が浅くなっているのが分かった。


 馬車の戸が開かれる。


 外に足を踏み出した瞬間、なにか大きな力を感じ取った。私の心がざわついている。

 

 冷たいなにかが目の前にあった。思わず息を止める。

 目の前に広がっていたのは、大きな屋敷だった。


 白綾の屋敷と同じくらい、いや……それ以上に大きいかもしれない。


 けれど――


 まるで違った。綺麗なのに、どこか歪んでいる。屋敷全体から、何かが滲み出ているようだった。


「……これはもしかして呪いの影響?」


 視線を凝らす。自分の聴覚と視覚を最大限にして――


 開け放たれた門の奥、屋敷の中――暗がりの向こうに、沢山の人の気配がある。そして、私を迎え入れるための準備なのか様々な声が聞こえてきた。


「部屋の準備は?」「あいあい、了解っと」「てか、ちょっとばかし急だよね〜」「仕方ない白綾家と当主様が決めたことだ」


「――っ」


 私は自分のことを話されているというのがわかり、声を聞かないことにした。だって……聞かなければ知らないのと一緒。


「あっ……」


 緊張で足が震えていた。


 そのとき。不意に自分の背筋が冷えた。


 ――目があった。


 屋敷の奥にいるはずなのに、私と目があった。何か、いる。人間のはずなのに……


 ――人じゃない。


『見られるのは好きじゃない』


 と、言ってから私の目で追いきれなくなってしまった。

 圧倒的な何かが私に向かってやってくる。


 足がすくんで動かない。逃げた方がいいと、本能が叫んでいる。


 それでも――


 私は立ち止まったまま、その気配から目を逸らせなかった。ううん、逸らせなかった。

 だって、それはあまりにも純真で綺麗に見えて――


 気がついたら私の顔の目の前に――男の人が立っていた――


 周囲にいた者たちが一斉に頭を下げていた。誰も顔を上げない。空気が重くなる。

 その様子に私はこの男の人が誰かわかった。


「お前が白綾の巫女か?」


 低い声が脳に甘く響く。


 黒い衣、長い髪、整った顔立ち、あやかしのような霊力、それに……自然の匂い。

 けれど、その目だけが、異様に冷たかった。人を見ている目じゃない。


 もっと、別の何かを見るような目だ。


 不思議だった。すごく怖いのに、すごく逃げたいのに、彼から目が離せなかった。

 それでも、私は遅れて絞り出すような声で答える。


「……は、はい。白綾澪と申します。あ、あの、」


 男はしばらく私を見ていた。まるで、値踏みするみたいに。


 そして――


「帰れ」


 と、一言だけ……。意味が分からなかった。私は巫女として、白綾家として嫁ぐため……


「あ、あの、それは……どうして……」


「ここにいれば、巫女は死ぬ。はぁ……嫌なんだ、俺は巫女が死ぬのを見るのが。だから――」


 淡々と続けられる。

 脅しでも、冗談でもない。ただ、事実を告げているだけの声。


 ――それでも、もしかしたら、私が役に立てるかもしれない。だから――


 そう思い、自然と身体に力が入った。


 彼の目がわずかに細められていた。


 私ではなく――私の中の奥にある何かを見ているみたいで。


 彼は私に手を伸ばそうとして、我に返りその手を止めた。そして、彼の周りの空気が淀む――


 彼は無言だけど、何かの苦痛に耐えているような表情をしていた。私にはそれがひどく共感できたのはなぜなんだろう?


 彼の周囲に、見えない何かが蠢く。黒い、重たい気配。それが、今にも溢れ出しそうに揺れていた。


 思わず、息を呑んだ。


(……これが……呪い……?)


 本能が理解する。

 これは、人が触れていいものじゃない。

 近づけば、壊れる。


 ――それでも。


 私は手を伸ばそうとしていた。


 理由は、自分でも分からない。


 ただ――役に立ちたかっただけかもしれない。


 彼の肩に触れようとしたら――なにか黒いものがあった。私はそれに触れる。誰かに身体を引かれた。――ドクンッと自分の身体が波打った。激しい痛みが襲いかかる。

 でも、顔には出しちゃ駄目だ。


 ううん、そんな理由じゃない。


 ……心配されたくないだけだったのかもしれない。


 

「わ、わたし、ここで、役に立ちたい、です……」


 隠そうとしても隠せなかった。それでも、言葉にしたかった。


 彼の目が、わずかに揺れた。

 冷たいままの目で、私を見下ろす。


「……死んでもいいなら好きにしろ」


 興味を失ったように言い捨てた。でも、さっきよりも柔らかい空気を感じられた。


 そして、背を向けた。


 その瞬間――


 さっきまで押し寄せていた圧が、ふっと引いた。息が、戻る。


 私はその場で座り込み――そのまま前のめりに倒れ込んでしまった。


「澪様! 気をしっかりしてください!」「澪様!?」「澪様!」「……くそ、厄介な巫女をよこしやがったな白綾め」


 あれ? こんなに名前を、呼ばれるのって、すごく久しぶりで――なんだか、心地よくなってきて――


 誰かに持ち上げられた。大きな背中だった。あったかい。安心できる。なんだろう……。


 私は――そのまま揺られて――意識が――

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