表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
厄喰い巫女は鬼に嫁ぐ  作者: 野良うさぎ(うさこ)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/7

白綾家の澪

 夜の空気はとても澄んでいた。

 もしも私が一人だったら、この空気は好きだったと思う。


 張り詰めた静寂。白綾しらあや家の庭に設けられた祭壇の上で、淡い燭台の灯りが揺れている。


 幾重にも重ねられた結界の内側には、白装束に身を包んだ巫女たちが円を描くように並んでいた。

 私、白綾澪しらあやみおはその中の一人。


「――始めろ」


 父である当主の声が、夜気を震わせた。


 そして、巫女たちが一斉に祝詞を唱え始めた。

 澄んだ声が重なり合い、見えない「力」を呼び起こすように空間が歪む。

 

 月に一度行われる退魔の儀式。


 屋敷の結界を張り替える行為でもあり、私たち巫女の霊力を測る行為でもあった。

 

 足元に刻まれた陣が淡く光り、霊力の流れが目に見えるかのように揺らめいた。


 隣に立つ姉――紫乃しのの足元からは、はっきりとした光が立ち上がっている。

 まるで夜の中に一本の灯がともるように。


(……姉様、やっぱり、すごい)


 私は、その光を横目で見ながら、心の中では焦っていた。

 祝詞の言葉は間違っていない。

 力の使い方も、教えられた通り。

 集中もしている。


 ――なのに。


(……どうして私はできないの……)


 私の足元には光が立ち上らない。

 姉を含め、他の巫女たちの周囲には、目に見えぬ気配が確かに集まっている。

 空気が重く、密度を増していくのが分かる。


 自分の周りだけが、ぽっかりと空いているようだった。

 じわりと、背中に冷たいものが流れる。


 祝詞が後半に差し掛かり、霊力が一気に噴き上がる。


 その瞬間――

 私の足元に光が灯った。……でも、これは私の光じゃない。姉様が全員の光を覆い尽くすほどの力を解き放った。


 そして、儀式が終わる。結界は無事に張り終え、巫女たちから安堵のため息がこぼれた。


 静寂の中、巫女たちの視線が刺さる。気のせいじゃない。はっきりと、分かる。


 足手まとい。そう思われているのは分かっている。


 悪意の視線は一瞬で終わり、次に姉様への賛辞の視線へと変わる。


(……どうして……私はできないんだろ……)


 唇を噛む。

 分かっている。これが初めてじゃない。

 何度も、何度も、繰り返してきた。何度も失敗した。


 それでも――今日はできると思っていた。


 




「ご苦労。……貴様は今回も無能なままか……」


 低い声が響いた。

 儀式を見届けていた当主であるお父様の声だった。視線を一瞬だけ投げつけられる。


 私は反射的に背筋を伸ばした。でも、もう私の方には顔を向けていない。満面の笑みを姉様に向けて――


「流石だ、紫乃しの。ふっ、娘がこうも優秀だといつ抜かされるかわからん」


「ありがとうございます、父様」


「あちらで夕餉の準備が出来ている。いくぞ」


 周囲の空気が、ふっと緩むのが分かった。二人の足音が遠ざかる。もう見向きもされない。


 ふと、姉様が振り返った。


「澪、次の儀式では足を引っ張らないで」


「……は、はい、ごめんなさい」


「謝るくらいなら修行して」


 それだけ言って、再び背中を向ける姉様。わかっている、わかっているのに……できないんだ。


 私は、ただ下を向いてちっぽけな自分の足元を見ていた。


「流石、紫乃様ね。これとは大違いね」

「あなた本当に巫女なの?」

「白綾の血が入ってるって……冗談よね」

「ほら、出来損ないに構っていないで、さっさと片付けるわよ」

「ええ、夕餉にしましょう」


 聞こえないふりをするには近すぎる距離だった。

 みんなが動くその流れの中で、私の周りだけが、ぽっかりと空いた。


 誰も、近づかない。

 誰も、声をかけない。


 触れてはいけないものを見るみたいに、少し距離を取られる。


 

 私は儀式の片付けをしようとしたけど――


「邪魔だからどいて」


 と言われた。

 片付けを終えた巫女たちは、談笑をしながら屋敷の中へと向かう。私はその輪の中に入ることができない。


『あなたは出来損ないでも白綾様なのよ。私たちとは違うわ、ははっ。来ないで頂戴』


 前に言われた言葉が頭によぎる。


 誰も、振り返らない。

 誰も、気に留めない。


 ――最初から、いなかったみたいに。


 私は、小さく息を吐いた。胸の奥が、じんわりと痛む。


 でも、それももう慣れている。


 今夜は、うまくいくかもしれないと。

 そう思ってしまった自分が、少しだけ情けなかった。



 ***



 去っていく巫女たちの後ろ姿を見ることしかできなかった。


 私は白綾家の娘といっても出来損ない、霊力なしだ。扱いはほとんど使用人と変わらない。


 巫女たちと一緒に炊事場で食事をするなんて……、あとで何をされるかわからない。


 私は炊事場の裏口へと向かった。



「あら、澪様」


 女中が気づいて、軽く頭を下げた。形だけの敬意だと分かっている。ただで食べるご飯はない。私は子どもの頃からそう言い聞かせられながら育った。


「……じゃあ、これお願いできる?」


 洗い場に溜められた食器などの洗い物の山。私は腕まくりをして、洗い物の準備をする。


「はい、もちろんです」


「はぁ……まったく、あんたも不憫な子ね。他の巫女は雑務なんてしないわよ」


「いえ、いいんです。私が……出来損ないだからいけないんです」


 流しに立ち、器を一つずつ洗う。

 水の音だけが響く。


 誰も私には話しかけてこない。嫌ってもいない。ただの労働力と思われている。


 それが、少し楽だった。


 しばらくして、女中が小さな盆を差し出した。私の雑務の対価だ。屋敷の使用人には父様から言い含められている。無能な私が何かを欲しがったら、対価を払わせろ、と。

 もう物心ついた時からの習慣だから大丈夫。


「はい、ご苦労さまです。こちら、澪様のお食事です。こっちに座ってくださいな」


 用意されていたのは、簡素な食事だった。使用人が食べるものと同じ。

 温かくはないけど、ちゃんとした料理。


 姉様たちとは比べるまでもないけれど――


「……ありがとうございます。いただきます」


 小さく頭を下げる。

 女中は少しだけ困ったように笑って、すぐに視線を外した。


 私は裏口の端に座り、箸を取る。

 一口、口に運ぶ。


「うん……、美味しい」


 派手ではない。けれど、丁寧に作られている。


「こんなに美味しいのは、仕事したからだね。……なんだろう、美味しいのに……」


 空っぽだったお腹に、じんわりと温もりが広がる。

 なのに、悲しみが私の胸に広がる。


 漏れ出しそうな嗚咽をこらえながら、私はご飯を噛み締めた。


 知ってるんだ、辛いと思わなければ……辛くないんだ……。


 ***


 炊事場の裏口から出ると、夜の闇がさらに深くなっていた。人間、現金なもので、お腹が満足すると見える景色も変わってくる。


 さっきよりも気持ちが穏やかになった。


 ……それでも、胸の奥の重さは消えない。


 微かな音が聞こえた。普通の人では分からない音。でも、私にはわかる。生まれつき私は、耳と目が敏感だった。


 今は真っ暗だけど、夜目が利くから普通に歩ける。

 物音の方へと向かう。裏手の物置の裏の方からだった。


 かさり、と何かが擦れるような音が聞こえた。


「……誰かいるの?」


 恐る恐る声をかけるけど、返事はなかった。でも、はっきりと人間の気配を感じる。もののけはこの結界内に入れるはずない。


 私は少しだけ迷ってから、そっと近づいた。


 物陰の奥に、小さな影がうずくまっていた。


 ――子どもだ。


 使用人の子だろうか。まだ幼く、膝を抱えて座り込んでいる。


「どうしたの?」


 しゃがんで視線を合わせると、びくりと肩が揺れた。


 逃げようとするけれど、うまく立てないみたいだった。

 そのとき、足元に赤いものが見えた。


「……怪我、してる」


 足首のあたりが切れている。……お母さんに内緒で遊んでいて怪我をしたのかな? 見つかったら怒られるから隠れていたのかな?


 子どもは私の顔色を……大人の顔色をうかがっていた。なんだか昔の私みたいに思えた。ううん、今もそうだね。


「ちょっと、見せて」


 そっと手を伸ばす。一瞬だけ躊躇ったあと、その子は小さく頷いた。


(――なんだか今ならできそうな気がする)


 子どもの足首を触りながら、感覚で『力』を使う。祝詞を謳う必要はない。だって、自分自身さえ発動条件がわからないから。

 淡い光が傷口を一瞬で塞ぐ。子どもが驚いた顔をした。反面、私は身体が一気に重くなった。大丈夫、いつものことだもん。


「うん、これでもう大丈夫だね。早くお母さんのところに戻りなさいね」


 そう言って、軽く頭を撫でた。

 驚いた顔から、笑顔に変わった。私はそれが見られただけで、今日一日の疲れが吹き飛んだ気がした。


「ありがとう、お姉ちゃん」


「気をつけてね。夜は危ないから」


「うん!」

 

 子どもは何度も振り返って私に手を振った。私はその手に応えながら背中を見送った。


 胸の奥がじんわりと温かい気持ちになった。


 なんだか、久しぶりだなって思う。誰かに、怖がられないで見られるの。


 ……少しだけ救われた気がした。

 私は小さく息を吐いて、再び屋敷の方へと歩き出した。



 ***



 何もない自室へと戻る途中だった。


「――澪」


 低い声で私を呼び止めたのは父様だった。


「……は、はい」


 足を止めて、即座に振り返る。僅かな粗相でもあったら、私は投げ飛ばされる。

 ……父様は手を出してこなかった。ただ、私の顔を見ていた。出来損ないの私は、いまは亡き母様と瓜二つと言われた。


 ……でも愛されたことなんて一度もない。


「こちらへ来い」


 父様はそれだけ言ってスタスタと廊下を歩く。


 胸の奥が、わずかにざわつく。今までこんな風に呼ばれたことがなかった。


 連れて行かれたのは、屋敷の奥――執務室だった。


 普段、私が絶対に入ることのない場所。


 畳も、調度も、空気も、すべてが違う。父様の霊力の匂いがした。


「そこに座れ」


 畳の上に私は座った。緊張で背中から汗が止まらない。

 父は向かいに腰を下ろし、まっすぐに私を見つめていた。


 静寂がチクチクして痛かった。


「……出来損ないのお前に役目を与える」


 唐突だった。私の瞳が揺れる。少しの期待と、多大な不安――

 期待しても無駄だってわかってる。


「お前は九鬼家に嫁げ」


 一瞬、意味が分からなかった。


「……九鬼、家……?」


「そうだ。あの『鬼』の家系だ」


 淡々と告げられた。実の娘に処刑宣言を告げるような気軽さで。九鬼家に入って、まともに生き残った巫女はいない、そう言われている。


 あやかしを祓うためだけの呪われた家――それが九鬼家。いわく、鬼に取り憑かれた家、いわく、人間を喰っている家、いわく、巫女を飼い殺す家――


 ……でも――これが私の役目なら……。

 私が唯一役に立てるかもしれない。


「……嫁入り……ですか」


 自分の声が、少しだけ遠く感じられた。


「ああ。名目は巫女としての奉公だが……正直どうでもいい。先方はお前を所望だ。私にとって都合が良い。妻と同じ顔をした出来損ないは……もう見たくもない」


 その一言で、すべて理解した。


 ――厄介払いだ。


「ふんっ、九鬼の当主は強い呪いを抱えている。欲に目がくらんだ巫女が何人も近づいては壊れた」


 淡々とした説明。

 まるで、道具の用途を語るみたいに。そして父様は立ち上がり、もうお前には用がないとばかりに――


「お前はどうなろうと構わん」


 はっきりと、そう言われた。


 胸の奥が、すっと冷える。痛みすら、感じないくらいに。

 拒否権など、最初から存在していない。


 私は今、この瞬間、生の諦めがついた。私は頭を垂れ、大きく息を吐く。


「……今までありがとうございました」


 今生の別れ。それでも父様は早く出ていけと言わんばかりに苦い顔を向ける。


「出立は明日だ」


 私は立ち上がった。震えそうになる足を動かし、私は部屋を出た。

 父様の鼻で笑う音が背中から聞こえた。


 扉を閉める。廊下を歩きながら、ふと、自分の手を見る。


 さっき、あの子の傷を治した手だ。


 あの子の温もりが残っている気がした。


(……私でも)


 小さく、息を吐く。


(……どこかで、役に立てるのかな)


 もしかしたら、鬼の家で役に立てるかもしれない。


 浅はかな自分が、少しだけ悲しかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ