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王立学園の生徒数は、全体で二百名程度。
カリキュラムは、基礎座学の他に、剣術や体術、音楽や美術といった武芸を学べる選択授業がある。
ちなみに『アンチェイン』の主人公には、五つのステータスが存在する。
剣術、精神、知能、芸術性、容姿。攻略キャラによって、それぞれ必要な数値が異なり、ステータスが高いほど、好感度も上がりやすくなる。
そして、リンゼル=スイーテニアを攻略するためには、すべてのステータスが高水準でなければならない。つまり、この世界に生きる主人公は、相当優秀ということだ。
――――なんてことをぼんやり考えながら、俺は座学を受けていた。
教師が、黒板に簡単な数式を書き記していく。
この世界では、魔術といった非科学的な力が発展したことで、数学や物理学など、いわゆる理系科目の発展が遅れていた。
現代日本の教育を受けた俺にとっては、高校生にもなって掛け算を学んでいるようなものである。
つまるところ、退屈なのだ。
こんなときこそ、クレアの美しい横顔でも眺めていたいところだが、授業に集中していないと思われたら、失望されてしまうかもしれない。
眠気と闘いながら、退屈な授業をなんとかやり過ごすと、不意にクレアに肩を叩かれた。
「――――駄目よ、ブラン。授業はちゃんと受けなきゃ」
「め、面目ない……」
バレていた。普通に。
廊下を歩きながら、俺はクレアのありがたいお説教を受ける羽目になった。
しかし、俺にとってはお説教すらもご褒美である。
「君の横顔があまりにも綺麗で、つい」
「私のせいみたいに言わないで」
クレアが頬を膨らませる。そんなところもまた可愛くて。――――と、いかんいかん。また怒らせてしまう。
「もう……まあ、悪い気はしないし、許してあげる。早くランチにしましょう」
クレアがそう言うと、俺は待ってましたとばかりに破顔した。
「それじゃあ、お弁当を持ってくるよ。クレアは席を取っておいてくれないか?」
「ええ、分かったわ」
学園には、無料で食べられる学食があるが、やはり自分が作ったもの以外の食事を、口にする気は起きなかった。幸い、寮の自室にはキッチンもあるし、屋敷にいるときと変わらず、料理をすることができている。
俺は急いで、弁当を取りに向かった。
◇◆◇
ブランに言われた通り、クレアは学食へ向かった。昼時になると、学食はかなり混む。早めに席を取っておかなければ、また別の場所を探しにいかなければならない。
クレアとしては、それも悪くないかと思っていた。
今日の天気は、雲ひとつない青天で、外は温かな陽気で満ちている。ゆっくり外で食事をするのも悪くない。
そう提案しようと思い、クレアはブランを追いかけるため、振り返る。
――――そこには、ミルカとシロンの姿があった。
「……なんの用かしら」
「少し、顔を貸してくださる?」
「生憎、そんな安い女じゃないの」
クレアが、そっと自分の頬を撫でる。
その姿に見惚れかけた彼女たちは、慌てて雑念を振り払った。
「い、いいから! 一緒に来なさい!」
ミルカがそう言うと、クレアの背後に屈強な男子生徒が現れる。
その男は、制服を着崩し、首から金色のアクセサリーをじゃらじゃらと提げていた。
派手な金髪はオールバックに整えられており、その瞳には、すべてを威圧するような強い自尊心が宿っていた。
ミルカの婚約者、ダンテ=ラーマウッドである。
クレアは、社交界の場で何度か彼と会っていた。
「お久しぶりね、ダンテ」
「公爵令嬢に覚えてもらえているとは、光栄だな。……ああ、もう違うんだっけ」
ダンテは、蔑むような視線をクレアに向け、げらげらと下品に笑いだす。
なんとも耳障りな声に、クレアは不機嫌さを露わにした。
「格下相手に婚約者まで連れてくるなんて、どこまで小心者なのかしら」
「っ! 余裕ぶっていられるのも今のうちですわ!」
ミルカが怒鳴る。
クレアの目には、深い失望が浮かんでいた。
「それで、一体なんの用かしら? 早くランチにしたいのだけど」
「いいからついてこい。底辺貴族に成り下がったお前に、拒否権はねえ」
見たところ、逃げ道はない。騒動に気づいている者たちも、中心にいるのがクレアだと分かると、途端に好奇の眼差しを向けてくる。当然、助けは期待できない。
「はぁ……手短にね」
クレアは、深く深くため息をついた。
その顔に恐怖の色が一切ないことに、彼らはさらなる怒りを覚えた。
クレアが連れてこられたのは、剣術の訓練場の裏手だった。
ここは普段から人があまり近づかない場所であり、今日も例に漏れず、人気はまったくなかった。
「こんなところまで連れてくるなんて……内緒話でもするつもりかしら?」
「っ、いい加減にしなさいよ!」
ミルカの平手が、クレアに向かう。彼女は、クレアを徹底的に痛めつけたあと、制服を破り捨てるつもりだった。
ぼろぼろの制服で校内を歩かせ、恥をかかせてやろうと思っていた。
しかし、クレアはミルカの腕を捻り上げ、足を払い、彼女を地面に叩きつけた。
「ぶっ――――」
鼻を強く打ったミルカが、顔を押さえながら悶絶する。
その様子に、シロンとダンテは慄いた。
「心外ね。私の顔に、傷をつけられるとでも?」
見下すような視線に射抜かれ、ミルカは小さく悲鳴をあげる。
クレアは、優秀であり続けるための努力を欠かさない。勉強、そして、戦闘訓練。
彼女の気高さは、そういった積み重ねの上に成り立っていた。地位に甘んじて、鍛錬を疎かにしている者が、相手になるはずがない。
「品性はお金で買えないとは、よく言ったものね。あなたたちを見ていると、よく分かるわ」
「テメェ……! オレに剣を抜かせるつもりか!」
ダンテが剣に手をかける。
クレアは、元よりそのつもりだった。地位を失ったことで、公爵令嬢として生きてきた彼女の前に、ひとりの人間として、クレア=ベルモンドとして生きていく道が開けた。
もう、理不尽を前にして、挫けるつもりはない。
クレアが剣を抜こうとした、まさにそのとき――――。
「こんなところでパーティーか? 招待してくれたらよかったのに」
貼り付けたような笑みを浮かべたブランが、ゆっくりと歩み寄ってくる。
その瞬間、ぴんと空気が張り詰めた。少しでも動いたら、その場で斬り捨てられてしまいそうな、そんな緊張が走る。
「ど、どうしてここが……」
怯えた様子のミルカが、そう問いかける。
先ほどまでの威勢は、すっかり消え失せていた。
◇◆◇
俺は、ミルカの疑問に対し、肩を竦めてみせる。
「人前で騒ぎを起こすべきじゃなかったな。観客がすぐに教えてくれたよ」
「っ……!」
「クレア、そろそろ戻ろう。お昼の時間がなくなるよ」
彼女を連れて立ち去ろうとすると、ダンテが苛立った様子で地面を踏みつけた。
「おい……何終わった気になってんだよ」
ダンテは手袋を外し、俺に向かって勢いよく投げつける。黒い手袋が、俺の胸に当たって落ちた。
俺は、この行為の意味を知っている。思わず、小さくため息をついた。
「――――決闘だ。テメェを公開処刑してやるよ」
ダンテは、こちらを睨みつけながら、そう言い放った。




