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2-6

 クレアがベルモンド家に嫁いでから、一週間が経過した。

 午前七時。ダイニングに朝食を並べていると、いつも通りの時間に彼女が現れた。


「おはよう、クレア……って、どうしたんだい、その頭は」

「おはよう……ヘアセットって、難しいのね」


 クレアの髪は、後頭部で奇妙な球体を作り上げていた。普段、彼女は髪を下ろしたままにすることが多く、こうしてまとめている姿は新鮮であるものの、如何せん球体が目立ちすぎている。

 しかし、まあ、芸術的というか。ヘアセットとしては、お世辞でも褒められないが、ひとつの作品として見たなら、評価したくなる造形だった。


「使用人に直してもらおうと思ったんだけど、朝食の時間に間に合わなくなりそうだったから……ごめんなさい、見苦しいものを見せて」


 クレアは、いつもより少し低い声で言った。俺はすぐに彼女のもとへ歩み寄った。


「君に見苦しいところなんてあるはずないだろう? そうだ。もし気になるようなら、ここで直してしまおうか」

「直すって……まさか、あなたが?」

「ああ。髪に触れてもいいかな?」


 クレアが、遠慮がちに頷く。

 俺は使用人に用意させたヘアセット用の道具を使って、彼女の髪を整えていく。すると、見る見るうちに可愛らしい編み込みが出来上がっていく。


「急に自分でヘアセットしようなんて、一体どうしたんだ?」

「……自分で料理を作るあなたを見習って、私も何かやってみたくなったの」


 クレアが気恥ずかしそうにそう言うと、俺は思わず手を止めた。


「な、何か変なこと言ったかしら?」

「いや……涙をこらえているだけだよ」


 俺がクレアに影響を与えたというのが、何よりも嬉しい。

 じーんと込み上げてくる感動を、ゆっくりと溶かしていく。


「それにしても、ずいぶん上手ね」


 手鏡で髪の状態を眺めていたクレアが、感心した様子で言った。しかし、何かに気づいたようで、突然むっとする。


「どうしたんだ?」

「……どこで練習したのかしら、女性のヘアセットなんて」


 思わずはっとして、手が止まる。

 俺がヘアセットを勉強したのは、尊敬している姉の影響だった。「浮気されたくないなら、女に尽くしなさい」というアドバイスのもと、毎朝ヘアセットを手伝わせてもらった。いつも、「あー、楽ちん楽ちん。持つべきものは便利な弟ね」と褒めてもらえたのは、転生した今でも記憶に新しい。

 ただ、それを正直に伝えるわけにはいかない。ブラン=ベルモンドは、一人っ子だからだ。

 母も、幼い頃にとっくに亡くなっている。つまり、家族という逃げ道はない。


「ブラン、どうなの?」


 クレアのどこか真剣な声色に、冷や汗が止まらなくなる。


「く、クレアのためさ。いつか、君が許してくれるなら、俺の好きなヘアスタイルにしてもらえないかと思って……」

「……本当かしら?」

「本当だよ、本当」


 そう言っているうちに、自分でも本当な気がしてきた。俺の人生は、クレアのためにあるわけで。長い目で見れば、姉によるヘアセット指導も、こうしてクレアの役に立っているわけで。ということは、やはりクレアのためと言っていいのではないか?


「……仕方ないわね、信じてあげるわ」


 そう言って、クレアはくすっと笑った。どうやら、俺の慌てるところを見て楽しんでいたようだ。なかなか振り回してくれるではないか。


「好きなヘアスタイルと言ったけれど、あなたの好みって、どんな髪型なの?」

「えー……そうだなぁ。君なら、どんな髪型でも似合うと思うけど……」


 想像を巡らせてみる。ポニーテール、ツインテール、ボブカット、ショートカット――――。どれも絶対に似合う。


「私に似合うものというより、あなた自身の好みを聞きたいわ」

「……だとしたら、ロングかな。そのままでも素敵だけど、アレンジの幅が広いだろ? だから、色んなクレアの姿が見られる」

「ふーん……そう。そうなのね」


 クレアは自身の長い髪を触って「そっかそっか」と頷いた。クレアと暮らし始めて知ったのだが、こういうときの彼女は、相当上機嫌だ。


「よし、できたよ」


 そうこうしているうちに、編み込みハーフアップが完成した。

 柔らく、艶やかな髪質が損なわれないよう、編む際は少し緩めに、ふわっとした印象が出るように加減した。

 我ながら、上手くできたのではないだろうか。まあ、そもそも素材が一級品の中の一級品だから、俺の実力というのはおこがましく思えるが。


「わあ、素敵……!」

「気に入ってくれたなら、何よりだ」


 クレアは、手鏡を握りしめ、いろんな角度から自分を眺める。嬉しそうに髪を揺らす姿は、目が離せなくなるほど可愛らしい。完璧で高潔な令嬢である彼女も、こうして見ると、普通の少女であることには変わりなかった。


「別のヘアスタイルも試してみたいわ。ブラン、またヘアセットしてくれる?」

「もちろん。喜んで」


 使用人のようにお辞儀をすると、クレアはまた、くすっと笑った。

 ヘアセットを終え、朝食をとることにした。

 今日のメニューは、グリーンサラダ、エビのビスク、デニッシュパン、そしてクレアお気に入りのオムレツだ。


「今日は紅茶にしてみた」

「素敵。一杯いただける?」

「もちろん」


 カップに紅茶を注ぐと、茶葉の香りがふわりと広がった。

 朝に飲むものは、その日の料理によって俺が決めている。今のところ、クレアの機嫌を損ねたことはない。そのおかげか、クレアは俺のチョイスを信頼してくれているようだった。


「あなたって、本当に多才な人ね」


 紅茶の香りを楽しんでいたクレアが、ぼそっと言った。


「……そうかな?」

「ええ。特に、朝の鍛錬を見ていて思ったわ」

「え、いつ見てたんだ?」

「ここ数日は、いつも見てるわ。今朝もね」

「声をかけてくれたらいいのに……」

「すごい集中力だったから、声かけないほうがいいと思ったのよ」


 別に隠しているわけでもないのだが、改めて言われると、妙に恥ずかしい気持ちになった。


「そうだ、今度手合わせしてくれないかしら?」

「……残念だけど、それは難しいな」

「どうして?」

「女性には剣を向けない主義なんだ。特に、愛しの君と剣を交えるなんて、考えるだけでも悍ましいよ」


 そう言って、俺はため息と共に、頭を押さえる。

 女性を傷つけるやつはクソだ。それは、恩人である姉から散々言われてきたことであり、俺自身、ポリシーとして常に心に持ち続けている考えでもある。たとえそれが、手合わせ程度の話であっても、切っ先をクレアに向けた時点で、きっと拒否反応が出る。


「そう言われてしまっては、無理させられないわね」

「期待に沿えなくて、すまない」

「気にしないで? そうだ。じゃあ、指導ならお願いできる?」

「君ほどの実力なら、俺の指導なんていらないと思うけど……君が望むなら、いつでも構わないよ」

「そう? じゃあ早速午後からお願いしようかしら」


 朝食を取りながら、いつも俺たちは、こんなふうに他愛のない会話をする。

 ただ、今日に限っては、大切な話をしなければならなかった。


「……クレア」

「なぁに?」

「そろそろ、学園(・・)のことについて話さないか?」

「学園のこと?」

「ああ、そろそろ復学しないと、進級できるか怪しくなってくる頃だから……」


 クレアは、食事の手を止め、視線を落とす。

 スイーテニア王国では、十六歳から十八歳の貴族は、身分相応の在り方や社会性を学ぶため、学園に通う義務がある。

 十七歳である俺とクレアも、学園に籍を置いている。現在は、新生活に慣れるため、互いに休学しているだけだ。

 クレアが視線を落とした理由は、よく分かっている。

 俺たちが在籍する〝スイーテニア王立学園〟は『アンチェイン』の主な舞台である。

 ゲームの主人公や、その攻略キャラたちは、今も学園に通っている。復学すれば、当然顔を合わせることになるが、クレアにとってそれは、決して望ましいことではない。

 しかし、クレアの反応は、俺が予想していたものとは少し違っていた。


「――――いけない、すっかり忘れてたわ」


 クレアは、ため息をつきながら頬に手を当てる。

 それは、彼女が何かやらかした(・・・・・)ときの仕草だった。


「あなたとの生活が充実しすぎて、学園のことを考えている暇がなかったの。急いで復学の手続きをしないとね」

「……そ、そうだね」

「なぁに? その目」


 目を丸くしていると、クレアはそれを覗き込むように見つめてきた。


「まさか、私がリンゼル様と顔を合わせたくなくて、復学を渋るとでも思っていたのかしら」

「お恥ずかしながら、その通りだ」

「失礼しちゃうわ。私、そんなか弱い女じゃなくってよ?」


 そう言って、クレアは悪戯っぽく笑った。

 一週間前には、決して見られなかった表情だった。


「……学園に、私の居場所がないことは、分かってるわ」


 クレアは、椅子に深く座り直し、言葉を続ける。


「でも、逃げたくないの。私は、私であり続けたい。今度こそ私は……私の意思で、私の思うがままに、生きてみたい」


 覚悟を決めたクレアの表情に、思わず見惚れてしまった。

 リンゼルは、公爵家のクレアではなく、家柄で大きく劣る男爵家の娘を妻に選んだ。周りの貴族にとって、クレアは嘲笑の対象であり、ハートレイン家にとっては、代えがたい辱めであった。

 復学すれば、馬鹿にされ続ける日々が待っている。

 それでもなお、クレアは前を向いていた。

 彼女は、どんな崖っぷちであっても、健気に咲く美しい花だった。


「それに、あなたと過ごす学園生活なら、何があってもきっと楽しいわ」

「ああ、同感だ。その期待に応えられるよう、善処しよう」

「ふふ、信じてるわ」


 クレアは、慈愛とも取れる穏やかな笑みをこちらに向けた。


――――び、美人すぎる……!


 いつものことながら、俺は内心、クレアに悶絶していた。

 後ろにまとめられた髪のおかげで、いつも以上にそのご尊顔を拝むことができて、幸福なことこの上ない。我ながら、上手にやったものである。

 この笑顔を守り続けるために、俺も俺のできることを精一杯やることにしよう。それが、俺に与えられた使命であり、俺からクレアへの愛そのものなのだから。

 それからまた、一週間後。

 俺たちは、スイーテニア王立学園に復学を果たした。


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