2-3
あからさまな挑発。まさか、彼女がこんなことをしてくるとは思わなかった。
俺の本性を暴くためなら、どんなことでもしようというのか。
「ほら、どうなの?」
「……否定はしない」
ここで、クレアの言葉を格好良く否定できたら、どれほどよかっただろう。残念ながら、俺はこういう挑発にめっぽう弱かった。
さっきから、俺の視線はクレアの手と胸に釘づけだった。だって、こんなに強調してくれているのに、目を逸らすほうが失礼だろうが。
すると、クレアの頬が、少しずつ赤く染まっていく。
「れ……レディを凝視するなんて、失礼ではなくて?」
「挑発してきたのは君だろ?」
クレアが、ぐっと言葉に詰まる。こんなにあからさまに、反論を食らって動揺する人がいるのかと、こっちまで言葉を失ってしまった。
「う、噂通り、正体はケダモノだった、ということかしら」
クレアは、明らかに強がりだと分かる声色で、そう言った。
恥ずかしそうにしている彼女が、もはや眩しいとすら感じるほど魅力的で、思わず目を細めてしまう。
「そうかもしれないね。でも、俺がそうなったわけじゃない。君がそうしたんだ」
自然と、俺はそんな言葉を口にしていた。
妻に責任を押しつけるなんて、到底許されることではないが、こればかりは言わざるを得なかった。
すると、不思議なことが起こった。クレアが、頬を赤くしたのだ。
なぜ? 絶対言ってやると意気込んでいた決め台詞は、見事に滑ったのに。
女心とは、やはり難解極まりない。
しかし、今は首を傾げている場合ではない。俺のやるべきことは、自分は敵ではないと、クレアに分かってもらうことだ。
クレアのそばに立ち、膝をつく。そして、彼女の美しい手を取った。
「安心してほしい。君が心を許してくれるまで、この手以外には決して触れないと誓おう」
クレアは何も言わない。
しかし、昨日のような震えは、伝わってこなかった。
小さいとはいえ、自分の領土を持つ俺だが、その日常は穏やかだった。
主な仕事は、領内で起きたトラブルへの対処や、領民からの意見を聞くこと。ただ、どれも頻度が高いものではなく、週に二から三件ほどだった。
故に、暇だった。
「ほら、あそこがベルモンド領で一番大きな村だよ」
丘の上から指をさす。
建物の数は、目視できる範囲で三十軒ほど。実に牧歌的な風景である。いずれにせよ、大都市から来たクレアにとっては、あまりにも小さな世界に見えるだろう。
「他にも、小さな集落がちらほらある。みんな、助け合って暮らしてるよ」
「領民と話すことはあるの?」
「もちろん。良好な関係を保つに越したことはないからね」
定期的に、農産物を届けてくれるんだよ――――俺はそう付け足した。
「俺は、ここが気に入っているんだ。これからは、君と過ごす場所でもあるしね」
「……そうね」
クレアが、改めて領地を見渡す。
爽やかな風が吹き抜け、彼女の髪を揺らした。
「……いい場所だわ。風が気持ちいい」
「だろう? 休みたいときは、よく来るんだ」
そう言った途端、クレアの体がぐらりと揺れた。
「あっ……」
「おっと」
とっさにクレアの体を支える。そのとき、わずかに手が肩に触れてしまった。
「……これは不可抗力ということでもいいかな?」
「え、ええ、もちろん」
ほっと息を吐く。
「昨日、一睡もしていないんだろ?」
「よく、分かったわね」
「分かるよ。君のことが好きだから」
そんな言葉と共に笑いかけると、クレアはわずかに頬を緩ませた。やっと笑ってくれた。それだけのことが、無性に嬉しくて、安心感が押し寄せてきて、腰が抜けそうになる。
「……座ってもいいかしら」
「もちろん」
ハンカチを敷き、そこにクレアを座らせる。そして俺は、その隣に腰掛けた。
クレアの警戒心は、まだ消えたわけではない。それでも、この距離感を許してくれるのは、きっと少しは心を開いてもらえたということだろう。
「眠るかい?」
「……じゃあ、少しだけ」
クレアは、恥ずかしそうにしながら、俺の肩に頭を載せた。
ふわりと花のような香りがして、鼓動が早くなる。
クレアの顔は、精巧な人形のようだった。
長いまつ毛、すっと通った鼻筋、つやのある唇。ああ、美しい。
――――俺は、世界一の幸せ者だ。
クレアの顔にかかった髪を退けながら、胸の内から溢れ出す幸せを噛みしめた。
日が傾き始めた頃、クレアはようやく目を覚ました。
「……起こしてくれてもよかったのに」
「すまない、あんまり可愛い寝顔だったから」
「まさか、ずっと見てたの……?」
「もちろん」
「ほんと、変な人」
呆れながら、クレアは体を起こす。
そして、俺の瞳を、不思議そうに覗き込んできた。
「どうかした?」
「……いえ」
クレアが首を横に振る。そしてすぐに、また俺の瞳を覗き込んで、ゆっくりと瞬きした。
「ねぇ、ブラン?」
「なに?」
「……なんでもない。呼んでみただけよ」
そう言って、クレアは悪戯っぽく笑った。意外だった。まさか彼女が、俺をからかってくるなんて。
それだけのことが、妙に嬉しくて、俺は鼻の下をこすった。
午後五時。
屋敷に戻った俺は、ディナーの用意を始めた。
しかし、若干の居心地の悪さを感じて、すぐに振り返る。
「……面白いかい?」
「ええ、主人が自らディナーの用意をするなんて、興味が尽きないわ」
困った顔をしていると、クレアはにっこりと微笑む。
クレアから興味を向けられるのはとても喜ばしいことで、飛び跳ねたくなる気持ちはあるのだが、この場においては、舞台裏を見せているかのような気恥ずかしさがあった。
とはいえ、せっかくこうして待ってくれているのだから、料理をしないわけにはいかない。
俺は、普段より少しぎこちない動きで、食材を切り始めた。
「ねぇ、ブラン?」
「なに?」
「この屋敷にシェフはいないの?」
「いるよ。でも、自分で食べるものは、いつも自分で作っているんだ」
「どうして?」
思わず、くすりと笑う。
まるでクレアが、好奇心を満たすために、延々と質問を繰り返す子供に見えたからだ。
「料理が好きだからだよ。楽しいからやってるだけ」
前世で自分磨きをする中で、様々なことに挑戦したが、もっとも熱中したことは、料理だった。俺は、物事の工程を楽しむ人間だ。故に、料理が面倒臭いと思ったことは一度もない。
腕を上げれば、美味い飯が安価で毎日食べられる。料理ができて困ることはないだろう。
その習慣は、転生してからも続いた。今となっては、屋敷のシェフと遜色ない料理を作れるようになっていた。
あと、この世界においては〝毒殺を防げる〟という利点もあるのだが、それはまた別の話である。
「やっぱり、変わってるわね」
「こんな俺は、嫌?」
「いいえ、ますますあなたに興味が湧いたわ」
「光栄だ」
喜びが溢れ出し、自然と笑みがこぼれる。
そして、手元に視線を戻し、フライパンでヒレステーキを焼き始めた。
『アンチェイン』の世界に、電気、水道、ガスなんてものはない。
代わりに〝魔術〟がある。
たとえば、今こうしてステーキを焼いているのは、火の魔導具の力である。
魔導具とは、空気中に漂う〝魔素〟を集めて、それをあらゆるものに変換する道具のこと。
たとえば今こうして料理をできているのは、火の魔導具のおかげだ。他にも、水や風、氷など種類は様々である。
魔素とは、地球で言うところの元素のひとつであり、どこにでも存在するもの。
永久に枯渇することがない資源のようなもので、もちろんこの世界に光熱費は存在しない。ライフラインに関しては、この世界のほうがよほど良心的だった。
「焼き加減は?」
「ミディアムレアで」
「お任せあれ」
絶妙な焼き加減で仕上げたステーキを、赤ワインを煮詰めたソースと共に皿に盛りつける。
あとはスープとパンを用意して――――。
振り返ると、クレアがぼーっとこちらを見つめていた。
「クレア? できたけど……」
クレアがはっとする。そして、どこか落ち着かない様子で、髪を触り始めた。
「大丈夫かい?」
「な、なんでもないわ」
そう言って、クレアは小走りでダイニングのほうへ消えていった。
彼女には似つかわしくない動きだが、それがまたギャップになっていて。
――――猫みたいで、可愛いなぁ……。
思わず口角を持ち上げながら。そのあとを追いかけた。




